BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
43
深海卓巳(男子5番)の脱出案は決行を秒読み体勢に控えており、作戦に協力してくれている中村エリカ(女子6番)と一緒に最後の打ち合わせを行っていた。昨夜開始された戦闘実験から既に半日以上が経過しており、参加者は半数をきってしまった。最早、一刻の猶予もない。
当然、この作戦で脱出しても家に帰って変わらぬ日々が再開出来るわけではない。国の実験を潰した犯罪者として余生を追われるわけで、優勝するはずだった生徒には迷惑な話だが――逃げずにこの場に残れば、一応罪には問われないかもしれない。その後、別会場なりで実験再開となるかもしれないが――政府の意向通りに殺戮を行い、汚れて散華するつもりはない。
脇のエリカが携帯から取り外した携帯充電器を懐へと戻し、得物の自動拳銃グリフォン ゴールドを手に取った。やはり顔には緊張の色が浮かんでいる。作戦の成功に不安を感じているのだろう。
ここまで、こんな頼りない作戦に付き合ってくれただけでも感謝したい。はたして作戦は成功するだろうか。どうしても弱気になってしまう。それは無理もない話だ。
卓巳の考案した”ショックウェーブ・パルサー作戦”は、実に突拍子もない発想から生まれた作戦だった。地球と宇宙を隔てる大気圏ではあらゆる物が燃焼するのは周知の通りで、あれは大気が摩擦した摩擦熱により炎上するのだが、それに近い現象が大気圏以外でも多数生じるケースがあった。
例えばこれまで世界で数件発生例がある、SHCこと人体発火現象。アングラネットで以前見た事があるが、約30年前にアメリカのペンシルバニア州での発生を皮切りに、世界各地で突如人が青い炎――赤い炎より高熱を意味している――に包まれて死亡したケースが多々あった。発生は稀だが、これまで生存したケースは皆無だという。
火の気のない場所での発生も多く、原因には学者達も首を捻るばかりだったが、近年これが電磁波が作用した分子の摩擦が作用したものではないかと言われ始め、検証が行われている。これだけで発火が起こるならば当然、携帯電話も怖くて使えないが、余程の分子摩擦がなければ発生はしない。
まずは電磁波が生む文字通り電磁の波紋、その衝突だ。波紋は触れ合う事でよりその波紋を広げ、力ひいては摩擦を倍加させる。そしてこの江戸村の土地で数ヶ月前に起こった自然発火現象、それによって検出された分子が強く摩擦し易い、すなわち発火を促す特殊な粒子の存在。やり方次第では奇跡を起こせるかもしれない。
卓巳は開始間もない頃、携帯で自宅へと電話を試みた。その時、電話口に出たのは家族ではなく和田夏子(担当教官)だった。つまり現在、この会場で電話をかけると全ては本部へと回されてしまうのだ。それを利用して、集めた携帯で本部を囲み、一斉に電話をかけたならば――どうだろう。
エリカはちょっと想像できなかったようで首を傾げた。この時既に、卓巳は説明し易い例えが用意できていた。この作戦が想像通りに運んでくれたなら――
『本部は電子レンジの中で”チン”されたようになるよ』
声こそ出せなかったが、エリカが息を呑んだ。
卓巳とエリカは携帯を2つずつ持ち、それぞれが任意の場所に携帯を配置する。そして午後2時ジャストに電話をかける。後は運を天に任せるのみだ。時刻は午後1時45分、そろそろ決行時間だ。
待ちきれないエリカが立ち上がった。失語症の彼女とは携帯を用いての会話になるので、然程深く切り込んだ会話はしていない。ただ、彼女の只ならぬ過去の片鱗は知る事ができた。彼女の家庭も不幸に彩られており、それは更に政府によって捻じ曲げられてしまった。単に卓巳に協力しているわけではなく、自分の戦いとしてこの作戦に期するものがあるようだ。二つの強い想いは奇跡を導けるのだろうか。
「中村さん、三つの約束、忘れないでね」
それでエリカはこちらを向き、ゆっくりと首肯した。一つ、電話をかけたらすぐに遠ざかる事。二つ、成功したら直ちに打ち合わせた合流場所に急行する事。三つ、もし万が一の事態が生じた時は、自身が作戦に絡んだ事を否定して卓巳に罪を押し付ける事。この危険で自信のない作戦が失敗した時のリスクまでエリカに負わせたくはない。
もう一度だけ携帯を取り出して何かを打ち込んでいるエリカを眺める。こんなとんでもない事に、昨日までは単なる女子中学生だった彼女を巻き込んでいる。それは卓巳も一緒だけれど――は言った。
「この国の大人を、この奇跡で見返してやろう」
