BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
21
山際に位置するこじんまりとした茶屋(C−1)の奥に、青々とした髪の少女が腰を下ろしていた。
少女の瞳は色素が薄いのかはしばみ色で、その端麗な輝きを湛えた瞳がじっと夜空を眺めている。
綾瀬澪奈(女子1番)は、持ち上げた首を静かに戻すと折り曲げた膝を両手で抱えた。らしからず、物憂げな気持ちになっている。
常識を越えた力ならば自身に既に宿っていた。しかし心が入れ替わるなど、本当に不思議な事もあるものだ。中原泰天(男子7番)達の事を思い、軽く首を傾げる。
突然、星々が細い尾を引いて一斉に流れた。脳をかき回されるような感覚で、目眩が生じたのだと気付く。澪奈は懐から取り出した錠剤を喉の奥へと放ろうとし――不意にその手を止めた。
胸騒ぎと、不安からくる悪寒が澪奈を満たしていた。
私はいつまで生きられるのか。生きた意味はあったのだろうか。
歩いてきた道に後悔は残らないのか。
あったとして、今からでもどうにかできるのだろか。
考える事すら虚しくなり、制止していた行動を再開させる。錠剤が喉を下り、人工的な苦味が胸に浸透していった。
カムロ。大東亜では忌み嫌われている名詞だ。
彼らは人の体に眠るオーラこと波動を見る力が生来備わっており、薬によってそれを更に強く引き出す事ができた。
心を読む、とまではいかずとも、特定の意見に対して人物が賛成か反対か、いずれの想いを腹に秘めているか程度は判断できる。
カムロは政府の援助を受けて育ち、一般社会に潜伏させられる。役目は政府に仇なす思想を持った者を探り、政府へとそれを密告する事だ。
唐突に人員が多々行方不明となる会社や学校には、カムロが潜伏していると大東亜では真しなやかに噂されるものだ。
都市伝説とされ、しかし彼らは大東亜に現実として息衝いていた。
澪奈はカムロの家系に生れ落ちた。カムロに生まれた者は生涯その役目を貫き、他との交流を最小限に抑え、政府に尽くす事を余儀なくされる。
政府の面々には卑しい家柄と白い目で見られ、一般社会ではカムロは卑屈な政府の犬と呼ばれる。そんな中で、澪奈が自らの全てをさらして交友する事など叶うはずもなかった。
幼い頃からカムロとしての教育を受け、今では達観していた。澪奈はその事を割り切り、孤独に今日まで歩いてきた。
今は亡き母親と、同じ道を歩いてきた。
歴代のカムロは老年を待たずして命潰える者ばかりだった。心労からか、それとも能力を強く引き出す為の錠剤が原因か、ともかく。
綾瀬澪奈に用意された道は始めから一本だった。その道を脇目振らずに進んできた。
中には澪奈と友達になろうと優しく接してくれた女子もいた。日々かけられる親しげな声に、澪奈の中で何かが変化しかけた。
しかし澪奈の密告で彼女の父親が強制労働キャンプに送られる事となり、関係は一変した。その時の少女の憎悪に満ちた視線は今でも覚えている。それから澪奈は少女のグループにいじめられる羽目になった。それ自体は何の辛さもなかったけれど。
反政府の志を持つ親を持った少女と、カムロに生まれた澪奈。相容れるはずがなかったのだ。
その事件で澪奈の生き方は完全に確立された。胸に覚えた不快な感触。こんな感触を味わうなら――もう、何も求めない。
けれど今、泰天達との出会いを経てもどかしい気持ちに胸を震わせる自分がいる。泰天は、井口政志(男子1番)は、生還への椅子が一つだけの世界の中で他人を案じ、あまつさえ救おうと心底考えている。
わからなかった。自分が一番、そういった波動を持つ大人達の中で成長してきた澪奈には、とても不思議な感覚だった。
そして、もう一つ。新たな感情の芽生えも感じていた。胸を満たす柔らかい熱、心地良い感覚。”喜び”とは、多分こういったものを言うのだろう。
