BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


29

 周囲の様子を窺い、中原泰天(男子7番)は草叢からその顔を出す。小柄である事は潜伏する点では便利だ。見渡す視界の先には、煙のような朝靄が広がっている。
 首を草叢へと戻し、バンダナのズレを直しながら吐息した。プログラムが現実として体験できるとは夢のような話だ。もっとも、夢は夢であって欲しいわけだけれど。
 その夢のような記憶中の一シーンを思い出す。
「不思議なもんだよな……」
『今、胸の中が温かくなった。嬉しいってこういう事なのかな』
 常軌を逸した能力を保持する綾瀬零奈(女子1番)は、泰天と言葉を交わしてから数時間とせずに、この舞台から退場してしまった。義務として生を歩んできた彼女が、最後に掴んだ微かな”己”。零奈は最期の瞬間、何を思っただろう。満足だったのだろうか。
 らしからぬセンチメンタリズムに浸りながら――これは愛里の体のせいだ、と誤魔化した――、数本の斜線が引かれた名簿を見詰める。残りは多くても十五人。ついさっき生じた銃声や爆音から察するに、更に減っている可能性はある。
 次の放送では愛里――いや、泰天か――の名前が呼ばれるかもしれない。その不安を打ち消すには、一刻も早い愛里発見が求められる。
 とは言え、掌サイズの変てこな球体が支給品の泰天は、迂闊に動けない現状だった。銃器所持者が存在する以上、居場所を特定させる行為は自殺ものだ。その上、非力でリーチの足りないこの体ときている。
 切迫感が胃をきりきりと悲鳴させる。すまない、愛里。返す体は胃潰瘍だ。――もっとも、無事に返せる保障はどこにもないが。
 気休め程度に腹部をさすり、それから地図をディパックへと収納して立ち上がる。あの零奈ですら果てた。どうやら”特別な運命”というのは、泰天達を守ってくれるわけではないようだ。
 仲間達の事も気掛かりである。待ったなしの殺戮の荒野で、不良という肩書きは決して有利には働かないはずだ。
 井口政志(男子1番)達は健在だが、出発直後に泰天を襲撃した古谷一臣(男子9番)の魂は既に同じ世界を共有してはいない。あの一本背負いが致命傷とは思わないが、昏倒してる間に命を奪われたと想像すると、やはり後味が悪かった。
 卑屈で荒い性格だったとは思う。けれど彼も己の辛辣な背景を抱え、大東亜という一種イカれた国の中で精一杯生きていた。身近で接していた泰天は、一臣が粗暴の一言で片付けられる浅い人物でない事を知っている。
 誰にだって、理由がある。
 だからこそプログラムの恐ろしさを泰天は逸早く理解しているつもりだった。”理由”が誘う生への渇望の両刃は、無差別にクラスメイトを襲うのだ。最も辛い形の死が、幾人もの生徒の幕引きとなる。
 自身が万能な人間とは思ってはいない。しかしせめて、仲間と愛里だけは守りたい。普段なら鼻で笑いたくなるような衝動に、今は疑念一つなく身を任せている。その滑稽さに口元が緩みかけた。
 と、再び手元の球体が発光を開始する。海の底を彷彿させる濃紺の光をその全身から放ち、球体は何かを泰天に訴えているようだ。
 はたして、足音が右方より近付いてきた。球体を握って光を遮蔽する。小柄ではあるが、確かに男子の姿。鍛え抜かれた太股が学生服の中からその只ならぬ太さを強調している。
 間違いない、彼は仲間の一人である美濃部達也(男子11番)だった。視力は良いはずの彼が眼鏡を装着している事が気になったが、それはともかく。
 彼が無事だった事、そして遭遇できた事に安堵の息を漏らし、しかしその足はこの場に留めた。一臣や槇村彰(男子10番)のケースもある。達也は愛里の姿の泰天をどう”判定”するのか。
 運動神経の高い達也だ、最悪の流れの場合、容易くいなせるとは思えない。その上、右手には巨大なフライドチキンを思わせる武器――棍棒が握られている。分が悪いどころの騒ぎではなかった。
 らしからぬ焦燥顔を浮き彫りにして、達也が泰天の潜む草叢の前を通過していく。何か衝撃的な事態に遭遇したのか。何らおかしくはない事だが、クールな達也のレアな表情にやはり驚嘆を禁じない。
 その過程を息を殺し見届け、それから細心の注意を以って泰天は草叢から脱出した。背後からの接触ならば多少のアドバンテージはある。
 腰を屈め、忍び足で距離を詰める。幸運なのは影が背中へと伸びている事で、影で察される不安はない。

