BATTLE
ROYALE
〜 時の彼方に 〜
15
冷泉静香(女子20番)は、足を止めた。静香が歩いていたエリアC=1のあたりは、切り立った崖が延々と続いている。足元も岩場で少々歩きにくいが、周囲の見通しは良い。遠方から狙撃される可能性は否定できないが、不意をつかれる心配は少ない地形だった。崖下には漆黒の海が広がっている。高さはかなりありそうだったが、それでも波の音だけはしっかりと聞こえてきた。
静香はプログラムに巻き込まれたことを理解した段階から、絶対に優勝してやると心に誓っていた。体育館で他の連中が作戦を相談しあっていても一切加わらず、誰とも話さなかった。石本竜太郎(男子1番)や松崎稔(男子16番)が話しかけてきたが、返事もしなかった。最も親しい坂持美咲(女子9番)は何故か話しかけてこなかったが、もちろん美咲も容赦なく殺すつもりだったから却って好都合だった。
このゲームに乗ってしまう生徒は、大抵は自分が生き残ることを目的にしている。だが静香の場合、生き残ることは目的を果たすための1つの手段に過ぎなかった。静香の心は川渕たちに対する憎悪で満たされていた。本当の目的は川渕と兵士たちに苦汁をなめさせることだった。そのために、クラスメートを犠牲にすることは当然の選択だった。
静香は大東亜共和国でも有数の財閥の令嬢だ。もともとは、静香の5代前の先祖が山之江市で商売を始めたのがきっかけだったが、商才に長けた者が続出する家系で静香の祖父の代までには全国を席巻し、もはやライバルといえるのは四菱財閥だけになっていた。しかし、冷泉財閥の本社は今でも山之江市にあった。無論、建物の大きさも従業員数も東京支社のほうが勝っていたが・・・
当然のことながら、静香の家は山之江市一の豪邸だった。静香と妹の麗奈は多くの使用人に囲まれて何不自由なく暮らしていた。静香にとっては、共和国中を飛び回っている父に殆ど会えないのが少々辛かったが・・・
登下校時には、常に2人の屈強な護衛が付いていた。彼らは、授業中も廊下にいたし、野外活動にも必ず同伴していた。従って、修学旅行にも無論同行していた。実は静香たちが拉致された際もレストランの前で見張っていたのだが、突如現れた大勢の兵士に殴られて昏倒していたのだった。
学校の宿題などは、住み込みの家庭教師が代行してくれるし、試験の点数も大量の賄賂を受け取っている校長によって常に水増しされていた。下品にしか思えないクラスメートと親しくする気にはとてもなれなかったが、比較的気品のある坂持美咲とだけは親しくなれた。竜太郎や稔と同じ班だったのは、2人と美咲がある程度親しかったからに過ぎないのだった。そんな辛抱もこの1年限り。来年には、お嬢様高校への裏口入学が決まっていた。本当は中学からお嬢様学校に入りたかったのだが、父はせめて中学までは庶民の中で学ばせたいと考えたようだった。無論、女子校とてプログラムの対象から外れるわけではないのだが・・・
そう、そのプログラムさえも事前に自分のクラスと解っていれば、総統や陸軍大臣に莫大な裏金を渡すことで、他のクラスに変更させることも出来たかもしれない。何せ、金なら捨てるほどあるのだから・・・
しかし、始まってしまったプログラムを中止させるのは困難だろう。理不尽な理由で中止させれば、たとえ総統であろうとも国民の信頼を失ってしまうだろう。国を転覆させたいと考えている国民は少なくないだろうから、革命の機会と口実を与えることになってしまいかねない。
だから、こうなった以上は自力で生き残るしかない。優勝して生還すれば、それこそ陸軍大臣に賄賂を贈り、川渕と参加した兵士たちに言いがかりをつけて処分させることは可能なはずだ。目的が目的なので、クラスメートと協力して脱出する考えなどは、初めから排除されていた。
とにかく、このお嬢様の自分に無断で薬物を服用させて眠らせた上に拉致した川渕たちが絶対に許せなかった。物心ついてから、父と医者以外の男性に体を触らせたことはない。しかし、兵士たちは意識のない自分を担いで運んだはずだ。考えただけでおぞましかった。しかも体育館で銃を持っていた兵士の1人は、何度も自分に視線を飛ばしてにたにたしていた。おそらくこの兵士が自分を運んだのだろう。クラスで一番スタイルのいい自分をこの男が・・・ ひょっとしたら、胸や尻に触れたり服をめくったりしたかもしれない。全身の毛を逆立ててもまだ足りないほどの嫌悪感だった。川渕たちに天罰を加えねば、死んでも死にきれなかった。そのためには、クラスメートの命など道端の小石のようなものだった。さっさと、下品なクラスメートを始末して優勝する。その後で、ゆっくり復讐するつもりだった。
