BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


40

 川沿いにある団体食堂の座室で、井口政志(男子1番)は腰を下ろしていた。死屍累々の戦場の中で、心の拠り所だった不動麻美(女子7番)も失い、回復するかもわからない疲れた心を休めていた。
 勿論、仲間の事は気がかりだった。しかも古谷一臣(男子9番)を除いて全員が、この段階で生存している。けれど合流する事はとても怖かった。『中原泰天(男子7番)達を探さないのか』と訊いた麻美に政志は『奴は桃園愛里(女子10番)を探してるだろうし、間に入って邪魔をしたくない』と答えたけど、理由はそれだけではない。
 例えば麻美と合流できたならば、そして何らかの間違いで二人だけが残る事となったならば、政志は麻美の未来への礎となって幕を下ろすつもりだった。それは対象が一人だからこそ可能だったのだ。

 出発時はこの戦いを止める方向も考えたし、仲間も集めたかった。けれど後藤雅彦(男子3番)や、仲間である槇村彰(男子10番)に襲われる中で、それはとても恐ろしい事で、危険な理想論なのだと考えた。
 けれどせめて、麻美だけでも助けたかった。初恋の相手に殺されるならば仕方ないと思ったし、その為に死ぬ事も厭わないと思った。

 政志はやや軽薄そうではあったが美形な顔立ちで、それで女子にも受けは良かった。しかし政志には、女子達が政志に向けている気持ちを恋愛感情だとは思わなかった。
 ”憧れ”。それは決して欲望的な鮮烈なものではなく、あくまで鑑賞に留めるような一種むず痒いものに思えた。それは政志の表面を擦るだけで、心の内面を揺り動かしはしなかった。
 そもそも政志は情けや憧れという感情こそあれど、恋愛感情をつい最近まで抱いた事がなかった。心の成熟が遅れていたのか、単に出会いが遅れたのかともかく、どこか闇を抱えた佇まいの麻美に、政志は胸を鷲掴みにされるような強い感情を覚えた。それは政志の恋愛の始まりだった。

 麻美を意識し始めてから、周囲には『政志は少し変わった』と言われる事が多くなった。指摘する人々の様子を見れば、それは”良い意味で”なのだとわかった。人の痛みを知る事で人は優しくなれるというけれど、気安く接する事ができない雰囲気を醸し出す麻美を前に胸を痛める政志は、そういう部分で少し、これまで無意識に傷付けてしまっていたかもしれない女子などへの接し方が変えたのかもしれない。
『……ほな。もう会わん事願うわ、本気で。あたしと井口、合わんし』
 最初に遭遇した際、麻美はそう言って政志を突き放した。
 本当にそうだろうか、政志と麻美は相容れない存在だったのだろうか。彼女の抱えた闇は、政志が支えても消せないほど重かったのだろうか。麻美には、復讐の末の死という道しかなかったのだろうか。
 全てが終わった後にこそ、人は後悔する。麻美の背中を見送った時には割り切ったはずだったのに。麻美の為に命が惜しくないのなら、銃口を前にしたあの時、死を顧みず麻美を止めるべきだったのではないか。
 けれど麻美はもういない。冷たい現実だけが横たわっている。

 こうなった今、自分は自分の戦いにどう区切りを付けるべきなのか。麻美と杜綱祐樹(男子12番)の亡骸から二丁の拳銃と手榴弾を獲得し、優勝を狙えるだけの装備を一応有してはいるが――もう、全てに疲れていた。
 男に走り亭主を捨てた母――これが政志の恋愛観に影響を与えたならば、皮肉が過ぎる――は、もう政志など重荷に感じている気がした。兄弟はいない。政志にとって自宅は、生活する中で定期的に経由する箱庭に過ぎなかった。
 誰の足枷にもなりたくない。頼られても守れる自信がない。期待も失望も要らない。誰の死ぬ姿も、誰の殺意に満ちた姿も見たくない。何より優勝に近付くにつれて自分、もしくは仲間の心が揺らぐ可能性も考えると、ここから動きたくなかった。

 ふと、人の気配を感じて顔を上げた。軍刀を手にした山本彩葉(女子11番)が食堂の軒先で政志を眺めていた。彼女も随分と修羅場を潜ったのか、白のブレザーが随分と汚れていた。
「お邪魔しても宜しいでしょう?」
「……ああ、好きにしなよ」
 政志は掠れた喉で素っ気なく答えた。彩葉は上品な仕草で一礼すると、政志同様に土足で座敷へと上がってきた。顔立ちは麻美に似ている彩葉だが、雰囲気はまるで違う。畏まり過ぎる彩葉の佇まいこそ、政志と”相容れない”と思えた。
 彩葉は政志の前で腰を下ろすと、膝を崩して嘆息した。彩葉もかなりお疲れのようだ。よく見れば赤茶けた汚れの中には明らかに血と窺えるものがあった。視線に気付いた彩葉が顔を暗くして弁明する。
「これですか? 綾瀬さんに襲われた時に、あたし、斬ってしまって……」
 彩葉が声を震えさせながら話した。綾瀬澪奈(女子1番)とは序盤で政志も遭遇している。あの時彼女は雅彦を瞬く間に射殺してみせた。
『真っ赤な殺意が見えたの。それだけで充分なの』
 澪奈はその言葉を置き土産に立ち去っていった。確かに雅彦の殺意は佇まいから存分に窺えた。けれど彩葉はどうだろう。澪奈は彩奈に殺意が見えたのだろうか。少なくとも澪奈は政志に殺意は見せなかったし、利用するなら合流を提案してきたはずだ。彩奈の発言にはどこか違和感があった。

