BATTLE
ROYALE
〜 時の彼方に 〜
16
エリアD=6は、この半島で一番高い山の東斜面に該当する。斜面としては厳しくないが、典型的な針葉樹林で深夜に少女が歩くのは少々難儀だった。しかし、多くの荷物を持った少女は周囲にしっかり注意を払いながらもゆっくりと歩を進めていた。仲間に会うために・・・
あれからしばらくの間、遠山奈津美(女子13番)は親友の亡骸の上に涙をこぼし続けていた。それでも聞き耳は立て続けていたし、何度も顔を上げて周囲を見回してはいたけれど・・・
奈津紀がこの世から失われてしまうなんて、つい先日まで夢想だにしなかった。プログラムに巻き込まれた事自体がなかなか信じられなかった奈津美だが、それ以上に信じられないことが起こってしまった。まさか自分の目前で、それもクラスメートの手で落命するとは。それがプログラムのルールだと理性では解っていても、感性の方ではなかなか受容できなかった。
奈津美の家と奈津紀の家は100mほど離れている。だから、幼児期にはお互いの存在さえ知らなかった2人だったが、小学校に入学するとすぐに、同姓だったこともあって親しくなった。クラスが分かれた時期もあったが、この8年あまりの間、2人の絆が揺らいだことは無かった。家族ぐるみの付き合いに発展し、2家族で旅行に出かけたことも数回あった。
その後、奈津美の近所に中上勇一(男子11番)が引っ越してきて2人と親しくなった。さらに、中学2年からは河野猛も仲間に加わった。4人で遊びに出かけた回数は数え切れない。
奈津美の頭にいろいろな思い出が甦った。
金刀比羅宮の階段で競争したのは去年の秋だったか。普通の女子や体力の無い男子には多分勝てるのに、このメンバーでは分が悪かった。勇一がぶっちぎりのトップで、次が猛。奈津紀にも僅かに遅れてしまった。勇一に至っては、奥社まで一気に駆け上がっていった。ちょっと、悔しいけどいい思い出だった。
そういえば松山城の石段で競争したこともある。この時も、奈津紀にちょっとだけ負けたんだよね。
でも、もう奈津紀と競争することは出来ない。
勿論、一緒に卓球をすることも出来ない。
お化け屋敷や絶叫マシーンで悲鳴のハーモニーを奏でることも出来ない。
2種類のソフトクリームを買って、途中で交換することも出来ない。
あれもこれも・・・
奈津紀がもはや存在しない世界に、自分だけが生きているのが少々辛くなってきた。
それに、もう一つ考えるべきことがあった。
どうして黒野君は先にあたしでなく奈津紀を刺したのだろう?
確かに、黒野紀広(男子6番)が2人とも殺す気だったのは明白なのだし、油断している2人のどちらを先に刺す事も可能だったはずだ。
紀広がとても冷静な判断をしていたとすれば、僅かに運動能力が勝っている奈津紀を先に倒したのは納得できる。しかし、あの時の紀広がそこまで冷静だったとは思えない。第一、奈津美たち2人がそこを通りかかることを、直前まで紀広は予測できなかったはずだ。奈津美たちの声を聞いた後に、“よし、女2人なら勝てる”とでも思ったのだろう。
では奈津紀が刺された事、すなわち奈津美が生き残った事は完全に偶然だったのだろうか。
そこに、なんらかの必然性は認められないのだろうか。
精神的ショックのため、奈津紀が刺された前後の記憶がハッキリしていなかったが、奈津美は必死で記憶の糸を手繰った。
そうだ、あの時!
