BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜


54

 広島の冬は栃木のそれよりも柔らかい寒気のような気がした。
 外で鳴る除夜の鐘に耳を傾けながら、かつて中原泰天だった少女は温かいそばを啜っていた。月並みな大晦日がとても贅沢で、幸せに満ちたものに思えた。凍りつかせていた心はこの三ヶ月で随分と氷解した気がする。
「愛里、電気はちゃんと消しておいてね。それと食器は……」
「うん、わかってる。おやすみ!」
 愛里の両親は年越しを待たずに床に就くタイプのようだ。少女はそばの汁を行儀悪くがぶ飲みしてから、寝室に消える二人の背中へと言葉を継いだ。
「ぷはー! よいお年をっ!」
「愛里……」
 少女の言葉に去来する想いがあったのか、涙を啜る音が背中越しに響いた。少し申し訳ない気持ちになる。リビングが急に寂しくなった。級友との初詣まではまだ随分と時間がある。
「あー、このまま寝ちまいそうだな」
 少女はこたつに入ったままで仰向けに倒れ、後頭部に回した腕を枕に瞑目した。

 優勝者に贈られたのは総統陛下の色紙――山本彩葉ならば家宝にするだろう。少女は即座にそれを折り曲げて捨てたけれど――と生涯の生活保障で、その代償として実験に対する生涯の黙秘と、別の県――広島への引越しを家族総出で強制された。幸か不幸か、新たな生活を送る点では都合が良かった。
 女子としての生活も逃れられないとなればすぐに割り切れた。今では女子の友達も作り、少し活発でフリーダムな点を除けば少女が女性である事を疑う人は誰もいなかった。そもそも実際、女性として生きる事を選んだ少女は今では疑う余地のない女子中学生なのだ。

 十五年慣れ親しんだ元々の自分――中原泰天の葬式の様子は遠目に窺うだけに留めた。俺は生きてるよ、と両親に言いたかったけれど、表向き、その泰天を蹴落として生還した愛里の姿でかけられる言葉はなかった。両親が、残された弟を糧に強く生きてくれる事を望むだけだった。
 霊柩車を見送った後は、寄り道もせずに家へと踵を返した。悲しくはないけれど複雑な心境だった。自分の体が焼かれて骨になって土葬されて、それでも魂はここに在る。
 愛里の両親を欺くような桃園家での生活も最初こそ心苦しかったが、今では愛里の両親は、実験を経て少し性格は変わったけれど、それでも自分の娘という風に捉えてくれているようだった。泰天もまた、愛里としての人生に少しずつ馴染んでいった。


 ――そして、七年の月日が流れた。


 専門学校を経て既に社会人となった少女は、少し早いお盆休みを利用して地元広島から栃木県へと足を伸ばしていた。あの戦闘実験で優勝するまで過ごした、愛しき故郷だ。
 月光市内に存在する青葉駅を降りてから10分ほど歩いた場所に、目的の住宅はあった。赤い屋根の二階建て家屋、”中原”と刻まれた石の表札に目を遣ると、かつての自分の部屋の窓を眺める。既にカーテンは外されて物置代わりになっているようだったけれど、その他の部分は昔のままだった。
 少女が家屋そばの電柱に背を預けてから程なくして、背広姿の中年男性が扉を開けて外に現れた。遅れて妻が見送りに顔を出し、仲睦まじい夫婦の姿を確認すると、少女は微笑を浮かべてその場を去った。

 それから少女は駅向かいの商店街を抜け、青葉中学校を経由した後にタクシーを捕まえた。行き先は丘の上の広い土地に作られた墓地だった。料金を払うと、花屋で購入した花束を持ってタクシーを降りる。眠るには安らかそうな場所だな、と思った。愛里の死後、墓に訪れるのはこれが初めてだった。自分の御先祖様と恋人でもある幼馴染が仲良く収まった不思議な墓だ。

