BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜



 川田中学校の面々が修学旅行の地ならぬ死地へと向かっていたその時、川田町のとある邸宅では一人の少年が少し遅い昼食を摂っているところだった。
 本来旅行の参加者に名を連ねているはずの彼、上杉龍二は仮病を用いて欠席の申し出を済ませていた。薄手の青いパジャマを着たまま、台所に用意された軽めの昼食を黙々と食べている。
「食事が終わったら少し勉強しなさいよ」
「わかってる」
 ベランダで洗濯物を干している母から声が届き、龍二は律儀に母の背中にお辞儀しながら返答した。フォークとナイフで丁寧にスクランブルエッグを口に運び、適度な塩味の卵を喉へと流し込む。
 政府の官僚をしている父は本日は久方ぶりの休暇という事で、自宅のリビングでテレビを鑑賞していた。リビングから淡々としたニュースキャスターの声で、昨夜九州を襲った大型台風の被害報告が流されている。
 真っ白になった皿を流しへと置き、龍二はその足で洗面所へと向かった。一日五回は洗顔しないと気が済まない性格なのだ。冷水で顔を潤すと、気持ちが引き締まる感じがする。
 石鹸を泡立て鼻の脇へ塗ると、ご丁寧に脂分が消えるまで擦り続ける。たまらない瞬間だ。処理を終えた鼻の脇へ指を滑らせ、きゅっという音を確認して顔を綻ばせる。
 満足しながら階段を上り、自らの部屋へと足を向ける。向かいの兄の部屋は兄が大学に行っているために物音一つしない。扉を開く寸前、形容し難い悪寒を覚えて周囲を見渡すも階下の両親の他に人の気配はなかった。
 龍二の部屋は十畳の大部屋で、これまた小柄な龍二には不似合いな幅広のベッドが存在を強調している。机を挟んで参考書がぎっしりと詰め込まれた木製の巨大な本棚が、これも抜群の存在主張をしていた。
 パジャマを脱ぎ捨て、アイロン掛けされたズボンと半袖シャツを着込む。勉強はきちんとした服で行わねば集中できないからだ。そのまま参考書の一つを手に取り、ピンクのしおりが挟まれた場所を開く。

 龍二はありていに言うところの”ガリ勉”で、更に熱心過ぎるまでの政府崇拝者だった為に他のクラスメイト達との間に見えない壁が生じていた。
 それは政府官僚である父の教育の賜物であった。立派な制服を着た政府の人々が頭を下げる父を龍二は以前より格好いいと思っていたし、毅然とした態度を尊敬していた。多少卑屈さが見える母が引き立てる形にもなり、父の姿は龍二の目には人並み以上に輝かしく映った。
 政府崇拝者の名の下に、胸に絶えず”正義”の冠を掲げていた。正しい者こそ虐げられる、ゆえに自分が孤立するのは正義を貫く者の宿命なのだ。だからこそ漠然と抱く寂しさも強い信念によって掻き消していた。クラスメイトとの微妙な距離など、てんで問題にならなかった。
 修学旅行を休む事を決めた原因は、前日にクラスの男子生徒と揉めた事だった。父の仕事を悪く言われ、それで龍二はくってかかった。最初は数人の生徒が擁護してくれたが、龍二が次第に熱くなり汚い言葉を吐き捨てるようになるにつれ、いつも同様龍二は孤立して罵倒攻めに遭う事となった。
 こんな場所から一刻も早く立ち去りたい、その一念だった。龍二は椅子を蹴り飛ばすと教室を後にし、午後の授業を受けぬまま学校を後にした。
 帰宅して話を聞いた父は龍二の行動を褒め称えた。後日学校にその件で抗議してやるという事なり、内心龍二はほくそえんだ。米帝思考に傾倒した非国民にはすべからく罰が下されるのだ、と。
 修学旅行後に教室での居場所がどうなるかという不安も少し過ぎったものの、あんな連中に引け目を感じる事は大東亜民の恥と自らに刷り込み、覚悟を決めて挑む事にした。
 生徒も生徒なら教師も教師で、誰もが愚かで馬鹿らしく感じられた。思わず手に力がこもり、紙に乗せていた鉛筆の芯が折れる。自動鉛筆削り器の駆動音でカモフラージュするように、罵詈雑言を押し出す。
「クソ野郎ども……バスが転落して全員死んじまえばいいんだ……」
 再び鉛筆を紙に走らせ始めた時、玄関のチャイムが鳴った気がした。

