BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
19
藁葺き屋根の上から眺める江戸村の光景は、殺し合いの舞台とは思えぬほど長閑に映っている。白い雲がゆっくりと流れる様も、同様だった。
中原泰天(男子7番)は両手を枕にして寝転んでいたが、銃声を耳にするとその体を跳ね起こす。それは細い川を挟んだ南方から響いたようだった。
泰天がいるのは奉行所(B−2)の屋根で、ここからは近隣の牢屋敷や食堂が見下ろせる。下手に動いても仕方がないとここで様子見をしていたが、幸か不幸か何も起こらずにいた。
とりあえずは最初の放送を待とうと思った矢先、この銃声である。桃園愛里(女子10番)の事を思うと、銃声に対してつい最悪の事態を彼女と繋げてしまう。
――ここでじっとしてていいのか? 俺。
居た堪れなくなり、比較的安心なこの場所からの撤退を決めた。
尻に付いた藁を払うと、奉行所の後ろに詰まれた荷物を階段代わりに下へと下りた。随分と慣れてきた低い視界が戻る。
そのまま荷物の陰に隠れ、周囲を見回した。人の気配はない。溜息と共にこめかみを押さえる。らしからぬ神経を使い過ぎて、頭痛を覚え始めていた。
続いて水を取り出すと喉に流し込み、半分程残してディパックへと戻した。この暑い気温の中、水は貴重である。
改めてヌンチャクを握り直し、奉行所と牢屋敷の間の細い路地から表通りへと顔を覗かせた。風が木の葉をさらっていくのが見えたが、特に人影はない。
孤独感と同時に、二度に渡って仲間に襲われた記憶が甦る。どんな仲間でも、裏切られた事は少なからずショックだった。
泰天は、そして愛里も、互いに互いが希望の拠り所と言えるだろう。恋人であると同時に、説明方法のない秘密の共有者なのだから。
無事を願い、ヌンチャクとは逆の手に握ったサーチボールを眼前に翳す。――何と、ボールに赤い光が淡く浮き上がっていた。
一度青く発光した事はあったが――いつかは忘れた――、赤く発光した記憶はない。そもそもこれは何なのか。疑問に首を傾げていると、牢屋敷の中から物音がしている事に気付く。
動揺はこれまでの比較ではない。水で潤したばかりの喉の奥がもう乾いている事に驚いた。
原因はやはり銃声だろう。槇村彰(男子10番)とこの体で渡り合った事による自信は、銃声を切欠に脆くも崩れた。銃が相手ではさすがの泰天も厳しい。
迷った挙句、牢屋敷を覗く事に決めた。愛里の可能性がある以上、調べねばならない。入り口へと接近した矢先、一人の少女が牢屋敷の中から姿を現した。
色素の薄い内巻きの短髪、充血とは異なる赤みのある黒目。そして手には黒い拳銃。少女――綾瀬澪奈(女子1番)が首を傾け、壁に張り付いた泰天へと目を向ける。
泰天は澪奈の握る銃を凝視しながら、ゆっくりと壁から離れる。遂に訪れた銃の所持者を前に、ここからどう”詰む”べきか。
しかし事態は予想以上に早く収束した。澪奈が銃を腰へと差し戻したからだ。疑問の後、遅れて泰天もヌンチャクを仕舞う。
「バンダナ、似合ってるわよ。中原君」
「そ、そうか」
澪奈の唐突かつ緊迫感のない言葉に、うろたえながらも返答する。彼女に敵意や殺意の類はないようだ。こうなると彰達の殺意は自分に非があったのではと思いたくなり、心が凹んでしまう。
「友達に襲われたの?」
抑揚の少ない口調で澪奈が訊いてきた。察しの鋭さに心底驚く。
泰天の反応で的中と判断したのか、澪奈が目を半分伏せながら続けた。
「でも、それは仕方ないわ。誰にも非はないの。みんなに人の数だけの事情があるんだから。……何もない私とは違う」
「何もない?」
泰天は思わず訊き返していた。どこか意味深な響きだったからだ。
「そう。私は与えられた役目を果たしながら、死を待つだけ」
