BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
18
劇場の建ち並ぶ通り(B−4)を佐々木利哉(男子4番)は歩いていた。
丁度壁に体の片側を預ける形で、数歩歩いては足を止め、周囲を見渡す。そんな移動を繰り返していた。
白い、粉のような砂の上は音が立たずに歩き易いものの、接近してくる相手の物音も捉え辛く、一瞬たりとも警戒を怠るわけにはいかない。
頼りは手にした木刀と、懐に仕舞ってある白い筒――後藤雅彦(男子3番)の遺品である皮下注射器――だ。自身の支給品は”ガマの油”と銘打たれた黄色がかった半透明のクリームで、治療用との事だが武器にはなりえない。
先刻の回想を脳裏に浮かべ、木刀の柄に汗を滲ませる。
衝撃的な光景だった。少女の息の根を一撃の下に止めてみせた、凶悪な造形のハンマーによる一撃、そしてそれを放った槇村彰(男子10番)の容赦のなさ。
高名な剣術家の家系に生まれ、剣術に生涯の全てを捧げると誓った利哉も、殺戮の現場に遭遇した事は当然ない。大東亜に名高い戦闘実験は、あっさりとそれを現実として利哉に与えた。見たくもない現実だった。
腕に自信はある。しかし彰とあのハンマーを相手に、この木刀と使い慣れぬ皮下注射器でどこまで渡り合えるのか。不安の一言だった。
大柄で豪腕の彰。利哉はルックスこそ恵まれたが、体には恵まれなかった。これもまた代々遺伝する細身さゆえか。あの大ぶりのハンマーを軽々と振り回す彰を前に戦慄した。
利哉には到底無理な芸当だった。そしていかに剣に優れようと、あれをくらっては一たまりもない。生まれ持った資質の違いを痛感する。
充分な努力をして磨き上げた剣術、身のこなし。それを持つ利哉が最も恐れるものこそが、そういった”一発で全てをご破算にする”強打だった。
積み重ねたものが一つのまぐれに壊される。それを何よりも恐れた。利哉の祖先、剣豪”佐々木小次郎”もそうだった。血が警鐘を促すのだ。
歴史に名を残した、偉大なる剣豪の血筋。ふと、宮本真理(女子9番)の存在を思い出した。
――彼女ならば彰の必殺の一撃をいなせるだろうか。
副部長の利哉と部長の真理。未だ互いの底を見せてはいない。部活動で披露するものではない、そう認識し合っていた。
大東亜の伝統剣術”巌流”の利哉、同じく”二天一流”の真理。この二人が共に同じ学校に居る事は偶然の産物ではない。
写真という言葉すら、影も形もなかった昔の話である。
かつて利哉と真理の祖先は剣豪の宿命ゆえに、互いの名をかけて一戦を交えた事があった。結果は真理の祖先が勝利を収めた。
後の世まで語り草となるこの逸話は、佐々木家を今の今まで悩ませていた。”巌流は二天一流に劣る”。これが世間一般の意識である。
利哉が小次郎の子孫と耳にした者は、次にはその不覚を持ち出す。決して悪意はないけれど――気にしてしまう言葉があった。
『あの宮本武蔵に対抗した小次郎は凄い』
褒め言葉のはずが、利哉の胸を深く抉る。違う。巌流は二天一流より”下”ではない。対抗しただけで褒められる理由もない。
家を貶されているようでたまらなかった。評価を覆したかった。
やがて、中学進学を目前にした利哉は道を見出した。結果を覆せないならば、新たな歴史で塗り替えればいい。すなわち、自分が武蔵の子孫を倒せばいいのだ。
因縁深き間柄とあって、武蔵の家系は簡単に調べをつける事ができた。利哉は武蔵の子孫――真理と同じ学校へと入学し、同部へと入った。
困った事は、次期当主である真理が女性である事だった。女性に勝って積年の無念を晴らす事ができるのか。
しかしその考えは入部半年とせずに一蹴される。真理もまた努力の人で、鍛え抜かれた剣術は男子でも遠く及ばぬほどだった。
鋭さと柔軟さを兼ね備えた剣捌きには、さすがの利哉も魅了された。秘伝とされる二刀流を拝む事はなかったが、それを用いずして余りある強さ。利哉もまた気を引き締め直した。
先祖の因縁の事は真理には伝えていない。やがてはそれを告白し、真剣勝負にて雌雄を決する日が来るはずだった。
二人は性別を越え、無二の好敵手として成長した。しかし利哉には、真理に対する好敵手以上の感情が生まれていた。未だに真理との決着を先延ばしする理由もそこにあった。
勝てど負けれど、そこで二人の関係は断ち切られてしまうから。
葛藤の中で利哉は日々を過ごし、剣を磨いてきた。
情けない。当初の目的を見失い、倒すべき相手に惹かれるなど。思ってはいたが、煮え切らない感情を捻じ伏せる事ができなかった。
佐々木家の末裔としては失格でも、一人の女性に恋する少年としては、なんら責められる事のない事情で、利哉は剣士と等身大の中学生という二つの存在の狭間で揺れ続けていた。
