BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
45
突然の雨は、半刻の間激しく江戸村に降り注いだ。その直前には本部近くの丘のほうから銃声が二、三度響いていたが一体、誰が交戦していたのだろう。
中原泰天(男子7番)は、伝統文化劇場(B−4)の横手から神妙な眼つきで丘を眺めていた。この人数まで減っても殺意は勢いを緩める事なく間接的に、時には直接的に泰天達を襲い続ける。それは泰天達だけが勝ち残るまで続くのだろうか。救いのないゲームだと改めて思った。
「泰天君、どう?」
裏口側からの声で首を向けると桃園愛里(女子10番)が顔を覗かせていた。既に空から黒雲は消えていたが、あと二、三時間で陽は沈んでしまいそうだ。
「もう雨の心配はなさそうだな」
濡れた砂利の地面を靴底で擦りながら、笑顔を作ってみせる。火薬は劇場内の小道具の数点で使われており、掻き集める結果となったがある程度の量は確保する事ができた。確か火薬は少量で結構な破壊力を持つというし、あの脆弱そうな本部ならばどうにかなるかもしれない。
愛里の脇から火薬を詰めたディパックを担いだ美濃部達也(男子11番)が姿を現した。一応火薬はビニールに入れて濡らさないように配慮してある。井口政志(男子1番)の遺品である携帯電話型ライターは電源をONにする事で火が出っ放しになるので、火薬をどうにか本部に運べればこれで引火する事ができる。
後はその方法だが、現時点では愛里が考えた手段が最有力だった。
本部は丘の中間地点にある。その更に上方にある木の上に極めて長い糸を数本まとめて結び付け、禁止エリアである本部付近をぐるっと迂回して、糸の片方を持ったまま丘を下り、丘の下方にある木へと結びつける。これで本部の上手と下手に立つ木に結ばれた形で糸が張られたわけだが、この時、張った糸の中間地点が丁度本部の上を通過するようにするのだ。
その後は上手の木へと戻り、火薬の入ったビニール袋を糸に括りつける。携帯電話型ライターは落下時に火薬に触れるよう、袋に固定すればいいだろう。あとはロープウェイ宜しく袋を丘の下へと滑らせ、本部の上に到達した時に上手の木に繋いだ糸を切断する。これで火薬の入ったビニール袋は本部に落下、引火して本部を吹き飛ばしてくれる――はずだ。
さすがに本部の上に糸が張られたら見張りの兵士が訝しむだろう。そこは泰天と愛里が上手で待ち、達也が下手で木に固定したら合図――拳銃が2丁あるのだ、二連発すれば合図として事足りる――を送って即座に実行すれば良い。それにもう少し待てば夜になるし、発見され辛いだろう。
この作戦で必要な糸やビニール袋も既に劇場で確保してある。ここまで達成できたならば、後は運を天に任せるのみだ。和田夏子(担当教官)がハーハー言いながら逃げ回る姿が想像できた。
裏口に残されたままの政志の亡骸に未練を残しながらも、劇場を後にする事とした。生きている人間ができる事は、前に進む事だけだ。心を以って充分、別れの言葉は交わしたはずだ。この会場で最期に出会えた事自体がきっと幸せな事だったのだろう。そして『行ってくれ』と、政志が生きていたならそう声をかけたはずだ。
あらゆる障害を越えて、成し遂げねばならない。眼前で自動拳銃FN ハイパワーを握って立ちはだかる山本彩葉(女子11番)との決着をつけて、ただ一つ、今、泰天達が向かうべき場所を目指す以外に何もない。
「また会ったわね、非国民ども」