2人一緒に紀広の方へ歩み寄ったつもりだったけど、黒野君に対する疑いの念を捨てきれなかったあたしは、奈津紀より半歩後ろに下がってたんだ。だから黒野君にとっては、手前にいる奈津紀を先に刺したのは至極当然だったんだ。いいかえれば、あたしは奈津紀を盾にしてしまったんだ。
猛烈な自己嫌悪が奈津美を包んだ。無意識とはいえ、親友を盾にした自分が許せなかった。
死ぬべきなのはあたしだったのかもしれない・・・ なのに、あたしは・・・
誰かに発見されて討ち取られるまで、ここでずっと泣いていようかとも考えた。
が、そこで奈津紀の最後の言葉が奈津美の頭の中を駆け巡った。
がばっと身を起こした。
だめ! あたしったら、何考えてるんだろう。
このまま、誰かの手にかかったら天国で奈津紀に絶交されちゃう。
絶対、生き残らなくっちゃ。奈津紀の分も生きなきゃ。
それに河野君に遺言を伝えなきゃいけないしね・・・
少しだけ冷静になってきた。
まずは、奈津紀に刺さっている刃物を抜き取りたかった。
あせらずにやったためだろうが、なんとか抜くことが出来た。出刃包丁だった。護身用に持つことも可能だったが、親友の命を奪った凶器を保持する気にはなれなかった。そこで、近くにあった岩に叩き付けて刃を折った。
それから、私物の裁縫セットの中から鋏を取り出して、奈津紀の髪を少し切った。
それを油取り紙で包んだものを2つ作った。1つは自分が持つため、もう1つは猛に渡すためだ。
さらに、奈津紀の体を深い叢の中に目立たないように隠した。自分と殆ど同じ重さの体を運ぶのは大変だったが、男子に人気のある(まぁ、自分もだけどね)奈津紀の亡骸をこの場に放置するわけにはいかなかった。本当は埋葬したいのだが、さすがに1人では無理だった。穴を掘る道具も無かったし・・・
奈津紀に最後の別れを告げながら、奈津美は誓った。必ず敵をとる事を。
勿論、この敵とは紀広ではなくて、川渕たち政府の連中だ。
紀広も許せないところだが、紀広自身もプログラムに巻き込まれた被害者なのだ。友人も少なく、わがままな紀広がこういう選択をしてしまったのは、理解できないことではない。それを見抜けなかった自分たちが甘いのだ。
突然、奈津美は思い出した。銃に弾を込めてないことを。
当たり前の話だが、こんなものを使いたくは無いし、使う機会が訪れないことを祈りたかった。だが正当防衛だけはせざるをえないかもしれない。奈津紀のためにも、あっさり死ぬわけにはいかない。
奈津美は、デイパックの中から弾丸を探した。だが、出てきたものは素人の奈津美の目にも鉛の実弾ではないことが判った。慌てて説明書を見た。こう、書かれていた。
“これは、ベレッタM92Fのモデルガンです。外見と音だけは本物そっくりですので、威嚇の効果は満点です。しかし、真の殺傷力は殆どゼロ。これで何人のお友達を騙せるか、貴方の演技力が問われます。ちなみに、本日のあなたの運勢は波乱に満ちているでしょう”
思わず破り捨ててしまった。どこまで、政府は自分たちを馬鹿にしているのだろうか。占いだけは当たっているけど、プログラム参加者なら多分全員に当てはまる内容だから当然だ。
怒りに震えながら、奈津紀のデイパックも探ってみた。見つけたものは、何と耳掻きだった。ロクなことが書いてないのは予想できたが、一応説明書を読んでみた。
いきなり、“小は大を兼ねるということわざを知ってますか?”で、始まっていた。
え? 大は小を兼ねるじゃなかったっけ? 首を傾げながら、続きを読んでみた。
“時間と根気があれば、耳掻きで土を掘ることは出来ますが、スコップで耳掃除をすることは不可能です。耳掻きでも、貴方の工夫次第では大きなスコップ並の武器になるでしょう。貴方の御健闘をお祈りします。強敵に耳掃除をしてあげて、油断させる使い方もあるかと・・・。 でも、貴方の運勢は凶です”
ムカッとしながらも一瞬思わず微笑みかけた自分に腹を立てながら、奈津美は説明書を引き裂いた。
心の中で奈津紀に謝りながら、デイパックと私物の中から、食料や使えそうなものを自分の荷物に加えた。その時、少し離れたところに落ちていた紀広の荷物が目に入った。武器は見当たらなかったが、おそらく先刻の出刃包丁が支給された武器なのだろう。とすると、紀広が持っていた缶切りは何だろう? 紀広の私物を開けた途端に謎は解けた。修学旅行中の夜食として紀広は大量の缶詰を持っていたのだ。結局、あまり使わなかったのだろう。つまり、缶切りは私物として持っていて、奈津美たちを油断させる道具として使ったと考えられた。食料が貴重かつ重要になることは充分予想できたので、これは大変な戦利品だった。紀広の鞄など持ちたくないので、缶詰と落ちていた缶切りを奈津紀の鞄に移しかえた。
随分、荷物が増えてしまったが仕方が無かった。勇一たちと合流できれば分担して持てるので、それまでの辛抱だった。一応、モデルガンも右手に持った。
きりっとした表情になった奈津美は、待ち合わせ場所を目指してゆっくり行動を開始した。人目につかないように森の中を通り、今エリアD=6の北の方までたどり着いていたのだった。
森の切れ目で時計を見ると、午前3時半だった。本当に慎重に歩いてきたものだ。ふと、空を見上げた。夏の大三角形と言われるベガ・アルタイル・デネブがほぼ天頂に見えている。
織女星のベガがあたしなら、牽牛星のアルタイルは勇一君。七夕には早いけど、もうすぐ会えるよね・・・
猛君はさしずめデネブかな? それじゃ、かわいそうかな?
