BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜




 朽ちた細い木々がそのみすぼらしい姿を森の中でさらしている。腐葉土の不快な感触を足に感じながら、村上陶子は裏山の斜面を歩いていた。
 確認した地図によれば、出発地点は地図の真ん中やや南東、すなわちC−3エリアに当ると理解できた。実際、この場所に学校のマークが記されている。
 身を隠すならばここが良さそうで、裏山を当面の潜伏場所に選んだ。まずは思考を整理しなければならない。
 暗闇に目が慣れてきた頃、陶子は斜面に建つ古びた山小屋を発見した。近付いてみると、周囲の木が数本薙ぎ倒されている。断面からすると斧の類で切断されているように思えた。いわゆる木こりの家だったのだろうか。
 斜面の下を窺い上杉龍二の姿を探すが、幸い龍二は別方向へと向かったのか、斜面下の分校までの道に人影は見えない。胸を撫で下ろすが、完全に安全というわけではない。そもそも目に付く場所を歩いているはずがないのだ。
 陶子は木製のノブに手を掛け、恐る恐る扉を開く。山小屋の中は木の香りが充満しており、六畳程度の広さの室内にはやはり斧が立て掛けられていた。他に目に付いたのは木製の机だが、こちらは特に何も乗ってはいない。
 中に入り、落ち着きたい気持ちが逸ったが、息を潜めて接近する龍二の姿を想像するとそれは躊躇われた。小屋に入れば襲撃者からの逃げ道が封じられるし、何より窓側以外の視界が遮られ、龍二の接近すら把握できない。
 相手が友達だとしても信用はできないであろう。通常のプログラムとは異なり、陶子さえ殺せば無事生還できるのだ。ましてや龍二は陶子とは疎遠で、政府に傾倒していた人物だ。その上先ほどの姿を見る限り、やる気になっている可能性は非常に高い。
 陶子は残念に思いながらも山小屋を去り、更に上へと上っていく。夏で気温も高く、山登りの一つもすればすぐに汗だくとなった。汗を袖で拭いつつ、数分後に陶子は山の頂上へと辿り着いた。
 「……ふう」
 見晴らしの良いこの場所ならば不意の襲撃は回避できそうだった。陶子はディパックを開き、まずは水入りのペットボトルを取り出す。半分ほど飲んで喉を潤した後は、残る支給品の確認をせねばならない。
 既に水と地図は取り出している。他には名簿、磁石、時計、食料。先ほど志摩唐葉が口にしていたのと同じだけの内容だった。
 最後に、冷たい金属製の感触と共に出てきたのは銀色に光り輝く自動拳銃だった。付属の説明書きにはBERSA サンダー9と名称が記されている。近未来をモデルにしたゲームあたりに登場しそうな洒落た外見のそれは、紛れもなく殺戮兵器なのである。
 狂気の形相で迫る龍二の顔が、銃弾を受けて肉片を四散させる光景を想像し、ぞくりと悪寒を覚えた。自分にこれが使いこなせるのか、戸惑いながら銃身を見詰める。
 続いて青色のグリップを握り締め、感触を確かめた。想像よりやや重い感じだった。銃弾の詰められたマガジンという物体をグリップの底にはめ込み、これも説明書きの通りに両手で構えてみた。
 実銃は射撃の反動などがあり、思うように扱えないとどこかで聞いた事があった。銃声は居場所を知らせるし、撃てば移動を余儀なく行う事となるだろう。それでも試し撃ちをせねば安心して携える事はできそうにない。
 しばらくその体勢のまま何度か深呼吸を行ったが、結局はサンダー9の銃口を下ろす。再び腰を土壌に落とし、名簿を拾い上げた。
 陶子と龍二を除く生徒の名前、その全てに赤ペンで横線が引かれていた。親しかった女子主流派の友人達も、恋人の中谷圭吾の名も例外なく突きつけられる。
 赤線一つで死を認めるなど到底できない。しかし嘘で陶子と龍二だけがプログラムに参加させられるはずがないのだ。次第に仲間の死を受け入れざるを得ない現状を痛感し、悲しくなる。それでもやはり圭吾の死に関しては抵抗が残るけれど。
 取り残された気持ちだった。自分と龍二だけがデスゲームという延長戦に放り込まれている。事故が事実ならばバス事故で皆と一緒に旅立てたほうがどれだけ幸せだったか、そう思った。
 抱え込んだ膝が異様に冷たい。揃えた膝に顎を乗せながら、村上龍二の事を考えた。
 一言で表現するならば勉強の虫。生真面目と言い換えても差し支えなさそうだ。外見から抱くイメージに逆らわず、内面もまたそういった性格の人物と記憶している。
 龍二は極めて純大東亜的思考の持ち主で、それでいじめらしきものを度々受けていた事を思いだす。この国の古典的で、一種排他的なやり方を快く思っていない人間は多々存在するのだ。
 陶子としても大東亜共和国に対して不満な部分は少なからずある。今時どこの国でエラー一つで部員を退部にする野球部があるだろうか。圭吾がその被害者だった。