 危険な予感がしたが、失意の中でそれは政志の胸を微かに動かすだけだった。
 結果、突然膝立ちになって刀を振るった彩葉への対応が遅れてしまった。

 焼けるような喉の痛みに身を跳ね上げ、修羅の形相に変化した彩葉を見た。彩葉は制服同様に汚れた刀身を眼前で横に引き、そこへ指を這わせている。
「随分と疲れたみたいね。総統陛下の名の下に、一振りで楽にしてやる」
「お前もかよ。お前も殺し合いに加わったのかよ」
 ふつふつと、しかし着実に怒りが戻ってきた。麻美を殺したのは祐樹の殺意であり、この戦闘実験だった。麻美が死んでなお、その殺意を懲りずに振り撒く輩がいる。
「殺し合いだと? 口を慎め! 全ては総統陛下の崇高な意向だ!」
 黒髪を振り乱して彩葉が咆えた。その目には一片の迷いもない。この国で育った人間にはこういった盲目的崇拝主義者はいるが、彩葉のそれは相当に根が深いようだ。
「総統の意向に従ってこそ、この国の恩恵を受ける権利がある!」
 毅然とした様子で彩葉が続けた。罪の意識など微塵も窺えない。これは彩葉なりの正義という事か。しかし、あまりにも人命を軽んじた行為は納得できない。価値観の衝突は無限の悪循環を生むだろうけれど、それでも政志は引けなかった。
「お前みたいな奴らがいるから不動が死なないといけなかったんだ!」
「お前も非国民か!」
 二人が動いたのは同時だったが、懐から銃を抜いた政志は出会い頭に手の甲を斬りつけられ、その鋭利な痛みで銃を落とした。間髪入れずに第二撃が襲ってきたが、横っとびでかわす。迷いのない太刀筋が改めて明確な殺意を感じ取らせた。
 横へと転がりながらも政志は、逆の懐から麻美の形見であるS&W M39を抜き出した。躊躇いはあるけれど、それでも、銃口を彩葉へと向けた――はずだった。
 視界の正面、政志のFNハイパワーを構えた彩葉が立っており、発砲音とともに政志の視界が縦に揺れ、腹部に強烈な衝撃を受けて後方へとその身を滑らせる。細くえげつない衝撃は背中へと突き抜けていった。


 ――撃たれた!


 被弾を察した政志は、身を翻して軒先へと走った。体が本格的に壊れる前に逃げなければ――。どこへ? どんな意味を抱えて? わからない。運命に尻を叩かれるようにひた走った。背後からは発砲音が数発届いたけれど、彩葉が銃撃に拘った事が功を奏し、やがて政志の背後から彩葉の気配は消えた。

 長屋の一軒、その陰に身を隠して政志は腹部に手を当てた。戻した手の平は真っ赤に染まっており、速い脈動が命の危険を知らせていた。鉛玉に貫かれた場所がとにかく熱い。思い出したように気だるさも戻ってきた。
 病院があればともかく、これは治療しない限り時間の問題のようだ。麻美と祐樹の修羅場に乱入して生還した政志はてっきり死神に嫌われているかと思ったが、死神は焦らし屋だったらしい。
 荒い息を吐きながら、眩しい空を眺めた。こんな晴れ渡った日に、太陽の下で死ぬ事になるとは。空とは不似合いな自分の壊れた体に自嘲の笑みを浮かべた。

 さて、いよいよ時間がない。このまま静かに孤独に力尽きるのも幕切れとしては悪くはないけれど、もう少し、余力の限り歩いてみるのも悪くないと思った。


――最後なんだから、無茶してみてもいいだろ?


 政志は力を振り絞って歩いた。太陽の下で寒気を覚えながら、それでも額に汗をかきながら、重くなった足を引きずりながら、内臓が腹部で不快な音を立てていたけれど、それでも。
『何故山に登るのか』と聞かれたある登山家は『そこに山があるからさ』と答えたという。ならばこれは『そこに命があるからさ』というべきか。衝動という原動力が燃え尽きるまで、ただひたすらに歩いた。
 やがて政志は人知れず、土壌の上に倒れた。 


残り10人


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