BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
34
仮に人という生き物が、いかなる感情であれその強さで生を保つ事ができるのならば、今の自分は鉛玉の五月雨に撃ち抜かれようとも耐え、衝動が促すまま確実に復讐を果たす事だろう。
その先の虚しさなんて、欠片も考えてはいない。不動麻美(女子7番)の懸ける全ては今この時、この場所にあったのだから。
麻美にとって唯一無二の仇敵――杜綱祐樹(男子12番)は仰向いた麻美の右手首を踏みつけたまま、余裕の笑みを浮かべて麻美の鼻先にナイフを突きつけた。彼の右手には先程の交戦時に一発も発射していない余力充分の自動拳銃FN ハイパワーが握られている。
世の中の不公平さには辟易した。こんな悪童が好き勝手をする事が許されて、その悪童に妹の笑顔と自身の命まで奪われるというのか。殺し合いまでもパーティ呼ばわりして、その主催者のように我侭の限りを尽くす彼に、既に数人の級友も殺されているという事実。怒りを超えた怒りを何と表現すれば良いのだろう。
「妹の件はホント、悪かったな。ほら、俺らも若いしさ、わかるだろ? この有り余ったエネルギーっていうのが、悪戯の一つや二つ……」
「被害者にはその一つや二つが全てなんや!」
麻美はしたり顔でのたまう祐樹を怒鳴りつけたが、暖簾に腕押し、彼に罪の意識は微塵も窺えなかった。病院の中で意識を閉ざし続ける妹・夏美が不憫でたまらなかった。そして夏美の不幸によってどれほどの親しい人間が不幸の連鎖を受けたか、思い知らせてやりたかった。
「さあ、パーティを始めようぜ?」
祐樹がナイフを麻美の口元へと滑らせようとした時、麻美は左手でその刃先を掴んで捩じ上げた。電撃のような鋭利な痛みが手の平に走ったが、構わず右足で祐樹の腹を蹴りつけた。祐樹の体が後方へと転がり、背後の大きな壺に背中を打ちつける。
爆風で飛散した陶器の破片を直撃した全身が鈍い痛みを、刃先を握った左の手の平が鋭い痛みを、そして胸の奥は重い痛みを放っていた。痛みだらけだった。麻美は頼りの自動拳銃S&W M39を持ち上げ、立ち上がった祐樹へと構える。
「あー、思い通りにいかないって……マジイラッとくるよな」
「少しは思い知らんかい!」
今度は双方の銃口から炎が噴き上がり、陶芸場に鮮血の花を咲かせた。
胸元を貫通した衝撃の余韻に身を捩じらせて、麻美は片膝を着いた。倒れなかったのが奇跡なくらいだった。右胸からは泣きたくなるほど止め処なく出血が生じ始め、塗料で赤く染まった白いブレザーを更に濃い真紅に染め上げ始める。絶望に意識と抵抗を投げ出しそうになる。
これが全ての感情を超越するジョーカー、死の実感なのか。祐樹も、景色も、記憶も何もかもが遠ざかるような感覚。子供の頃に転んで泣いた時、やけに景色が薄ぼけて感じたのと似ていた。
無傷の祐樹が正面に立ってFN ハイパワーを構えている。そうだ、彼を、どうするんだったか。血と一緒に意識まで流れてしまったように、麻美はぼんやりと考えていた。
このまま無へと身を委ねてしまおうか。凶悪なほどの死の誘惑だった。
「あー、もう。疲れたからパーティはいいや」
その言葉の意味も、混濁した意識は理解できなかった。
「じゃあ、死ねよ。不動」
祐樹の指がFN ハイパワーの引き金にかかり――
――銃弾は不動の脇を擦り抜けていった。
「不動!」
その声は背後からのものだった。ついさっき聞いた声、振り返った場所には右肩を抑えてよろめく井口政志(男子1番)の姿があった。一気に意識がこの場へと戻ってくる。
『次は……これが火い噴くで』
拳銃まで突きつけて、関わるなと忠告したはずだ。
『不動、俺じゃ駄目か? 辛いのとか、抱えてる事とか、分け合えないか? 俺、受け入れる覚悟はあるぜ。こんな場所で、嘘言っても仕方ねえだろ』
そんな言葉やあんな言葉を。復讐に燃える麻美にとって的外れな会話で近寄ってきた政志が、命の瀬戸際にいる――いや、死の海を眼下に拝む断崖へとその身を投げ出された麻美を、助ける必要すらないはずの麻美を――。
