BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


17

 一人の肥満体が夜の露店街で体を丸めて怯えている。厚い唇を震わせ、天然パーマの黒髪を掻き毟りながら号泣する姿を政府の面々が見たならば、さぞかし嘲笑の的となるだろう。
「ぼぼ、僕も殺されるんだ。狙われてるんだ」
 橋本哲也(男子8番)は、銃声に心を呑まれ、恐怖一色となって体を萎縮させている。場所は川沿いの大食堂(E−4)で、不気味な闇の中に他に人の気配はない。
 しかし今の哲也には、枯葉が地面を転がる音ですら暗殺者の立てた物音に錯覚してしまう。心臓は絶えず激しく躍動していた。

 息苦しさと不安と戦慄の中で、手で両耳を押さえて瞑目する。
「ぶふーっ、ぶふーっ」
 豚を思わせる荒い呼吸が口から漏れていたが、押し殺す事もできずにいた。しゃがんだ体勢は腹部を圧迫し、とても苦しかった。
 脂汗が額を伝う。不摂生がたたった末のこの体型を恨んだ。もっと運動しておけば良かった、と汗が溜まった三段腹を睨む。

 一人っ子の哲也は親に甘やかされ、こと食事に関しては大好物を中心にメニューが組み立てられていた。実際、そちら方面での不満はこれまでにない。母親としても限定された献立のサイクルは頭を使わずに済み、また父親の稼ぎもそこそこあったので”息子の我侭メニュー”に異を唱える者はいなかった。
 ハンバーグ、カレー、スパゲティ、唐揚げ。その上、食後は家事手伝いをさせられるでもなく、風呂に入り、テレビの前でゴロ寝する毎日。太らないほうがおかしい。

 ゆえの鈍臭さが嘲りの対象となる事もあったが、気にしなかった。今を変えるという事は今を失うという事で、何より美味しい物を食べられる事が唯一無二の楽しみだった。捨てられるはずがなかった。
 ならば後悔に暮れている暇はない。今は生還し、再び憩いの食卓に辿り着くまで戦うのみだ。右手には土産物屋で調達した大東亜刀を握っているが、歯止め処理のために切れ味は悪そうである。
 生憎、支給品はポラロイドカメラというハズレ武器だ。弱い生徒が存命中に、何としても飛び道具を懐に納めたい。
 それにしても――。哲也はポケットを探り、数枚の写真を取り出した。写真にはこの会場のどこかであろう建物や場所が映されており、どの写真にも幽霊を思わせる白いモヤが確認できた。
 哲也が撮ったわけではない。そもそもこのカメラはボタンを押しても撮影してくれないのだ。どういう事か、不定期に写真が出てくるのだ。
 最初は出発地点の屋敷が三枚と神社が一枚、ディパックの中に落とされていた。続いて赤い橋の写真が唐突にカメラから押し出され、ついさっきは立て続けに二枚、どこかの建物の写真が出てきた。
 これは一体、何を意味するのか。心の中に引っ掛かるものがあったが、答えという鮮明な形までは成さない。もやもやする。

 と、写真から目を引き剥がした。外で物音がしたからだ。
 不運だったのは、首を上げた弾みで大食堂内から影が外の道へと伸びてしまった事だった。通行者の足がピタリと止まる。
「誰?」
 少女――宮本真理(女子9番)がしなやかな動作で首を向け、思わずそれに見惚れた哲也は隠れる事を失念してしまった。慌てた時には既に端整な目が哲也を視認していた。
「橋本君ね。こそこそしていないで出てきなさいよ」
 焦燥感から冷や汗が流れ、筋肉が萎縮し掛けた。しかし心を奮い立たせ、それを留める。呑まれては負け、すなわち死だ。
 真理は女子でも特に優れた運動神経を持つ生徒として周囲に認知されている。毅然とした性格は敵も多く作るがやはり友人が多い。
 陰と陽、哲也と真理の接点はこれまでほとんどなく、到底信用できる生徒とは思えない。向こうも同様だろう。
 声色から察するに、真理は哲也に好印象を抱いていないと思える。
「私はやる気じゃないわ。その気じゃないならばこのまま素通りさせて欲しいの」
 真理が少し穏やかな口調になった。――本当だろうか。確かに三枝なつみ(女子4番)が本部にて殺害された時、誰よりも憤慨していたのは彼女だが、芝居という可能性は否定できない。
 何よりもこの安住の地――当面、だが――が知られた事が都合が悪い。誰か仲間を呼んで引き返してこられると、まず過ぎる。
「あ、ああ。僕も殺し合いはしないよ。そのまま、行って」
 どもりながら真理にそう返した。真理は数秒ほど静止していたが、やがて川沿いに北へと歩いていった。哲也は足音を押し殺し、大食堂の陰からその背中を眺める。
 黒髪のショートカット。肩からはディパックを掛けており、右手にはやはり土産物屋での調達物か、木刀が握られている。こちらは予備か、腰にもう一本木刀を携えていた。
 やはりこのまま行かせては、安心してこの場に留まれそうにはない。