避け続けていた生徒達との数分にも満たない会話で産声を上げた、紛れもない澪奈の新たなる一パーツだ。かつて味わった事のない悦楽だった。もしかするとかつて少女との関わりで生まれかけたのは、この感情だったのだろうか。
精神の底に強く根を張る圧倒的な充足感。これが世に生を受けた者の生きる醍醐味ならば、今までの自分は何だったのだろう。
澪奈の部屋の片隅に丁寧に陳列された人形を思い出す。自分と一緒だと思った。何も表現せず、反応もせず、ただそこに在ればいい。それだけで充分な生涯。自分は呼吸をする人形なのだ。
しかし、新たなる自分を垣間見て澪奈はその気持ちを揺るがしつつあった。私は、カムロは、綾瀬澪奈は――。
地面に刺す影を察知したのは、その時だった。
首を上げると、茶屋の軒先に山本彩葉(女子11番)が仁王立ちしているのが窺えた。不穏な空気が場を満たす。
普段は荒い気性を隠してお嬢様の皮を被っている彩葉だが、澪奈は常々その激しく歪んだ波動を目にしていた。盲目的な政府崇拝者、すなわち澪奈とは一応の同志である。
しかし彼女が澪奈と共に手を取り合う姿がどうにも浮かばない。
錠剤の効きは遅く、まだ視界は左右に振れている。彩葉が一歩踏み出し、声を掛けてきた。
「綾瀬さん? 私、山本です。一人で心細かった……。差し支えなくばご一緒させて下さいますか」
温和な、刺のない声。その背後で歪んだ波動が波打った瞬間を澪奈は見逃さなかった。そして彼女が嘘を吐いている事も察知した。
澪奈は口を開くよりも先に懐に差した自動拳銃ベレッタ M84を抜き出し、彼女へと向けた。薄ぼんやりとした彩葉の姿が残像を残し、横へと消える。
引き金を引き、腕に伝わる衝撃と鼓膜を殴る轟音に顔を歪めた。続いて腹部に生じる新鮮な痛み。一気に間を詰めた彩葉が澪奈の脇腹に軍刀を食い込ませていた。
「総統陛下を崇拝する私に乱暴な。所詮は貴方も非国民ね」
先ほどとは一転、冷徹な響きの声。近くで見る顔は羅刹を彷彿させる鬼面へと豹変していた。抉るような痛みに拳銃を地面へと手放してしまう。
「逝きなさい、地獄へ」
胸中を激しい熱が満たしていた。”嬉しい気持ち”とは別の、流れる血の叫びだとわかった。彩葉が軍刀を一度抜き、上段に構え直す。
ここまで。小さくうねる感情の中で死を悟った澪奈は――そこで彩葉の背後の新たな人影へと目を留めた。
反射的に彩葉も、澪奈の目線を追う感じで振り返る。色白で大柄な体躯の男子生徒が、ハンマーらしき得物を手に立っていた。
槇村彰(男子10番)。泰天の親友だ。しかし彼の背に映る翼に似た形の波動には、確信するに充分過ぎる殺意が漲っていた。
波動から窺える彩葉の注意も、澪奈から彰へと移った。その時過ぎった感情は、澪奈自身を驚かせた。
――死にたくない。
疑問を覚える暇も、分析する暇もなかった。澪奈は赤い布が被さった長椅子を跳ね上げると、腰を屈めてベレッタを回収する。弾みで傷口から腸らしき臓器が押し出されたが気にしなかった。
駆けながら闇雲にベレッタを発砲する。暗い茶屋内を閃光が駆け抜け、その瞬きの中で薬莢が宙を泳いだ。彩葉と彰が身を低くして避ける姿が見えた。そこで気を抜いたら負けだ。
弾切れの音がした時には、澪奈は既に茶屋を飛び出していた。足を止めず、そのまま南へと逃避を続行する。茶屋からは打撃音や衝撃音が立て続けに響いていたが、二人の勝負の結果はどうでも良かった。
苦しくなる呼吸に喘ぎながらも固唾を飲み下して堪える。
朦朧とする意識と耳に近く響く死神の足音の中で、澪奈は形の掴めぬ何かを求めて一心不乱に地面を蹴り付けていた。
澪奈が目指す場所、それは自身に芽生えた温かい感情を放出させるべき終着点。
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