BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


39

 中村エリカ(女子6番)は、深海卓巳(男子5番)と一仕事終えたところで本部そばの森林(G−3)へと戻り、軽い休憩に入った。収穫は不動麻美(女子7番)と杜綱祐樹(男子12番)、そして橋本哲也(男子8番)の亡骸から回収した携帯電話だった。
 遺品集めというのは趣味が悪いが、脱出作戦の為には必要な道具だったのでそこは割り切って頂く事にした。彼らもきっと、自身を死に追い遣った戦闘実験の崩壊、そして政府への鉄槌を望んでいるはずだ。

 地面に携帯電話を並べると、それぞれの個性が見てとれた。哲也の携帯は何かのキャラのストラップが付いたごく普通のもの、麻美は飾りっ気のない通話に徹したもので、金持ちの祐樹はTV液晶付きの携帯だ。卓巳は銀色が映えるメタリック調で、一番派手なのは他ならぬエリカのデコ電だった。自身を言葉で飾れないエリカは、会話にも用いる携帯を見栄え良く拘っていた。
「綺麗だよね、中村さんの携帯」
 エリカは卓巳の言葉に、携帯を胸元で翳しながら微笑んだ。木漏れ日の中で亜麻色の髪がたゆたい、ゆっくりと横に流れる。何かのCMのような光景だな、と思った。
「――綺麗な中村さんに、よく似合ってるよ」
 面識の少ない彼にそう言われると面映かった。エリカが端正な顔立ちを高く評価されて、幼年期にCMやチラシのモデルをしていた事は彼はきっと知らないだろう。その思い出は中村家の隆盛期を司り、声を持っていた頃のエリカの亡霊として今も胸の内に憑りついていた。
「あ、変な意味で言ったわけじゃないよ?」
 顔色を暗くしたエリカを察した卓巳に、笑いながら軽く首を振った。卓巳が素直にエリカを褒めてくれた事は理解している。しかし、その評価はかつてエリカの家を崩壊に導いた。

 これからの行う”脱出計画”もそうだ。希望、夢。明るい要素の裏にはその大きさに比例する闇がある。嫌というほどそれを見たエリカは、膨れた不安が弾けないか、それがとても心配だった。
 後ろ向きな心は、きっと生涯エリカを苦しめるのだろう。
 ボクシング界の若いホープだった兄・中村満。そして子役ながら将来への有望さを垣間見せていたモデルの卵・エリカ。兄の破滅こそが、エリカが言葉を失った事に深く起因していた。

 その日、その試合は兄にとって大きな飛躍を懸けた試合だった。日本王者に王手をかけるべく行われた試合、兄の状態は良好で、小気味良いジャブと思い切りのよいストレートは、瞬く間に相手の足を地に着かせなくした。町内を上げて駆けつけた応援団も存分に盛り上がり、疑う余地のない勝利ムードにリング周辺は包まれた。
「お兄ちゃん、決めちゃえ!」
 エリカの声に応じたのか、あくまで満の意思だったのか、わからない。とにかく、この試合最高の満のストレートがその時放たれ、しかしそれは成す術なく拙いガードをした相手の肘の先端に突き刺さった。
 たくさんの悲鳴の中で、砕けた拳を押さえる満の顔に相手の拳が刺さり――

 ぱきん、という音。マウスピースがライトの下で舞い、赤い飛沫も舞い、最後にタオルが、意識を失った満の顔に被さってゴングが鳴った。説得力充分な”アンラッキーパンチ”だった。
 罪の意識が脳を締め付け、エリカもまた兄を追うように頭を抱えて倒れた。歓声に掻き消された絶叫は、いつから形を失っていたのかわからない。病院で覚醒した時、戻らない兄と声の事を知った。
 崩壊は留まらず、ジムの破綻、父の自殺と中村家に続く不幸を前にエリカは運命を憎んだ。罪なき罰に何の正当さがあるのか。何を以って家族は陥れられねばならなかったのか。これが満ち足りた時と希望溢れた日々の代償なら、そんなものは要らなかった。
 エリカを辛うじて留めたのは残された母の存在だった。こんなくそったれな世の中でも、まだ支え合う存在が居る。それが時間こそかかったけれど、そして言葉は戻らなかったけれど、エリカを普通の少女として甦らせてくれた。
 再び正常に動き始めた時計は、程なく二度目の、深刻な故障を起こした。今度は戦闘実験。不運ではなく必然的な悪意だ。今度こそは守る。自分の存在を、未来を、この理不尽な定めから。

