BATTLE
ROYALE
〜 背徳の瞳 〜
9
民家の広い庭にぽつんと設置された井戸の中では、湛えられた水が上空の月を映し込んでいる。滑車に付いた真新しい傷は、先の村上陶子の銃撃によるものであり、訪れている静寂は戦闘の終了を表していた。
軒先から直に通じている和室の中で、村上陶子は静かに腰を下ろしていた。その壁向かいでは、上杉龍二が今なお嗚咽を漏らし続けている。
BERSA サンダー9の銃声が鳴り響いてから、三十分が経過しようとしていた。
「ふぅ……」
陶子は溜息を吐きながら、薄暗い和室の中を見回した。茶渋のこびり付いた湯のみとテレビのリモコンだけが乗っかった木製の円テーブルが部屋の中心にあり、台所側の鴨居のすぐ上にはお札を模したデザインの大きな時計が見える。他にはくずかご、テレビ、部屋の端には小さな収納棚、それだけだった。
老夫婦が住んでいたイメージを感じた。老後を仲睦まじく、慎ましく過ごしていた和みの空間。しかし今、場を包んでいるのは殺伐とした空気であり、一組の男女は命の奪い合いを強制されているのだ。
言いようのない物悲しさを覚えながら、ゆっくりと腰を上げる。その動作に龍二が過敏な反応を示し、壁を擦りながら身を倒した。怯えの入ったその目は、小動物を思わせるそれだった。
いい加減泣き言を発する事には疲れたようだが、陶子への警戒、否、恐怖は全く拭い去れていないようだった。龍二の足首は龍二自身にビニール紐で固く結んでもらっており、油断しない限りはサンダー9で対処できる。できれば手首も拘束したいところだが、そうなると陶子が接近する必要があり躊躇われた。
「何もしないわ」
床に落とす、という感じでポツリと呟くと、台所へと足を向ける。龍二の視線が背中に突き刺さっているのを感じて気味が悪かった。
台所を一通り物色すると、食器棚の足元に粉末ココアの袋を発見した。賞味期限が切れていない事を確認し、すぐさまディパックのペットボトルを取り出した。幸い食料と水の類は龍二が山での戦闘の際に回収してくれており、取りに行く手間は省けた。
更に食器棚から湯のみを二つ取り出し、龍二の目の前で――毒物混入の疑いなどかけられればまた頭痛が生じるだろう――アイスココアを作り始めた。龍二がその様を、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で眺めている。
「お、俺は飲まないからな、そんなの!」
「ご自由に」
いい加減怒る事にも疲れたのか、慣れもあったのだろう。陶子は淡々と龍二の前に湯のみを差し出し、自らのそれを口に運んだ。龍二にそれを与える義理があるはずもないが、何となくこれ見よがしに一人で喉を潤す事に抵抗があった。
口中に広がる優しい甘みが疲れを緩和させてくれる。骨の痛みこそ残っているが、風邪の症状もいつしか気にならなくなってきた。思えば風邪を引いていなかったならば、皆と共にバスの中で生涯を終えていたのだと考え、複雑な気分になった。
バス事故を聞いた直後は、そこで一緒に死ねればどれだけ良かっただろうと思った。今は――わからない。ただ、皆の臨む事が叶わなかった時間軸に存在している事が妙に不思議で、別に何らかの価値を見出したわけではないが、貴重な体験をしている気がした。
陶子と龍二。片方は三日以内にクラスメイトの後を追い、もう一方は更に後の時間軸も生きて行く事となる。このデスゲームのルールに従うならば、だが。
ふと、龍二に訊いてみたくなった事があった。
「ねえ。上杉君はどうして殺し合いに乗ったの?」
「え……?」
陶子の質問に対し、龍二が心底驚いた感じで表情を歪めた。返答次第では穏便に済まぬと考えているのか、何か言葉を繕おうとしているようだった。
「何もしないから、素直に答えてよ」
少し勇気を要したが、陶子はサンダー9を手から離して床へと置いた。あからさまに龍二の表情から固さが消えるのが見えた。龍二の深い吐息が室内に響く。
「……殺さないと、生きて帰れないじゃないか」
陶子が銃を放棄しなければルールうんぬんだとか回りくどい事を言い出しただろう。それは確かに、率直な龍二の意見なのだろうと思った。政府寄りの家だろうと、表向きクラスメイトを憎んでいようが、やはりゲームに乗る根底はそこにあるのだと思った。
陶子自身はどうか、と考える。やはり親友や恋人・中谷圭吾に先立たれたショックが大きく、生き甲斐の欠けたこの世に対する執着の薄れを感じている。
恵まれていたのは、恵まれているのは、どちらなのだろう。
「上杉君は、生きて帰ったらどうするつもりなの?」
今度はそんな質問が口を突いて出た。こちらも自分と照らし合わせ、考えてみたかった。陶子ならば、当分は何もする気が起きないだろう。その後どのように、何に目標や生き甲斐を持って生きていくか、想像が付かなかった。
「……褒め称えられるよ。うちでは、プログラムで優勝する事は名誉なんだ」
その物言いにはプログラムに対する疑念が表れていた。龍二の家は政府寄りで、そこで叩き込まれた方針が度々他の生徒との衝突を生んでいた。その龍二が、おそらくは初めて政府への疑問を口にした瞬間だったのだろう。自覚はないのだろうけれど。
同時に、つくづく住む世界が違うのだと理解した。龍二と親しくするつもりは毛頭ないけれど、今はただ龍二の思想に興味が湧いていた。
この無慈悲で理不尽なゲーム、ひいては静かに、けれど残酷に国民を縛る大東亜共和国に対し、自らがこのような窮地に立たされどう思っているのか。
「上杉君はどうなの? ここであたしを殺し……たとして、その後」
「……」
龍二は答えない。何に対して迷っているのかは窺い知れなかった。見るとその目を、再び涙が流れ落ちていた。龍二が唇を食い縛り、首を左右に何往復かさせた。
続いて、掠れた声で、それでもはっきりと龍二が呟いた。
「多分、この国では英雄になんてなれないんだ」
英雄。唐突な感があったその言葉は、龍二の中で常に掲げられた目標だったのかもしれない。政府寄りの家で、政府に傾倒した親に、英雄――えらく漠然とした表現だが――になれと。幼い頃から意味もろくにわからぬまま頷き続け、ここまで来たのだとしたら。やはりこの国は狂っている。そして龍二は”狂わされた”のだ。
そう考えると、龍二もまた目標を見失ったと言える。ただ、死に対する恐れが陶子以上に大きいという点が異なるだけなのだろう。そこは個人差で片付く程度の差で。
「この国がしてきた戦争には、勝利者なんていなかった。きっと、ずっと」
「もう嫌だ……」
陶子の言葉に続き、龍二が畳に額を付けて泣き崩れた。何に対する悲観なのか。ただ、龍二の心の距離が先ほどよりも随分と近くに感じられる気がした。勿論、それで彼の凶行を許す気にはならなかったけれど。
龍二が陶子を襲ったのは強烈な生への執着があったからで、それを失った今、龍二に脅威はないと思った。自分と何も変わらない、悲嘆に暮れる一人の中学生がそこにいた。
未来を壊され、”死にたくない”という思い一つで生き繋いでいる陶子と龍二。新たに未来を構築すべきなのか、それには意味はないのか、わからない。
陶子は目を伏せ、静かに月を仰ぐ。二人の間のサンダー9が、月明かりを反射して一つ強い光を放った。