BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
51
気配を隠す様子もないその足音に、中原泰天(男子7番)は振り返った。足元には佐々木利哉(男子5番)と宮本真理(女子9番)の亡骸があり、それを見詰めていた矢先の凶兆に、ろくに言葉を交わす時間もなかった。
丘の中腹付近から、例の凶悪なフォルムのハンマーを持って駆け下りてくる槇村彰(男子10番)の姿を捉えると、懐から抜き出したサーチボールを投擲する。それは肩に命中して彰が一瞬怯みかけたが、足を止めるには至らない。
「こ、殺される!」
美濃部達也(男子11番)が脇で情けない悲鳴を上げた。桃園愛里も泰天の背後で震えながら、それでも自動拳銃パラ オーディナンスP14−45を抜き出していた。
「愛里、銃よこして隠れてろ!」
こんな事なら山本彩葉(女子11番)の交戦終了時、愛里に戻さず所持しておくべきだったと悔やみながら、愛里に避難を促した。先刻同様、愛里から後ろ手で銃を受け取り――突如、迫る彰がハンマーを手放し、自動拳銃グリフォン ゴールドを抜き出した。
「やばいぞ!」
小柄な体を横に跳躍させながら、泰天はオーディナンスで迎撃を試みる。的は大きいが、やはり移動しながらでは照準を定めきれない。瞬間、銃で応戦していた達也の体が弾かれて後方へと吹き飛んだ。被弾したようだった。命に別状は――確認している暇はない!
達也は転倒し、愛里が退いた今、実質泰天――彰としては愛里だと思っている――と彰が1対1で対峙する形となった。そのほうがやり易いかもしれない。最悪、犠牲を持って愛里と達也を守れるだろう。何としても彰との決着は自分の手で着けたかった泰天にとって、理想の展開ではあった。
「彼氏を守ってるつもりか、桃園?」
特に茶化す感じではなく、淡々と彰が言った。最早入れ替わりを隠すつもりはないが、説明する時間も余裕もなさそうだ。さて――
「俺は泰天だ。二度は言わない。そういう事にしろ」
「何だ、それ」
「質問は受け付けねえぞ?」
微笑した泰天を眺める彰の顔が不思議そうに歪んだ。最初に遭遇した時の違和感と照合して、何かを感じ取ったのかもしれない。達也は後頭部を打ちつけたのか、仰向いたまま倒れており、愛里は少し離れた場所で心配そうに成り行きを見守っている。
「彰、何で殺し合いに乗ったんだよ」
鋭い眼光で牽制しながら、彰の顔と手の動きに細心の注意を払い続ける。彰がゆっくりと後退しながら、嘲笑するように息を漏らした。
「そっちからの質問はアリかよ」
「お前からの質問はしょーもない事だろうよ、どうせ」
うっとおしく首を振りながら答えた。
「お前、本当に、泰天なのか?」
「頷いたら信じてくれるか? とりあえず、あの俺を本当に俺だと思うか?」
愛里を目線で示してから、冷や汗混じりに苦笑いを浮かべた。年間50回開催で、ここまで約49年の歴史を持った戦闘実験。2500回近く開催されているその中で、これほど非現実的な状態で放り込まれた生徒は後にも先にも泰天達だけだろう。
「……どっちでもいいか」
「じゃあとりあえず俺の質問に答えろ」
「……まあ、俺の自己満足だ」
事も無げにそう言い放った彰に、形容し難い感情が込み上げてきた。直接彰が生徒を殺したのを見たのは皆無――水戸泉美(女子8番)の時は一足間に合わなかった。そう、色んな意味で間に合わなかった――だったが、冗談が通らないこの会場でそう言いのけた事こそが、事実をはっきりとさせていた。
確かに泰天達も襲われたが、そこには何らかの私怨が介在している可能性もあっただけだ。本人の口から改めて確認して、理解した。彼は無差別な殺意を振り撒き、このクソゲームを勝ち抜いてきたのだ。あの彰が、不良という枠組みの中でも温かみを持ち続けていた彰が。
既に彰の足元には先程手放したハンマーが転がっており、随分と距離が離れていた事に気付く。振り上げた銃からマズルフラッシュが上がり、再び銃声が交差する。先に空撃ち音を鳴らしたのは彰のほうだったが、ほぼ同時に泰天の弾倉も空になった。替えの弾倉は泰天の懐には――ない。
すぐさま達也の落とした自動拳銃S&W M39を拾いに走る泰天を、させじと彰がハンマーを手に追ってくる。背後の風圧に身を屈めた頭上をハンマーが掠め、振り向きざまに突き出した手、その延長上で握った拳銃が彰の蹴りで弾かれた。高く空に溶ける拳銃の手前で、ハンマーを振り被った彰が今にもそれを振り下ろさんと――
「ダメー!」
背後から愛里が彰の脇腹に体当りをくらわせた事で、彰の体勢が泰天の前で大きく傾いだ。そのまま愛里は泰天と彰の間で倒れ込み、それでも彰は強引にハンマーを持ち上げ直す。狙いは蹲る愛里のほうだった。これでは避けるわけにはいかない。
「クソ彰!」
起き上がりざまに彰の膝下を、山本彩葉(女子11番)の得物だった軍刀で斬りつけた。鮮烈な痛みで彼が顔を歪めて再び視線を泰天へと向ける。飛び退きながら空いた左手で手招きをして挑発すると、彰が顔を紅潮させた。