 また裁判等の過程を得ずに人を射殺できる兵士がいるだろうか。この国では専守防衛軍にさえ入隊すれば僅かな期間の訓練を受けるだけでその資格を手にする事ができるのだ。
 良くも悪くも真っ直ぐ過ぎる。龍二に抱いていた印象だった。しかしそれほど親しくない間柄で、それ以上の事は知らないし考察しようもなかった。
 ただ、彼とここで出会ったならどうするべきか。それは考えておく必要がある。
 教室を出る際に龍二が向けていた、追い詰められた窮鼠の目を思い出す。彼と分かり合う事などできるだろうか。
 彼がプログラムに乗る理由なら幾つも考え付く。命が惜しい。大東亜共和国の決めた事だ。もしかすると知らぬ場所で私怨でも抱かれていた可能性もある。
 ともかく、あの目に殺意が宿っていた事だけは断言できた。
 視線を下ろした場所、やってきた斜面を振り返って陶子は心の臓を掴まれたような衝撃を覚えた。知らぬ間に最大級の危機に直面していた。
 右手に握った斧の先で土壌に筋を刻みながら、龍二が飢えた獣のような目を宿して陶子へと近付いてきていた。その距離、眼下十メートル。
 龍二の荒い息が聴覚へと届いていた。何故この距離になるまで気付かなかったのか。目が合った瞬間、龍二が大きく目を見開きながら駆け出してきた。
 上り斜面をしんどそうにゆっくりと駆け上がってくる龍二の姿は、悪霊に憑りつかれたかのようだった。陶子の運動神経は女子では高く、逆に龍二は下から数えた方が早い。しかしその威圧的な様に呑まれた陶子はまず腰が抜けてしまった。
 地面に置いたサンダー9を取ろうとするも、上手く手につかない。既に龍二はふらつきながらも斧を頭上に振り被っていた。
「きゃあ!」
 激しく身を捻った陶子の左腕を掠め、斧の尖端がすぐ横の地面に突き刺さった。九死に一生を得た陶子は、斧の柄を掴み、龍二と争奪戦を始める。
「ぐがぁぁぁ!」
 魔物の咆哮を思わせる地鳴り声を発し、龍二もまた斧に力を込め始めた。斧は地面から抜け、その柄を二人の手が握っている。陶子の手は真っ白に染まっていた。必死に腰へと力を込め、立ち上がろうと試みる。
 瞬間、龍二が陶子の腹部へと強烈な前蹴りを放ってきた。陶子はくの字に体を折って転倒するが、同時に龍二の手から斧を奪う事にも成功した。斧は転倒の弾みで陶子の手からも投げ出され反対側、すなわち陶子が向かおうとした斜面の下へと転がっていく。
「やめ……」
「うぉぉぉぉ!」 
 言葉をかける暇もなく、仰向け状態の陶子の上に龍二が覆い被さってきた。真っ赤に染まった手の平が一瞬視界に映り、それが陶子の首へと迫る。
 強烈な圧迫感と共に息苦しさが陶子を襲う。龍二が陶子を窒息死させようと首を絞め始めたのだ。この体勢では跳ね除ける事すら困難だ。
 細めた目の先で、龍二の凄まじい形相が見えた。涙の跡が白い粉となって目尻に残っており、白目の中では赤く細い亀裂が河川のように眼球と言う大地に伸びている。鼻水と涎がそれぞれ鼻と口の端に滲むように分泌されていた。
 どのような状態に陥ったらこのような顔になるのか。答えるまでもない。
 これがプログラム。陶子もまた一瞬その顔に酷似した形相を見せたのだが、自らがそれに気付く事はない。死の予感を覚えた時、陶子の指は龍二の眼鏡の隙間へと飛び込んでいた。
 無我夢中だった事もあるだろう。揃えた右手の人差し指と中指は目の縁へと辿り着くや否や、するりとその奥へと第一関節をもぐりこませる。龍二の絶叫が閑散とした山の中に響き渡った。
 龍二が腰を浮かした隙を逃さず、防衛本能だけで膝を跳ね上げた。膝は龍二の股間を直撃し、続いていた絶叫が歪む。
 状況を全て把握する暇はなく、陶子は龍二を突き飛ばしながら駆け出した。幸運だったのはすぐにサンダー9が視界に飛び込んできた事だろう。
 陶子はそれを拾い上げると斜面下へと跳躍した。怪我の配慮などしている場合ではない。服がダメージを緩和してくれたが、それでも斜面を転がる事のダメージは大きい。 明日は全身打撲で肌が紫に染まる事だろう。それも明日あっての心配だが。
 すぐに転がる体が巨木に打ち付けられて、その滑落を停止する。小さく呻きながらも懸命に起き上がり更に麓へと駆け出した。
 鈍い痛みが体のあちこちで走り、全身が悲鳴を上げていた。けれど立ち止まる事はできない。今の陶子は生への渇望のみで足を進めていた。
 頂上のほうでまた龍二の絶叫が轟いたけれど、もう後ろは振り返らなかった。一刻も早く彼から遠ざからねば。その切迫した思いだけが胸を満たしていた。
 理解し合えるはずがない。少なくとも今はそう思っていた。


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