BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
<中盤戦>
26
手首を打つ強烈な刺激が、只でさえ睡眠を遠ざけている意識を更に覚醒させた。気だるさと瞼の重さに反して、一向に意識は沈む気配を見せない。
美濃部達也(男子11番)は腕時計の電気ショックアラームを停止させ、ヒリヒリと痛む手首を摩った。常に冷静に心がけているつもりだが、極限状態はさすがにそれを許しはしないようだった。
自我を保つ事がこれほど骨の折れる作業に感じるのは、今が初めてだった。それほど動揺を促す光景を、この一夜で拝んでしまった。
突然のプログラム参加、これ見よがしに出現する、クラスメイトの亡骸の数々。特に仲間だった古谷一臣(男子9番)の刺殺体が頭に付いて離れない。
島谷梨絵(女子5番)の死に様も衝撃的ではあった。砕けた頭蓋から噴出した血液を吸ったような赤い橋、そこで梨絵は横たわり、上空では全てを見届けたであろう月が黙して光を注ぎ続けていた。
しかし特に、あらゆる表情を間近で拝んできた一臣の、記憶にない抜け殻のような表情は経験にない戦慄を達也に与えていた。
寝れば直ちに死ぬ。あれは後の自身の姿かもしれない。体が意識を手放す事を拒絶していた。その深層心理に追撃をかけたのは、また別の仲間が殺戮行為を行っていた現場だった。
大柄で冷めてはいるが、少なくとも一臣よりも好人物であった槇村彰(男子10番)が、何とも攻撃的な外見のハンマーを手に誰かを追いかけていた光景を、達也は数時間前に見てしまった。あの白い肌を誤認するはずがない。
それに鬼気迫るあの表情。正当防衛ではない、完全なる殺意に彩られた級友の姿がそこにあった。旧知の間柄である自分が声をかけかねたほどだ、他の面々にはさぞかし色濃い狂気が彼の顔から窺える事だろう。
かけ慣れない支給品の伊達眼鏡――サードアイのズレを直す。視界の右半分には、首裏に装着した付属カメラから送られる背後の光景が映し出されている。最初は戸惑ったが、装着を続けているとその便利さを理解し始めていた。
前方と背後が同時に確認できる事は大きな有利だ。三番目の目とはよく名付けたものだと妙な部分に感心する。そのせいで武器は、芝居小屋で調達した木刀だけだが、そこはやむを得ない。
それからもう一度、自らの心に忠告を促す。
――とりあえず、誰も信用するべきではない。
他の仲間――井口政志(男子1番)に中原泰天(男子7番)も、出会うなり抱擁などはご法度だ。現実のルールは通用しない、ここは現実であって現実でない。そして自分はまだ、この世界のルールを掴みきってはいない。
何もかも手探りで、見通しの悪い道を歩く要領で、だ。
腰を上げ、尻に付いた土を払う。ここは北の山の玄関口(A−3)で、禁止エリアに極めて接近した場所である。地図と見比べて安全圏に場所を取ってはいるが、やはり背後に迫る見えない一撃必殺の死は悪寒を背中に与え続けていた。
続いて顔を梢の先の空へと向けた。腕時計は丁度六時を回ったところで、空もすっかり水色へと色合いをシフトさせていた。その空にノイズ音が走る。
『はーい、ナッコの三分間定時放送の時間でーす。皆さーん、名簿を手元に用意して下さいねー』
一日四回、午前と午後の零時と六時に行うという定時放送の始まりである。既にディパックの上にはペンと名簿を待機させてあった。発見済みの死亡生徒にはもう印を施している。
