BATTLE ROYALE
〜 時の彼方に 〜


65

 時計の針は午後2時を示していた。
 太陽はやや西に傾いてきたが、暑さの面から言えば絶頂の時刻であった。
 しかし、少女はその熱せられた岩の上に平然と座り込んでいた。
 エリアA=5に該当する半島の最北の岬は、切り立った崖になっている。
 その突端に近いところにいる少女の視界には、一面の海原が広がっていた。
 50メートルと離れていないところには、堂浦修の屍が放置されている。だが、少女はそんなことは知らないようだ。
 少女はふらふらと立ち上がった。焦点の定まっていない目には、何が見えているのだろうか。
 少女は一歩二歩と進み出た。このまま20メートルも進めば、少女の体は奈落の底へ落ちていくことだろう。
 その時、背後から少女に声を掛けた者がいた。
 びくっと体を震わせた少女は、そっと振り返った。
 彼女、すなわち
真砂彩香(女子16番)の視線の先には1人の男子生徒が立っていた。

 浅井里江を倒してしまった彩香は、しばらく民家の床に蹲っていた。
 自分が人を殺してしまったことは厳然たる事実だ。しかも、正当防衛でもない。一方的に殺してしまったのだ。それも、暗殺ともいえる状況で。
 恐ろしいほどの自己嫌悪感だった。全身の血液が逆流しているような気分だった。何度も吐き、体が震えた。
 プログラム中だから法的には無罪なのだが、そういう次元の問題ではなかった。
 里江は悪者だと思ってみたり、豊浜ほのかが撃たれたことを理由にして自分を正当化することを試みたが、効果はなかった。
 意識が霧の中をさまよっているような状態だった。
 が、そこで彩香はほのかが死んでいるかどうかをまだ確認していないことを思い出した。
 生きていても重体だろうが、それでもひょっとしたらと考えた。
 すっくと立ち上がると、祈るような気持ちで階段を駆け下り、道路に飛び出した。周囲には全く注意を払っていなかった。
 わき目も振らずに倒れているほのかに駆け寄った。
 だが、ほのかは血の海を作って疾うに事切れていた。その表情は無念さに満ち溢れていた。
 彩香はほのかの体に取りすがった。堰を切ったように涙が溢れ出た。強い陽射しで乾いていた血の海が再び湿りだすほどだった。
 全身の水分を失いかねないほど泣いた。ほのかにはどれだけ感謝しても感謝しきれるものではない。自分の命乞いを受け入れてずっと守ってくれたのだから。そして、自分はほのかに対して何一つしていない。足手まとい以外の何物でもなかったはずだ。実際は、ほのかは彩香を仲間つくりの触媒として利用しようとしていたのだが、そんなことは彩香の与り知らぬところだった。
 里江を倒したことも、もしほのかが撃たれる前であったのなら意味があっただろう。ほのかに恩返ししたと思えば、自分の嫌悪感も薄らいだことだろう。そうなれば、自分で里江を倒したかったはずのほのかが不機嫌になってしまっただろうが、それでもほのかが死んでしまうのとは天地ほどの差があるだろう。
 涙も涸れ果てた彩香は、よろよろと立ち上がった。無意識のうちに、ほのかが持っていたブローニングと鞭を拾い上げて懐に入れた。目的もなく歩き始めた。無論、里江の死体には近寄ろうともしなかった。
 ほとんど夢遊病者のようだった。一度も振り返ることなくよたよたと歩いた。もし、誰かが彩香を発見して殺そうとしたら、まさに赤子の手をひねるようなものだっただろう。
 途中で正午の放送が流れたが、彩香には何も聞こえてはいなかった。
 どれほど歩いただろうか。あたりの景色が変わり、視野一杯に美しい青色のものが広がった。
 ん? 何だろう、あれは。大海原か・・・
 もう、行き止まりだ。このまま歩けば、海に転落してしまう。そのまま、岩場にへたり込んだ。
 綺麗な海を見た彩香は半分だけ正気を取り戻した。
 あたしは一体どうしたらいいのだろう・・・
 今までは、ただほのかについて歩いていただけで、自分の目的自体がはっきりしていなかった。ほのかが脱出を試みるのならば、ついていこうと思っていただけだ。しかし、もうほのかはいない。もし、襲われても守ってくれる者はいない。無論、自分に脱出のアイデアなどあろうはずもない。隠れて時を待つほどの冷静さもない。ようするに、することがないのだ。
 
