BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
<中盤戦>
25
明け方とはいえ、空と対称を成す亜麻色の髪はどうしても闇に映えてしまう。濃紺色のタオルを巻き、長い髪を包み込んだ少女は息を潜めて立木の根元に座していた。
出発後、彼女は一言も言葉を発してはいない。ストレスはなかった。何故ならば少女の口から言語が失われて、早や数年が経過していたので。
美声を封印された中村エリカ(女子6番)は、その代わりといっては何だが溜息で失意を示し、細く長い足の膝に額を埋めた。
日常で耳にする事が稀有であるそれは、銃声なのだろう。ドラマの刑事が発砲する銃の音よりも遥かに無遠慮で、心を竦ませる。女優を目指すべく培ったスキルは、この場ではどうも役立ちそうにはない。
銃声の主は凶器を手に何を思うか。エリカならば例えば、家族や友人、目を惹かれる恋の相手など、人生において比較的重要な場所に位置する人達の姿を浮かべるはずだ。そしてその顔がたちまち絶望、失望に曇っていくイメージ。
それはエリカの死を危惧し案ずる表情にも思え、また、禁忌に身を委ねようとするエリカを否定するようにも思えた。絶望、失望とはそういう意味合いを持っている。
特にエリカが心配していたのは家族の事だった。
とある事件により言葉を失い、社交性を幾分欠損させたエリカがこの場で気に掛けるべく友人はいない。皆、表面上の付き合いの域を出ないと、少なくともエリカはそう判断している。
恋焦がれた相手――既に卒業した先輩だ――も、思春期特有のものとして、それはただそれでしかなかった。また、失語症という症状が現実的な恋の感覚を遠ざけていた。憧れは、憧れにしかならない。
ソックスで白色をカモフラージュされた細い両足を組み直し、茂みの向こう側に見える屋敷の数々へと目を移す。一種長閑な光景の中で、既にクラスメイトの亡骸が数体転がっているのだろう。
風が吹き、エリカの制服を靡かせた。静寂の中に潜む殺戮者の呼吸が届いてきたようで、それだけでぞっとする。
失語症に見舞われた後、エリカはモデルの道から離れて勉強に打ち込んだ。そして掴んだ有名進学校への切符を、今度はプログラムによって破り捨てられようとしている。重なる中村家への理不尽に、天を呪いたくなった。
積み重ねた時間。流した汗と、頭の下がるまでの努力。エリカが赤いランドセルを背負っていた頃、中村家は希望に満ち溢れていた。
長くスターに恵まれなかった中村ボクシングジムに思わぬ場所――自宅から有望選手が飛び出したのは数年前の秋口だった。
名は中村満。エリカの血の繋がった実の兄である。
家の力になりたい。幼心に抱いた単純とも言える想いが、予想を越えた形で身を結ぶ事となる。鮮烈なデビュー戦の衝撃は、今もエリカの心に焼き付いて離れない。
また、エリカも隣人の紹介という些細な切欠を階段とし、子役としてCMやチラシに姿を出す存在となった。父は鳶から鷹が生まれたと涙混じりに苦笑し、母は二人の先を案じつつ、温かく見守ってくれていた。
ボクシング界の若手ホープだった兄と、優れたルックスと体型でモデルとしての将来を早くも期待されていたエリカ。兄妹は町内においては正に有名人と言えた。
しかし――今、中村家を絶望に次ぐ絶望が襲っている。この上自分が死ぬ事はきっと、最後に残された母すら死に至らしめるに違いない。
たった一つのミスが、一つの家族を左右する。
”事件”のあったその日から、エリカは失敗を人並み以上に恐れるようになった。だから新たな繋がりを求めなくなった。友達を必要としなくなった。
家族。それだけを守る事すら簡単ではない。そして、その為には冷静であり続けねばならない。決して判断を誤らず、生還へと”自らを導く”事、それがエリカの今の唯一にして至上の義務だった。
単なる深呼吸のような、声のない嘆息を漏らした。緊張は体を強張らせる。心技体、どれも欠ければ落命に直結する。
生還に関して考え続けたが、やはり引っ掛かる部分は”誰かを殺害せねばならない”部分だ。良識ごと捨て去りたくも思えたが、さすがにそれは躊躇われた。
綺麗でいようとは思わない。生きてさえいられればいい。それでも兄と父の死と重ね、行為を躊躇わせてしまう。自然ではない死とは、救いのないものであると理解していたので。
随分と汗をかいていた。過去を反芻する事は苦手だったが、つい思い出してしまうのだ。ペットボトルを取り出し、水で喉を潤す。四分の一ほど飲み、白い蓋で封をするとディパックへと戻した。
あとどれくらい、このまま黙して座すれば良いのか。長い睫毛の下、大ぶりの目が湿りを帯び始める。
その時、エリカの背後で葉が何かを擦る音が響いた。明らかに人為的な音だと察知し、地面に置いた自動拳銃グリフォン ゴールドを掴む。
かつてはダンスなども練習し、反射神経も高かった。しかし受験による身体能力の鈍りはどうにもならない。出現した影がエリカの右手を蹴り上げ、痛みと共にグリフォンが立木の脇へと落ちる。
思考に心を傾け過ぎたと内心舌打ちする。ミスを警戒していた矢先の痛恨の失態。最悪な事に、それはプログラムでもたらされた。
ブレザー姿の小柄な少年が、中指一本分背の高いエリカの眼前に立っている。彼――深海卓巳(男子5番)のノンフレーム眼鏡の奥の瞳が、じっとエリカを眺めていた。
横長の目が弧を描き、笑いの形を示す。この状況で笑えるのか。得体の知れない感覚に、寒気と共にエリカの全身がぶるりと震えた。
一番鳥が、拍子抜けた鳴き声を朝靄の中に発した。エリカの心の絶叫は、誰の耳にも届いてはいない。
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