BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
33
少女は、逆光にシルエットを映し出している妹を見詰めていた。夕日が射す病棟で黒い毛糸を指に絡め、少女の妹はあや取りと呼ぶにはあまりに不恰好な網目を造形している。
黙々と両手を動かしながら糸を眺める妹の心に去来するものは何か。自分の存在はまだ意識の奥に残っているだろうか。憎まれているだろうか。
唇を噛み、紅い光に目を射抜かれながら、沈痛な想いで妹を見詰める。変わり果てた、心壊された悲哀なるその姿を。
自虐の裏側に潜む復讐心を、その場では押し殺しながら。
不動麻美(女子7番)は、夕日すら覆い染めんばかりの真紅の激情を胸に秘め、その日生地大阪を発っていった。
あたしが夏美の姉である証明。
お姉ちゃん、仇は討つからね。
もう怖い人はいなくなるからね。
全てが終わったら感じて欲しい。
あたしの残すたった一つの願いを。
きっと覚えてる。だって――
「――自分は自分をヤメる事も忘れる事もできんのやから」
「何だそりゃ」
呟きは憎々しい因縁の声に蹴り飛ばされた。眼前では仇敵森綱祐樹(男子12番)が笑顔を躍らせている。対峙しているのが古びた陶芸場(F−4)とは彼に似つかわしくない場所だが、土から作られた陶器に囲まれて土に還るのは彼にお似合いな悪趣味なジョークだと思った。そう、笑えないジョークだ。
「お前にはお前をヤメてもらう」
「何だそりゃ」
怨念を込めた一声すら虚仮にされ、手にした自動拳銃S&W M39に添えた指へと力がこもる。銃身の冷たさと自身の熱気が対照的だ。既に祐樹も脱力した立ち姿勢のままで両の懐へとそれぞれの手を差し込んでいた。
日光山から吹き降りてきた一疾の強風は季節外れの”日光おろし”か。その風に背中を押された麻美は両脚に全神経を集中する。数ヶ月の忍耐を爆発させるこの瞬間、もう遠慮は要らない。あの驕りに満ちた鼻っ柱に、粛清の弾痕を!
麻美の目に宿る復讐の炎が、その奥に映る祐樹を早くも焦がし始めていた。
求めた存在を捉えた時、彼は無防備な背中を曝していた。まるで自分は助かる運命にあるのだ、警戒など面倒といった具合に。大いなる勘違いだ。
祐樹は裕福な環境と、許される我が侭の数々から、自分という存在を取り違えている。あらゆる点で同世代を超えた存在と慢心している。その黒い自由に縛られた邪心が、引越しの為に栃木の新居の下見に訪れていた夏見の心と体を壊した。麻美の妹から感情と在るべき未来を奪った。
許せない。祐樹には自分の存在を嫌と言うほど叩き込み、何故自分が殺されるのか充分に教育した上で”森綱祐樹の理不尽なる人生劇場”の幕を下ろしてもらう。それが彼に貶められ辱められ明日を壊された者全ての願いだろうから。
そして自分はその大役を仰せ付かった只一人なのだ。祐樹を壊す権利を神より頂いたオンリーワンなのだ。代表として誰もに満足してもらうには、徹底的に完膚なきまでに彼の心を捲り返して思い知らせ、跡形もなく散華させるしかない。
と言うのは自分のサディスティックな欲望を覆い隠す言い訳だろうか。
もう、何であろうと構わない。
既に賽の目は深紅に彩られたピンの目を天に向けている。
不動麻美の狂気は止まらない。
強烈な破裂音。生じた薄茶色の煙の中を陶器の破片が突き抜けていく。麻美は四散した陶器の成れの果てには目もくれずに、煙の先の人影を探った。
「うっ」
刹那、喉元に熱い刺激が走り、這わせた指に付着する血液を確認する。視線を遣る余裕はないが、投げナイフの類か。
床下に駆け下り、小さなかまくらを連想させる土造りの窯を盾に身を隠した。彼は確実に誰かを殺している。ならば武器を最低でも二つは持っているはずだ。皮肉にも彼が与えた負傷が麻美に束の間の冷静な判断力を甦らせる。
「隠れんのかよ、つまんねぇな。トワみたく踊ろうぜ?」
小屋の奥から祐樹の高揚した声が届いた。トワ。永久? 否、金子遠羽(女子3番)だ。あの尋常ならざる末期の様は、やはり祐樹が演出したのだ。激情が再び冷静さを吹き消す。許さない。許さない!