 ――背中ががら空きだ。今なら……。

 両手で刀を握り、忍び足で真理の背後へと近付く。影は川のほうへと伸びており、真理からは見えない。大丈夫だ。
 どう打ち込むかしばし思考し、横薙ぎに側頭部を狙う事にした。真理は無防備に、眼前だけに注意を払いながら歩いている。
 哲也は呼吸を殺し、一気に踏み込むと刀を振り払った。瞬間、真理が踵を返して膝を落とす。衝撃と共に、脇腹に鈍い痛みが走った。
「ぶぅっ」
 真理の放った木刀による横一文字の一撃が、哲也の肋骨を砕いていた。哲也は眉を歪め、両膝から地面へと沈む。
 小さく息を吐いた後、真理が冷めた表情で訊いてきた。
「やる気じゃないなんて嘘だったのね」
「ぼ、僕はみんなをこ、殺して帰るんだ! こんな理不尽な事に巻き込まれて、死ねるもんか! 理不尽には、理不尽で乗り切ってもいいんだ!」
「厳しい事を言うようだけれど、それが人を殺す理由になるならとっくに大東亜は崩壊してるわ。悪いほうにね」
 真理が目を軽く伏せ、嘆息した。その仕草が小馬鹿にされているようで――実際、されていたが――益々腹が立った。
 プログラムの恐怖も、空腹感も消し飛んでいた。真理への怒りが次第に心の中でその割合を増やしていった。
「僕は生き残るんだ! そういう運命なんだ! お前たちとは違うんだ!」
 己を奮い立たせんが為の猛りを放つ。生き残る運命。心強い響きは一時的に哲也の自信を取り戻させた。しかし根拠のない薄っぺらな自信は、真理の一言で容易く破壊された。
「貴方は特別なんかじゃない。ごく普通の中学生よ」
「同い年だろう、お前!」
 ついに堪忍袋の緒が切れ、哲也は立ち上がりざまの頭突きを真理へと敢行した。真理は闘牛士宜しく真横へと身を翻したが、その隙に刀を手の内に戻す事ができた。肋骨は絶えず痛むが、どうにか戦えそうだ。

 許せない。女のくせに。華奢な体つきのくせに。
 劣等感は最も心地悪い感覚だった。ここで拭わねばストレスとなり常に付いて回るだろう。今度は更に強固に刀を握り締め、真理を仕留めるべく摺り足で近付く。
 
 ――剣道部だか知らないけど、殺し合いで何度も通用するもんか。

 体格の利を材料に、己の勝利をイメージする。新たに自信が湧いてくる。気圧されたのか、真理は構えたままなかなか打ち込んではこない。
「びびって、るのか」
「――どうかしらね」
 真理の声が震えているように思え、内心少し安堵する。
 メンタル面で優位に立てた。思うや否や、この期を逃さずに駆け出す。渾身の力を込めてもう一度、今度は胴体へと横薙ぎに刀を振るった。
 
 ぱん、という小気味良い音が夜空に響き渡る。
 木刀の一撃に叩き落された刀は地面にその刃先を刺し込み、そこへ真理の靴が圧し掛かった。うろたえる間もなく真理の剣撃が首筋に食い込み、再び無様に倒れ込んだ。
「ひぃっ」
 身震いせんばかりの真理の見事な剣捌きを前に、哲也は絶望するしかなかった。真理は木刀を突きつけたままでしばらく沈黙していたが、やがてそれを放すと首を横に倒した。
「方向を見詰め直す、最初で最後のチャンスだからね」
 そう言い残し、真理が踵を返す。そのまま駆け足で遠ざかっていく真理の背中を、今度ばかりは呆然と見詰めていた。
 今回は見逃す、けれど次はない。真理はそう言ったのだ。
 望まず巻き込まれたプログラム。乗れば彼女を敵に回す。虎と大蛇に挟み撃ちにされた気分だった。どうして自分がこんな目に。嘆いても現状は変わらない。
 哲也は四つん這いのままで大食堂内へと戻っていく。扉の陰に入ると脱力して倒れ、そのまましばらく嗚咽と共に涙を流した。
 不幸な少年の不幸な遭遇、そして不幸な結果がそこにあった。


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