利哉は俯き、地に伸びる自らの影を眺める。真理はどうしているだろうか。そして彼女に会えたならば、どうするべきか。
と、そこで二つの駆け足を耳に留めて視線を動かす。新たな影が地面に映し出されていた。
慌てず、至って冷静に。利哉は即座に二つの劇場の隙間へと身を隠す。やがて片方の足音がこちらへと近付いてきた。荒い息と共に、スマートなシルエットが視界に飛び込んでくる。
木刀に手をかけ、覚悟を決めて応戦準備を整える。刹那、現れた生徒が横目でこちらを窺い、その足を止めた。メッシュ入りの長い茶髪に、利哉に劣らぬ端麗な容姿。足音の主は井口政志(男子1番)だった。
軽い性格ではあるが、不義理はしない。レッテルを鵜呑みにせず、自身の目で交際をする利哉は、彼と比較的親しい間柄だ。
ただ、相手が誰であろうとこの場で手を組む事は厄介である。眉を寄せたが、構わず政志は建物の隙間へと飛び込んできた。
「おお、利哉。邪魔していいか? 一人だし、いいよな?」
政志は苦笑いこそ浮かべてはいるが、額を押さえる手の間からは血が流れている。もう一つの足音は不意に途絶え、それがまた不気味だ。
「誰にやられた」
「槇村。会話もなしにこれだぜ。たまんね」
利哉の問い掛けに、政志はほとほと参った様子で答えた。あのハンマーを不意打ちで受けながらこの怪我で済んだのは、政志の反射神経の成せる業だろう。しかし脳のダメージは後々出るというし、予断は許さなそうだ。
とりあえず政志には敵意や殺意がないと判断した。政志の右手首を掴むと彼を引き寄せ、小声で囁く。
「先に言っておく。俺はこれに乗る気がないが、誰かと組むつもりもない。今だけだ。安全圏に移動するまではフォローする」
利哉は言い終えると、木刀を構えて劇場前の広場へと摺り足で進んだ。第三の人影は確認できない。周囲を窺う中で、背後から政志が訊いてきた。
「宮本に会っても守ってやらないのか?」
少し砕けた口調だった。自然と喉から何か込み上げてくるものがあったが、それを呑み下して冷静さを繕う。
「部長か? 何故部長が出てくる。第一、部長なら一人で大丈夫だ」
「はぁー? 冷てぇなぁ。そういう問題じゃねっての。強かろうと何だろうと、好きなオンナの子は守ってやるって気ぃ持てよ」
「……見当違いだ」
内心動揺してはいたが悟られぬよう努めた。真理への複雑な気持ちを他人へと告げる事がとても恥しい気がした。政志はまだ何か言いたげに口元を歪めていたが、突然表情を硬直させる。
振り返った先、遂に広場へと立った彰の姿があった。返り血を浴びた白いブレザーが生々しく、その手には例の金縁ハンマーが握られている。
「……俺の合図で走れ。俺は足止めをしてから逃げる」
主張を折る人間ではないと理解していたのか、言い合う暇はないと判断したのか、直ちに政志が頷く。まだ額には痛みが走っているようで、指で額を揉む仕草が見られた。
同時に彰の首がこちらへと向けられ、その目が利哉達を捉えた。緊張が走るが、呑まれてはいけない。利哉は木刀を上段に構え、一歩踏み出す。
「俺も好きな奴がいる。会うまでは死ねねぇ。お前も……死ぬなよ」
再度、背後からの声。続いて駆け足の音が建物の裏へと遠ざかっていった。どちらも逃すまいと、彰が大柄な体を揺らして距離を詰めてきた。
間合いを充分に整えて横薙ぎの一振りをかわし、ここぞと肩口に木刀を打ち下ろした。彰の口から呻きが漏れ、しかし崩れ落ちる事なく堪える。羨ましいまでの頑丈ぶりだが、感心している余裕はない。
更にハンマーが唸りを上げて迫る。利哉は後退しての回避を試みたが、摺り足が災いして石に踵をとられてしまった。
瞬時に木刀でハンマーを受けにかかるも、木刀は容易く叩き折られた。遠心力に乗った鉄の塊が利哉の腹部を掠め、嫌な汗がどっと噴出した。
最早決着に拘泥してはいられない。利哉は柄だけとなった木刀を彰へと投げ、うろたえる彼を背に逃走を開始した。
腹部は痛むが骨は無事のようだった。彼のような危険人物を放置する事、そして彼に二度も背を向ける事には強烈な抵抗があったが、致し方ないと割り切った。
クレバーさを失えば、直ちに死という名の敗北が訪れる。衝動という名の死への誘惑に乗ってはいけない。
彰に襲われる真理の姿を浮かべ、その幻影を振り払う。逸る心を抑えるのに精一杯で、目指す場所も定まらずに駆ける。
次第に心が乱されていく。利哉はその実感と共に形なき脅威を見据え、唇を震わせる。
吹き付ける風が死神の息吹きに感じた。
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