BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


48

 佐々木利哉(男子4番)は長い木刀を手に宮本真理(女子9番)と対峙していた。魅入ってしまいそうな真理の凛々しい顔立ちを、動揺一つせずにじっと見詰める。
 胴着を着けて、竹刀を握っての戦いは部活動で幾度もあったが、こういった互いの祖先を彷彿とさせる武器での戦いは紛れもなく生涯初で、同時に生涯最後となるだろう。未曾有の緊迫感はこの戦いが二人の剣道の歴史の一つの集大成になる事を示唆していた。

 互いの距離を測り、近付くほどに歩幅を縮める。まるでこの時間が終わるのを惜しむように、誰も立ち入れない空間で二人は剣先を突き合わせていた。ただ無心に、記憶を確かめ合う二人。不意に真理が数歩退いて利哉は踏み込みかけたが、真理の剣先が下りたのでその足を止める。にわかに緊張感が緩和して深呼吸をした。
「宮本、どうした?」
「……強くなったよね、副部長」
「そうか? まあ、頑張ってはいるつもりだけど」
 それもこれも真理を降参させるための修練だった。真理に認めて欲しい、それはいつしか利哉が剣の道を邁進する上で最も大きな原動力となっていた。素直な想いほど、混じりっ気のない純粋な成長を促す。
「ずっと羨ましかった」
 思わぬ真理の告白に、目を丸くして彼女を眺めた。ずっと負け続けた利哉が羨ましいとは――しかし冗談や皮肉でそんな事を言う真理でない事は重々承知している。
「副部長は背も高いし、元々の腕力もあたしより高い。何より洗練されたセンスがあるもん。洗練されているから読まれ易いけど、それは工夫でカバーできるし」
 確かに真理の剣技は女性らしからぬ野性的な印象はあった。真理が佐々木家、利哉が宮本家に生まれていれば、と思うと二人の可能性はまた違う方向に開花していた気もする。しかし真理が、無敵の真理が自身にコンプレックスを抱いていたとは意外だった。
「追われる側と追う側だと、追う側のが強いと思う。やっぱり前の人の背中が見えないのは難しいよ。きっとあたし、副部長にもう少しで抜かれてたと思う」
 真理もまた、利哉に日々脅威を感じていたというのか。真理の口調に嘘は見えない。これ以上負けられない利哉同様、勝ち続けなければいけない宮本家の血筋、という点は何となく理解できた。こういった家柄の縛りがなく、一度剣を交えてみたかった。何だかんだで利哉は、そしておそらくは真理も純粋に剣道が好きなのだから。
「宮本……」
「だから、はっきりさせたかった。ここならそれができる」
 利哉はここでようやく頷いた。この会場で行われる戦いには、あらゆるしがらみを気にする必要はない。一人の剣術を愛する者同士として白黒を着ける事ができるのだ。利哉の意を酌んだのではない。真理もまた、利哉との戦いを願いの一つとしてこの会場で利哉を探し続けていたのだ。それが嬉しかった。
「やっぱり俺達、剣士の血筋だな」
「だね」
 利哉と真理は一緒に木刀を構え直し、再び二人の間に静謐な空間が生まれる。勝負は長引かない。集中力を研ぎ澄まし、全身全霊で数太刀交えれば全て終わっている事だろう。激しい胸の昂ぶりを抑え、呼吸を整える。真理も威嚇するように両の木刀をそれぞれ頭上と足元で翳し、先端を静かに打ち鳴らしている。