 目を瞑ると、よく見る夢の光景がそこにあった。漆黒をただひたすらに駆ける、亜麻色の髪の少女の背中。その瞳から散った雫が闇を泳いで溶けていく。
 あの頃へ戻りたい、やり直したい、エリカの深層の欠片はまだあの時を彷徨っているのだろう。もう一人のエリカが光溢れる場所へと、こちらを向いて走れるようになるには、やはり不幸の連鎖をここで断ち切るしかないという事なのだろう。長い不運が終焉を前に、最後の抵抗をしているように思えた。
 今度はリングの下ではない。それをリングの上で迎え撃つのだ。


 ――もうあたしは、運命に無力な傍観者なんかじゃない。


「大丈夫? 顔色悪いけど」
 卓巳が顔を覗き込んでいた。知的さを匂わせる眼鏡の奥の瞳が心配そうに曇っている。エリカは広げた両手を振って笑った。晴れない彼の顔。エリカのそれは悲しい笑顔だな、と映ったのかもしれない。
 エリカは少し汚れた白い指を携帯に滑らせ、卓巳へと見せた。
『この国ってバッカみたいな事ばかりだね↓』
「……全くだよ」
 卓巳の顔が、エリカのように暗く歪んだ。エリカが全てを語っていないように、卓巳もまた傷を負った者なのかもしれないと思った。90の安心と10の不安、かりそめの安寧に騙される人々の影で、10%の被害者が消えない悲しみを背負っている。それがこの大東亜共和国だ。
「俺の親父さ、政府の人間なんだ。しかも戦闘実験関係の」
 突然の告白に、エリカは大きな瞳をより強く見開いた。
「知ってたのかな、この事。……知ってたかもな」
 エリカは言葉を失っていた――そもそも話せないのだが――が、我に返ると卓巳の前で首を振った。崩壊してもなお、エリカにとって家族は温かく尊い存在であったし、その家族が彼を見捨てるなど、自分の境遇と照らし合わせて想像したくもなかった。
 卓巳が少し顔を伏せて、更に続けた。
「兄貴、二人とも優秀でさ。俺くらいいなくたって――」


 ――乾いた音が森の中で響いた。


 腫れた頬を抑える卓巳の前で、エリカはまだ赤いままの右手で携帯に文字を打ち込み始めた。感情の箍が外れかけたために喉が詰まり、携帯を握る手が小刻みに震える。その間も激しく首を振っていた。
 これは自分の価値観の押し付けだろうか。けれど、我慢できなかった。理不尽な不幸を受け容れるなんて、到底許容できなかった。そんなのは弄ばれているに過ぎない。親が子に責任を持つように、神が人間を無責任に不幸へと陥れる権利なんてないと思った。
『二度とそんな事、考えないで!』
 激情で頬を紅潮させたまま、卓巳の前に携帯を突きつけた。卓巳は別段気分を害した様子はなく、一つ頷くと携帯をエリカへと差し戻した。彼もまた、エリカの持つ暗い部分を察したのだろう。更に自分の少し軽率だった考えを省みたのかもしれない。
「確かめるよ。――生きて戻って」
 自虐的に口元を歪め、卓巳が言った。”生きて戻る”。その言葉がとても重く、希望の反動が及ぼす絶望にまた怯えそうになったけれど、迷いを捨てた分、少し正面から向き合えそうだった。
『深海君、叩いてごめん』
「いいよ、大丈夫。……うん、大丈夫」
 携帯を打ち直して見せた文字に、卓巳は笑顔で頷いた。少し肩の荷が下りたような、そんな安堵の色があった。エリカのように不安が和らいだのだろうか。

 未来を紡ぐ運命との大一番は、すぐそこに迫っていた。


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