BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
83
突如響いた大声に対して、細久保理香(女子18番)は思わず声の方向に顔を向けた。
生命の危機であることは一瞬忘れていた。
なぜならば、その声の主が大河内雅樹(男子5番)であることは明らかだったからだ。
雅樹君、来てくれたのね。信じてたわ。
大きく見開かれた理香の目には、拳銃を構えた雅樹の姿がくっきりと見えていた。
そして雅樹のはるか後方には、佐々木奈央(女子10番)と思われる人影がたたずんでいる。
奈央、無事だったのね。雅樹君が守っていてくれたのね。
平素なら奈央に嫉妬しそうなシチュエーションだけれど、今の理香は素直に雅樹や奈央との再会を喜んでいた。
とにかくこれで、生存している生徒全員がこの地点に集結したわけだ。
理香は視線を三条桃香(女子11番)に戻した。
予想通り、桃香は既に理香と神乃倉五十鈴(女子7番)から視線を逸らし、雅樹の方に向き直っていた。
一瞬だけこちらを振り返りながら桃香が言った。
「五十鈴、理香。少しだけ寿命が延びたわね」
理香は答えなかった。どうにも答えようがない。
桃香は再び雅樹の方に顔を向けて言い放った。
「大河内君、私と尋常に勝負して」
雅樹はゆっくりと接近しながら答えた。
「三条さんの立場は理解できないこともない。だけど、立場と人命とどちらが大事なのか賢明な君に解らないはずはないだろう」
桃香は焦り気味の声で答えた。
「もちろん、解ってる。でも私の立場の重さはそんなものじゃないの。国の名誉を背負っているようなものなの。皆を殺すなんて、本当は嫌。でも、仕方ないの。私が総統陛下の顔に泥を塗るわけにはいかないの。戦って倒されても悔いはないけど、戦いを止めるわけにはいかないのよ」
理香はふと思った。
このプログラムで一番苦しんでいるのは桃香なのかもしれないと。
国を背負う立場でなければ、桃香はおそらくやる気になどならず、脱出組に参加してくれただろう。とても心強い味方にできたことだろう。だが桃香はクラスメートと戦う選択をするしかなかったのだ。たとえそれが不本意であっても。船の中にいた時から戦意を披露したのも、自分の迷いを消すためだったのだろう。
先刻、自分を殺そうとした桃香だが、理香は何となく気の毒に思えてきた。
と同時に国に対する怒りが増大した。
桃香が優勝すれば国の権威は保たれるだろうけれど、桃香の心には大きな傷が残ってしまう。
こんなプログラムに何のメリットがあるって言うのだろう。絶対許せない・・・
続いて理香は雅樹に視線を向けた。
それに対して、雅樹は視線をそっと外の方に泳がせた。
瞬時に理香は雅樹の意図を察した。
このまま戦いになれば、桃香が理香たちを盾にする可能性がないとは言えないし、単に流れ弾が命中する危険もある。
その前に桃香から離れるように指示しているのだ。
理香は五十鈴の手を引きながら、物音を立てないようにそっと桃香から離れようとした。
途端に桃香がちらりとこちらを見た。
理香はヒヤリとした。やはり敏感な桃香を誤魔化すことは出来なかったのだ。
しかし、桃香は何事もなかったかのように視線を雅樹に戻した。
理香たちを盾や人質にしようとは、はなから思っていなかったのかもしれない。
これで一安心だ。
理香は速度を上げて、桃香との間合いを広げた。
比較的安全と思われる距離まで離れてから向き直った。
相変わらず桃香は雅樹を見詰めている。
雅樹がじりじりと前進しているので、間合いは詰まる一方だ。
背後の五十鈴が何かをしている気配を感じて振り向くと、手帳に何事かを書き連ねている。
覗いてみると、桃香を説得するための文章を作成中のようだった。桃香と一緒に生き残りたいという必死さが伝わってきた。五十鈴の努力が報われる結果にすることは出来るのだろうか。
理香は視線を前方に戻した。
今の桃香は聞く耳持たずのようだが、何とかして説得する機会を得たいものである。
それは、今から繰り広げられるであろう雅樹と桃香の戦いにかかっている。
雅樹が負けるのは最悪だが、桃香が戦死するのもできれば避けたい。
おそらく雅樹も殺さないで勝つ方法を考えているとは思うのだが。
雅樹の声がした。
「かなりの傷を負っているようだね。無理に戦うと危険だと思うのだが」
桃香が答えた。
「こんなのかすり傷よ。負ける気も引き下がる気もないからね。勝負よ、大河内君」
言うが早いか、桃香は銃を構えて発砲した。
しかし、雅樹は発砲寸前に身を伏せていた。
伏せた姿勢のままで、雅樹の銃が火を噴いた。
桃香も地面を転がってかわした。
もっとも雅樹の銃弾はあさっての方向に飛んでいた。命中させるつもりはなかったらしい。
だが立ち上がった桃香は顔を顰めて脇腹を押さえた。
体を捻ったために痛みが増したようだ。一気に内臓から出血したのかもしれない。