 町が一望できる見晴らしの良い墓地の真ん中に墓はあった。生憎この日は天気に恵まれず、黒雲が上空を覆い始めてはいたけれど。
 既に線香が細い煙を立ち昇らせており、それで『あれっ』と思ったけれど、しゃがんで墓前に花束を添えた。それから懐よりカフェオレの缶を取り出すと、花束の脇に並べる。それから両手を合わせ、少女は愛里と会話を始めた。
「久しぶりだな、愛里。引っ越してからは前、お前が住んでたような豪邸じゃなくなったけど、俺にはそのくらいが丁度良いよ。過ごし易いわ」
 合わせた手の右手薬指には指輪をはめている。女性らしい洒落っ気も既に備わっていた。生憎男性に対する興味は持てないままで、生涯独身を貫く覚悟を早くも固めてはいたけれど。
「懐かしい生家のある町の空気はどう?」
 不意に背後から声がかかり、振り返ると赤いスーツに身を固めた和田夏子の姿があった。少女は立ち上がり、少しやつれた様子の夏子を眺めた。夏子はバツが悪そうに苦笑いをする。
「この線香、あんたかよ? 沢山の実験で生徒を犠牲にしてきて、その中の一人の墓なんか参りに来たのか?」
 少女の尋問に夏子は首を振った。
「貴方が栃木に来るって聞いてね。優勝者のアフターケア? きっとその子の墓参りに来ると思ったから、待ってたのよ。もう3時間くらい経ったかな?」
「暇そうだな、和田・元キョーカンも」
「まあね」
 今度は力なく、夏子が笑った。大東亜はこの七年で大きく様変わりした。それどころか大東亜共和国の名前は消え、新たな国として正常化への第一歩を踏み出していた。政府、特に他国とは一線を画する異質な部分には他国によって大きくメスが入り、政府に携わる人々は自己の人生の変革を余儀なくされる事となった。
「コモリも伸輔も大東亜政府の一員として死んで、一人取り残された気分よ。……まあ、私の事はどうでもいいか。貴方はどうしてるの?」
「……ま、それなりにやってるよ。女としてな」
 細かく話すのも面倒で、おざなりに答えた。夏子は『そう』、と呟いてから少女に背を向けて黒雲の漂う空を見上げた。どこか愁いに満ちた姿を窺う限り、彼女もまた国家転覆によって傷を負ったのだろう。
 大東亜共和国は歴史に大きな傷跡を残した。この地で生を育み、傷を知る者達がその傷を永い時間かけて治癒していくのだろう。この国の未来はきっと明るい、そう信じたかった。


 ――そこで生じる七年ぶりの奇跡。


 瞬間、黒雲を裂いて黄金色の閃光が大地へと突き刺さり、遅れて轟いた雷鳴に少女は両耳を塞いだ。直撃したかと思うほど強烈な落雷で、空気が激しく震えるのを少女は瞑った目の外側で体感した。
 懐かしい感覚。七年前、たった一瞬だけ体感した感覚だったけれど、この感覚だけは鮮明に覚えていた。泰天と愛里がその器を入れ替えた時の、魂が抜けるような危うく不思議な感覚だった。
 目を開けて最初に確認したのは自身の手の平だった。成人としては小さな手、その右手中指に洒落っ気のある指輪。少女は少女のままだった。少し残念で溜息を吐いた。そう都合良く、奇跡が繰り返すはずがない。そもそも今入れ替わるとして、一体誰と――
「あたし……? ううん、泰天君?」
 七年ぶりの呼び名を受けて、少女は声のほうへと首を向けた。愛里が眠る墓の脇、夏子が少女を見詰めていた。ただ、その顔が少し先程までと違う気がする。見詰める夏子の目から涙が零れ落ちていた。
「泰天君!」
 少女は目を見開いた。夏子が、雷で、愛里の墓の前で、つまり、それは、まさか――
「愛、里……なのか?」
 夏子――いや、かつて桃園愛里だった女性が頷いた。


 それは異形なる国で不思議な運命に彩られた少年達の物語。
 国が形を変え、少年達もその姿を変え、新たな物語を紡ぎだす。
 体と魂が導く、更なる波乱万丈な運命の先へ。


BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜 完

2009年4月24日 焔鳥御門 了


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