佐々木はる奈(女子10番)遠山奈津美(女子13番)に会えれば仲間になれるだろうが、上手く会えるとも思えない。もはや自分には何の夢も希望もない。それに、自分は人殺しなのだ。大罪人なのだ。
 目を開いた。相変わらず美しい海が見える。
 大海原に比べてあたしはなんとちっぽけな存在なんだろう。もう、あたしには何の価値もない。いっそのこと、海に飛び込んで消えてしまった方がいいのかもしれない。
 そうだ。それがいい。消えてしまおう。これで、少しは罪滅ぼしが出来るだろう。ただ、立ち上がって前に進むだけでそれが出来るのだからこれほど簡単なことはないよね。行こう、あの世とやらへ。大槻君も待ってるし。パパ、ママ、そしてみんな・・・ さよなら。
 
「真砂だろ。何、やってるんだ」
 ぶっきらぼうな声だった。思わず、全身が引き攣った。しかし、この声は彩香の意識をかなり覚醒させた。
 振り返った。そこにいたのは
黒野紀広(男子6番)だった。
 特に武器などは持っていないようだが、かかわりたくはない相手だ。
 彩香は返事をせずに崖の方へ一歩進み出た。
「何だ、何だ。自殺でもする気か」
 紀広が駆け寄りながら話しかけた。
 やむなく、彩香は答えた。
「あたしは、静かに死にたいの。悪いけど、黒野君には見ていて欲しくないの。立ち去っていただけないかしら」
 紀広は、薄ら笑いを浮かべた。
「死ぬつもりなら、俺がやってやるぜ。これで、心臓を一突きしてやるから有難く思いなよ」
 言うが早いか刃物を抜き放った。
 彩香の体がまた震えた。自殺の決意はしていても、殺されるのはお断りだ。殺されたのでは、つまり自分の意思で死んだのでなければ、罪を償うことは出来ないと思った。
 戦う気力も無いし、戦ったところで所詮勝ち目はない。
 慌てて逃げようとしたが、つい先程まで正座していた関係で足がもつれてよろめいたところを、紀広に仰向けに押し倒されてしまった。
 彩香の小さな体に紀広が馬乗りになった。
「悪いなぁ、真砂。俺の3人目の餌食になってもらうぜ。観念しな」
 え? 黒野君、もう2人も殺してるの? そうよね。貴方ならそうするかもね。
 もはや、如何ともしがたい。
 紀広が刃物を彩香の首の上に振り上げた。彩香はそっと目を閉じた。
 その時だった。何かが風を切る音がして、紀広が「痛っ」と叫んだ。
 何が起こったのだろうか。彩香は目を開いた。馬乗りになったままの紀広は背後を振り返っている。誰かがいるのだろうか。無論、彩香には見えない。
 紀広の背後、すなわち彩香の足の方向から声がした。
「黒野君は、ゲームに乗ってるわけね。弱いものいじめなんか後にしなさいな。あたしが相手してあげるから」
 姿は見えなくとも、声で判る。現れたのは、
坂持美咲(女子9番)に相違ない。
「さ、坂持か。い、石なんか投げやがって。めちゃくちゃ痛かったぞ」
 紀広が大声でわめきながら、立ち上がって美咲の方を向いた。
 彩香は上半身だけを起こした。さっきまでの威勢のよさはどこへやら、紀広は左右を見回しておどおどしている。逃げようと思っているのだろうが、ここは岬の突端に近く、左右は海だ。美咲の横をすり抜けなければ逃げられないわけなのだが、鈍足の紀広が美咲に捕まらずに逃げきれるとは思えない。
 彩香は、視線を美咲に移した。
 美咲は、じっと腕組みをして立っている。手には何も持っていないようだが、少し後方にデイパックが置かれていて、その上に大きな銃らしきものがあるようだ。
 美咲が重い声で言った。
「真砂さんは殺そうとするのに、あたしならば逃げるわけなの? 呆れた人だわね。ゲームに優勝したいなら、あたしも倒さなきゃダメなんだよ。銃は使わないであげるから、かかってらっしゃいよ」
 紀広が虚勢を張るような声で答えた。
「な、何だと。素手で俺と戦うだと。なめやがって。地獄で後悔しやがれ」
 言い終わると刃物を振り上げて美咲の方へ突進した。
