BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜



 それは感情の爆発と表現するに相応しい、目一杯の悲鳴だった。
 体内を自らの発声により生じた震えが襲う。それでも村上陶子は痛む喉も構わず声を張り上げ続ける。掠れ始めてもなお、発狂じみた叫びは止まらない。
 脳の認知能力が突然限界領域へと達した事で、行き場のなくしたストレスは現実逃避をすべく陶子に我武者羅な絶叫を命令した。顔をしかめる志摩唐葉教官や、耳を塞ぐ上杉龍二の事など意識から吹っ飛んでいた。

『全員死んだよ、残念だけれどねぇ』
 突然過ぎる訃報だった。受け入れられるはずもない。
 プログラムに選ばれたのも結構な高倍率だが、生涯の間に恋人が、しかもまだ中学生と若年にして旅立つという事態は、陶子を奈落へ突き落とそうという神の悪戯としか思えなかった。否、悪戯と呼ぶには余りに悪質で、おそらくは死神の気紛れか。
 突然、破裂音と共に頬に衝撃が走る。我に返った陶子の目の前には、ファー付きの派手な扇子を扇ぐ唐葉の姿があった。
「あたし達もその事には心よりお悔やみ申し上げるけどねぇ……」
 呆然とする陶子の前で唐葉は目を伏せ、軽く唇を噛んで呟く。芝居にも本音にも見えたが、陶子にはどちらだとしても関係なかった。それで圭吾が戻るわけではない。
 陶子の意識は一つの選択へと向かい、現実から離別を開始していた。呆然とした中でもそれは理解できた。圭吾に会うにはそれしかない。
「村上さん……」
「誰が声を掛けろって言ったのさ、浦木? ……ま、とりあえず事情は理解してもらえたようだねぇ? 村上陶子」
 陶子へと歩み始めた浦木晃一を手で制し、唐葉が訊いてきた。当然陶子は返答するつもりはなく、上方へと傾けた視線の先の汚れた天井を眺め続ける。唐葉の舌打ちも耳から耳へと抜けていった。

 恋人でありクラスメイトだった中谷圭吾は、中学生なりに陶子に精一杯の愛を注いでくれた。顔は十人並みだけれど、体格は中々のもので運動神経も良かった。勉強はいまいちで、陶子に頭を下げてノートを拝借する事も少なくなかった。
 何より陶子が惹かれたのは、圭吾の優しい一面だった。後輩の面倒見も良く、バスケット部の外でも後輩の相談を受けたりしていた。
 本来自分が進路などで悩まねばいけないのに、それでも世話を焼いた。ほったらかして後輩が後悔するような事になったら寝つきが悪い、苦笑してそう言った圭吾の顔が頼もしく、素敵だと常々思っていた。
 そんな圭吾の斜め後ろは、いつしか陶子のいるべきベストポジションとなっていた。マネージャとして同部に入った陶子は、いつしか圭吾のオンリーワンとなっていた。
 圭吾はつい今朝携帯にメールを送ってきてくれていた。暑いね。眠いよ。雨が降るから傘持っていきなよ。毎朝、そんな他愛のないメールを欠かさず圭吾はくれた。わかってるよ、と苦笑しながら返信を返す。こちらも月並みな返信で、たまに『いつもありがとう』という言葉を添えて。
 
