BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜




 遅れて流れ出した涙を拭いながら、村上陶子は固く歯を食い縛る。精神的屈辱を受け、大切な存在を踏みにじられてもなお、堪えるより他なかった。
 通夜を思わせる沈んだ空気の中に、志摩唐葉の威圧的な声が響いている。唐葉に脅された際に上杉龍二が失禁しており、いつしかアンモニア臭が微かに漂い始めていた。
「とんだ生徒を受け持ったもんだよ」
 唐葉が鼻を摘まんで唾棄し、渋い表情を見せながらも説明を再開する。
 陶子が視線を向けた先に、堪えきれぬ怒りで頬を紅潮させた龍二の姿があった。普段の龍二も興奮すると手がつけられないが、今のそれは比較にならないだろう。
 その怒りはまず唐葉達ではなく陶子にぶつけられる事となるのだ。背筋全体をぞくりと悪寒が撫で上げ、陶子は思わず身を震わせた。
 
 説明を聞いている間、唐葉が口にした言葉が耳の奥でリフレインしつつじわじわと陶子の心へと染み入っていた。
『あんたを育ててそこまでにしてくれたのは中谷なんかじゃないよ。父親と母親だ、違うかい?』
 圭吾は無二の存在であると今も思っている。けれど――確かに現在の陶子を構築している要素は圭吾への想いだけではない。当然なのだけれど。
 あのまま逆上して唐葉へ食い下がったならば犬死に久しかった。行動の正誤はともかく、陶子は感情の昂りによってやや短絡的に物事を捉えていたのも否定できない事実と認識した。
 こういうのも機先を削がれたというのか、圭吾の後を追う時期を逃した気がする。今では自ら命を絶つ事が馬鹿馬鹿しく思えた。
 まだ、生きてできる事がある。生きていれば、できる事がある。
 その気持ちが陶子をあらゆる意味でこの場に踏み止まらせた。

 ルールは至って簡単だった。
 先に出発する人物を決め、その生徒が出発して二分後にもう一人が出発する。戦い方は自由で一切反則はなし。会場内で入手した道具を使用する事も問題はない。
 優勝者には総統陛下のサイン入り色紙と生涯の生活保障が贈られるそうだ。少なくとも今、そんな事を考える余裕はないけれど。
 更に出発時には一個ずつディパックが手渡されるそうで、プログラムを戦うのに最低限必要な道具――名簿、地図、磁石、時計、食料、水などが入っているらしい。
 それともう一つ、ランダムで支給武器が入っているらしい。中身は銃か刀か、それとも防具か。ハリセンチョップなどのハズレ武器である可能性もあるそうだ。
 
