BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
30
文化祭、その日は体育館の壇上が華やかなステージへと変貌を遂げる日。
借り物の衣装に身を包んだ桃園愛里(女子10番)の姿はとても可愛らしく、合わせて大東亜撫子と呼ぶに相応しい清楚さを匂わせていた。
ホームドラマを思わせる演劇が観客達の前で繰り広げられ、抱腹絶倒、時には涙の展開を見せる。笑い、怒り、泣き、全ての感情に訴える一作、この年の演劇部の作品テーマだった。
演目は財閥令嬢に就いた元暴力団の青年家庭教師の話。これだけでも掴み所のない作品だが、それを部員達は苦心の末、見事に名作として昇華させた。
『お嬢様、あの家庭教師はお止め下さい。お嬢様の為です』
家政婦役に扮した水戸泉美(女子8番)の、体格を含めたハマリ役っぷりと言ったら、演劇部の伝説と長く記録に残る事だろう。
お腹と口元を抑え、必死に馬鹿笑いを堪える六波羅舞花(女子12番)の姿は、壇上からもしっかりと確認できた。彼女は茶道部員ながら、作品のプロットを練るのに助力してくれた一人である。
カーテンコールの後、愛里達は舞花を交えて部室で打ち上げを行った。紙コップに注がれたサイダーを喉に流し込み、自らを労う。
『着慣れない衣装で肩が凝ったんじゃありませんか?』
『何言ってんの、演劇部主演がドレスくらいで肩凝ってたら使えないでしょ』
柔らかい手付きで愛里の肩を揉む舞花に、泉美が呆れた表情で横槍を入れる。舞花は甘やかし過ぎよ、と言いたげだ。
『いいよいいよ、大丈夫』
『だーめ。肩の血行が悪いと肌荒れの原因になりますよ』
遠慮する愛里を無視し、舞花が丹念に肩を解す。泉美が今度は苦笑いし、愛里の唇にポテトチップを挟み込んだ。それを歯で噛み砕きながら徐々に口に引き込む様を見て、同級生の部員から『愛里、可愛ーい』の声が漏れる。
まるでマスコット扱いだが、それもまた悪くない。実力派マスコット女優、桃園愛里ここにあり。えへん。
『愛里、お疲れね。またいつか――』
泉美の労いの声が、次第に空間へと溶けていく。
程なく全てが朧となり、静寂と無の中へ消えた。
黒のキャンパスに現実の視界がじわりと浮かび上がってくる。覚醒した愛里を見下ろしているのは泉美に他ならない。結ばれている指の温もりが、未だある生を実感させた。
踏み止まっている。まだこのデスゲームから退場はしていない。それが幸運か不幸かは定かではないけれど。
「深かったね」
「え?」
「よく眠ってたって事」
「……文化祭の夢、見てた」
泉美が数秒目を虚空に泳がせ、それから視線を愛里へ戻す。
「お嬢様と家庭教師の奴?」
「そう。泉美が家政婦やった奴」
「そりゃ起きなかったのも頷ける。もう少し心地良い夢に浸ってかったでしょ」
「……ううん、もういい」
愛里は泉美の太股から頭を起こし、後頭部の乱れを軽く直す。一方の泉美はスカートの”よれ”を払い、ディパックを探り始めた。
「泉美を一人でこんな場所に居させられないもん」
「優しいね、やっぱり愛里だ、アンタ」
立ち上がった愛里を見上げての一言。夢は覚めても、それ以上に不可解な現象がまだ愛里自身に残されている。彼――中原泰天(男子7番)はこの場にいないのに、誰よりも近い場所にその体はある。神の悪戯は依然継続中のようだ。
初回放送では存命が確認されている泰天だが、人数が減った――相当な数だ。もう会えない顔を思うと切なさが止まない――事で新たな動きを見せる生徒もいるはずだ。次回放送まではのんびりとやり過ごせる六時間ではない。一層彼、あるいは信用できる友人の捜索に乗り出さねば、運命の札は容易く死神の面を向ける事だろう。
「そろそろ放送から一時間半経過、か……。移動の頃合ね」
「りょーかいっ」
愛里は手元のディパックを掴み、移動の準備を開始した。梢の奥には薄灰色の空が淡々と広がっている。そこに旋回する黒い鳥は、まるで亡骸という名の餌を待つハゲワシのようで悪寒を覚えた。
茶屋奥の木々深い山肌(B−1)で束の間の休憩を終え、二人はまた潜伏場所を探しに行く事となる。同エリア二時間滞在が禁じられているルールだけにやむを得ないのだが、サーカス一座でもここまで慌しい生活はしていないだろう。
「二時間もしないで移動、移動……」
「サーカス一座か、うちらは」
「甲斐さんみたいだよね」
「そうそう、甲斐さん。よく覚えてるじゃん愛里。ははは」
奇しくも泉美が愛里の思考と同じ内容を口にし、また一時期学校に在籍していたサーカス一家の少女を思い出し、二人は小さく笑う。孤独でない事はやはり強みで、そして今は自分より頭半分小柄な泉美を改めて頼もしく思う。勿論、泰天にこれだけ頑丈な体を借りているわけで頼ってばかりはいられない。
前後を分担して注意しつつ、古風な並びを進んで行く。みし、という異音を先に耳に留めたのは愛里だった。首をそちらへと向け、同時に横へと声をかける。