「うわあああああ!」
麻美は修羅の形相で咆哮した。弾倉内の銃弾を撃ち尽くし、空になった弾倉を衝動のままに床へと叩き付ける。硝煙臭が鼻を突き、一層険しい顔付きになった。麻美の暴れっぷりが愉快なのか、奥から祐樹の高笑いが聞こえてきた。
「何がおかしいんや! お前は、」
新たな弾倉を銃に叩き込み、再び立ち上がる。
「夏美だけやない、どんだけの人を貶めたら気付くんや!」
激発音が轟く度に鼓膜がより強い痛みを訴えていた。祐樹の高笑いも曖昧になってきた。実音なのか幻聴なのか、区別が付かなくなってくる。
「人はなあ、一人じゃ生きていけんのや! 誰かに存在を認められて、存在を必要にされるのが喜びで、そんな繋がりの中で生きていて、あたしもお前も同じ一つの存在やのに、誰にその存在を奪う権利があるんや! 勘違いするんやないっ!」
眼前に飛来した頭部大の陶器をかわし、背後でその割れる音を聞きながら更に引き金を絞る。ここまで景気良く発砲すれば程なく誰か来る事は確実だが、問題はない。祐樹を消せば不動麻美の生涯を賭した任務は完遂されるのだ。
「お前は、お前に壊された妹の、夏美の事を覚えてもおらんくせに!」
「別に」
前方からの淡々とした返答の直後、背後から爆音と風圧が襲い麻美は窯にその身を叩き付けられる。玄関の埃と土が舞い上がり、クリーム色の巨大なつむじ風を生じさせた。
――さっきの陶器の中に何かが!?
麻美は額をしこたま強打し、呻きながら顔を上げる。見上げた先には視界一杯の壺――ではなく陶器があった。硬い凶器の直撃を受けた麻美は受身すらできず床へと伏す。そこにはにやけた面構えの祐樹が立っていた。
「真っ赤じゃん、不動」
上体を起こしながら見ると、白いブレザーに赤いまだら模様が飛散しているのが確認できた。出血――ではなく先程の爆発時のものだろう。塗料の入ったペイント手榴弾みたいなものが陶器に入れられていたのだ。
「くっ」
銃を握り直そうとするも、既に右手首を踏み付けられて腕の自由は奪われていた。愉快気に喉を鳴らす祐樹は、麻美の怒号の欠片も受け止めてはくれなかったようだ。 反省の”は”の字も窺えぬ顔にまた激昂するも、悲しいかなそれをぶつける術が奪われてしまった。
「俺、不動の妹に何かしたのか?」
「あれだけの事して、よくもそんな! コンビニ脇の路地で、猫の手袋を、まだ中学一年の妹を!」
「……ああ〜……」
何を今更、と激しい口調で反撃を試みる。祐樹は首を傾げながら記憶を辿っている。そして――
「あー、どの子かわからね」
愕然とした。あれだけの凶行を覚えきれないほどしてきたというのか。仮にもこの世に生を受けてから十と五年しか経ていない少年が。
この世界は、狂っている。
「……あたし、も、か」
先程までの怒りが一気に覚め、残ったのは脱力感だった。復讐という名の努力は実を結ばず終わるのが正解らしい。彼を殺してもきっと何も残らなかったのかもしれない。妹は戻らないのかもしれない。ならばもう、このままでいい。
吐息を野蛮な香りが呑み込んだ。額に突きつけられた銃口は何と余裕か、麻美と相対してから一度も弾丸を吐いておらずに冷たいままだ。麻美の銃の銃口は触れないほどにまで熱されているというのに。二人の感情の対比が銃口に表されるとは、これもまた笑えないジョークか。
祐樹の空いた左手が麻美の髪を掴み、眼前に晒し上げられる。
「……」
「今度のパーティはどうすっかなぁ〜」
うきうきとした様子で祐樹が喉を鳴らす。絶望感すらなかった。行われ、終わるだけ。その先に自分の未来はない。けれどそれは、それだけの事――なのか?
何だったのだろう、自分の復讐とは。
やはりエゴイストの自己満足だったのだろうか。
『止めとけよ、後味悪いだけだって』
これは誰の言葉だったろうか。耳にしてからそう時間は経過していない気がする。温かい、麻美を心から思いやる声。何故この言葉に耳を傾けなかったのだろう。それ程までに夢中で、それほどまでに盲目だった、あたしは。
「よ〜し、決めた」
祐樹が言葉と共にナイフを取り出す。刃先の輝きに目を投じながら、麻美は思った。これは誤った自分に課せられた罰ゲームなのだと。けれど執行人が彼と言うのは、どうにも腑に落ちなかったけれど。
大阪の病室では、不動夏美が丸めた毛糸を手の中で強く握り締めていた。震える口元と潤んだ瞳は、人の心を宿したそれで、脇に立つ母親が感嘆の声を漏らす。
「な、夏美……?」
母親の言葉に対する反応はない、けれど。
「お、ね、え、ちゃ……ん」
手から零れ落ちた毛糸がそのまま中空をふらふらと泳ぎ、冷たい床へとその姿を沈める。擦れた声のエコーが細く長く室内に留まっていた。
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