不敵に笑う彩葉も随分と憔悴している様子だ。それはお互い様で、緊張を絶やせぬ会場では戦闘をせずとも精神を削られ、疲労困憊していく。泰天達が知る限り、最も多くの生徒を殺害した最大の難問といえる彩葉。この局面で導き会った事に只ならぬ意味を感じた。
「ああ。んで、これが最後の勝負だ」
「もう尻振って逃げるんじゃないわよ」
泰天の台詞に彩葉は鼻を鳴らして憮然と返した。だらんと揺れる左腕は、フェイクなのかそれとも本当に使えなくなったのか、わからない。泰天は背後の愛里へと後ろ手を伸ばして囁いた。
「銃、貸してくれ」
愛里の自動拳銃パラ オーディナンスP14−45を受け取ったのと、彩葉が銃口を持ち上げたのは同時だった。応じて達也も建物の裏手に駆けながら自動拳銃S&W M39を抜き出していた。
「愛里、避難してろ!」
「愛里は貴方でしょ!」
銃声が交差し、二つの銃弾が泰天と彩葉の残像を撃ち抜く。砂利の上で体勢を崩しながらも身を捻り、発砲の反動で痺れる腕で再び彩葉へ銃口を定めた。だらりと揺れる腕と痛みに汗を滲ませた顔が、実際に彼女の左腕が壊れている現実を告げていた。彩葉も忌々しげに銃口を泰天へと向けて睨みつけてきた。
「だらしない彼氏を守って王子様気取り? カッコいいわね!」
彩葉も当然、泰天と愛里の入れ替わりは知らない。今、それは問題ではなかった。呼応して絞られた引き金が、戦闘の続行を告げる。今度は達也も建物の陰から彩葉を狙って発砲した。
泰天の耳元を銃弾が掠めて冷や汗交じりに自嘲したが、彩葉の体はそれよりも大きく揺れた。露出した彼女の太股から赤い鮮血が弾け、瞬く間に右足を染め上げる。顔の中心に凄まじい数の中心線を作り、原型を留めぬ形相で彩葉が銃を乱射した。周囲の砂利が火花とともに弾け飛び、硝煙の香りが濃くなっていく。
「総統陛下! 彩葉をお守り下さい!」
涙。彩葉の顔を伝うそれが、空に放った彼女の叫びが彼女なりの切なる願いである事を象徴していた。政府に心酔し、総統を崇拝する彩葉の軸は思った以上にしっかりしたもので、彼女の育ちが築き上げた一つの正義だったのかもしれない。それでも、この場所で勝利して先へと進む権利は譲れない。泰天には泰天の信じる道があるのだ。その結果が殺し合いというのはあまりに虚しいけれど、それでも。
応じた泰天も弾倉に残った弾を全て排出すべく、彩葉へと引き金を絞り続けた。達也のと泰天のと、どちらの銃弾かはわからない。ただ、彩葉の体が再び大きく揺れて、空撃ち音と一緒に彼女が膝を崩した。痙攣した右手の指から、FN ハイパワーが落ちて砂利の上に沈んだ。
「非国民に、この、私が……!」
今度は軍刀を抜いた彩葉の右肩を、達也の乱射した銃弾の一つが撃ち抜いた。仰向いて倒れる彩葉の手から軍刀が零れ、銃と並んで転がった。勝負あり、だろうか。小柄な体での拳銃連射はさすがに堪え、泰天の両肩もまた麻痺したようにじんじんと疼いていた。
「勝った気になるな、不遜の輩が!」
両腕が死んでもなお、憎悪一色の表情で泰天を見上げる彩葉に戦意の喪失は見られない。M39を構えたまま建物の陰から出てきた達也を手で制し、泰天は彩葉へと一歩、二歩と近付く。彩葉が着弾した血濡れの上体を起こしながら、痛々しくも懸命に叫んだ。
「愚弄するのか、非国民の分際で!」
「……遠藤と、六波羅と、政志と、あと何人、殺したんだよ」
背後を確認し、愛里へとオーディナンスを返しながら訊いた。彩葉は敵意を衰えさせずに、膝立ちになって軍刀の柄を掴んだ。その怪しい輝きは数人の生徒を殺めてなお、色褪せてはいない。まるで彩葉の執念じみた思念が投影されているかのようだ。
「誰を殺した? 忘れたわよ、そんなの」