 彩香はゾッとした。美咲は確かに運動神経がいい。自分などとは比べ物にならない。だが、刃物を持った男子に素手で立ち向かうなんて無謀すぎる。一体、何を考えているのか。もっとも、スカートの後ろあたりに何か武器を隠しているのかもしれないが。
 紀広は、美咲の胸めがけて真っ直ぐに刃物を突き出した。彩香は目をそむけた。だが、人が倒れたような音はしない。
 彩香は恐る恐る視線を戻した。既に美咲は紀広の右側に回りこんでいた。紀広が体勢を立て直す前に、美咲の左の手刀が紀広の右手首に襲い掛かった。紀広の刃物が弾き飛ばされた。美咲の右手は空中でこの刃物をキャッチし、そのまま紀広の首を薙ぎ払った。まさに電光石火の早業と言えた。間髪を入れず、美咲は後方へ飛び退いた。返り血を避けるためだろう。
 信じられない光景だった。鯨の潮吹きのように、紀広の首から赤い噴水が吹き上がった。
 彩香は再度目をそむけた。その耳に、紀広の体が倒れる音が聞こえた。
 恐ろしかった。ただ、恐ろしかった。今の紀広の死に様もそうなのだが、美咲の信じ難いほどの強さも恐ろしかった。美咲の身体能力の高さは知っているつもりだ。だが、今の強さはそんなものじゃない。
 よく考えれば、紀広に殺されそうになっていたのを助けてもらったわけだ。だが、ホッとした気持ちよりも恐怖の方が先に立ってしまうのだ。自殺するつもりなのだから、もはや何も怖くないはずなのだが、何故か怖い。
 美咲はデイパックを手にとってから、ゆっくりと彩香に近づいた。
 恐怖で動けない彩香は小声で言った。その声も震えている。
「助けてくれて有難う」
 美咲は落ち着いた声で答えた。
「勘違いしないで。別に貴女を助けようとしたわけじゃないの。ゲームに乗ってる人を退治しただけだから。貴女もゲームに乗ってるのならば容赦しないわよ」
 そこまで言ってから、美咲はいたずらっぽく笑って言葉を繋いだ。
「まさか、真砂さんが乗ってるとは思わないけどね」
 彩香はボソボソと答えた。
「も、もちろん、乗ってはいないわ。でも、あたし・・・ 今から自殺するつもりだから・・・」
「え?」
 美咲は目を丸くした。当然だろう、この段階まで生存していて自殺を考えるのは少々不自然だ。
 一呼吸置いてから、彩香の横に腰を下ろした美咲は、彩香の肩をポンと叩きながら言った。とても優しい口調だった。
「ダメよ、自殺なんて。何があったのか知らないけど、よかったら話してみて」
 彩香はとまどった。日頃、美咲とはほとんど会話をしたことがない。いつもクールな優等生というイメージしか持っていなかったのだ。
 こんな気さくな一面があったとは大変な驚きだった。
 別に隠す必要もない。話してしまった方が気持ちも楽になるかもしれない。
 彩香は今までの経緯を全て話した。ほのかの死の場面ではまたも涙した。
 美咲は唖然とした表情になった。
「誰が浅井さんを倒したのだろうかと思ってたけど、貴女だったの?」
 彩香は小さく頷きながら答えた。
「そうなの。でも、あたしはその罪に重さに耐えきれないの。だから、死ぬことにしたの」
 美咲は静かに語った。何度も周囲の安全を確認しながらだったけれども。
「その気持ちは解らないこともないわ。でも、貴女がそこで浅井さんを見逃したら、きっと浅井さんは他の子を殺そうとするわ。あたしや貴女がやられるかもしれないのよ。浅井さんが優勝しちゃうかもしれないのよ。それでもかまわないの? 豊浜さんを殺した人に優勝されても平気なの?」
 彩香は返事ができなかった。美咲は淡々と諭すように続けた。
「それに、もう一つ。貴女があっさり自殺なんかしたら、ずっと貴女を守っていた豊浜さんが可哀想だわ。プログラムなのだから、殺されてしまうのは仕方ないわね。でも自殺だったら、あの世で豊浜さんに何を言われるか分からないわよ。可能な限りは生きて生きて生き抜くことが、守ってもらった事に対する礼だと思うんだけど、違うかしら」
 呆然としている彩香に、美咲はさらに言葉を重ねた。