「色気出してんじゃねえよ、こっちだ」
身体能力に大きなハンデがある実状、既に息は上がっていた。この細腕で、細身の剣で、一撃で彼の殺意を刈り取る事はとてもできそうにない。”一撃当てれば勝ち”の彰と比較して何とも不公平極まりないと思った。
彰は確実に泰天を仕留める算段に出たようで、背後には最早意識を留めずに泰天へと迫ってきた。その心に意識しているのはおそらく、中原泰天その人に違いない。この体でどこまでできるだろうか、しかし、やるしかない。
彰が踏み込み、ハンマーを大きく横薙ぎに振り回した。しゃがむにも飛び越えるにも厳しい、絶妙な高さを以って泰天を砕こうと迫るそれを、泰天は懐に飛び込んでハンマーの直撃を防いだ。代わりに彼の腕が腹部に食い込み、内臓が裏返る苦しみで足を止めてしまう。
「……っく!」
揃って半回転した後に泰天の体が彰を離れ、再び危険な間合いが戻ってくる。今の一撃で下半身がずっしりと重くなっていた。何という華奢な体だろう。絶体絶命の心境で見上げた彰の巨体が――数発の銃声に合わせて激しく揺れた。ブレザーの胸部に二箇所、赤い穴が空いていた。
「あっ」
振り返った泰天は、銃を構える愛里の姿を捉えていた。握られていたのは今さっき泰天が弾かれたM39だった。まさか、愛里がこの激戦に終止符を? 思いかけた矢先、眼前の彰が再び動き出した。
「ぅっ、ぉわあああああ!!!」
鮮血を胸から撒き散らしながら猛る彰は、まるで人である事を止めてしまったかのようだった。犠牲者と自身の血で柄もヘッドも染め上げられたハンマーが彼の最後の拠り所だなんて。
「彰――」
泰天は彰の前でゆっくりと立ち上がると、彼の顔をもう一度しっかりと眺めた。特に親しい級友で、プライベートでも常に行動を一緒にしていた彼を、この実験が大きく変えた――そう思っていた。確かにそうなのだけれど、実際はこれもまた彼の一つの姿で、潜めていた並々ならぬ彼なりの理由がこの凶行に彰を及ばせたのだろう。
理由がある、という事だけで彼の所業を看過できるとは思わない。ただ、泰天だけでもその理由を察してやりたかった。許す、ではなく泰天なりに認めてあげたかった。
「――またな」
瞬時に泰天は身を翻し、愛里のほうへと駆け戻っていく。彼女――と呼ぶには抵抗がある外見だが――へと手を伸ばし、バトン渡しの要領でM39を受け取った。すぐさま彰へと銃を向けて、引き金を絞った。
指に伝わる衝撃と痛みの向こう側で、ハンマーを頭上に掲げた彰の首のすぐ下付近が紅く爆ぜたのが見えた。彼の両手からハンマーが離れる。最も多くの生徒を涅槃に導いたハンマーが最後に叩いたのは、無機質な地面だった。
膝を着く事が許されないように、勝負が決してもなお彰は立っていた。あの銃撃の衝撃を受けて、それでも両の足で地面を踏み締めて、じっと泰天を眺めていた。泰天は銃を再び愛里へと返し、それから彰へと歩を進めた。
「泰天君!」
右手を軽く上げて愛里に応えた。もう彰は、誰も襲わない。込み上げる苦い感情を制しながら、今は30センチ近く身長差のある彰の前に立った。彰の顔にもう敵意はなく、そこには死を待つだけの緩やかな覚悟の色があった。
「……泰天、なんだな」
「ああ、そうだよ」
「何て格好してんだよ。お前、ちょっと彼女に似過ぎだぞ」
一緒に苦笑いを浮かべる姿は教室での光景のようだ。一方は血塗れで、一方は本来の姿とは大きくかけ離れていたけれど。泰天は彰の体を、抱擁するように優しく支えた。
「昨日の朝からだよ。文句は神様に言ってくれ。……ったく、何だよな、この体」
「……何もかも夢だったらいいのにな」
その”何もかも”が戦闘実験だけに括られないものである事を、泰天が知る事はない。ただ、頷いた。この非現実めいた二日間のあれこれが夢であればいい。目が覚めたらそこは自室で、気持ち良い睡魔に包まれながらも愛里に無理やり起こされ、彼女の愚痴を聞きながら渋々と通学して、教室ではいつもの仲間がいて。
「ろくでもなかったな、お前」
たちまち涙腺が刺激されて、唇が重くなった。次の一言が惜別の言葉と決めたから。彰の震える体が彼の限界を示していた。きっとそれを、泰天の最後の言葉を待っているのだ。期待と不安を胸に、死神にその肩を掴まれながら、彰は泰天に訊いている。とても都合が良い事で、自らは口にできない質問を。
「ろくでもなかったけど――」
静かに彰の両膝が崩れ、泰天の体を滑り落ちていく。
「――それでもお前は俺のダチだ」
膝立ちのまま意識と命を手放した彰の大きな頭を、泰天は目一杯の感情を込めて包み込んだ。彰の答えを聞く必要はなかった。そしてこれが彰の望む、もう一つの答えだったのかもしれない。
破壊神は親友の魂を宿した少女の胸の中で、その腕が紡いだ惨劇に終止符を打った。
退場者 槇村彰(男子10番)
残り3人