BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


41

 食堂から出た山本彩葉(女子11番)は、血に濡れた刀身をハンカチで拭くと、それを鞘に収めて微笑んだ。新たな得物――自動拳銃FN ハイパワーと手榴弾――これは座敷に置かれたままだった――を手に入れ、更に井口政志(男子1番)にも致命傷を与えた。栄光の優勝まではあと少しの努力で到達する。全ては順調に進んでいた。
 長い黒髪が美しく、細身の柔肌を持った彩葉は過酷な戦場にはそぐわない佇まいではあったけれど、その心には誰よりも色濃い大東亜国民の血が通っていた。 

 この国は上手く回っている。そして実に、一つの形として完成されている。
 それは彩葉とて一部に多少の不満はあった。同じ戦闘実験で国の為に崇高な意思を掲げて戦った生徒もいるだろうし、その死には悼み、そういった尊い生徒が減る事には悲しさを常々覚えていた。
 けれどこの小さな島国が円滑に平和に、そして他国に強く接して準鎖国を維持できているのには、こういった実験も含めたあれこれが絶妙なバランスで組み込まれているからで、ひいては総統陛下への絶対的忠誠がそのバランスを揺るぎなきものにしていると考えていた。
 大東亜の弱さを、その弱さが成り立たせている奇跡を、知らない人が多過ぎるのだ。この程度の犠牲で済む有難さを顧みずに頭でっかちに囀る鳥頭の何と多い事か。

 クラスメイトの国に対する不遜ぶりには日頃から辟易していた。身を削りながら戦闘実験はじめ様々な催しを行っている政府の方々に対して、やれ『死んでもあんな仕事はしない』だの『政府の連中は人捨ててるだの』、思い出すだけで腹立たしい言葉、言葉。
 政府の方々があってこそ今の平穏があり、生徒達の愚痴は所謂、彼女の収入で養われるヒモの言い訳や我侭と変わりないな、と思った。無知と無能は死に至る病、ならば死して已む無しだ。
 この戦闘実験は彩葉に課せられた使命なのだと思った。彩はただ一人、政府を心より愛する者として教室に在った意味も理解した。自分は総統陛下の命を受けた粛清の使徒なのだ。
 それはペットボトルの蓋――和田夏子(担当教官)のフィギュアだった――からも裏付けされていた。ペナルティ生徒としての指名。これは正直、蛇足だった。3人と言わず、可能ならば5人でも10人でも血の粛清を施すつもりだったし、ここまでの運命が既に生還を示唆してくれていたからだ。
「お父様、彩葉の戦いを見守ってて下さい」
 彩葉は軽く瞑目して、ぽつりと呟いた。

 軍人の父親は彩香の憧れであり大東亜民の鑑だった。週に一度、自宅の道場で行われる剣道の時間が精神の修練の場であり、多忙な父との貴重なふれあいの場でもあった。
『彩葉、強くなりなさい。女だから、という事はなく、大切な人、大好きな人、全てを守れるように。お父さんがママや彩葉を守るように』
『はい、お父様!』
 彩葉の父親は立派な人だった。軍人というだけで後ろ指を世間から指される事もあったけれど、そんな事は気にせず毅然としていた。大多数の世間を醜いと思い、妬みに負けない父を誇った。ゆくゆくは立派な女性軍人として政府の礎となりたい、そう考えていた。否、今も考えている。
 父親は演習中の事故で不幸にも命を落とした。生前の功績が認められてそれなりのお金は入ったけれど、決して生涯を楽に過ごせるような額ではない。母親は父親の死から、身を粉にして彩葉を育ててくれた。優勝すれば生涯の生活保障も貰えるし、それで母親も楽になる。父親も天国で喜んでくれるだろう。
 だから、非国民達の”人殺し”という罵りも心の枷にはならなかった。出来損ないの排除など、食用に鶏を捌く程度の事と割り切ればいいのだ。
 遠藤真紀(女子2番)や六波羅舞花(女子12番)が魂を失った姿を見た時は、その見慣れぬ傷ましい姿に少し蒼褪めたけれど、慣れるしかなかった。軍人志望者が亡骸にうろたえてどうする。これは、試練だ。

 この戦いももう折り返しを越え、夜には終わるかもしれない。翌日には温かい我が家へと戻り、母親が作ってくれる食事――ああ、トン汁が食べたい。七味を振ったそれが彩葉は大好きだった――を採り、それから父の遺影に手を合わせて『辛かったけど頑張ってきたよ』と告げるのだ。
 そんな事を考えたからか、ぐうっとお腹が鳴った。井口政志(男子1番)が残していったディパックに菓子パンが残っていたし、食事をしようと川沿いの道を見回した時、ショートカットの女子生徒の姿が飛び込んできた。