 ずっと背中を追っていた。ずっと彼女を越えたかった。
 その気持ちをこの太刀に込めて、三年間を込めて打ち抜く。
 利哉は一足飛びで真理に斬りかかった。

 木刀同士とは思えない激しい激突音が数度響き、二人の腕が体ごと仰け反る。縦と横に身を捻らせてもう一太刀、横に薙いだ真理の一撃をかわして利哉が打ちこんだ太刀を、真理がもう一刀で受けた。必殺の距離から一歩退いた間合いで二人が腰だめに木刀を振り上げる。利哉は真理の眼光を捉え、一気に仕掛けた。
「やあっ!」
 勝負に出た真理が頭上で木刀をX字に交差させ、そのまま勢いを乗せて打ち下ろしてきた。膂力を補う真理の技”羆の閃き”が利哉の頭上へと――命中するよりも早く、身を屈めた利哉の突進が真理の体を突き上げていた。
「えっ!?」
 真理の木刀は利哉の背中越しに彼の臀部を打ちすえたが、地に足が付いていない状態の一撃に威力があるはずもなかった。そのまま真理の体は宙を浮いてから着地する。――利哉にとって絶好の間合いだった。
 近接状態の真理には、急遽下方から振り上げられた太刀への反応に対応する術がなかった。利哉の木刀は真理の右脇腹を斜め下から払い、右手の木刀を取り落とさせた。
「痛……ッ!」
 反射的に左手の木刀を振り上げた真理だが、ゆっくりと木刀を下ろして嘆息した。それから片膝を着いてうな垂れた。伏せた顔から笑い声が漏れる。
「あー、負けた。あたしの負け! 副部長の勝ちだよ。最後の最後で負けるなんて悔しいなあ」
「宮本……」
 それで利哉も構えを解き、脱力した。物凄い疲労感だった。激しく磨耗した精神は肉体をも疲弊させるとは。それだけこの戦いが濃密だった証拠なのだろう。
「今の技、副部長が考えたの?」
「ああ、そう。”宵刻の燕”って名前にしたんだけど」
 懐へと切り込んで相手を弾き飛ばし、刀の長さを利用して、宙に浮いた相手を離れ際に打つ利哉の考案した巌流の新技が、同じく真理の考案した二天一流の新技を破る結果になった。それはすなわち利哉が真理を完全に打ち果たしたという事でもあった。
「ああ、逃げ切れなかったなあ。部長の面目丸潰れ……」
 真理が悔しそうに、けれどどこか満足そうに、空を仰いで呟いた。それからゆっくりと前方へ倒れ込み、利哉はそれを受け止める。支える真理の体は汗でびっしょりと濡れていた。そして、真理の背中側は血で真っ赤に染まっていた。たちまち利哉の顔が蒼褪める。
「み、宮本!? こ、これ……!」
 真理の銃創は山本彩葉(女子11番)からの逃走時に被弾した傷なのだが、それを利哉が知るはずもない。真理は精魂尽き果てたのか、消え入りそうな声で言った。
「でも、間に合って……良かった……」
 こんな深刻な傷を負って、それでも利哉との決着の為に利哉を探し続けたというのか。真理の利哉への想いも、それが恋愛感情でなかったにせよ、利哉に負けず強かったのだ。この状態の真理に勝って、勝利を誇れるはずがなかった。なのに負けた真理が何故、満足した顔で――
「宮本! 死ぬなよ! こんなの決着じゃねえだろ! こんなんで勝ったって俺、納得しねえぞ! こんな怪我、治してまたやろうぜ!」
 真理の体を抱き抱え、利哉は言った。ガマの油ではちょっと癒せそうにない。正直、少なくともこの会場で負ってしまえば絶望的な怪我なのは一目瞭然だった。けれどそれでは割り切れない絆があった。級友、部友、友達、そして想い人、真理という大切な存在の、あまりに唐突な消失が受け容れられるはずがなかった。
「自信、持って……。もう後がないから、あたしは本気の本気を出したよ……。出せた……。あたし、今とっても満足してる。手を抜いて負けたら、こんな気持ちに、なってない……」
「何でもいいんだよ! 俺の気が済まないんだよ! やり直しだ!」
 実際、もう勝負はどうでも良かったのかもしれない。真理さえ助かれば、一生彼女に勝てなくても良かった。こんな形で、あらゆる意味での目標である真理を失うなんて。

 
 ――あたし、宮本真理よ。……佐々木、利哉? もしかして君、佐々木って……?
 ――あは、悪いけど御先祖様の顔に泥を濡れないし、負けられないんだ。
 ――部長? あたしが? 佐々木君、妬まない? はは、そう言ってくれると嬉しいかな。
 ――今度は副部長と一緒のクラスなんだ? 楽しい一年になりそうだね!
 ――褒められるのが怖いんだ。貶されるほうが直す場所がわかって安心できるし。
 ――高校になってもそれからも、あたしに勝つまで諦めない? そ、ありがと。

 
 真理との数々の記憶が彼女の台詞を媒体として甦った。死へと誘われる真理を留める術がなく、利哉は真理が倒れないように支える事しかできなかった。彼女もまた利哉を評価して、ある意味尊敬してくれていた。二人が普通の家に生まれていれば人並みに良い関係を気付き、人並みの恋ができただろうか。否、この家柄だったからこそ、利哉と真理は巡り会った。
 宿命に大半を費やした人生に於いて、宮本真理は利哉にとって唯一無二の存在であり、掛け替えのない宝物だった。ありがとうと口にしたかったけれど、それを言えば真理が逝ってしまいそうで言えなかった。その配慮が真理の余命をどれだけ伸ばしたかはわからない、けれど程なくして、無言の抱擁の中で真理の鼓動は静かに停止した。自身で支える力を失った真理の体がずっしりと重くなり、それは実感できたけれど、認めたくない気持ちがなおも利哉に命の抱擁を続けさせた。
 
 突然、後頭部を言語に尽くせぬ激しい衝撃が襲い、利哉は真理を抱いたまま前のめりに倒れ込んだ。倒れた時には派手に脳の内容物を散らしており、真理の後を追っていたのだけれど、利哉は自分が死んだ事すらも理解できなかったに違いない。二つの亡骸を見下ろす槇村彰(男子10番)は、真理が既に死んでいる事を確認すると、直ちに視線を引き剥がして背を向けた。もしもあの世があるならば、二人の好敵手の戦いは何にも束縛されない空の上で新たなる展開を見せるのかもしれない。それは誰の窺い知る事でもないけれど。
 沈みかけた陽は、終幕を迎えつつある実験を象徴しているようにも見えた。


退場者 宮本真理(女子9番)
    佐々木利哉(男子4番) 
残り4人


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