BATTLE
ROYALE
〜 時の彼方に 〜
25
エリアH=8のひときわ高いビルの屋上の低いフェンスに両肘を乗せて、坂持美咲(女子9番)は街を見下ろしていた。
先刻は、美咲にとっては正に不覚だった。まさかあのような小さな祠に隠れている者がいようとは。その人物、すなわち城川亮の射撃が正確だったら、その時点で自分の火葬場行きが決定してしまうところだったのだから。そして相手が亮であると確認した美咲は驚愕した。幼児期から亮のことを知り尽くしている美咲にとって、プログラムの下であっても亮が人を殺そうとすることなど信じられなかったし、ましてや自分に牙を向けるなどとは。
しかし街へ移動する途中で、美咲は亮の荷物と木原涼子の遺体を発見し事情が了解できた。いかにも小心者の亮らしいと美咲は感じた。
美咲がひとまずの安全地帯として選んだのがこのビルの屋上だった。周囲の建物はずっと低く、狙撃されることはない。逃げ道が無いとも言えるが、ここに上がって来る階段は1つしかない。しかも、足音を立てずに上がるのは殆ど不可能な材質だった。すなわち、耳を澄ましてさえいれば不意をつかれることは無い。そして、手元にあるのはウージー9ミリサブマシンガン。身を守ることから言えば、ほぼ完璧な条件だった。
美咲は首に下げたロケットを手にとって、忍ばせてあった写真を見詰めた。写真の中では中年と思われる長髪の男が微笑んでいる。
美咲は写真に話しかけるように呟いた。
「お父様、教えてください。いったい、美咲はどうしたらいいのですか?」
美咲の父は坂持金発と言い、優秀なプログラム担当官だった。
父は美咲を幼児期から上手に躾けてきた。美咲は父を深く尊敬して、また誇りに思っていたため、友人たちに父の仕事がプログラム担当官であることを自慢したかったのだが、何故か父は職業を友人に明かすことを禁じていた。従って、幼馴染の城川亮なども美咲の父は政府の役人であることしか知らなかった。
しかし美咲が小学2年の時、父はプログラムで殉職した。
美咲は呆然とする他は無かった。あの逞しい父が、喉に鉛筆を刺されるなどという不様としか言わざるをえない死に方をして帰ってきたのだから。ちなみに、葬儀は勤務中の事故で亡くなったという名目で執り行なわれた。
通常、殉職というのは名誉の死であって多額の慰安金や遺族の生活保障が与えられるものなのであるが、この場合はプログラム参加生徒の逃亡という前代未聞の大不祥事に伴う殉職ということで、むしろ犯罪者に近い扱いとなり、政府からは何らの保障もしてもらえなかった。
坂持家の生活は180度変わってしまった。当時妊娠していた母はもちろん専業主婦だったのだが、出産後は働かざるを得なかった。美咲も幼い弟妹の面倒をよくみた。それでも、母は父の偉大さを美咲に説き続けた。
そして、プログラム担当官または陸軍将校になることが美咲の夢となった。国のために役立つ地位に着き、高収入を得て母に楽をさせたかった。
美咲は周囲には内緒で、武道を身に付けたり尼寺に精神力の鍛錬に出かけたりして、自らを磨き上げていた。学校の成績もトップクラスで、一流高校を経ての陸軍大学への進学は殆ど保障されていた。容姿の方も学年有数で正に才色兼備だったため、男子のファンは多かった。しかし、プライドが高くクールな美咲に告白する勇気のあるものは現れなかったし、美咲も自分より成績の悪い男子には目もくれなかった。それでも美咲に対する憧れを捨てきれない一部の男子は、美咲を尾行したりこっそり写真を撮ろうとしたりしたのだが、全て察知されて睨まれる結果となっていた。
結局美咲は上品な冷泉静香(女子20番)とは親しかったが、その他の女子とは表面上の付き合いしかしなかったし、男子に対しては互角に学問の話が出来る3人、すなわち石本竜太郎(男子1番)・中上勇一(男子11番)・松崎稔(男子16番)以外とは殆ど接することがなかった。
そんな美咲だったが、自分がプログラムに生徒側で参加することになるとは夢想だにしていなかった。
そして実際に参加してみて、愕然とした。
自分が憧れていたプログラム担当官という仕事が、こんなにも愚劣なものだったとは。
プログラムそのもののおぞましさは知っているつもりだったが、何故か担当官はカッコいいものだと思っていた。そう、尊敬する父の職業なのだから。しかし・・・
体育館にいる間、自分を失望させた川渕をずっと睨み続けていた美咲は、出発の際は川渕と目を合わせずに出て行こうとした。だが、川渕は美咲を呼び止めて期待している旨を伝えた。
美咲の川渕に対する嫌悪感が極大値を示した。役人たちが、プログラムでトトカルチョをしていることは知っている。川渕がわざわざ美咲を激励したと言うことは、川渕が美咲に賭けているということだ。
そういえばデイパックを渡される時、兵士は1つだけ離れたところにおいてあったデイパックを美咲に渡した。今考えれば川渕に指示された兵士が、美咲の優勝確率を上げるために、意識的にマシンガンを美咲に与えたのであろう。きっとあの兵士も、美咲が優勝すれば川渕から分け前をもらえるのだろう。
本当に父はこんな愚劣な仕事をしていたのだろうか・・・
返事をしない父の写真を見詰めながら、美咲は再度考えた。実際、自分がどう振舞うべきなのか解らなかった。
自分の知力と運動能力、さらに手元のマシンガンの存在を考えれば、優勝しようと思えば不可能ではないだろう。
だが、敵兵ならともかくクラスメートを殺して回る気にはどうしてもなれなかった。
それに、自分が優勝するのは結果として“川渕を喜ばせること”になってしまう。
あんな奴を喜ばせるくらいなら、死んだ方がマシだと美咲は思った。
では、あっさり誰かに首を差し出すか・・・
国のために命を捨てることには何の抵抗も無かった。それは、幼児期からずっと父に教育されてきたことだ。といっても、それは軍人として敵国と戦い名誉の戦死を遂げることか、敵のスパイなどと刺し違えて殉職することである。
プログラムごときもので死ぬなどということは、国のデータになるという価値を考慮しても、美咲の物差しでは犬死にしか思えなかった。
死ぬのであれば本当に国のためになる死に方がしたかったし、ここで犬死したのでは必死で自分を育ててくれた母に申し訳が立たないと考えた。
やはり簡単には死ねない・・・
普通の生徒なら脱出の可能性についても考えるところだが、美咲は全く考えなかった。
そう、“国に対する反逆行為”だけは絶対にやりたくないことだったから。
美咲は考え続けたが、いくら考えても結論は出なかった。
そこで、ひとまずの方針だけを決めた。それは、単独行動に徹し、原則としては守備的に行動して攻撃されれば反撃するが、自分から積極的な攻撃はしないことだった。それで討ち取られてしまえば仕方が無いし、結果的に“偶然”優勝してしまった場合にはそれを受容することとした。
大きな溜息をついた美咲は、父の写真の入ったロケットから視線を外した。
突如、美咲の表情が引き締まった。ウージーを握った右手に力が入った。
美咲の耳は、階段を上がってくる微かな足音を確実に捉えていた。
<残り30人>