「何だよそれ。そんなんじゃねえだろ、生きるってのはよ。なければ作る事だってできるぜ。虚しい事言ってんじゃねぇよ」
思わず言葉に熱がこもっていた。泰天もかつては両親の離婚や荒れた母の仕打ち、絶えぬ揉め事による孤立などで全てを放棄しかけた時期があった。澪奈にその姿を重ねてしまったのだ。
「お友達や家族に恵まれた中原君にはわからないわ」
一方の澪奈はあくまで冷淡に対応してくる。俯いた拍子に前髪が目を隠し、澪奈の表情が窺えなくなる。
「俺だって、最初から……?」
ふと気付いた事があり、言葉を止めた。呼び間違いではない。二度、澪奈は泰天の事を”中原君”と呼んでいる。――姿は愛里である自分に対して。
澪奈が顔を上げ、静かにもう一度名を呼んだ。
「中原君」
「お、お前……」
彼女が銃を所持していた事以上に戦慄した。得体の知れない恐怖を前に、足を後退させてしまった。澪奈の表情が悲しそうに歪むのが見えた。
「オーラって知ってるかしら。……知らないのね。人の体が秘めている、”気”みたいなもの。私はそれが見えるの。中原君と桃園さん、さっきからオーラが逆だったわ」
突拍子もない告白に混乱しかけたが、澪奈が常人にはない能力を備えている事だけは理解できた。となれば出発時に愛里を制止した意味も容易に解せる。入れ替わりに気付いていれば、愛里がミスを犯す事も想像できただろう。
「でも、心を読むっていうほどじゃないの。オーラの揺れで”Yes、No”くらいならわかるだけ」
繰り返しの驚嘆。とんでもない生徒と机を並べていたのだと思った。一見便利だが、澪奈は様々な暗い面も見る羽目になっていたのだろうと思うと不憫にも思える。そして彼女に対して恐れを抱きかけた自分に嫌悪感を生じさせた。決して彼女に殺意はないのだ。
「悪かった……」
思わずそう口にしていた。少しだけ澪奈の表情が緩んだように見えた。それにしても彼女は何故そんな能力を得たのか。これも澪奈は察したのか、テンポ良く言葉を繋げてきた。
「こんな力、要らなかった。でもこの力だけが私の存在意義だから、一生付き合っていくしかないの。……もうすぐそれも終わるけれど」
言葉尻のトーンを落とし、澪奈が踵を返す。立ち去るつもりだと察した泰天は彼女を引き止めようとした。やる気でないのならば、一緒にいるのもありではないか。何より今では話が通じる数少ない相手である。
しかし澪奈は半身を捻り戻すと、自動拳銃ベレッタ M84を泰天へと向けて牽制した。やはり殺意は見えないけれど、不思議と足を止めてしまう。踏み込み辛い何かがそこに介在していた。
「行くなよ。そのまま死ぬなんて辛過ぎるじゃねえか。やる気じゃねぇなら――」
「お節介よ。それに桃園さんが妬くわ。――私には自由に生きる権利はないの。政府に育てられて、ここまで生かしてもらえていたから」
「権利とか、そんなんじゃねぇだろ? 自分の足で歩いて選んで、それもしないまま自分を見限ってどうすんだよ。お前、間違ってるよ」
確かにお節介としか言えない。それでも口にせずにはいられなかった。悲しい生き様の少女を目の前にして、無言で立ち去らせるわけにはいかなかった。
一度で良い、彼女に真っ直ぐ今を見詰めて欲しいと思った。
広げられた澪奈の左手が優しく自身の胸を覆った。今度は完全に目を伏せ、彼女が淡々と呟いた。
「今、胸の中が温かくなった。嬉しいってこういう事なのかな」
言い終えるや否や、澪奈が銃を手にしたまま走り去っていく。物悲しい宿命を秘めた少女は、結局孤高の旅を選んだのだ。
泰天の胸を複雑な想いが去来していた。愛里もそうだが、澪奈にも生きて欲しいと願う。そして澪奈がしたように左手をそっと胸に当て――愛里の体である事を思い出してその手を離した。
月に照らされた頬は、澪奈の瞳のように紅潮していた。
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