BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
32
異臭激しい長屋の一軒で、惨劇はその瞬間のまま時を止めている。
中原泰天(男子7番)は、凍り付いた表情で足元の死体を眺めていた。衣装屋(D−3)に横たわる血塗れの肥満体――橋本哲也(男子8番)は、今や人ではなく肉塊として冷たい地面に無造作に転がっていた。
左目の空洞を中心として放射線状に血液が飛散しており、後頭部からは脳味噌らしき半固体が『こんにちは!』している有様だ。手から投げ出されたらしいナイフは直前に彼自身の腹を突き刺していたようで、先端が赤くコーティングされている。そして哲也の腹部には、合致する創傷があった。
こうなっては豊満な腹も亡骸を冷やす冷却材でしかない。親しいどころか対極の位置付けにある生徒だったが、隣のクラスの生徒とアニメの話に花咲かせていた姿を思い出し、少し不憫になった。彼なりの幸福を感じて作られていたあの笑顔は、今の表情からは欠片も連想できない。
「仕方なく殺すってレベルじゃねぇな……」
舌打ちと共に、強張った首を振って解す。とは言え緊張までは解れない。つい数分前、同じく良心なき者に屠られたであろう金子遠羽(女子3番)の水死体を川べりで発見したばかりだった。彼女もまた両手両足をロープで拘束された、慈悲なき死に様だった。無言の帰宅を迎え入れる家族を思うと居た堪れなくなる。
同時にこれを演出した人物にだけは殺されまいと誓った。何より桃園愛理(女子10番)の事を思えば逸早く戦いケリを着けたい人物である。
「森綱か……?」
真っ先に浮上するのは森綱祐樹(男子12番)の姿だった。御立派な家柄のメリットをフル活用し、普段から黒い噂が絶えない彼の所業とすればピタリ当て嵌まる。とは言え殺人という禁忌まで躊躇いなく踏み越えるかと言えば灰色域だが。
それにこの場では、誰が精神を脅かされ凶行に走るとも限らない。もっともそれでここまでするに至るとは考え辛かったが。特に遠羽に施した”趣向”に関しては、むしろ心的余裕があってこそ可能な所業の気がする。
やはり森綱なのか、それとも。この場では足踏みするだけで真相への扉が開かれる事はないが、推理を馳せずにはいられない。
ここで足元で写真をばらまいたまま放置されているポラロイドカメラに目を留めた。写真の束を手に取ると、江戸村の何処からしき場所が撮影されている。中にはこの衣装屋の写真もあった。
妙なのは写真がどれも日の強い時間に撮影されている事だった。戦闘実験開始後、夜と朝は経由しても、また太陽がここまで昇っている時間は経由していない。
更に川べりの写真を眺め、一つの推測が立った。首輪に内臓された発信機は、当然生徒達の死に場所も把握している。これは予め撮影していた写真を使い、生徒の死亡場所を教えるカメラではないのか。
となればこれは、生徒の死を一番に察知する道具になる。殺害を止める事はできないが、殺害者の下に急行してその人物を捉える事は可能だ。ひいては以後の安全に繋がる。これは――儲け物なのだろうか。
カメラに付いた土を払い、ディパックへとそれを収納する。写真は手元に残し、まずはこれらの写真が示す場所へと向かう決心をした。
「まずはこの旅館みたいな場所かな……んっ」
汗をかいた手の隙間から、紫色の光が漏れている。反射的に空いた入口の脇へと身を隠した。案の定、光は例の支給品――サーチボールからのものだった。
泰天はこれに関してもここまでの過程で玉の役割に関して一推察立てていた。綾瀬零奈(女子1番)の接近で赤く、槇村彰(男子10番)との交戦中や美濃部達也(男子11番)の接近時には青く輝いていたそれは、生徒の接近及び相手の性別を示唆しているのではないだろうか、という推察だ。
手元の紫光を眺め、自問する。ならばこれはオカマかホモ接近の合図か? 前よりも後ろを注意すべきだな――というのは冗談で、もう一つの可能性を軸として耳を澄ませる。はたして、二人分の足音が近付いてきた。
「美濃部君……御無事で何よりです」
お上品な言葉使いと澄んだ声色は、山本彩葉(女子11番)のものだとわかった。もう片割れは言わずもがな、先程最悪の対峙をした達也に違いない。男女両方で紫か、と納得しながら玉の役割を確信する。