きれいな星空を見ると、少し気分も晴れてきた。田舎のようで空気も澄んでいる。北東から南西に流れる天の川も美しかった。まあ、デネブは天の川の中にあるのだが・・・
足取りも軽くなってきた。周囲への警戒は緩めなかったけれど。
午前4時近くなって、奈津美は待ち合わせ場所に到着した。
待ち合わせ場所と言っても、“エリアC=5の中央あたり”というあいまいなもので、後は適当に周囲を捜すしかない。
大体において、お互いに土地勘の無い場所で待ち合わせをするのは難しい。地図上で目立つ点なら比較的容易だが、他の者と遭ってしまう可能性も高い。勇一があいまいなところを指定したのもうなずけるが・・・
奈津美は周囲を慎重に歩いたが、勇一と猛の姿はなかった。2人が先に倒されていることもありうるのだが、そんなことは考えたくなかった。考えたくないことが現実に起こりうることを、既に思い知らされてはいたけれど。
大声を出して呼ぶのが危険なのは解っているし、どうしたら2人に会えるのか・・・
立ち止まって考え始めた時、背後に人の気配を感じた。
充分注意を払っていたにもかかわらず、誰が忍び寄ってきたのだろう。
思わず、体がビクッと震えた。そして振り向く間もなく、大きな手で口を塞がれた。
慌ててモデルガンを持ち上げようとしたが、次の瞬間には手首に手刀を当てられて、モデルガンは2メートルほど先まで吹っ飛んでしまった。
背後の何者かは奈津美の首をねじ回して、強制的に自分の顔を見せた。見せると同時に口から手を離した。
目の前にいたのは、中上勇一だった。
奈津美は自分の表情が一瞬で崩れたのを感じた。
先ほどまでの引き締まった顔が、嘘のように半泣き顔になっていた。
無言で、勇一の胸に顔を埋めた。大声を出してはいけないという理性だけは残っていたけれど。
僅かの時の後、奈津美は顔を上げた。勇一に向かって口を開きかけた。が、勇一が先に喋った。とても、優しい声で。
「何も、言わなくていいよ」
奈津美は小さく肯いた。
確かに奈津美の荷物の量と表情を見れば、奈津紀の落命を推定するのは容易だろう。
奈津美に辛い話をさせない配慮なのだろう。
さらに、勇一は続けた。
「さっきは、手荒なことをして御免。君が銃を持っているのが見えたので、錯覚して発砲される危険を防ぐためには、ああするしかなかった」
奈津美の表情は、元に戻っていた。
「いいのよ、そんなこと。それに、あたしもう落ち着いたから・・・」
淡々と、出発してから今までのことを語った。不思議なくらいスムーズに語ることができた。抑揚の無い機械的な口調になってはいたけれど・・・
勇一が、ぐっと奥歯を噛み締めて奈津紀の死を受容しているのが解った。
話し終わった奈津美は、ふと違和感を感じて目を大きく開いた。訊いた。
「ところで、猛君は? 一緒にいるんでしょ?」
勇一は、首を横に振った。また、奈津美の表情が険しくなった。
時計の針は、午前4時丁度を示していた。
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