BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


42

 脱出作戦の糸口を見出した中原泰天(男子7番)達は、村の北側にある伝統文化劇場(B−4)へとやってきた。艶のあるカラフルな、しかし少しセンスの古い幕を暖簾代わりにした正面口はなるほど、芝居小屋らしい外観に思える。正面は当然の事ながら施錠されており、爆破作戦の要である火薬が劇場内に保管されているとすれば、まずはそれを探さなければならない。
「入り口をどうやって開けるか、だね……」
 現在、見張りを美濃部達也(男子11番)に任せて桃園愛里(女子10番)と一緒に中へと入る術を考えているのだが、あまり手荒な事をすれば比較的小さい規模の会場だけに危険が高い。
「それを使えればなあ……」
 愛里が握る自動拳銃パラ オーディナンスP14−45を見詰めながら眉を寄せた。一発ならば、いや、しかし。悩む時間すら勿体無い。正面と比較して至極地味な横手に回り、従業員専用の味気ないオフィス扉を発見したものの、踏ん切りが付かずにいた。
「けど、ドラマみたいに簡単に壊れるかな?」
 金属製のドアノブを眺めながら言う愛里に、泰天も同感だった。少なくとも一発で事が足りるとは思えない。そもそも鍵穴を撃つべきか、ドアノブの首を壊すべきなのか。
「裏手に回ってみるか」
「うん」
 泰天は愛里と頷き合わせ、建物の裏手に回り――そこで急停止した。後ろから愛里が衝突して前のめりに倒れこむ。裏手は山の斜面に隣接しており、思いっきり土を舐めてしまい唾を吐く。
「ぺっ、ぺっ……」
 それから顔を上げた。誰かが裏口の前でうつ伏せに倒れていた。白いブレザーは疑う余地もなく青葉中学校のものだ。泰天は慎重に歩み寄り、正体を確認するや否や彼――井口政志(男子1番)に駆け寄った。
「た、泰天君、誰?」
「愛里、達也を呼んできてくれ」
 静かに促すと、背後で愛里の足音が遠ざかっていった。泰天は膝を折って地べたに座ると、政志を仰向けにしてその頭を膝に乗せた。まだ息はあるようだが、ブレザーの下が真っ赤に染まっている。
「政志、政志、しっかりしろ!」
 政志の体を揺らしながら、彼のシャツを開いて腹部を見た。脇腹に親指大の窪みがあり、そこから赤い液体がなみなみと溢れ、流れ出していた。深刻な状態だ。出血量一つとっても意識があったら不思議なほどだろう。
 けれど、政志は呼び掛けに答えてきた。
「だ、誰だ……」
「俺だ! 中原、中原泰天だ!」
 政志の汗ばんだ額に張り付いた茶髪を指で脇に寄せると、政志が目を開いて泰天を見た。息も絶え絶えで表情を作る事もしんどい様子だったが、それでも政志は、笑った。
「桃園……か。気を遣うな、よ」
 それで政志が、愛里が泰天のふりをしたと勘違いした事に気付いた。実際は真逆なのだが、この状況では説明するのもうっとおしい。泰天は政志の頬を右手で抑え、諭すように一度だけ言った。
「俺は愛里の姿だけど、泰天だ。いいから信じろ、嘘でもそうだと思え」
「……わかっ、た」
 少し間を置いてから政志が返答し、続いて背後から愛里が達也を連れてきた。達也も政志の傍らへと座り、その表情は泣きそうになっていた。
「マジかよ政志! 何でだよ、誰がこんな事」
「山本、だ……あいつは、やばい」
 政志の口からまたもあの生徒――山本彩葉(女子11番)の名前が出て、泰天は眼光を強めた。泰天、愛里、達也の三人全員を襲い、既に数人の生徒を殺している事が判明している彼女の暴走は、どうやら彼女の死を以ってしか止められないのかもしれない。あの時、彩葉を仕留めていれば――後悔、先に立たずの非情な現実だった。
「畜生、あの時、山本をどうにかしてれば……」
「政志、俺達のせいで、ホントすまねえ!」
 達也は握った拳を自らの膝に叩きつけ、泰天は政志の手を握り、自らの失態を謝罪した。血の抜けた手は入浴した時のように少しふやけており、ひやりと冷たかった。
「気に、すんな。それから……」
 政志は泰天と達也、そして愛里の顔を交互に見ていた。眼球だけを動かしていた、というのが正しいだろうか。彼は愛里が泰天である事を理解しているのか、どちらにせよ二人ともここに居る事実は一緒だ。
「槇村も、やる気、だ……。佐々木と俺が、襲われた……」
 泰天は頷いた。その事も既に承知している。二度に渡って交戦したし、二度目はついさっきの出来事だ。それと、政志の口ぶりから佐々木利哉(男子4番)が比較的安心できそうな事も理解した。優勝が近くなれば心変わりする可能性も否定できなくはないが。
「ポケットに……銃と……ライターが……」
「わかった。もういい、もう、いいから」
 なおも泰天達に情報を提供する政志の肩を両手で抱き、泰天は言った。助ける術がない。泰天はここまで生徒の死に目に遭った事はない――水戸泉美(女子8番)は頭部を砕かれ即死だったし――。初めて拝む死に目が、最も親しい仲間の一人だなんて、残酷過ぎる現実だ。
 涙が零れ、政志の頬に落ちた。透明の筋を描くそれを指で掬い、そのまま手の平を彼の頬に這わせる。仲間内でも特に端麗な顔立ちの政志は、望む望まぬに拘らず女子に好かれていた。本人曰く『不便な顔』は、死を前に見る影もなく落ち込んでいる。この場の誰もが悲痛な気持ちになっていた。
「走るだけ……走って、みるもん、だな」
 息とも声ともつかないか細い声で、政志が呟いた。
「最後に、お前らと、また、会えた」
 苦しそうに一言ずつ、搾り出すように続ける。
「諦める、もん、じゃ……ない、な」
 言い終えるなり、体のネジが抜けたように政志の体が激しく痙攣を始めた。危険な状態である事は一目瞭然だった。痙攣を抑えようと泰天は政志の体をしっかりと抱き抱えた。政志の弱くも熱い息が頬に伝わってくる。
「なあ……胸、当たって、るぞ」
「悪いな、借り物だ」
「何だ、そりゃ……」
 既に政志の笑い声は吐息でしかなかった。最後に政志の元気な姿を見たのは、言わずもがな本部だ。たった半日で、あの元気で不敵でカッコ良かった政志が、こんな姿になってしまうなんて。生徒の亡骸自体は拝んできたが、勝手を知る仲間となれば実感とショックの度合いは違う。
 運命という名の時計の針を戻したい。いや、戻しても結局再び時間はここに戻るのだから、壊したいというのが適切か。時は有限だからこそ価値があるというけれど、政志が死なない未来の為ならば、時に価値なんてなくても良いと思った。時の価値は政志達と作っていけばいいのだから。積み重ねる未来で、常に泰天達だけのサプライズを。
「何もできなくて悪ィ……ホント、悪ィ……」
 政志はもう口を開かなかった。鼓動は消えてはいなかったけれど、いよいよ存在を帰結させる段階へ本格的に足を踏み込んだらしい。誰もが言葉を呑み込んで、彼の最期の瞬間を看取っていた。