「六波羅や愛里達はダチじゃねえのかよ!」
追求する泰天に彩葉は軍刀を突きつけようとしたようだったが、右腕が持ち上がらない様子だった。彩葉は一度刀と落とすと、今度は刃先を掴んで刀を立てる。
「育ててくれた国への恩恵を忘れて頭ごなしに実験を否定する輩など、人とすら思ってないわよ!」
口元にある軍刀の柄を咥え、彩葉が震えながら立ち上がった。出血で意識が朦朧としているのか、目はうつろとなっているが、その奥の眼光は陰りなく爛々と輝いている。
「お前達だけでも――殺す!」
刀を咥えた歯の隙間から声を漏らし、彩葉が泰天へと駆け出した。おぼつかない足取りだが、それでも目標目掛けて力強く足を踏み込む姿が、それが彼女の最後の攻撃である事を匂わせていた。
「もう誰も殺させねえぞ!」
泰天は目前まで彩葉をひきつけ、それから全身全霊を込めて身を翻した。小柄な体にまとった目一杯の遠心力を右足に込めて、彩葉のいる場所へと放ち――彩葉の執念ごと彼女の首を刈り取った。派手に彩葉の状態が捩れ、その螺旋に巻き込まれるように膝が地面を扇状に滑ってから、彼女が倒れる。
彩葉の守護神だった軍刀を拾い上げて、泰天が言った。
「もう止めろ、山本。終わったんだ」
それでも彩葉は体を起こした。腕が馬鹿になっているので腹筋の力だけで、脂汗を滲ませながら、普段の綺麗な顔立ちを修羅の形相に歪めて、腹部では銃創から押し出されるように血が溢れ出しているというのに、それでも、愛する大東亜共和国の為に。
「私は、大東亜の、魂……! 私が、負けて、何の、正義が……!」
息を荒げる口からは血が垂れ流されていた。血生臭いけれど、殺戮機械と呼ぶにはあまりにも人間臭い彩葉の姿に切なくなって目を半分伏せる。もう彼女に攻撃する力はない――今度こそ。
「もう、いい」
涙で濡らした顔を持ち上げ、気力を振り絞って立ち上がった彩葉の肩を掴み、泰天は諭すように言った。憎しみとは違う、切実な感情が泰天の中にあった。
「山本さん、もう嫌だよ……こんなの」
泰天の背後からは、彩葉と同じく涙で顔を濡らした愛里――また俺の顔で泣いている。非常に気まずい――が立っていた。喉に詰まった言霊を押し出して、彩葉に凶行の断念を訴えていた。最早圧倒的有利にたっている者とは思えない、懇願の姿だった。
「貴方達、この状況で、私にそんな情けを……!」
肩越しの愛里を眺める彩葉の顔が不自然に歪んだ。憎しみと表現するには何か違う、戸惑いと悲哀の混ざったような印象があった。余程太い心の芯を持っているのか、そしてそれを折られようとして、どういった感情が去来しているのか、正確には窺い知る事はできなかった。
時間にして十数秒ほど経過しただろうか、彩葉が踵を返して泰天達に背を向けた。無防備な背中が、彼女から戦意が消えた事を如実に表していた。彩葉はまるで泰天達などこの場にいないかのように、淡々と前へと足を進めていく。とても寂しそうな背中だった。
「おい、山本」
「私の負けよ。けれど非国民に介錯させるつもりはないわ」
決して親しみのこもった口調ではなかったけれど、戦いから開放された彩葉の声は穏やかに変化していた。ふらつきながらもゆっくりと、着実に歩を進めていく。どこへ向かうつもりなのだろう。
「ついて来なさい。大東亜民らしい最期を見せてあげる」
毅然とした背中には、誰の口も挟ませない静かな威圧感があった。泰天達はいつ力尽きてもおかしくなさそうな彩葉の背中を追って歩き出した。
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