それはそれとして、この場に割り込むのはどう考えても得策ではない。体が愛里のものだけに彩葉とは無難に接せるだろうが、その後の話に合わせられるかは不安だ。当然、泰天に対して疑心満々の達也に対しては一触即発となりかねない。
二人が合流するなり会話だけ交わして立ち去ってくれれば問題はない。今はそれを願いつつ静観するべきと判断した。
お嬢様かつ温和な彩葉は人畜無害に思えるが、達也の態度はどこか普段とは異なるものだった。幾つかの方向で心配ではある。合流を拒む達也に執拗追い縋り、あるいは何らかの言動で神経を逆撫でし、はたまたこの場で冷静に努める彩葉を怪しみ、達也が凶行に及びはしないだろうか。先刻の接触からそのような不安が心より駆り
出されてしまう。
「私は――です」
「そうか。俺は――だな」
二人はこれまでの経緯を始めとする情報交換をそつなく行い、再びそれぞれの求める相手を探しに向かうようだ。安堵の息を漏らしかけたが、どちらかがここに訪れる可能性は否定できず、慌てて緊張を留めた。
すだれ暖簾から顔を慎重に、半分だけ出す。達也と彩葉が向き合って衣装屋のすぐ外に立っているのが見えた。中から見て左手側、丁度達也が背を、彩葉がこちらを向いている形だ。達也は例の伊達眼鏡を装着していた。一方の彩葉は支給品と思われる軍刀を携えているが、鞘から取り出してはいない。
今の話では彩葉は誰とも遭遇していないと口にしていたが、本当だろうか。泰天でさえも結構な亡骸を目にしているし、『仲間を探し続けていた』という言葉にどこか違和感が拭えない。
それに彩葉の二分後に出発した六波羅舞花(女子12番)には逃げられたと聞くが、本部での彼女は至って冷静だった。彼女が出待ちしていた彩葉を拒む絵がどうにも想像できない。背を摩る不安は思い過ごしだろうか。
「じゃあな」
「中原君達と貴方の再会を心から願っております」
やがてそんな言葉を締めの一言として、二人が歩を進め出した。脇を掠めて二人が擦れ違った瞬間、妙な胸騒ぎを覚える。こちらに来るとしてもそれは彩葉で、今と同じく穏やかな接触となるはずだが――
――瞬間、彩葉が軍刀に手を掛けて身を翻すのが見えた。泰天は咄嗟に叫び、同時に外へと飛び出した。
「達也、後ろ!」
「!」
達也は泰天の言葉より一瞬早く振り返った。泰天の時同様に、まるで背後が見えているかのようだった。おそらく泰天の声は不必要だったに違いないがそれはともかく――それに気を留めている余裕はない。
同時に彩葉の背が揺れたが、攻撃動作に中断はない。横薙ぎに軌跡を残した軍刀の刃先が腹部を掠め、達也は後方へと飛び退いた。焦燥の表情は、泰天と同じく彩葉の行動と言葉に対してのものだろう。
「山本、テメェ」
「中原君達と再会したいなら、あの世で再会させてあげるのに。祖国愛一つない不遜の輩に私がかけた温情を無碍に断るのは無礼千万ね」
押し殺しながらも漏れる怒りが振り返った顔からも露出していた。彩葉の鬼気迫る表情には、それこそ殺人に対する躊躇いを微塵も感じさせない。
「テメェ、達也への不意打ちを棚上げて無礼千万かよ。思考回路イっちゃってんじゃねぇのか?」
仲間を殺されかけた怒り、それが引き出した高揚感により言葉使いを繕いもせず、泰天は彩葉を睨み付けた。彩葉に動じる様子は全くない。
「貴方も貴女もテメェテメェ、二人共、テメェ国の国民なの? 非国民なら無礼も仕方なしね。けれども……」
彩葉の眼光が鋭さを増す。達也は得物の棍棒を構え、合わせて泰天は駆け出した。足の遅さがもどかしく、その間に彩葉が再び達也へと向きを戻す。
「……準鎖国中の国に踏み入れば極刑は免れないわ!」
軽やかさというより、滑らかな動作で彩葉が剣を振るう。抗する達也の手首を裂き、小さな血飛沫を舞い上がらせた。無駄も躊躇もない毅然とした剣捌きは、彩葉の潜在能力を如何なく発揮させているようだ。
記憶によれば彩葉は軍人の家柄という事で、剣の指導も受けていたのかもしれない。続けざまに腹部に蹴りを受け、達也が膝を崩す。間髪入れずに彩葉が振り返り、般若の形相でこちらへと迫ってきた。正に、姫どころか鬼姫だ。
――こいつはとんだ猫被り野郎だったゼェーっ!