 唐葉が黒板に不恰好な円を描き、そこに縦横四マスの升目が引かれた。深く息を吐いた後、扇子を開いて喉元を仰ぎ始める。確かに七月だけあって幾分蒸し暑いとは思った。
 しかし今はそれどころではない。
「プログラム会場の話をするよ。ここは千葉にある住民数十人規模のホントに小さな島さ。最初はもっと広い島を用意していたんだけれどねえ、二人じゃ持て余すだろうしねえ」
 再び唐葉がチョークを掴み、升目に何か文字を入れ始めていく。計十六のマスに順々にA−1、A−2……と記号がふられていった。左上がA−1で、右にいくほど数字が増え、下にいけばAがB、BがCと変化する。一番右下はD−4というわけだ。
「島はこんな感じで”エリア”と呼ばれて区切られてるよ。一エリアは百メートル四方程度と認識してもらおうかねえ。この島の面積は約四百平方メートルって事さ」
 それは理解したが、何故エリアなどというものを設けるのかはわからない。すぐに唐葉が説明によって疑問を解消してくれた。
「次は首輪に関して説明しようかねえ。首にあるだろ?」
 そこで陶子はようやく首に巻きついた金属製の首輪の存在を認めた。触った感じではドーナツ形をしているようだ。
 あまりに違物感なく自然にフィットしていた為に気付かなかった。そう言えば龍二の首にも首輪が巻き付いていた気がする。
 窺い見ると、やはり龍二の首には銀色の輝きを放つ首輪の存在があった。感情的になっている時は些細な違和感はうっちゃってしまう人間の心理に少し驚いてみる。
「この首輪であんた達の心臓の鼓動をチェックしててねえ、生死が管理本部でわかるって寸法さ。大東亜の技術はたまげたもんだねえ。この島から脱走しようとエリア枠から出ると、首輪に内臓された爆薬で首が弾け飛ぶからそこは覚悟しといておくれよ」
 一瞬驚愕した後に、たいした仕組みだと妙に感心する。プログラムにおける脱出者の希少度はこの首輪に端を発しているわけだ。
「六時間ごと、午前と午後の零時と六時に放送をするからね。そこで行う予告に基づいて、各放送の一時間後にエリアが一つ禁止区域になるよ。その後も禁止区域に留まっていれば、これも首輪がドカン! さ。寝ての聞き逃しは注意するんだよ」
 二人ではそんなに時間はかからないかもしれないが、ともかく。六時間ごとに禁止エリアが一つ追加という事は、約四日後に全てのエリアが禁止区域となるわけである。すなわち戦闘実験のタイムリミットだ。 
「それとあんた達が出発してから二十分後にこのエリアは禁止区域に変化するから、そこは忘れるんじゃないよ?」
 唐葉がそこまで説明した後、表情を険しく変化させる。畳んだ扇子を振り上げ、教壇へ激しく叩きつけた。瞬く間に室内に緊張が走る。
「だれた展開になるようなら、尻を叩くかもしれないから覚悟しておきな!」
 その言葉の意味は解しかねた。放送で何か行うのだろうか。
「あたしもこういった特殊ケースは始めてでねえ、手際の悪いところもあるかもしれないけど勘弁しておくれよ」
 唐葉の表情が和らぎ、扇子を開くと再び仰ぎ始めた。この豹変も心理操作の一環なのだろうか。あるいは生来の気性か。二人の兵士は特に動じる様子もなく、淡々と直立を続けている。
 誇り臭い室内で、異様な熱気が陶子の回りを渦巻いていた。
 間もなく開始を告げる銃声が鳴らされようとしている。静寂の中、撃鉄が起こされる音が響いた気がした。

 大柄なほうの兵士――小関の姿が一度消え、すぐに二つのディパックを抱えて戻ってきた。いよいよ試合開始である。
「女子十五番、村上陶子! あんたの出発が先だ。廊下に立ちな!」
 威勢の良い唐葉の声が響き渡った。畳まれた扇子が陶子へと突きつけられ、陶子はゆっくりと腰を上げる。龍二へと振り返ると、爛々とした双眸に明確な殺意が見えた。
 先に出発というのは幸運だろう。唐葉も考慮したのかもしれないが。 
「机に掛けてある私物の鞄も持っていきなよ。ルール上問題ないさ」
 言葉に乗じて鞄を掴み、教壇前を抜けて廊下へと進む。擦れ違いざま、唐葉が鼻を鳴らすのが聞こえた。どういう意味か、それは窺い知れない。
 続いて比較的小柄でいじっていない黒髪の兵士、浦木の前を通り過ぎる。虫も殺せないような雰囲気の彼が何故専守防衛軍兵士などという時に非情な職に就いているのか。疑問ではあったが考えても仕方がないと思い、そのまま扉の前へと立った。
「男子二番、上杉龍二。出発は二分後だよ、準備をしておきな!」
 背後で唐葉の声が響いたが、陶子は振り返らずに小関からディパックを受け取り、廊下へと飛び出した。窓の向こうでは深い暗闇が一面に広がっている。
 まずはこの場から離脱するべきと判断した。今、龍二と会うわけにはいかない。自分の方針が未だ決定していないのだ。
「圭吾……」
 今は亡き恋人の名を紡ぐ。悪夢が覚めるわけではないが、それでも辛い時彼に背中を押された多々の記憶が今も陶子を力付けた。
 家族がいて、友人がいて、圭吾がいて、今の陶子がある。この時間でそれを思い直せたから、自分という存在を確かめ直せたから、今は。
「あたし、まだ死ねない」
 陶子の足跡が廊下から消えて間もなく、もう一つの足音が鳴り響いた。それもまた廊下を駆け、やがて真夏の虫の音へと紛れていった。
 見送る唐葉が鳴らした銃声が、二人のプログラムの始まりを告げた。


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