『まずは男子からいくわよ。2番大野健二君、3番後藤雅彦君、8番橋本哲也君、9番古谷一臣君。次は女子ね。1番綾瀬澪奈さん、2番遠藤真紀さん、4番三枝なつみさん、5番島谷梨絵さん、12番六波羅舞花さん。合わせて9名ね、お疲れ様でした』
皮肉るような表現が癇に障ったが、ここで非生産的な感情を抱いても仕方がないと考えた。読み上げられた生徒名の上に淡々と二本線を上書きしていく。
一臣を除けば特に親しい生徒はいないが、ミステリアスな雰囲気の澪奈の死には少し意外に感じた。いわゆる”死にそうにない奴”のまさかの早期退場だ。非現実的な事にこそプログラムの”現実”があるという事か。
『ここからはオマケね。ナッコの星占いコーナー!』
強引にテンションを上げる和田夏子(担当教官)には失笑するばかりだ。占いなど理論的でないものは達也は何一つ信じはしない。
『ここからの六時間、最も運気が良いのは美濃部達也君! ラッキーカラーは青ね。ちゃんと覚えた?』
これには反応に窮してしまった。喜ぶべきか、否、やはりこれは失笑すべき場所なのだろう。それでも反射的に青色の物を目で探してしまい、自虐的な嘆息をする。
『最も運気の悪いのは金子遠羽さん! 気を付けてね、貴方……死相が見えているわよ。この一時間は特に気を付けてね』
この占いがどういった結果をもたらすか、些細な興味として記憶に留めておく程度ならば問題ないだろうか。思いながらディパックを肩に掛ける。特定エリア滞在時間のリミットが迫っていた。
靴紐の緩みを再確認する。問題ない、と顔を戻しかけた瞬間、人の気配を感じて背後へと跳躍する。立木に背が当たるのと、西瓜大の凶器が土に打ち込まれたのはほぼ同時だった。第三の目が木で塞がれ、視界の半分が暗転する。
「よう、ラッキーマン。親分とは合流できなかったのかよ」
染谷悠介(男子6番)。瞬時に顔から導き出された名前は、続いて不快感を達也の脳に送り込んだ。やりたい放題のお坊ちゃま、悪童森綱祐樹(男子12番)の腰巾着で、祐樹の威を借りて身勝手に振舞う様は、いつも年齢以上に幼く達也の目に映っていた。
悠介の手には巨大なフライドチキンを彷彿させる武器――原始的な外見の棍棒が握られている。今、躊躇いなくこれを達也の頭部へと振り下ろそうとしたのだ。こんな物が命中すればどうなるか、察するに容易い。
要するに悠介は、少なくとも達也に対して”やる気満々”なのだ。
「その言葉、そっくり返すぜ。……何だっけか、手下A?」
「……ッめんな!」
悠介が怒号を放つ隙に素早く体勢を戻す。屈んで木刀を手にする余裕はない。小柄な達也は出鼻を挫かねば比較的大柄な悠介を相手に分が悪くなる。
激昂によりモーションの大きくなった悠介の右腕を両手で掴もうと、意を決して跳躍した。悠介は驚嘆と共に対処を試みたようだが、重量のある棍棒を手にしては動きが緩慢になっていた。
ゴツゴツした感触が両手に出現する。斜面で二人は棍棒を奪い合う構図となった。悠介が空いている左手の拳を固める姿が目に入る。
先手必勝、自慢の太股を利した蹴りが悠介の腹部へと食い込み、彼の顔が苦悶でひしゃげた。同時に放たれた拳は精度を失い、達也の髪を掠めるだけに終わった。
矢継ぎ早に腹部、腹部、顎と蹴りを放つ。斜面で重心を担う左の脹脛が早くも悲鳴を上げていたが、ここは耐えてもらう必要がある。遂に悠介が息を大きく吐き出し、棍棒から指を解いた。
――飼い犬が自分の意志で動いただけ、ご立派だったぜ!