 例題を一問解いたところで、階下から母と思われる叫び声が響いた。また家事で何かやらかしたのかと思いつつ、次の問題へと目を移す。
 今度は誰かが階段をのぼってくる音が近付いてきた。力強い足音からすると父だろう。いつもはここから扉の前でノックをするのだが、父はすぐに扉を開けて室内へと足を踏み入れてきた。
 これには面食らった。些細な事かもしれないが、何事にも几帳面な父が扉のノックを怠るというのにはそれだけの違和感があった。父の顔は興奮気味に紅潮していた。
「龍二、制服に着替えるんだ」
「えっ?」
 また突拍子もない発言を耳にして龍二は目を丸くする。龍二の学級が修学旅行に行っている事は父も知っているのに、何故そのような事を促すのか。
「政府の人が迎えにきているんだ。早く支度しなさい」
 父はそれだけ言うと足早に部屋を去り、階段を下っていった。階下からは母が誰かと話している声が聞こえている。母の必死そうな感じが奇妙だった。
 けれど父の命令は絶対である。龍二は手早く制服に着替えると階段を下りてリビングへと向かう。その途中の玄関先に、両親を含めた五人の人間が立っていた。
「彼がご子息ですか。これは凛々しい顔をされておられますねぇ……」
 ご満悦そうな表情で龍二の全身を見回している黒いスーツ姿の女性の胸には、桃印のバッジがあった。政府関係者の印と言えるバッジである。彼の背後には迷彩模様の戦闘服を着た、こちらも一目で専守防衛軍兵士とわかる人物が二人立っている。
 向かい合う形で玄関先に両親が立っており、父親は誇らしげな表情、母親は逆に狼狽したような表情でこちらを見ていた。先ほど自室に入る際に襲った悪寒が、ここで再び背筋を這う。
 三人の来客に挨拶をした後、父へと話しかける。
「父さん、これは……?」
「龍二、光栄な事だぞ。お前は、かの戦闘実験第68番プログラムに選ばれたんだ」
 その言葉の意味を思い出すのに時間はかからなかったが、父の言葉の意味を呑み込むには幾分の時間を要した。不意にとてつもない危機感が押し寄せてくる。目を見開いて驚愕する龍二の姿を見たスーツ姿の女性が、僅かに微笑した事には気付かなかった。
「プ、プログラムって、あの!?」
 すっかり裏声になった龍二は慌てふためき、そうする間にも目には涙が滲み始める。政府寄りの家で育ったからこそ、プログラムの事は他の家以上に叩き込まれていた。
 誇りある戦闘実験。優勝すれば栄冠と共に政府から多大な恩賞が貰える。その言葉に龍二は深く頷き、プログラムに選ばれる事を夢見ていた。それはあくまで夢として抱いていたからこそで、現実となった今、それは殺し合いとしか受け取る事ができずにいた。
 ましてや運動音痴の龍二が生き残れるはずもない。それは龍二が体育の授業などの経験をもって実感していた。
「ちょ、ちょっと待ってよ父さん! 無理だよ、俺がプログラムなんて!」
「そうですよ、あなた! 四十人もいるのに、第一龍二が人殺しなんて……!」
 龍二は父の鍛え抜かれた胸板にしがみ付き、必死に懇願する。母も父の服を強く引きながら、龍二の参加取り消しを頼み続けた。父の権限ならばそれをできるのではないかという一抹の希望、それが今の龍二の全てだった。
 乾いた音が二つ、広い玄関に鳴り響く。父が平手で龍二と母をはたいた音だった。
 腰を砕いて呆然とする二人を見下ろし、厳しい顔で父が言い放った。
「何だその情けない様は! 栄誉あるプログラムに選ばれるなど光栄極まりない事だぞ! 選ばれたくとも選ばれない子もたくさんいるんだ。それを何だ!」
 父の目が今度は母へと向けられ、更なる叱責が飛ぶ。
「保護者のお前が何という様だ! 龍二なら、真に大東亜共和国を尊ぶ龍二なら必ずや優勝という栄誉を手に戻ってくると私は信じている!」
 その鋭い眼光に圧倒されながら、龍二は生来尊敬し続けた父の姿を初めて”異常”だと感じた。けれどそれを行動で表すには時間が足りなかった。
 父は龍二の手を取ると、女性へと向けて放る。転びそうになった龍二は女性に抱きかかえられる形となった。女性は三十代半ばのようだが、妖艶な色気が漂っておりどこかミステリアスな感じだ。
「確かにご子息をお預かりしました。三日ほどお待ち願います」
「頼んだぞ」
 アイコンタクトを交えながら、父と女性が言葉を交わした。そのまま龍二は女性に引き摺られるようにして外へと出される。兵士の一人がが龍二に靴を履かせ、もう一方の肩を支えてきた。
「いやぁー! あなた、あなた!」
 発狂寸前の母の声が背中に突き刺さる。この家は――どこか狂っていた。思った時には遅かった。体を動かし抵抗するも、女性の力は予想以上に強く振り解く事すら叶わない。

 玄関の門を抜けると、黒塗りのセダンが外壁に横付けされていた。開いた後部座席に龍二を乗せる際、女性がちらりと一瞥して一言吐き捨てた。
「醜いねえ……。温室育ちの官僚の息子なんて、所詮こんなもんさ」
 ドアが閉まり、女性と兵士も車に乗り込んでくる。すぐに車が駆動を開始し、前へと進み始める。行き着く先はこの世の地獄。
 息苦しい空間の中で龍二は逃げ出したい衝動に駆られて叫び出した。
「嫌だぁぁぁー! 出してくれよぉぉぉー!」
 不意に兵士に体を抑えられ、助手席の女性が身を乗り出して布を口へと被せてきた。次の瞬間、視界が大きく揺らめいたかと思うと漆黒の世界へ沈没する。
 意識がブラックアウトする寸前、女性の歪な笑みが瞼の裏に残像として焼きついた。


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