BATTLE
ROYALE
〜 背徳の瞳 〜
4
陶子。
村上陶子は彼方からの声に呼び起こされ、そちらへと耳を傾けた。
呼ばれている。
友達と談笑する時は少しがなるように話す彼だけれど、陶子と話す時はいつも少し柔らかい声でその名を呼び、会話を始める。
中学生なりの愛を注いだ彼――中谷圭吾の声を聞き間違えるはずもない。
次第にその声が遠ざかっていく。暗闇の中、何故かむしょうに名残惜しいと思った。
不思議とこれは夢だと理解していた。目覚めが迫っている事もわかった。
夢は、夢であるはずだったのに。
陶子はくすんだ色合いの壁に覆われた教室の中で覚醒した。鈍痛を額の裏に覚え、軽く拳で小突く。
自分達のクラスがプログラムに選ばれ、陶子も自宅に直接伺ってきた政府の連中に召集された事を思い出すには少しの時間を要した。熱で頭が上手く回転していない。
座らされていた場所は普段の席と同じく教壇の真正面で、アングルだけは見慣れた教室のそれだったが、陶子達の教室であるはずがない。教室の隅には蜘蛛の巣、机の上には埃の膜。廃校を思わせる廃れぶりである。
見ると腕の内側にも埃が付着していた。不快感を覚えてそれを払いながら周囲を見回す。陶子以外に、男子生徒が教室の窓際でうつ伏せ状態のまま突っ伏していた。圭吾にしては小柄な気がする。
更に彼の周囲の机には例外なく花瓶が添えられており、そこには菊の花が数輪刺されていた。よく見ると陶子の周囲、否、二人を除く全ての机に菊を刺した花瓶が置かれていた。
葬式ごっこ。そんな言葉を思い出す。
いじめの方法の一つで、いじめられっ子が死んだと過程して仮想葬式を行う極めて不謹慎で罰当たりないじめだ。
確か一度、政府に傾倒した家柄の上杉龍二が不良グループにやられていた記憶がある。
するとこれは陶子と男子生徒が二人で他の生徒をいじめている構図なのだろうか。
「な、何よこれ……?」
陶子は腰を上げ、四十個の花瓶が並ぶ異様な光景を眺め続ける。硬直していたと表現したほうが正しいだろうか。
「お目覚めかい?」
突然女性の声が部屋の入り口で響き、陶子は体を反転させた。
「おや? 凛々しい顔をしてるねえ。あたしの若い頃に少し似ているかねぇ?」
一人の中年女性が、羽毛の沢山付いた派手な扇で顔を仰ぎながら陶子を見ている。値踏みするような視線に、只者ならぬ感じを覚えた。
その背後では陶子の自宅へやってきた少年兵士と、こちらは初顔合わせとなる大柄でゴツイ顔をした中年男性がライフル銃らしき物を肩に掛けて立っている。
緑なす黒髪を腰まで伸ばしたその女性は、上下を黒のスーツで固めた上に虎柄のスカーフを首に巻いていた。年齢的には妙齢という奴か、陶子的には三十代半ばに見えるが実際五歳前後の読み間違いがあっても不思議ではない。
真っ赤なルージュを施した唇が、不敵そうに歪んでいる。不意にその唇が引き締まった。
「それに比べて坊ちゃんのほうはお寝坊さんかい。これだから官僚の七光りの面倒なんざ看たくないんだよ!」
女性が教壇前へと歩いていく。袖口からすっと指示棒が現れ、それを握るや否や女性は教壇へと叩き付けた。甲高い音が室内に響き渡り、男子生徒が驚いた様子で跳ね起きた。当然だが。
「うっ、うわぁー!」
男子生徒――上杉龍二は女性の顔を認めるなり、情けない悲鳴を上げ始めた。顔からはたちまち血の気が引いていく。
「寝坊の次は発狂かい。つくづく世話の焼けるネンネだよ!」
眉間にシワを寄せて不快感を露にし、女性が龍二へと近付いていく。龍二は逃走を試みた物の、椅子の脚に引っ掛かった様子で床へと倒れこんでしまった。顔に多量の埃を付けながら、それでも匍匐全身の要領で教室の後ろ側へと這っていく龍二を眺め、女性は嘆息して左手を龍二のほうへと差し出した。
その手には、ベージュ色の拳銃が握られていた。
「あんたと鬼ごっこする気なんて毛頭ないのさ、あたしは。これが何か見えるかい?」
「ヒイッ」
妖しく輝く鉄の塊を前に、龍二は痙攣しながら涙と涎を垂れ流すばかりだった。その光景に圧倒され、陶子は何一つ言葉を漏らすことができない。女性の威圧感は凄まじいものだった。
「この場で死にたくなかったら、大人しく着席するんだよ!」
一喝された龍二は、思わず失禁してしまったようだ。濡れたズボンから液体が床へと流れ出していく。その様子を見た女性が、再び不快そうに眉を歪めた。
龍二が元の席に着席すると、女性は黒板にチョークを走らせた。”志摩 唐葉”という名前らしき文字が出現した。
「あたしはこのプログラムの担当教官、志摩唐葉(しま からは)だよ」
チョークを指で床へと弾き、唐葉と名乗るその女性は陶子と龍二を交互に眺めた。
続いて脇に立つ二人の男性の片割れ、大柄でゴツイ兵士が一歩前に出る。額脇の傷跡が痛々しい。着ているカーキ色の軍服には政府関係者の証である桃のバッジがつけられており、兵士である事は一目瞭然だ。
「小関(こせき)だ。宜しく」
ぎょろりと突き出した丸い目をそれぞれに配ってから、小関は再び一歩退いた場所へと戻る。入れ違いにもう一人の兵士が前に出た。
「浦木晃一(うらき こういち)です。頑張りますので宜しくお願いします……」
晃一の悲哀に満ちた視線が陶子へと向けられた。兵士らしからぬ表情と態度だとは思ったが、気を留めている余裕はなさそうだった。
「頑張るって、参加者が二人のプログラムでどう頑張るってんだい」
少し間があったものの、唐葉の言葉は晃一に対してのものだったのだろう。それはともかく、”参加者が二人”という部分に違和感を覚えた。
プログラムは通常クラス全員で行うはずだ。そもそも二人で行う戦闘実験のデータなどたかが知れている。本来、彼氏である圭吾や親友である浅倉胡桃も参加して初めてその形を成すのではないか。
陶子は立ち上がり、唐葉へと質問を投げかけた。
「参加者が二人って、どういう事ですか」
「ああ、まだ知らせてなかったかねえ」
どこか惚けた様子で唐葉が言い、室内の花瓶の群れを目で示した。得体の知れぬ胸騒ぎが襲う。花瓶の意味を受け取り違っている事を願った。
「本当なら、ガスでおネンネしたお友達が運ばれてくる予定だったんだけどねぇ。オイタをした生徒がバスの運転手と高速で争ったみたいなのさ」
転落したのか、それとも中央分離帯にでも衝突したのか。どうでも良かった。現実は実感として陶子の脳に直接飛び込んできた。容赦の欠片もなく、陶子を掻き乱してきた。
「全員死んだよ、残念だけれどねぇ」
絶叫すべく息を吸い込んだ陶子の耳に、唐葉の宣告は届いてはいなかった。