BATTLE
ROYALE
〜 時の彼方に 〜
47
エリアF=8は広大な水田地帯なのだが、誰かが水門を開いたのかすっかり干上がっていた。
その中を、萎れた苗を踏み潰しながら体を小さくして進んでいるのは浅井里江(女子1番)だった。
里江は何度も風向きを確認しながら、鼻を刺激する匂いの元を探していたのだった。
里江の父の浅井剛三は四国一帯を束ねる暴力団“浅井組”の組長だった。だから里江は、ある意味ではお嬢様であった。
8歳上の兄である雅典が後継ぎになる予定のため、里江は気楽な立場だった。
だが里江が小学4年の時、雅典は新興の暴力団“相馬組”の放った刺客によって無残な最期を遂げてしまった。
それに対する剛三の報復行動は迅速で、瞬く間に“相馬組”は壊滅した。
しかし、大規模な抗争になって多くの死傷者を出してしまったため、剛三は逮捕されて無期懲役刑に処されてしまった。
その結果、里江は僅か10歳で組長代理の座に就かねばならなかった。
はじめは乗り気でなかった里江だが、大の男たちが自分の前に跪いて命令を聞く状況に慣れてくると、楽しくなってきてしまった。
幹部たちからは厳しい武道と喧嘩の特訓を受けたが、暴力団のトップに立つ以上は必要だと思い、必死で頑張った。
その結果、中学進学時には女性ならば成人相手でも決して負けない腕になった。そして、殆どの男子中学生よりも強くなった。
もともとお嬢様扱いで育ってきたこともあって、全てが自分の意志どおりにならないと我慢できなかった。
学校でも勝手きままに行動したが、教師達も恐れて注意しなかった。
結局、学校一の不良女子の名をほしいままにしていた。
参謀役の豊浜ほのかのおかげで警察の厄介になることもなく、快適な中学生活を送ることが出来た。
成績の悪さだけはどうにもならなかったが。
そんな里江であったため、プログラムに参加させられたと知っても全然慌てなかった。
戦闘には素人のクラスメートを、ただ皆殺しにすればよいのだから。
何て、簡単な仕事なのだろう。他の組との抗争に比べれば・・・
そんな楽な仕事をするだけで、総統の色紙が頂けるなんて最高。
クラスメートなどは自分のために死ぬのが当然だと思えた。
だが、始まってみると計算違いが3つもあった。
1つは支給武器が金槌だったことで、2つめは弾除けにするつもりだったほのかに、腹のうちを読まれて逃げられたことだ。
最後に会場が思ったより広くてなかなか獲物を見つけられないことだった。
それに武器が金槌ではあまり大胆に動けない。いくら自分が強くても、銃を持った相手には分が悪いからだ。
が、ふとした思い付きで潜んだ薬局に伊佐治美湖が入ってきたことから事態は好転した。
ひ弱な美湖を難なく討ち取って、ワルサーPPKという銃を入手した。
それからは積極的に獲物を求めて会場内を探検した。
しかし自分がゲームに乗ることは殆どのクラスメートが予想しているようで、遠距離からでも自分を見かけた者は一目散に逃げてしまう傾向があり、今までに合計3人しか仕留めていなかった。
その上、偶然出会った服部伸也(男子12番)とチームを作ろうとしたが、断られた上に悪魔呼ばわりされてしまった。
さすがに30人近い人数を自分で葬るのは大変というか面倒にもなっていた。
それでも先刻の放送では残り21人になっており、自分のほかにもゲームに乗ったものが何人かいると考えられた。
とすれば、自分としてはあと数人始末すれば優勝できそうな気もした。
裏切り者のほのかだけは、自分で片付けないと気がすまなかったが。
銃声を聞いている限りでは、マシンガンを持っている者が少なくとも2人はいるようだ。
まだまだ前途は多難だが、とにかく頑張って優勝するしかない。
自分が生還しなければ“浅井組”は、柱をなくして崩壊してしまう。
組の者たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。絶対に死ねない。
自分のためだけでなく、組を背負って戦っているともいえる里江だった。
もっとも、里江がプログラムに参加したと知らされたとき、組の者たちが軍に逆らって殆ど全滅させられていたことなど、里江には知る由もなかった。当然ながら、軍にも多数の死傷者が出ていたが。
冷泉静香(女子20番)の香水の匂いは、もう少し先のあぜ道から匂ってくるようだ。
お嬢様が潜むには若干不自然な場所だが、こんな香水を使う子は他にはいない。
わざわざ居場所を知らせるとは間抜けなお嬢様だと思いつつも、若干の疑念は捨てなかった。
以前から何となく、静香が芯からのお嬢様ではないような気がしていた。
本性を見せてゲームに乗っている可能性もあると考えた。といっても、戦いなれているはずはなく自分の敵ではないのだが。