 ――俺の膝だけど、女の膝だぜ。最期が女の膝なんて、お前らしいな。


 一瞬、静かな思考でそんな想いが過ぎった。色々と――特に女子絡みで――迷惑をかけられた時もあったけれど、井口政志は最高の親友だった。思いの丈を込めて、一際強く彼の体を抱き締めた時――
 ――急に重くなった彼の体が、彼の魂が抜けた事を実感させた。

 泰天は汗臭い政志の肩に、蒼白になった顔と心を埋めた。コピーされた政志の走馬灯のように、彼との思い出が次々と甦ってくる。一学期の始業式の日、春一番の中を自転車で競争して泰天が土手から転がり落ちた事や、駅前で隣のクラスの女子と揉めていた光景を一臣が写メールして騒いだ事や、喫茶店で寝こけていた政志を店員が起こそうとして低血圧の政志が暴れた事など、政志と泰天が親友だった証明である、そんな諸々。

『走るだけ……走って、みるもん、だな』
『諦める、もん、じゃ……ない、な』

 泰天は顔を政志から離すと、彼を土壌に横たえさせる。懐を探ると、確かに自動拳銃S&W M39が出てきた。ズボンのほうには弾薬の入った箱が、逆のポケットには携帯電話――政志のものではない――が入っており、一応これも取った。政志とはこれで今生の別れとなるだろう。
 名残りが尽きるまで眺めていたかったが、それを政志は望んでいないはずだ。走るだけ走って、終点が明日かあの世かはわからないけれど、最善を尽くす事を決意した。自分達だけでなく、志半ばに散った仲間達にも納得してもらえるように。
 裏口の扉は日陰である事もあって、横手の扉よりも錆びていた。泰天はM39を構えると、ドアノブに照準を定めて引き金を絞った。こもった発砲音が一発、二発、三発。ネジと金属の破片が砕けて舞い落ちる。
 ドアノブを握って手前に引くと、扉の重量の抵抗だけで扉は開いた。
「よし、入ろう」
 愛里は涙でたっぷりと濡れた顔で頷き、達也もまた神妙に頷いた。最後にもう一度だけ政志の亡骸を一瞥してから、泰天は劇場の裏口から中へと進んでいった。


退場者 井口政志(男子1番)
残り9人


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