そのまま保持した棍棒を横薙ぎに払い、悠介の側頭部へと激突させる。膝の折れた悠介の体が、奇妙な側転をするように斜面の下へと転がっていった。
身の軽さでぽん、ぽんと斜面を駆け下り、蹲る悠介を見下ろす。痙攣しながら体を丸める姿は、服従という言葉を連想させた。実際、リアルな痛みによって悠介の戦意は喪失したのだろう。
恐る恐る顔を挙げ、達也の姿を認めるなり瞳を潤ませる。情けない姿だと思った。しかし銃でも前にすれば、自身も命乞いの一つもしたくなるだろう。容易く一笑に伏すのは危険な行為だと思った。
「た、助け……」
予想通りの言葉が吐き出され、一気に戦意を削がれた。数秒視線を合わせた後、悠介に背を向けて斜面のディパックを回収しに向かう。
数秒とせず、音を殺して立ち上がる悠介の姿が”サードアイ”に投影された。それは屈辱感に促され、復讐心を燃やす窮鼠の形相。ここからの展開は驚くほど鮮明に、達也の脳裏に映し出される。
達也が棍棒を手放し、ディパック脇の木刀へと走る。一瞬遅れて悠介が棍棒へと手を伸ばす。振り返り、木刀を翳す。悠介も慌てて棍棒を振るうが――
――だから重くて動きが鈍るんだよ、それじゃ!
案の定、先に達也の木刀が悠介のこめかみへと食い込んだ。小さな呻きと共に悠介の体が再び地面へと投げ出される。完全なる勝利の実感。
まるで未来予知だった。背後が見え、相手の行動パターンが単調ならば、ここまで数歩先を支配できるのか。
この事実には震えすら覚えた。現実味を帯びてきた優勝の可能性。生還へと繋がる希望への扉が開いた手応え。自らの手で、その取ってを握っている手応えがあった。
鮮血で濡れた手で額を押さえる悠介を見下ろし、意図的に冷淡な声で言い放つ。
「で、また”助けて”って言うのか?」
返事はない。ただ悠介が歯を小刻みに叩く音だけが木霊している。一度周囲を見渡すが、人の気配はない。今度は意図的に表情を威圧的なものに変えた。
「まだ体育祭の一種目みたいな感覚でやってんのか?」
ようやく悠介が顔をこちらへと向けた。血で赤く染まった瞳に、新たに怯えの色が浮かぶ。一歩距離を詰めると、悠介は這いずりながら後方へと逃げていく。その先には彼が置いていたのだろう、口の開いたディパックがあった。
「俺は――」
悠介は聞く耳を持たぬ様子でディパックから次々と道具を出してはこちらへと投げ付けてきた。ペン、コンパス、懐中電灯。続いてぶつけられたペットボトルの蓋は白の通常型で、彼がペナルティ生徒でない事を示していた。
あくまで穏やかな動作で足元のコンパスを掴む。怪しく光を伸ばしたコンパスの針に悠介の視線が集中する。叫ばれては面倒だ。
――仕方ない、な。
全てを終わらせる覚悟で駆け出した。何の防御力も持たない、悠介が翳す両手を蹴り付ける。がら空きとなった頭部に鋭利なる死の一閃。
致命傷を受けた体は直ちに意識を解放させたのか、ともかく。そのまま声一つ上げずに悠介の体は地面に背を預ける。三度目の正直、今度ばかりは起き上がる事はない。
死体を多少見慣れた事もあってか、背徳感は想像の範囲内だった。正当防衛という事もあるのだろう。不自然な息の上がり方をしているな、と感じた他は特に危惧するまでの影響はないようだった。
荷物を回収し、最後にコンパスが刺さったままの悠介の亡骸へと目を移す。一臣や梨絵同様、悪趣味な細工を施された人形に映る。
人だった物を人だと見られなくなり始めている自分に気付いた。躊躇した後、悠介の頭部からコンパスを引き抜き、両手を腹部の上で組ませた。
――殺す事に慣れてしまったら、俺は人として戻れない。
「泰天、政志……」
口にしてから、問い掛けるような響きだと気付いた。
いけない、この場所で迷いを見せたり、人に何かを委ねる事は死を意味する。先刻誓ったはずだ。とりあえず、誰も信用するべきではない、と。
首を軽く振るい、呟き直す。
「泰天、政志」
明瞭な発声で言い放ち、薄暗い水色の向こうへと視線を向ける。
やがて達也は田舎的な町並みの中へと再びその身を投じていった。
退場者 染谷悠介(男子6番) 残り14人