BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


35

 正午の放送を間近にした今、随分と高い視界が慣れてきた気がする。桃園愛里(女子10番)は名簿を手にしながら、腕時計とにらめっこをしていた。
「中原君はきっと大丈夫だよ。心配だよね、自分の体を貸してるんだし」
 水戸泉美(女子8番)が地図を手に取りながら、太い首を愛里へと向けて笑った。愛里も笑い返す。泉美はもう中原泰天(男子7番)の姿をした愛里に何の違和感も覚えていない。付き合いが長いだけに、もうすっかり愛里の雰囲気を理解しているのだろう。

 愛里達は村を半周した後に、朝方滞在していた茶屋奥の木々深い山肌(B−1)へと再び戻っていた。ついさっき銃声が数度響いたが、かなり遠いほうだった事もあって足を向けてはいない。所々に交戦の形跡はあったが、人の姿を確認する事はできなかった。とはいえこの6時間で退場者が0人のはずはない。最初の放送で9人、おそらく半数程度には減っていると予想された。
演劇部での日々が嘘のようで、思い出す度に切なくなる。愛里と泉美が公演し、六波羅舞花(女子12番)達に大絶賛を浴びた文化祭での演劇は、もうあの顔ぶれで実現される事はない。
 舞花は最期に何を思っただろうか。そして泉美とも別れる時が来るのだろうか。水面に放たれた電気が儚く四散していくように、愛里達も運命に引き離されてしまうのだろうか。
 ――全力を以って抗するだけだ。逆に面子を揃え、この戦闘実験に一矢報いたい。強烈な何かを残してやりたかった。逞しい泰天の体は、愛里の心も攻めに転じさせているように感じた。

 そこでノイズ音とともに正午の放送が開始された。
『はーい、ナッコの三分間定時放送の時間でーす。皆さーん、名簿を手元に用意して下さいねー』
 一日四回の放送は、この正午放送が都合二度目だ。懐からペンを取り出して名簿に目を落とす。新しい死者に関しては愛里達は誰も知らない。さて――
『まずは男子からね。6番染谷悠介君、12番杜綱祐樹君。次は女子ね。3番金子遠羽さん、7番不動麻美さん。合わせて4名ね、これで残りは11人よ』
 残り、半分以下という重圧感が肩に圧し掛かった。泰天の無事は嬉しいが、より厳しくなった生存競争を前に気を引き締めねならない。親しい生徒はいなかったので前回放送とは異なり、受ける衝撃は比較的少なかった。
 強いていえば杜綱祐樹(男子12番)の死は意外だった。死ぬようなキャラには見えなかったからだ。憎まれっ子世に憚るとは言うが、現実は非情だったという事か。
『ここからはオマケね。ナッコの星占いコーナー!』
 要らないオマケを前に、泉美が名簿をディパックに収めながら失笑した。とはいえ前回”運気が悪い”と発表された金子遠羽(女子3番)が今回退場しており、少し不気味な部分はある。
『ここからの六時間、最も運気が良いのは山本彩葉さん! ラッキーカラーは赤。頑張ってね!』
 その名前には愛里も泉美も反応した。舞花達を殺害し、愛里達にも凶刃を奮った彩葉もまた、生き残っている。彼女の本性は戦闘実験がなければ終生拝む事はなかったに違いない。また彩葉と対峙する事は訪れるのだろうか。できれば遠慮願いたかった。
『最も運気の悪いのは……深海卓巳君! 貴方、下手な真似だけはしないほうがいいわよ。因果応報って言葉、知っているわよね?』
 この和田夏子(担当教官)の言い回しは何か気になった。前回のそれとは異なり、根拠があって釘を刺しているように聞こえたのだ。占いを超えた、確信めいた何かを覚えて胸がざわめく。戦闘実験に潜む黒い意思というのは、愛里が考える以上に深く澱んでいるのかもしれない。
「何かあったのかな?」
「さあ? 女の勘じゃないの?」
荷物の整理を終えた泉美がディパックを担いで立ち上がった。前回の不幸生徒的中は偶然だろうし、となれば今回の占いもそう考えてしまうのが自然か。少し深読みし過ぎた、と愛里は思った。

