BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


50

 破壊の限りを尽くした。けれどまだ、残っている。
 槇村彰(男子10番)は、ハンマーの握り心地を確認し直してから、両手で大きく横に振った。すぐ横にある立木の幹に押し印が刻まれ、腕の芯に痺れが走る。この狂気によって無残に潰されたクラスメイトの姿が次々と浮かんでは消えた。荒ぶる心を沈めて腰を下ろした。
 正午の放送では残り11人。それから彰が死亡を確認した生徒は5人。うち4人は彰が殺害した生徒だ。多くても6人。先程、北のほうで銃声が鳴っていたし、既に5人以下になった可能性もある。
 
 どうやら中原泰天(男子7番)達との決着は確実に訪れる運命のようだ。彼とその恋人である桃園愛里(女子10番)とは既に遭遇しているが、両方とも取り逃している――大人しかった愛里の挑発的な態度には驚いた。あれが本性なのだろうか――。 
 このハンマーに死を刻み、記憶を刻み、槇村彰という存在に更なる意味を継ぎ足す。それが彰がこの殺し合いに乗じた最大にして唯一の理由だった。

 軽く目を伏せた視界が薄ぼんやりと白く染まっていた。まただ。一つ、二つ、自分の記憶が消えていく感覚を、全身で無抵抗に実感していく。
 自覚したのは昨年の事だった。幼少時の記憶がそこだけすっぽりと抜けている事に気付いていた。最初は単に、昔の事だから忘れたのだ、と思っていた。しかし、違った。つい一週前、つい先日の事まで、記憶が忽然と失われている事に気付いた。虫に食われた葉のように、点々と蝕まれ、失われていく記憶。
 ネットで調べた結果、これは世界でも稀有に存在しうる病気で、”虫食い”の病名の通り、記憶が前触れなく次々と、無限に失われていく病気との事だった。治療の可能性は皆無。病院になど行く気も失せた。

 このまま症状が進行すると自分はどうなってしまうのか。自分の存在すら失われてしまいそうで、表面上こそ普通に振舞っていたけれど恐ろしい毎日だった。大切なものが、唐突に、理不尽に奪われる恐怖。その後に残るのは後悔と無力感と喪失感と――ろくでもない事なのは説明の必要すらない。
 誰とも共有できない苦悩という点が、より彰の心に救いのない葛藤を呼び起こし、負のスパイラルは記憶に関する場所以外でも彼の心を黒く侵食していった。
 そこに降ってわいた戦闘実験。これは天啓か、悪魔の囁きか。彰は前者と捉えた。そもそも稀有の病気こそが悪魔の所業で、それに悩む彰に与えられた境遇が救いでなくて何なのだろう。
 この実験での記憶は強烈に彰へと刻まれる事になる。ショック療法という言葉があるが、屍を乗り越えてこの実験に勝ち残る事こそが、終わりなき悪夢の終焉なのだと確信した。

 穴の空いた記憶は、まだその原型を大きく残している。大半の教師達には嫌われていたけれど、それでも彰達なりに充実した生活だった。彰の心が少し荒んでいたのは家庭や学校への不満というよりは、この国に対する不満からだったし、そういった意味では彰は形ばかりの不良と言えた。
 明るく豪快な性格の泰天、望まずも女たらしの異名を持っていた井口政志(男子1番)、短気だけれど悪いところばかりというわけではない古谷一臣(男子9番)、そして彰達とは似つかわしくないキャラクターだけれど、不思議な縁でつるんでいた美濃部達也(男子11番)。まだ、現在の彰にとって記憶の核といえるその部分は大きく蝕まれてはいない。

 ぞくりと震えを感じた。級友達を殺めた時の感覚と、末期の表情が甦る。恨むような島谷梨絵(女子5番)の顔、彰を悼むような深海卓巳(男子5番)の顔、次第に瞳の光を失っていった中村エリカ(女子6番)の顔。脳内を巡るそれらが、彰に生きている事の実感を感じさせた。
 人間の感情で最も強い感情は負の感情だという。罪悪感は病魔に勝り、きっと終生彰の心に残り続けるだろう。それが彰が彰として存在を保てる核となるならば。


 忘れない為に、奪う。忘れない為に、失う。
 時計の針が今を永遠に刻み続ける為に。


 佐々木利哉(男子5番)を殺害し、宮本真理(女子9番)の死を確認した後に、彰は卓巳達を殺した本部そばの丘へと戻っていた。あと、少し。活性化した脳は実験開始以降、当初の記憶を残したままのように思えた。この緊張感と高揚感がミックスされた感覚が、彰の病気を食い止める要素となっているのだろうか。後は仕上げを残すのみ、だ。
 彰はハンマーを手に立ち上がった。見下ろした梢の先には、三人の人影があった。泰天、愛里、そして達也。本能的に、もうこの4人しか残っていない気がした。全ては、定められた戦場。1対3――問題ない。最後に立っているのは自分だ。親友殺しという最大の罪悪を経て、彰は全てを克服して日常へと戻る。過去を刻んで新たな未来へと一歩を踏み出すのだ。

 光を弱めた太陽が、三人の足元から伸びる影を長く引き伸ばしていた。彰はハンマーを手に、懐にはエリカのグリフォン ゴールドを握って丘を駆け下りていく。全てを壊そうとする”破壊神”と、実験を壊そうとする”革命者達”の最後の戦いが、日没を前にした江戸村で遂にその幕を開けた。
 

残り4人


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