BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


36

 衝撃と、喪失感と、悲哀と、感情の潮が引いた心の砂浜に残っていたもの。きっと生涯初であろう、禍々しいまでの激しい殺意が桃園愛里(女子10番)の胸中で渦巻いていた。
 唯一無二の大親友、水戸泉美(女子8番)を屍とすら呼べない塊に変えた槇村彰(男子10番)を許せる理由は見当たらなかった。親友を失い、その命を奪った仇敵が、今度は愛里を殺すべく眼前に立ち塞がっているのだ。”逃げる”などと、あってない選択肢だ。唯一つの肢は宿命とも言えたかもしれない。

 全ての過程を省き、そこに暴力という結果があった。それほど衝動的で、虚を突いた一撃だったのだろう。愛里の激情の鉄拳を受けた彰が膝を突いて倒れ、その手からハンマーが離れた。
「あああああ!」
 その体が本来中原泰天(男子7番)のものではない事も忘れ、恵まれた体躯で幾度も彰の体を蹴り付け、踏み付けた。怒りに任せて、帰らない泉美の命を悼んで、そして、無力だった自分を嘆きながら。
 しかし、喧嘩の経験がない愛里の前で現実は非情だった。単調な愛里の攻撃は巧妙に防がれ、遂に彰が愛里の右足を掴む。そのままハンマー宜しく振り回し――今度は愛里が地面へと叩きつけられた。
「うわあああ!」
 絶叫しながら立ち上がった愛里の視線の先で、彰が得物のハンマーではなく、泉美が手放した自動拳銃パラ オーディナンス P14−45――本来、愛里のものだ――を拾い上げるのが見えた。我を失った結果がこれだ。先程、彰を殴ってから自分が取り戻す事も可能だった武器を、むざむざと彼の手に渡してしまった。
 自らの短絡的な思慮に唇を噛んだ。泉美の魂がここに留まっているなら、悲鳴混じりに両手で目を覆っている事だろう。死んでからも泉美に心配をかけっ放しだ。
「――あ」
 彰は歪んだ表情でオーディナンスの銃口を愛里へと突きつけた。泰天は親友に裏切られ、愛里は支給品に牙を剥かれた。何て皮肉にシンクロしたカップルだろうか、ともかく。怒りが醒めた愛里に絶望が去来する。つい数分前はあんなに希望に溢れていたというのに。
 悔しかった。冷たい野心に希望を否定される事もそうだし、泰天に会えず命潰える事もそうだし、希望を多く抱いていたからこそ、反動が生む絶望は大きい。けれどせめて、彼だけでも倒したかった。
 泰天の戻る体は消してしまうけれど、せめて自分の体で生き残り、第二の人生を生きて欲しい。それは半分、愛里自身が生き続けている気がした。そう思うと少しだけ救われた。


 ――愛里が駆け出したのと、銃声が響いたのは同時だった。


 突然変化した眼前の映像を前に、思わず愛里は足を止めてしまった。待ち望み続けた光景に、無意識に目から涙が溢れた。そして、彼でもあり彼女とも呼べる、最も愛しいその人物の名前を叫んだ。
「泰天君!」
 本来自分の体である小柄な少女が、背後から彰の右手を頭上へと蹴り上げていた。煙を上げる銃は回転しながら高く虚空を泳いでいる。振り返った彰の顔を泰天が掴み、容赦など微塵もない膝蹴りを顎へと放った。耳を覆いたくなるようなえぐい音が響き、彰が膝を沈める。自分の体が彰をダウンさせた光景がとても非現実的で、ただ驚嘆した。
 泰天は彰を飛び越え、同時に銃を空中で掴んでから愛里の前へと着地した。
「話は後だ、逃げるぞ!」
 彰を一瞥してから泰天が、渋い表情で言った。愛里の身を案じている事もあるだろうし、一方で彼を野放しにする事の危険を理解しながら彼を殺す事への躊躇いを生じさせているのだろう。激情の残渣がじわりと蠢いたけれど、それを抑えて頷いた。俊足同士、スタートは同時だった。
 彰の顎は相当深手だったのか、彼が追ってくる気配はなかった。

 さっきまで泉美と留まっていた茶屋奥の木々深い山肌(B−1)で、愛里と泰天は腰を下ろした。何とも濃密な数分だった。その数分が、取り返しのつかない現実へと繋がってしまった。
 泰天も転がっていた亡骸の正体を体格で察したのか、嗚咽を漏らす愛里に何も訊かず、背中を撫で続けてくれた。涙が止まるまで数分だったのか、数十分だったのか、ようやく愛里は落ち着きを取り戻した。
「泰天君、ずっと一人だったの?」
「ああ、まあ、ほとんどそんな感じだったな」
 続いて泰天は、彰や古谷一臣(男子9番)に襲われた事や、綾瀬澪奈(女子1番)に出会った事、美濃部達也(男子11番)と一度は合流に失敗したが、山本彩葉(女子11番)との交戦で助力した事から信用を得る事ができた事などを話してくれた。応じて愛里もここまでの経緯を説明した。
「そっか。綾瀬は山本に……。しかも六波羅達もなんて、容赦ねえな、あいつ。……だけど、本当に悪かった。俺がもう少し早く来られれば水戸は……」
「ううん、悪いのは私」
 愛里は泰天の謝罪に首を振った。こんな恵まれた体躯を借りていながら、動きを止めた時間があった。意識を奪われた時間があった。泉美は助けられる未来があったはずだったのだ。六波羅舞花(女子12番)を失いながら、この学習能力も危機感もない自分の意識は情けなくてたまらない。
「悪いのは……私……!」
 二度に渡って親友を失い、もう後はない。最愛の恋人であり、今は自分の体を貸している相手である泰天と、きっと明日を手に入れてみせる。愛里は一際強い決意を胸に刻み付けた。
「泰天君は、絶対に守るから……!」
 愛里の言葉を聞いている泰天の顔が、不思議そうな面持ちになっていた。愛里らしからぬ言葉に戸惑っているのか
、しかしそれもすぐに普段の表情へと戻り、見慣れた微笑みが生まれた。同じ笑顔でも、中身が異なると随分と印象が異なるものだ、と思った。
「俺も愛里を死なせねえよ」
 その姿は確かに愛里のものだったが――ただ、青いバンダナを巻いているのは彼のオリジナルだ――、自分のものである口から放たれた言葉は、とても頼もしく感じた。

「さて、移動するか」
 おもむろに泰天が立ち上がり、それで愛里は訊いた。
「どこへ?」
「達也と合流するんだよ」
 それで泰天が達也の信用を得ていながら一緒にいない事に気付いた。どうやら時間を指定して待ち合わせをしているか、どこかに待たせているかしているようだ。
「美濃部君は体の事、知ってるの?」
「ああ、説明は面倒だし、愛里は愛里って事にしてるよ。悪いけど、そういう風に振舞ってくれるか?」
 申し訳なさそうに笑いながら泰天が言い、愛里は苦笑混じりに頷いた。”入れ替わり”の事を理解してもらえるよう努め続けた愛里とは逆に、泰天はここまでずっと真相を隠し通してきたそうだ。どちらが正しいかはわからない。何せこの世でおそらく実例が皆無であろう現象なのだ。
「じゃあ、行こう。泰天君」
「言われなくても」
 愛里はもう一人の自分の頼もしい背中を眺めながら、生還を強く誓った。勿論、泰天と共に在る日常へと繋がる生還を。今は亡き親友達と約束していた未来へと繋がる生還の姿を。

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