 梢の庇から出た愛里達を、秋口の太陽が頭上から照らした。普段ならば昼食に胸を躍らせる時刻だが、今は恐怖に心臓を躍らせている。親しい仲間と一緒にいるだけ恵まれているかもしれないけれど。
 再び宿場町(C−1)にやってきた愛里達は、昼ならではの町並みを眺めながら日頃の盛況を思い出していた。かつて一度遊びに訪れた場所だ。衣装屋で着物に着替えてみたり、からくり屋敷で隠し部屋を探して遊んだり、茶屋で食べた紅白団子も美味しかった。今となっては儚い記憶が瞼の裏に甦る。そんな思い出まで血で穢されているようでむしょうに腹が立った。
「今更だけど最低ね、この戦闘実験は」
 愛里の憤りを代弁するように、泉美が言った。親友というのは性格的に正反対か酷似しているというが、愛里と泉美は外見こそ正反対ながら気質は非常に似通っていた。だからこそ愛里もこの戦場で絶対的な信頼を彼女に預けていた。もう誰も失いたくはなかった。
「早く泰天君とか、見付けないとね」
「そうだね」
 言いながら泉美がじっと愛里――外見上は泰天だ――の顔を見詰める。何か付いているのだろうか。と、泉美が視線を離して笑いを零した。
「こうしてまじまじと見てみるとイケてるよね、中原君」
「え、そ、そう?」
 自分の事ではないが、何より場違いな発言だったが、それでも嬉しかった。彼氏を高く評価されて不愉快であるはずがない。性格には難があるが、泰天の端正な顔立ちは愛里も認めている。
「中原君、私達にはあんまり近付きたがらないけど、愛里には優しいんでしょ? 見てみたいな、二人が普通に話してるとこ、さ」
 愛里は頷いた。不良的位置付けの泰天だけに、泉美達とは親しくし辛い心情はわかる。けれど愛里に対しては今も昔も口調こそ異なれど優しい幼馴染だった。そういう部分が恥ずかしいのか、学校では――特に親しい人間の前では――あまり話したがらないのだけれど。
 泉美に泰天が加われば、小さな希望が現実になる気がした。こういう状況で人を信じられる事はとても強い事で、その二人を繋ぐ位置にある自分を誇らしく思えた。

「……あれ、愛里。あそこ見て」
 不意に泉美が前方を指し示したので、愛里は指の先を目で追った。民芸品屋の軒先に、白いブレザー姿の男性が立っていた。当然、クラスメイトの男子生徒だ。残っている男子生徒は比較的安全そうな生徒ばかりで、特に泰天と親しい生徒が多かった。
 体格が良く、背は高め。目を凝らすまでもなく槇村彰(男子10番)だとわかった。泰天以外にあんな長身の生徒はいない。一人でいるという事は彰は泰天――体は愛里のものだ――と遭遇してはいないのだろう。愛里は泰天の姿をしているので接触は簡単そうだが、合流となると説明が少し難しい。
「どうする、愛里?」
 愛里は彰を観察しながら逡巡した。彰は両手でなければ到底扱えそうにない長柄のハンマーを引き摺っている。少し怖いけれど、泰天とは最も親しい生徒だ。愛里が泉美と居るように、泰天との合流の際には彰と引き合わせてあげたい気持ちが大きかった。
 泰天は喜ぶだろう。多分、泉美も合流を願ってくれているはずだ。
「……話してみる。私、槇村君は信用できると思う」
「そう。じゃあ、私も一緒に行く」
 愛里は泉美と頷き合わせてから、民芸品屋の軒先へと歩いていった。

 十メートルほど手前まで来た時、彰も愛里達に気付いて体を向けた。あまり驚いた様子はない。
 愛里は軽く右手を上げて応える。敵意を匂わせると厄介なので、支給品の自動拳銃パラ オーディナンス P14−45は背中に差しておいた。万が一の場合は斜後ろに立つ泉美が抜き取って即座に構える事ができる算段だ。
「えっと、槇村君。無事で、本当に良かった」
 案の定、彰はらしからぬ口調の愛里――泰天だと思っているわけだ――を怪訝そうに眺めていた。直ちに説明、いや、ここはまず身を隠せる場所への移動を促す必要が――