「上!」
薄い雲から漏れる日に背を向け、黒い影が頭上の屋根より飛来した。
鷲を彷彿させる大胆な飛翔、しかし着地は優雅に速やかに。翻ったスカートが影の主の性別を教え、正体を確信した時は――宮本真理(女子9番)の握る木刀が喉笛の寸前に突き付けられていた。幾分冷ややかな眼差しが愛里の心を刺す。手放しで喜べる状況ではない、という事か。
「いきなりごめんね。でも、その手は上げないで欲しいの」
愛里が握る自動拳銃パラ オーディナンス P14−45は、さすがの”剣豪の血族”真理にも脅威に違いない。泉美に目配せすると、彼女が一つ首を倒すのが見えた。それで愛里は了解したつもりになった。
「はい、真理」
「「え?」」
あっさりと拳銃を渡そうとした愛里を前に、前後の二人が目を丸くして声をハモらせる。そのまま真理は一度左手を伸ばしかけ――寸前で指先を躊躇わせた。続いて訝しげな双眸がこちらを舐める。
「別に渡してくれとまでは……そうでしょ、泉美?」
「はは……それ、中身は愛里だから」
「えっ?」
解釈に難儀したのだろう、端整な顔の眉間にシワが生まれる。ただ、険しい真理の表情とは裏腹に会話の余地が生まれた事は何となく察した。真理がゆっくりと、愛里の喉を威圧していた木刀を下げていく。
真理は周囲を探るべく屋根に登っていた最中だったらしい。突然の愛里達の登場に驚き様子を見ていたが、物音を立ててしまい先手を打ったというのが彼女の説明だった。
愛里の事情を一通り聞いた真理は、深い嘆息の後に口を開いた。当然、軽く伏せた瞼の奥から警戒心は消えていない。
「……それを本気で信じさせようとしているなら正気を疑うわ。演劇部の想像力にしても突拍子がなさ過ぎる」
「納得させる時間も証明する時間もないし、納得させる気も証明する気もないわよ。こんなの」
半ば投げ槍口調の泉美は、クリームパンを頬張りながら真理と平行線の会話を続けている。それでも真理の存在が頼もしいのだろう、行儀悪くも食事をする様は愛里とのそれより幾分力を抜いている気がする。その脱力には真理も気付いているようで、どこか戸惑っているのが見て取れた。
不意に湧き起こる歯痒さ。自分が心体共に桃園愛里なら、すんなり真理と合流できるのに。真理と泉美への、どうしようもない申し訳なさ。次第に目頭が熱くなる。
遂に愛里は頭を垂れ、涙してしまった。
「泉、美……真理、ごめん……な、さい……」
またやった。困窮する二人の声は、異様なまでに遠くから響く。困らせたくないのに、無力な愛里の頑張りは、結果という現実を経て自らを締め付ける。いっそ壊してしまいたい。けれど今は壊せない体である。八方塞り、けれど逃避も叶わない。そんな時、自分は何処に立てばいいのか。
「あーあ、真理が愛里泣かせたよ」
「そんな……」
泉美のそばに居ていいのか、わからなくなった。
数分後、ディパックを担ぎ直して二人に背を向ける真理の姿があった。残念だが、一緒に行動する願いは断られてしまった。
『強制されて殺し合いをするなんて、馬鹿げてる。止めないといけない。けれどそれは私の自己満足とも言えるから、二人を巻き込めない』
実力者の真理だけに、口を挟めない言い分だった。同行すれば、足手まといになる可能性がある。最後になるかもしれない見送りは少なからず辛いけれど、真理の頑固さはこれまでの付き合いで身に染みて理解している。ならばせめて、悔いのない別れの一幕を。
「真理、また会おうね」
切実な想いを胸から放つ。真理が振り返り、しげしげと愛里――実際は泰天の顔だが――の顔を眺める。
「約束はできない。けど、確かめたいわ。貴女が本当に愛里なのか」
そこで言葉を止め、口元を緩ませる。何か思うところがあったのか。ただ、真理の警戒が解けているのだけは雰囲気から察する。
「だから、二人も死なないで」
「うん」
その言葉を残し、真理は建物の角へと走り去っていく。その健脚を見る限り簡単にやられる真理ではないと認識し直しはしたが、相手はかの戦闘実験。これまでの常識では計れない場所に御身はあるのだ。
「大丈夫だよ」
「え」
「真理はきっとわかってくれた。また私や愛里と会えるのを信じてくれてる。だから、限界まで頑張ろう」
決してフォローではない。泉美も真理の心の内をそう測ったのだ。ならば真理にとって愛里達は心の支えとなったはず。当然、愛里達にとっても真理の存在は希望の種となり、明日への意思を繋ぐ糧となる。
そうだ、繋がねばならない。――互いの心を折らないように。
愛里は顔を上げる。すっかり明るくなった空にもう先ほどの鳥の姿はない。同じ空を通じてその下に立つ泰天、彼との再会は遠くはないように思えた。
ただ、拭えぬ不安が同時に去来してはいたのだけれど。
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