『けど割と俺、お前を見てたつもりだぜ?』
ああ、そういう事か。死を間近に達観した意識は麻美に政志の真意を呑み込ませた。政志の前から去った時、息が熱くなったのはそういう事だったのか。
麻美は微笑んだ。それから自分の右腕が持ち上がるのが見えた。祐樹が政志に向けていた視線を麻美へと戻したが、そのまま引き金を引いた。ゆらりと流れた景色の中で、祐樹の喉から放射線状の赤い筋が伸びるのを見た。
痺れる指からM39が抜けた事もわからないまま、麻美は今度こそ石の床へと身を委ねた。
「不動! しっかりしろ!」
右肩を赤く染めた政志が麻美の体を揺らしていた。憎しみを原動力にここまできた麻美の人生のロスタイム。抜け殻となった心に言葉が浮かばない。報いれるべき言葉を少しは考えておくんだった、と少し後悔した。
「こんな場所まで追ってこなくて良かったのに……」
麻美は笑っていた。意識はしていなかった。政志を見ていると自然と顔が綻んだ。それは麻美が望んだわけではなく、ただ漠然と、嬉しかったのだろう。
――何に? それは、宿題になりそうだ。旅立った先での宿題だ。
「だから言ってんだろう、不動。行く場所、他にねぇって。お前が俺の終点なんだよ」
そうだよね。意地悪な事を言ってごめんね。お互いに自分の自己満足で動いていたのだけれど、政志と自分のそれは愕然とした隔たりがあるように思えた。やっぱり二人は相容れなかったのだ、と思った。謝る必要はなかったはずだけれど、それでも思った。ごめんね、と。
「中原達は……」
「あいつ等はあいつ等でやってんだろ。桃園が生きてるのからしてそういう事じゃねえのか? 邪魔するつもりはねえな。……なあ、俺はお前が死んだらどうすればいいんだよ?」
目標を失った後の虚しさは、麻美がこの後も生きていたなら実感する事になったのだろう。その未来が共にあったのなら、それは分かち合えたかもしれなかった。死の運命は御破算できないだろうか――ぐちゃぐちゃに濡れた胸を見て、やはり無理なのだと察した。
「もう時間、ないか……」
最初に遭遇した際、政志には何も伝えなかった。麻美が祐樹を殺そうとした理由も教えられず終いだ。政志はそんな麻美の行動をどう思っただろう。思考の過程はわからない。けれど結論として、政志は麻美を追ってきた。それは素直に今、有難く感じられた。そんな人に最期を見届けてもらえるなんて、これまでの人生の不公平が一気に清算されたようだった。
ここが日常世界だとして多分、麻美は政志の告白を受け容れなかった。二人の間にはあまりにも距離があった。第一印象で退け、それっきりだったに違いない。相容れない人種だった。それが――本当に人生は最後まで何が起こるかわからないな、と思った。
もし戦闘実験がない世界で、告白を退けた後に彼の本質を知ったならば、自分は後悔しただろうか。決して訪れない未来に、少し興味が湧いた。
けれど、そろそろお別れの時間のようだった。
「……井口」
返事は聞こえなかった。聴覚が失われたのか、麻美の声がもう声でなくなっていたのか、もうわからない。だからこれは自己満足だ。姉としてでも、復讐鬼としてでもなく、末期の束の間に一人の中学生に戻った不動麻美の自己満足だ。誰も聞いてはいないかもしれないけれど――
「もっと早く……知り会いたかったなあ……」
すっかり血の抜けた体は、最後の役目を終えて静かに生命活動を停止させた。胸に乗せていた右手が血で滑り、その甲が地面の血溜まりを叩いて小さく水音を立てた。
「ホントに実らないもんだな……初恋は」
寂しく呟いた政志が、まだ柔らかい麻美の頬を撫でた。
大阪の病室では夏美が眠りから醒め、個室の天井を眺めていた。夢の最後は、麻美が布団を揺さぶって夏美を起こす夢だった。麻美の死と連動したかのような夏美の覚醒は、二人が姉妹であり、深い絆と愛で繋がっていた事を示唆しているのかもしれない。
麻美が取り返し、彼女が大好きだった夏美の笑顔が再び人前で甦る日はきっと遠くない。麻美がそれを望んでいた事を、誰よりも夏美が理解しているはずなのだから。
退場者 杜綱祐樹(男子12番)
不動麻美(女子7番) 残り11人