 ――愛里は息を呑んで、身を硬直させた。


 眼前の彰は、何とハンマーを振り回しながら愛里達へ突進してきた。そこまで怪しい行動をしたつもりはないが、それに驚愕する暇はない。腰から銃が抜かれる感触とともに、泉美が疾風の如く愛里の横に立ってオーディナンスを彰へと構えた。すぐさま銃声が轟き、鋭い衝突音に併せて彰がその足を止めた。
 蒼白の顔で愛里は彰の体に空いた銃創――は、ない。その代わりに豪華な装飾のハンマー頭部が重い音とともに地面へとめり込んだ。ハンマーに着弾したのだと判断した時には彰が泉美の懐へと飛び込んでおり――とんでもない判断力と決断力だ――その拳が泉美の腹部を下から突き上げていた。
 泉美は声も出せぬままその程好く肥えた――失礼――体を浮かし、オーディナンスと一緒に土壌へと転がった。ようやく愛里が状況を呑み込んだ時には、彰がこちらへと拳を振り上げていた。
 反射的に突き出した拳は萎縮していた上に、目も瞑っていては格好のカウンターの餌食だった。頬に強い衝撃を受けた愛里も背中から倒れてしまう。
「い……た……」
 彰はやる気なのだ。この事実を泰天が知ったらどれほど悲しむだろう。泉美なんてこんな非現実な姿となった愛里さえも信じて行動をともにしてくれているのに、これだけの差を何が生んでいるというのか。
 説得の時間はなさそうだった。愛里はこれからしこたま腫れそうな頬の痛みを放り、再びハンマーを構えた彰と対峙した。暴力を用いた喧嘩の経験はないけれど、横目に窺う蹲った泉美の姿が愛里を奮い立たせた。泉美を守るんだ。今度こそは、親友を守るんだ。

 歯を食いしばる彰の前で、両足に力を込めた。彰がハンマーを横薙ぎに振り回し始め――その隙を逃さず愛里は飛び込む。瞬間、予期せぬ方向――しかし正面、腹部だ――からの衝撃を受けて体の動きを止めてしまった。
 愛里の突撃を前蹴りで止めた彰は、今度こそフェイントではなくハンマーを振り回す。内臓に広がる負の衝撃が愛里の動きを縛り、反応が間に合わない。
 絶妙な距離と遠心力と姿勢を満たしたハンマーの一撃は、腕で受けても腕ごと愛里の胴体の骨を砕いてしまいそうだ。これは、まずい。こんなところで、こんな事で、よりによって泰天の親友に――


 愛里は一瞬の暗闇の中で、ハンマーが肉を潰す音と、骨の砕ける音を耳にした。


「あ……」
 ハンマーが捉えた体は愛里ではなく、横から飛び込んできた泉美のものだった。案の定、盾にした腕ごともっていかれ、泉美の上半身が不自然に折れ曲がる。我が目を疑う暴力の様に、愛里は開いた目をより大きく見開いた。
「泉美!」
 愛里は泉美の背後から絶叫した。言う事を利かない体を奮い立たせ、一歩。泉美に届かせる一歩を踏み込み、そのまま思いっきり手を伸ばす。千鳥足で大きく半周した泉美の体を、無情の第二撃が襲った。
 銀色の悪魔が泉の頭部があった場所を貫通し、その場所が派手に爆ぜた。言葉一つ残せず、泉美の存在は乱暴な風圧一つに掻き消された。指先だけ届いたその手は、重力に引かれて愛里の手から離れていった。

『愛里の気持ちは痛いほどわかるよ。生きているあたし達が、今を何とかしてあげないとね』
 ――いつも前向きで、人の心情に立ってその気持ちを汲んでくれた。
『優しいね、やっぱり愛里だ、アンタ』
 ――こんな不思議な事態に見舞われた愛里を信じてくれた。
『見てみたいな、二人が普通に話してるとこ、さ』
 ――それはきっと、もう少しで実現するはずだったのに。

 重い音とともにふくよかな体が転がり、体格以外に泉美と判別できる材料を持たない屍が愛里の足元で地面を赤く染め始めた。それは愛里の中の激情の炎が燃え上がりゆく様を象徴しているようだった。

退場者 水戸泉美(女子8番) 残り10人


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