 ――今では今朝のメールすら、政府が送った謀略のような気がしてならない。

 どれだけの沈黙が続いただろう、不意に唐葉が沈黙を破る。
「勘違いするんじゃないよ? あんたは中谷に生かされてたんじゃないんだ」
 その言葉が妙に癇に障った。陶子は一時的に意識を覚醒し、眉間にシワを集めて唐葉を睨み上げる。唐葉が顎を軽く上げ、挑発的な微笑を見せた。
「あんた、成績は学年でも十番に入るそうだねぇ? あんたを育ててそこまでにしてくれたのは中谷なんかじゃないよ。父親と母親だ、違うかい?」
 ”中谷なんか”。その言葉を聞いた陶子は、怒りに目を血走らせて立ち上がった。
 単純に解釈すれば、それは間違いではない。しかし目に見えない、いわば心の部分で圭吾は陶子に色んなものをくれた。時には喜びだったり、悲しみを分かち合う気持ちだったり。
 圭吾がいたから今の陶子がある、というのは決して大袈裟ではなかった。
 しかし何より、理屈を超越した怒りが今の陶子の胸にはあった。一言で表現すれば”問答無用”という奴だ。
 敵う敵わぬではない、こんなふざけた事を言い放つ志摩唐葉という女性に泣き寝入りできるはずがなかった。突如唐葉が目を細め、その表情を豹変させた。
「おや、あたしの言い分がお気に召さなかったかい? 悪いねぇ……あたしは生来口が悪いのさ」
 惚けた物言いながら、唐葉の顔は正確に陶子の一挙一動を捉えている。こういう生徒が一番怖い事を理解しているのだろう。
 歴戦の軍人を思わせる彼女の鋭い眼光に威圧感を覚えつつも、陶子は果敢に拳を振り上げた。その時には既にベージュ色の拳銃が陶子の眉間に突きつけられていた。頭を冷やせと言わんばかりに冷たい鉄の感触が額に生じている。
 体が竦み、前触れのない寒気を覚えた。これも唐葉の威圧感のなせる技なのか。それでも歯を食い縛り、もう一度右腕を弓なりにテイクバックさせた。恐れる物など何もない、きっと圭吾も最期まで立ち向かったのだから。
 瞬間、唐葉が拳銃を陶子の額から外し、今度は首根っ子に強烈な衝撃を受けた。陶子は左側の机へと倒れ込み、机と一緒にその上に乗っていた花瓶が落下する。陶子が倒れ込んだ床のすぐ脇で、白い花瓶が砕け散った。
 熱を放つ首を押さえながら蹲る陶子の耳に、上からの唐葉の声が届いた。
「二人だけのプログラムじゃないかい? 無茶してもらったらあたし達も困るのさ。それに、あたしとしては――」
 ふらつきながらも力を込めて立ち上がる。脇の唐葉は陶子とは別の場所へと、畳んだ扇子を向けていた。ひぃっと教室の後方から情けない声が上がる。
「――あんたのほうに消えて欲しいんだけどねぇ!」
 唐葉の視線の先には、身を震わせている龍二の姿があった。唐葉の表情は、陶子へのものとは違い心底憎らしげである。唐葉がそのままの表情で陶子へと首を戻す。
「あんたがこれだけやってんのに、あいつはあの場で座ったまま何もしちゃしないんだよ。大方、あんたが死ねば戦わず生還だとか思ってるのさ。ああいう奴をよく見かけるよ、特に政府のお偉いさんの息子なんかにね!」
 語尾はほとんど怒号に近かった。龍二が少し腰を上げた事で、椅子の足がカタカタと床を小刻みに叩き始めた。その姿を見て唐葉は二、三度扇子を扇いだ後に手で教壇を強く叩いた。龍二が目を見開いて跳ね上がる。
「温室育ちのクソ臆病坊やが、虫唾が走るよ! とっととおっ死んじまいな!」
 それだけ言うと、唐葉は龍二の反応を待つように押し黙った。空間に取り残された陶子は呆然としつつ唐葉を眺める。
 ふと、唐葉の背後に立つ浦木とかいう兵士が目に留まった。とても悲しげな表情を見せているのが印象的だった。そこで龍二の声が響き渡った。
「ふ、ふざけるな! 俺だって……俺だって甘えてたわけじゃないんだ!」
 半ば自棄になった様子の龍二がビブラートのかかった声で唐葉へと言い放つ。赤い血管の走る目が、龍二の怒りの度合いを表していた。
 女の陶子が立ち向かったなら、自分もできる。ちっぽけな自信とプライドが龍二にその発言を促したのかもしれない。唐葉がやけに嬉しそうな表情を見せ、扇子を口元に当てて含み笑いをした。
「へぇ〜、口だけは御達者じゃないかい。それなら優勝して私を見返してごらんよ?」
「やってやる! やってやるよ、やってやるよ! 殺してやる、殺してやる!」
 自らに言い聞かせるように物騒な言葉を連呼する龍二を見て、陶子の体にも震えが走った。正気を失いかけている龍二に、得体の知れない畏怖を覚える。
 龍二の宣誓は唐葉へと向けたものか、それとも陶子へのものか。簡単だ、優勝するという言葉に応じた以上、それは――
 案の定、龍二が物凄い眼つきで陶子を睨んでいた。震えは止まり、気味の悪いくらいの直立不動で対峙している。陶子との数メートルの距離が、かろうじて理性を繋ぎ止めているのではないだろうか。
 刹那、陶子の脳裏に閃光が走る。一連のやり取りの結果として残ったもの。それに気付いて愕然とした。
「乗せられた……」
 唐葉の謀略の全貌を悟った陶子は絶望の呟きを吐く。全ては後の祭りだったけれど。
 陶子は自殺を阻止され、反抗すら阻止され、龍二に至っては泣き伏していたのをやる気へと駆り立てられた。
 二人は結局、唐葉の手の上で殺し合いを行うに過ぎないのだ。けれど既に衝動からくる自殺願望は消え失せていた。再び両膝を床に着き、崩れ落ちる。
「敗者は大人しく席に着いて、神妙におしよ」
 淡々とした唐葉の声が、冷たく頭上で木霊していた。 


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