「まだ、あるのよ。人間の命って有限だよね。限りあるからこそ美しいのよね。生きることは今しかできないわ。悠久の時の中で、この短い時間の間だけしか生きられないのよ。もしプログラムがなかったとしても、あと90年も経てばあたしたちのクラスのたぶん全員が死ぬはずだわ。死にたくなくても死んでしまうわよ。だから、生きている間は精一杯生きなくちゃ」
 美咲の言葉はなおも続いた。
「それからね、うちのクラスの事だけど、正午の放送で残り8人だったから、今は7人以下ってことだわね。今までに少なくとも35人が死んでしまったのよ。その35人のおそらく全員が、こんなことで死にたくはなかったはずだわ。もっと、生きたかったはずよね。今自殺したら、その35人に対して凄く失礼じゃないかしら」
 そこまで話して、美咲は一息ついた。そして、微笑みながら付け加えた。
「実はね、今朝ある人に会ったの。共和国民の命は、国と総統のものだとずっと信じていたけれど、その人と話してから考えが変わってきたの。命は天からの授かりものだし、国のものでも総統のものでもなく自分のものよ。自分で大切にしなくちゃいけないのよ。それに、粗末にしたら苦労して育ててくれた人たちに申し訳ないじゃない」
 じっと聞いていた彩香は顔を上げた。心が洗われるような気分だった。
 そうね。自殺したらあの世で皆にあわせる顔がないかもね。
「わかったわ。生きれるだけ、生きてみるわ」
 美咲はニコッとした。
「そうするがいいわ。それでこれから、どうするの? 良かったら、あたしについてくる?」
 彩香は即答した。
「喜んでそうさせてもらうわ」
 美咲を全面的に信用できるはずも無いが、他に選択の余地はなさそうだった。
 立ち上がった美咲が、くるりと背を向けた。
 スカートの後ろに拳銃がささっている。何気なく見た彩香は表情を変えた。なぜなら、その銃は自分に支給されて永田弥生に奪われた物だったからだ。
 無意識に鞭を取り出した彩香は、美咲の背中を打とうとした。
 が、気配を感じた美咲は飛び退きながら振り向いた。目をパチパチさせている。
「どうしたのよ、一体」
 彩香は答えた。日常では出したこともないような大声になっていた。
「その銃、どこで手に入れたのよ。弥生を殺したのは貴女なのね」
 美咲は平然と答えた。
「確かに、永田さんを殺したのはあたしよ。この銃は、彼女が持ってたわ。でもね、もともとは永田さんがあたしを殺そうとしたの。あたしは返り討ちにしただけ。プログラムの下で、それを責めるのは間違ってるわ」
 彩香は頭を振った。怒りが込み上げてきた。
「弥生はね、ずっといじめられっ子だったの。ずっと苦しんできたの。とても可哀想なの。貴女のような美人には、この苦しみは絶対解らないわ。そんな弥生を殺すなんて。さっき、命の大事さを説いたのは嘘だったの? 貴女も立派な人殺しよ。あたしと同じ罪人だわ。許せない」
 彩香は鞭を振り上げた。美咲の強さは見せ付けられたばかりだ。万に一つも勝てはしないことは、よく解っている。でも、弥生のためにせめて一鞭だけでも浴びせたかった。
 思い切り鞭を振るった。だが、その先に美咲はいなかった。2度3度と試みたが無駄だった。
「いい加減に止めなさいよ」
 美咲の声がしたが、応じる気はなかった。
 さらに、鞭を振るった。突如、美咲が素早く彩香の右側に回りこんできた。鞭を持った右手首は美咲の左手にしっかり掴まれていた。そのまま腕を捻られて、彩香と美咲の体は正対した。
 美咲の唇が動いた。
“ゴメンね”
 と言ったように、彩香には見えた。しかし、それは確認出来なかった。
 なぜなら、ほぼ同時に彩香の水月に美咲の右拳が深く突き刺さっていたのだから。
 昨日、弥生に食わされたのに勝るとも劣らない強烈な当身だった。そして昨日同様、彩香の意識は瞬時に失われた。
 力を失った彩香の体を肩に担いだ美咲は、ゆっくりと歩き始めた。
 潮風が頬に心地よい午後だった。

 

  男子6番 黒野紀広 没
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