 ――よぉし、そのまま、そのままなっ。

 だが、突如達也が足を止め、微塵の迷いもなく振り返った。明らかに背後の愛里の存在を確信していた。
 何故だ。疑問が生じたが――こうなった以上、思考は後回しだ!
「ス、ストップ! 達也、ストップ!」
 思わず泰天口調のタメ口で訴え、慌てて両手を前に出す。その手をぶんぶんと横に振る姿は漫画チックで間抜けだったが、兎にも角にも達也との交戦は避けたい。
 数秒の静止。達也はじっとこちらの出方を窺っている。
「み、美濃部君……ストップ……ね」
 繕う余裕が生まれたところで両手を下ろした。達也のフライドチキンの先はとりあえず地面へと向けられている。会話が始まりそうな流れでは、あった。
「桃園か。一人なのか? 誰にも遭ってないのか」
 約六メートルの距離を保ちつつ、達也が訊いてきた。その目は警戒心満々で、泰天が歩を進める余裕を与えてはくれない。
「そ、そう。一人。古谷君と槇村君……あと綾瀬さんに会ったけど、合流はしていないわ」
 変な矛盾が生じるといけないのでここは正直に告げる。ただ、前述二名の事はあえて”襲われた”と話さずにおいた。愛里――実際は泰天なのだが。ああ、もどかしい!――が仲間を貶める発言は、刺激になりかねない。
 とりあえず達也は納得した様子で、それで彼が泰天の遭遇した人物に出会っていない事を察する。
「中原と会えてないんじゃ大変だろ。先に出発したのに合流しなかったのか」
 痛い場所を突かれ、顔を引き攣らせる。こうなると正確な理由に伝えるには一臣に襲撃された件を話す必要があるが。ここは思い切って流す手もあり、か。 
「あはは、そ、そう。出発場所に戻ったんだけど、泰天君、出てきたと同時に走ってっちゃって……」
 不自然極まりない愛想笑いが冷や汗を倍増させる。するんじゃなかったと後悔した矢先、達也が更に痛い場所を抉ってきた。
「その時、古谷の死体がなかったか」
 繕い笑顔が凍りつく。これは、まずい。漠然とした気まずさが空気に溶けて二人の間を流れる。聡明さに欠ける泰天が即座に機転を利かせられるはずもなかった。
「あ、あはは……」
 愛想笑いが止まらない。他にアクションが起こせない。次第に目を細め、一層冷ややかな表情になる達也との間の心の壁の厚さと言ったら。
 達也の口ぶりからすると、彼は一度出発地点に戻ったのだろう。おそらくは全員が出発した直後かその少し前に。そしてそこに、やはり一臣の死体があったととれる。
 一臣と遭遇したと告げた事に問題はない。ただ泰天の出発時に愛里が出待ちしていたならば、一臣の死体目撃を挙げなかった事の不自然さは拭えない。怪訝そうな達也の表情で、一臣の死体が言い逃れできぬほど目立つ場所にあったであろう事まで読み取れてしまう、この悲しさ。
 残念ながら、ここは合流不可能と判断するしかない。後は達也が大人しく離脱するか、交戦となるか、だ。となると長距離走者の達也相手に逃げ果せるとは考え辛く、黄色信号大好評点滅中である。
「……ま、いい。お前が信用できないのだけわかれば充分だ。これ以上近寄るなよ。俺は躊躇しない」
 言葉による激しい牽制は、一線を越える覚悟を持つという意思表示だった。立て続けに仲間に跳ね除けられたショックは蓄積され結構なダメージを胸の内に与えていたが、ここで心を折るわけにはいかない。
 泰天は油断せず沈黙のまま、背を向け去って行く達也を見送った。農耕器具のたて掛けられた藁葺きの家の陰へと彼が消え、それから周囲を確認した後に再び脇の草叢へと身を隠す。
 震える指先を抑え、食い縛った歯の隙間から熱い息を漏らした。
「畜生、折角達也と遭えたってのに……何やってんだ俺は……」
 運命の悪戯がもたらした亀裂。悔やみきれない失態に、泰天は愚痴を漏らすしかなかった。これで政志にまで突き放された日にはどうなるのか。
 入れ替わって浮かぶ愛里の顔が懐かしく、いとおしい。

『相手がいるのに本なんて読まないでよー』
『話は聞いてるじゃねえかよ、いつも』

『あー、濡れちゃうよ。また傘ないの?』
『ニュースは見なかったからな、今朝』

 今朝の会話が、まるで遠い過去のもののようだ。愛里の顔を忘れてしまいそうな不安に駆られ、強くその顔をイメージする。
 妄想の中の愛里は今も微笑んでいる。現実の愛里は、多分目を腫らして親友の死を嘆いているのではないか。
 疲労感からか、飛んでいた睡魔が次第に全身を侵食し始めた。けれど休んでいる暇はない。衝動が欲求を砕き、重い腰は強い意志に持ち上げられる。行かなければ。
「……しゃあっ」
 頬を強く張り、草叢から飛び出た。そのままの勢いで駆け出し、力強く大地を蹴る。目指す先は自分の姿をした、最愛の少女。
 崩れそうな心の防波堤は、今や愛里一人に支えられていた。

 残り13人


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