一歩一歩近づくに連れて匂いは強くなってくる。
里江は足を止めた。香水を多めにつけてもここまで強くは匂わないはずだ。だとすれば、これは計略だ。おそらく、匂いの元は蓋を外した香水の瓶だろう。
お嬢様め、小賢しい真似を。
おびき寄せた以上、静香自身は近くに潜んでいるはずだ。だがいくら何でも泥や水の中には隠れないだろう。その向こうのあぜ道の蔭くらいが怪しい。
里江は、ワルサーを抜き出した。一気にあぜ道の裏までダッシュしてそのまま発砲するつもりだった。これで、策に溺れたお嬢様を仕留めることが出来る。先刻、伸也につけられた肩の傷は浅く、ほとんど影響は無い。
里江は背を低くしたまま走り出した。狭い用水路を跳び越えようとした。
その時、里江の戦士としての勘が命を救った。
強い殺気を感じ、ジャンプする方向を瞬時に変えたのだった。
もしそのまま跳んでいたら、用水路の水から頭だけを出して隠れていた静香の脇差に下腹部を貫かれていたに違いなかった。
だが里江は、着地でバランスを崩してあぜ道の上で横向きに転倒した。
最初の狙い済ました一撃をかわされた全身びしょぬれの静香が、用水路から飛び出してきて倒れている里江を突き刺そうとした。
里江は身を翻してよけたが、静香の脇差はしつこく追ってくる。
静香がこんなに勇敢に戦うなんて里江の想像を絶していた。少し静香を甘くみていたか。
転がってかわしながらようやく冷静になった里江は、臥位のまま右足で回しげりを放った。
脇腹を靴のつま先で強打されて静香はよろめいたが、それでも鬼のような形相のまま脇差を手放さずに突進してきた。
だが、その一瞬で里江は起き上がることが出来た。太刀筋を見切ってかわすと、静香の下腹部に膝蹴りを見舞った。
必死で戦っていた静香もついに耐え切れず崩れ落ちた。
そのこめかみにワルサーの銃口が押し当てられた。勝負はこれまでだった。
静香が無念そうに呟いた。
「やっぱり、里江には勝てないね。これであたしもあの世行きだね」
いつもなら問答無用で引き金を引く里江だが、思わず声を掛けていた。脇差を拾い上げながら。
「お嬢様のプライドを捨てて水の中にまで隠れるなんて、びっくりした。もうちょっとで、金星を献上するところだったわ。貴女なんかに殺られたら、ご先祖様たちに会わせる顔がなかったよ。それに、あたしと判っていて攻撃してくる人がいることにも驚いたわ。他の子はみんな逃げてったから」
静香は落ち着いて答えた。声が震えることも無く。おそらく、完全に覚悟が出来ているのだろう。
「本気で優勝したかった。みんなに勝ちたかった。優勝するためには、いずれは貴女とも戦わなきゃいけない。貴女にも勝たなきゃいけない。強い相手を後回しにするなんて意味が無い。出会った相手1人1人を倒していかないと優勝なんか出来やしない。だから、勝ち目は薄くても挑戦したのよ」
ワンテンポ置いて続けた。表情も言葉遣いもいつものお嬢様に戻っていた。
「悔しいけど所詮あたしに優勝は無理だった。でも、充分戦えて満足よ。貴女のような強い人に討たれるなら悔いはないわ」
静香は脚を正座に組替えてじっと瞑想の姿勢に入り、死を待った。
里江は頷きながら言った。
「貴女は立派だったわ。その覚悟のよさも見事よ。感服しちゃったわ。せめて見苦しくない亡骸になるように配慮してあげるわね」
静香は目を閉じたまま、軽く頭を下げて言った。
「感謝するわ。頭を砕かれた姿なんか、とても両親に見せられませんもの。あ、もう1つお願いしていいかしら。優勝したら政府の連中を叩きのめして欲しいと思うのだけれど」
「承知したわ。もともと、そのつもりだったし」
里江はこう答えたが、無論のこと偽りだった。
目指しているのは、普通の優勝者だ。政府に逆らう気持ちはない。
いくら自分でも政府と戦えば勝ち目はなさそうだし、そんなことをすれば服役中の父が処刑されかねない。
死に行く者への礼儀としての方便だった。
「さ、そろそろ殺らせてもらうわね」
里江の言葉に、静香は小さく頷いた。さすがに小刻みな体の震えは止められなかったが。
精神は受容していても、肉体はまだ生きることを望んでいるのだろう。
里江は銃をしまうと、どこから持ってきたのか細めの錐をデイパックから取り出して静香の背後に回り、首の後ろに深々と突き刺した。
延髄を破壊された静香の魂はゆっくりと肉体から離れていった。
もはや生命を宿していない静香の体を、里江はそっと抱き上げて歩き始めた。
水田地帯から出ると、深い叢に横たえた。その死に顔はとてもやすらかだった。
水田には静香の放置した香水の匂いが、なおもしばらく漂っていた。
女子20番 冷泉静香 没
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