対するエリカは携帯の液晶を卓巳の前へと突き出した。
『深海君と会えて本当に良かった^^v』
そこに特別な好意はないだろうけれど、素直に嬉しかった。卓巳も携帯を手に立ち上がり、エリカと目配せをする。それから各々の行く道へと歩き出す。再びエリカを向かい合うのは、作戦を完遂させた後だ。
きっと成功させてみせる、という強い想いが胸にあった。
携帯を定めた場所へと配置した卓巳は、腕時計に目を落とした。作戦実行まで残り5分少々。木々の隙間に本部を臨む土の斜面(F−1)に腰を下ろしながら、ふと父親の事を考えた。
卓巳の父親は政府の戦闘実験関係者で、滅多に家には戻らなかった。この第68番プログラムが中学三年を対象にしていた事もあるのか、父親を含む政府の面々を恨みながら死んでいく生徒達を卓巳に重ねたのだろう、近年では卓巳とろくに顔を会わせる事すらなかった。家族から目を逸らす父親は仕事への依存を加速させた。
汚れ仕事だけに結構給料は良いらしく、生活には困らなかった。ただ、卓巳の心は空虚だった。安定した生活よりも、父親の、人並みの家族の温もりが欲しかった。母親に依存して辛うじてそれを補えたという点では、エリカの家庭と共通した部分があるかもしれない。父親のいなくなった中村家、父親がいないも同然だった深海家、形こそ違えどそういった部分が二人をこの会場で導き会わせたのかもしれない。
この実験にも父親は絡んでいるだろうか。卓巳が選ばれた事を知って父親は、母親は、そして妹の奈美はどう思っただろうか。そしてこれから卓巳の消える深海家はどうなっていくのだろう。
生きてさえいればそれを確かめられる日が訪れるかもしれない。その為には何としても、本部を消し炭に変えてここから脱出する必要がある。山中だけに無事に逃亡を果たせるかも怪しいけれど、それでも。
そこで背後で誰かの気配と微かな物音を感じて振り返る。エリカに不都合が生じたのだろうか。しかしそこには赤黒く汚れた銀色のハンマーを担いだ槇村彰(男子10番)の巨躯が聳え立っていた。間違っても協力を望める人物でない事は、黒目に爛々と蠢く狂気の光が物語っている。よりによって、この最終段階で!
「中村さん、逃げて!」
その声が届いたかはわからないけれど、叫びながら卓巳は斜面の上へと駆け出していた。彰の得物は重そうだし、水泳部の卓巳は見た目よりも身体能力は高い。少し距離を離してから横へと逃げれば、丘を迂回する形で逃げ果せる――はずだった。
「!」
何と、会場と外界を隔てる網が予想以上に早く眼前に出現した。卓巳がいる道の両脇は一段上がった土壌となっており、上っている間に一撃をくらう可能性が高い。選択肢は一つしかないだろう。
卓巳は身を翻すと、下から駆け上がってくる彰を飛び越えるべく――比較的急な斜面だ、いける――下半身に神経を集中させて地面を蹴った。同時に彰も足を止め、ハンマーを縦に振り回してくる。
卓巳の体は彰の体から頭一つ高い場所を越えようとしていたが、そこを下からハンマーが突き上げ、卓巳は前方への推進力を失って真上に浮いた。仰向いて斜面に倒れた卓巳を間髪入れずに彰の第二撃が襲い、視界一杯に血濡れのハンマーが映り込む。
この状況から逃れる術は、ちょっとなさそうだった。願わくばエリカには無事に逃げ果せて欲しい。この作戦が妨害された以上、真っ向から戦い優勝する事となるだろうか。彰はハンマー、エリカは拳銃を持っている。今のうちならば、きっと倒せるはずだ。彼女には未来を紡いで欲しい。卓巳が見られなかった家族の明日を――
形容し難い衝撃を顔面に受けた一瞬の後に、卓巳の意識は消失した。
彰は卓巳の頭部だったものごと土壌にめり込んだハンマーを、目を背けながら引き抜いた。ハンマーの打撃部を横にある土の影に擦り付けてから、肩に担ぎ直す。何度繰り返しても慣れるものではない。彰にも良心の呵責はあったけれど、優勝まではもう少しだ。一気に終わらせる、今はその想いだけだった。
卓巳の胸ポケットを探り、発炎筒――卓巳の支給品だ――を発見する。それを懐に収めながら彼は何をしていたのか考えた。単に潜伏していた様子ではない。それに逃げる際、『中村さん、逃げて!』と叫んでいた。中村エリカも一緒にいたのだろうか。ならば何故、一緒にいなかったのか。
「近くにいるのか……」
彰はハンマーを一度地面に叩きつけてから、やってきた斜面を下っていった。後には脱出を試みた卓巳の残骸が無残に残されているだけだった。直後に丘の下方から発砲音が響いてきたが、魂を手放した卓巳がそれを知るよしもなかった。
退場者 深海卓巳(男子5番)
残り8人