その隙に雅樹は素早く間合いを詰めた。
我に返った桃香が銃を構えたが、雅樹の回し蹴りで弾き飛ばされてしまった。
それでも桃香はひるまなかった。
懐からナイフのようなものを取り出して構えた。
しかし、それを突き出す間もなく雅樹の手刀で叩き落される結果となった。
雅樹が言った。
「悪いが勝負ありだ。これ以上の戦いは寿命を縮めるだけだぞ」
桃香が答えた。その目にはなお衰えぬ闘志が満ち溢れている。
「私の辞書には“負け”という言葉はあるけど、“降参”という言葉はないの」
言い終えると同時に回し蹴りを放ったが、雅樹は少しよろめいただけで、逆に桃香の方が転倒してしまった。
雅樹が言った。
「今の君は最早戦える体じゃないんだ。解っただろう」
これに答えることなく、ふらつきながら立ち上がった桃香は雅樹の顔面に拳を突き出したが、拳は雅樹の手で受け止められていた。
そのまま雅樹が圧力をかけると、桃香は踏ん張ることもできず後方に転倒した。
ここに至っては、素人目にも戦いの帰趨は明らかであった。
それでも桃香は鋭い視線を保ったままで起き上がった。
「悔しい・・・ 傷さえ負ってなければ・・・」
捨て台詞のように言い残したが、そこで突如桃香の表情は柔和なものへと変わった。
一度大きく深呼吸すると、桃香は雅樹に背を向けて断崖の方へゆっくりと歩き始めた。
成り行きを見守っていた理香はアッと思った。
桃香はおそらく自殺する気だ。
雅樹が自分を殺す気でないのを見切って、けじめをつけようとしているのだろう。
思わず叫んでいた。
「雅樹君、桃香を止めて! 死なせないで!」
だが雅樹は首を横に振った。
戦意が衰えることのない桃香を助けても、脱出に協力してもらえるとは思えないと判断したのだろう。
よろめきながら断崖の上に辿り着いた桃香は、理香たちの方を振り返って微笑みながら言った。
「2人を人質にすれば勝てたかもしれないのに、卑怯なことが嫌いな性格も度を過ぎたらただの間抜けよね」
五十鈴が答えた。
「あたしはそんな桃香が大好きよ。いつまでも桃香のことは忘れない」
理香は答えなかったが同じような気持ちだった。
桃香の声がした。
「誰が優勝するのか、それとも他の結果になるのか知らないけど、生き残った人の幸せを祈っているわ」
言い終えると、桃香は再び海のほうへ向き直って叫んだ。
「総統陛下、ご期待に沿えず申し訳ありません。お先にあの世へと参ります」
そして右腕を高く掲げながら渾身の力を込めて言い放った。
「総統陛下万歳! 大東亜共和国に栄光あれ!」
言い終えると同時に、桃香は断崖の下へと身を躍らせた。
理香は全力で断崖へと走った。五十鈴がそれに続く。
辿りついた理香はそっと下を覗いた。
身がすくむほどに高く、海面に吸い込まれそうな感じがする。
普段の理香なら一瞬で目を逸らして後ずさりしただろう。
それでも、この時の理香は違っていた。
怯むことなく、少し暗い海面を見詰めた。五十鈴が理香の肩越しにおそるおそる覗き込む。
やがて桃香と思われるセーラー服姿の物体が浮上して波間を漂い始めた。
周囲の海面はやや赤く染まっているようだ。五十鈴が唾を飲み込む音が聞こえた。
理香は思わず手を合わせた。
五十鈴も同様であった。
いつのまにか追いついてきた雅樹と奈央も黙祷を捧げていた。
その後、4人は口頭で再会を喜び合う会話をしながら筆談にて脱出の手順を相談した後、森へと向かった。
今から行われることを人工衛星などから観察させないためである。
頭上が充分な樹冠に覆われたところで、雅樹が言った。
「皆で脱出したいと思っていたが、やはり危険だ。安全に生き残るために、俺はあえて優勝を選ぶ。悪く思うな」
理香が答えた。
「冗談でしょ。雅樹君」
雅樹は答えながら理香の背後に回った。
「俺がこんなところで冗談を言う男だと思っていたのか」
「ちょっと、止めてよ。死にたくないよ」
理香が答えると同時に、五十鈴が虚空に向けて銃を撃ち、雅樹は素早く理香の首輪を外した。
これで、理香は政府の記録では死者になったはずである。
それから雅樹は、五十鈴と奈央を理香同様に射殺する芝居をしながら、手早く2人の首輪を除去した。雅樹の手際は実に見事なものだった。
待つほどもなく鳥本美和による臨時放送が始まった。無事に芝居は成功したようである。
“大河内君、お疲れ様でした。見事に優勝されましたね。禁止エリアは解除しますので速やかに本部まで来てください”
雅樹は理香たちに目配せすると、本部である学校の方に歩き始めた。
ただ脱出するだけでなく、政府に一泡吹かせることで意見が一致していたため、理香たちは少し離れて雅樹の後を追った。
空には美しい星々が瞬き始めていた。
女子11番 三条桃香 没
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