泰天は腰に結わえ付けた木刀――調達物だ――を抜き放つと、それを振り翳して強振する。彩葉が足を止め――しかし泰天の一撃は間合いに程遠い場所からのものだった。まずは彩葉の突撃を阻止し、泰天は挑発的に笑う。
「猪口才な!」
激怒する彩葉の顔には血管が無数に浮出しており、紅潮する肌は益々鬼に類似していた。”場数”が導く次の一手に、泰天は今の小柄な体も考慮しつつアレンジを加えて従う。この点、泰天の戦闘センスは天才的と言えるかもしれない。
「チョコだのクッキーだの、」
続いて彩葉は達也への攻撃と同じく横薙ぎに構える。応じて泰天は身を屈め、自らの脇へと木刀を縦に突き刺した。遅れて剣の一撃が木刀を捉え――しかし肩を支えに
木刀はそこに在り続ける。彩葉の顔色が白く変化するのを見逃さなかった。
「甘くねぇんだよ、命のやり取りは!」
身を屈めたままで彩葉の両手を掴み、刀を封じる。うろたえる彩葉に対して背負い投げのように体を巻き込み、腹部へと渾身の後ろ蹴りを放った。腹部がへこむえぐい感触が足の裏に伝わり、不快感で顔をしかめる。本性はどうであれ、お嬢様的な佇まいの彩葉を蹴るのは心地良いものではなかった。
「ぐ……うっ」
一撃を受けた彩葉は鈍痛に喘いだが、何とその手から軍刀を離す事なく留まっていた。焦って離脱を試みたが、離れざまにお返しの膝蹴りをもらい苦悶の表情を浮かべる。やはりこの体は打たれ弱い。
「下がってろ、桃園!」
ここで背後から達也が割り込み、彩葉が更に苦い顔になった。二対一、状況は好転したが油断はできない。しかし達也は今回の献身的な手助け劇で”桃園愛里”に幾分心を許した様子で、そこは心中にて安堵できる。
さあ、ここからだ。
「殺し合いに乗ったわけか、山本」
「当然だ、栄えある大東亜の名誉有る戦闘実験だ。生死は問題ではない、参加する事に意義があるのだ! それに背く輩には死、あるのみ!」
丸っきり選手宣誓だった。選手代表、山本彩葉。――全種目譲ってやるから一人でやってくれ。溜息を吐きつつ距離を詰める。
と、彩葉が勢い良く剣を振ったかと思いきや、踵を返して駆け出した。これは――逃走という奴だ。呆気に取られる二人の前で、彩葉が長屋の角へと姿を消していく。拍子抜けした泰天は脱力感から一歩も動けなかった。達也も同じだろう。
「……不本意だが、戦略には”引いて、刺す”事を一連の攻めとする事もある、ってか。物騒な奴を逃がしちまったな」
「次はねぇよ。あんなのに好き放題暴れられちゃたまんねぇぜ」
達也の台詞に応じてから、今更ながら素の言葉使いを続けていた事を思い出す。乱れた髪を直すべくバンダナを解き、それで額を拭きながら達也を見上げた。
笑顔には至らないが、先刻より幾分緩めた表情で達也が言った。
「泰天の前じゃねぇと乱暴なんだな、口調。……まあ、黙っとくわ」
「あ、ありがとう」
言葉を交わした後、改めて脱力する。紆余曲折を経て、描いた形とは異なれど達也の信用を得る事はできたようだ。
それから木刀に刻まれた刃形の傷跡を眺めて悪寒を生じさせる。一概に日常の姿勢から評価は出来ないという事を今度こそ胸に刻み付けた。それで愛里の身の危険を増々案じ、胸を詰まらせる。
今現在、夜は完全にその闇を大地の下へと沈めきった。しかし皆の心の闇はなおも胸を侵し蠢いている。自らがそれに呑まれぬように、泰天はぐっと歯を噛み拳を握り締めた。
泰天と愛里、奇妙な恋人達の再会は近い。
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