 両手に木刀を握った――二刀流だ。漫画じゃないんだから――凛々しい佇まいで宮本真理(女子9番)が彩葉を見ていた。真理とは親しくこそないが、政府に対する批判を聞いた記憶はない。いずれにせよ、戦闘実験の覇を争う相手として倒すだけだが。
 彼女は彩葉に関してどれだけ知っているだろうか。彩葉の殺意を知っている人間の中で、桃園愛里(女子10番)と水戸泉美(女子8番)は真理と親しい。しかし会えば一緒に行動しているだろうし、とすれば得意の”猫被り戦法”は有効かもしれない。
 いや、他の誰に会っているかわからないし、ここまでの殺害の瞬間をどこかで目撃されている可能性もある。何より自分には今、銃まであるのだ。ここは正面から襲って問題ない気がする。
「遠藤と六波羅を殺して、桃園と水戸まで襲ったらしいわね」
 彩葉が動くより先に真理が聞いてきた。口ぶりからするに泉美から聞いたようだが、ならば何故別行動をしているのだろうか。そして愛里の名前も気になった。泉美が一緒にいたのは中原泰天(男子7番)だったはずだが――確かにその後、愛里も襲ったが――。両方に会ったのだろうか。
 軽く悩んでから、まあどうでも良いな、と思った。思った時には奪ったばかりのFN ハイパワーを真理へと向けたが、真理が身を反らせて首を誇示していた事でその手を止めた。
「これ、見えるでしょ?」
 真理の細い首に巻き付いた銀の首輪、その脇に付属された小さな金属の小箱が目に入った。この箱は真理の支給品で”氷雨”という名なのだが、それはともかく。
「銃で私を殺したら、貴方も一緒に爆死するわよ」
「どういう意味?」
 もう彩葉は本性を隠さず、餓えた獣のような眼光で真理を睨み付けていた。
「これを首輪に付けた人が死んだ時、半径2.5メートル以内に誰か他の生存者がいないと……」
 そう言った真理が、木刀を握ったまま地面を指差して続けた。
「そのエリアにいる全員の首が爆破されるわ」
 彩葉は思わず引き金にかけた指をはずした。つまりそれは、銃で彼女を殺せば自分も道連れにされるという事だ。はったり――には思えない。彩葉は再び考えを巡らせた後に、銃を懐へと戻した。
「まさか御先祖様の真似事で私に勝てると思っていないわよね?」
 彩葉は軍刀を鞘からゆっくりと抜きながら、挑発的に言い放った。真理の先祖は大東亜で最も有名な剣豪という事は聞いていたが、真理自身が剣道を多少嗜むだけの女子中学生のはずだ。負ける道理がない。真理を倒せば残りは多く見積もって9人、念願の一桁到達である。
「そっちこそ」
 挑発が癇に障ったのか、真理が不愉快そうに言った。
「道場剣術で勝てるつもり?」 
 今度は彩葉の頭に血が上る番だった。地面を蹴って身を低く保ち、真理へと駆け出す。
「土に塗れて侮辱を後悔しろ!」
 一閃、二閃と全身を用いて思い切りよく振る軍刀の刃は、真理の木刀で立て続けに弾かれた。漫画のように木刀を真っ二つにできれば有難いがそんな膂力は彩葉にはない。
 突き上げ、そこから振り上げる。身を翻し、力一杯叩き込む。滑らせた足を追うようにして、地面スレスレを払う。その全てが往なされ、かわされ、弾かれる。
 腕前は勿論の事、真剣に動じない胆力が圧倒的だった。努力を努力で相殺され、生まれ持った才能が頭一つ彩葉を凌駕している現実を前に、彩葉は唇を噛み締めた。
 攻めに転じた真理の木刀が胸元を小突き、彩葉はバランスを崩して後退する。そこで彩葉は、空気が狼を形成すような怒涛の気配を覚え、反射的に軍刀でその身を庇った。
「はっ!」
 真理が木刀をX字に交差させたまま、体の捻りで勢いを乗せて打ち下ろしてきた。膂力を補う真理の技”羆の閃き”は刀を圧倒し、刀の峰を持ち主である彩葉の左肩へと食い込ませた。
「あああ!」
 鈍い音と違和感を左肩に覚え、苦悶の表情で彩葉が身を捻らせた。そのまま尻餅を突いたところに、真理が木刀を高く振り上げるのが見えた。
 もう彩葉は手段を選ばず、半ば無意識にM39を抜くと引き金を絞った。轟音と炎は真理の肩を掠め、彼女の体が軽く浮いてから数歩後退した。
 彩葉は身を翻す真理の背中へと、弾切れが起こるまで一心不乱に銃撃を続けた。誇りの象徴だった軍刀は彩葉の靴に踏みつけられていた。真理が視界から消えてから、彩葉はゆっくりと銃口を下ろした。
「畜生、道場剣道風情に、私が、私が!」
 彩葉は地面に銃を叩き付けて叫んだ。血走った目、軋んだ音を立てる口、そして汗で乱れた髪。そこにはおしとやかな深窓の美女・山本彩葉の姿も、尊敬する血を分けた父親の面影さえもなくなっていた。
 
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