体育館を出た直後にデイパックを開いた。銃が出てくることを祈った。銃があれば、まずは自分の後から出てくる7人を片付けるつもりだった。石本竜太郎や浅井里江は手強いが、銃を使えば倒せるだろうと考えた。しかし、入っていたのは短めの刀。いわゆる脇差であった。期待していただけに、失望は大きかった。“これは、俗に言う大小の小の方です。だから、今日のあなたの運勢は小吉です”などと書かれた説明書を破り捨てながら、とぼとぼと西の方へ歩き始め、崖にたどり着いたのだった。
残念ながら、腕力と運動神経には全く自信がない。脇差で斬りつけても、余程弱い相手にしか勝てそうにない。誰かを騙して利用しようかとも思ったが、普段から威張っていて鼻つまみ者になっている自分を信用してもらうのは容易ではない。もう少し表面上だけでも皆と仲良くしておくべきだったと悔やんだが後の祭りだった。
波の音を聞きながら考えた。自分にあるのは脇差だけ。とにかく誰かを倒して銃を入手する必要があった。その時、50mほど離れた大きな岩に寄り添うように立つ人影を見つけた。誰だかまるで判らないが、クラスメートの1人であることは間違いなかった。
静香は岩の上を這うように移動を始めた。闇夜の中、ちょうど月が雲に隠れていたこともあり、黒っぽい岩の上を濃い色のセーラー服が這っていても、ほとんど人目にはつかないと思われた。膝が岩で擦りむけた。かなり痛むが耐えた。第一、お嬢様の自分が岩の上を這うなどということ自体が大変な屈辱だった。しかし、全ては生き残るため、川渕たちに復讐するため。まさに臥薪嘗胆ってやつだった。
ようやく、標的に5m程度の地点まで近寄ったが相手は腕組みして考え込んだ姿勢のまま動いていない。雲に隠れていた月が顔を出して、この人物が松崎稔であることが確認できた。見たところ、手に武器は持っていない。銃を奪う目的は果たせそうにないが、自分も月に照らされているから、発見されるのは時間の問題だった。やるなら今だ。
静香は、音もなく立ち上がった。いや、かすかに音はしたのだが、この程度なら波の音にかき消されただろう。脇差を振りかぶり、思いっきり踏み込みながら斬りつけた。仕留めたと思った。が、なんの手ごたえもなかった。刃は空を切っていた。え? と思う間もなく、右手首を掴まれ捩じり上げられた。振り向いた先に稔の顔があった。脇差は難なく稔の手に渡ってしまった。
稔が言った。
「本当に、世間知らずのお嬢様だなあ。そんな強い香水を付けて、風上から忍び寄ってくるなんて・・・ 君だってことまで丸わかり。横目で見たら脇差が見えたんで、知らない振りして待ってたよ」
静香は、半ば放心状態だった。自分に呆れていた。まもなく稔に胸を刺されて、楽しかった自分の人生は14年と半分で終わるだろう。抵抗したところで勝ち目はない。観念して目を閉じたが、稔は優しい声で話しかけてきた。
「考えを改めなよ。君がその気になったところで優勝なんか出来るわけないよ。今でも僕がその気になれば、君はお終いなんだからね。僕はここで竜太郎と待ち合わせしてる。あいつなら、きっと脱出方法を考えてくれるよ。一緒に逃げよう」
そして、一呼吸置いてさらに意外な行動に出た。
「さ、これは返すよ」
言いながら、静香の手に脇差を握らせた。
稔としては、これで静香を説得できたつもりだったろう。
平凡な少女なら説得されたかもしれないが、この言動は静香の心の深淵に潜んでいたもの、つまり静香自身も全く自覚していなかった先祖譲りの闘争心に火をつける結果となってしまった。今までは、川渕たちを痛い目に遭わせたいという若干幼稚な発想でクラスメートを殺そうとしていたのだが、今度は競争相手として全力で潰そうという意識に変化していった。上品な静香の顔が強かな商人のそれに豹変した。静香の目が語った。ライバルは必ずこの手で倒すと・・・
静香は稔が怯むのを感じた。絶対倒してみせる。やみくもに脇差を振り回した。刃が岩に当たって折れたりしなかったのは、偶然だっただろう。始めはかわしていた稔だったが、ついに左前腕に数センチの傷が出来て赤黒い血がゆっくり流れ出した。
突如稔はきびすを返して逃げ出した。静香は必死で追ったが、数歩も行かぬ間に岩の隙間に脚を取られて転倒してしまった。左の肘と膝を強く打撲してしまったが、何とか立ち上がった。既に稔の背中は遥か遠くだった。
「ちっきしょう。てめえ、必ずぶっ殺してやるからな!」
いつのまにか静香は、自分でも信じられないような下品で大きな声を出していた。
が、とてもスッキリした。感動した。お嬢様の仮面を脱ぎ捨てるのがこんなに気持ちいいことだったなんて・・・
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