BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
7
プログラム開始から早や六分、中原泰天(男子7番)の出発が迫っていた。と言っても恋人の桃園愛里(女子10番)と体がチェンジしているわけで、本来は愛里の出発なのだが。
二分のインターバルが経過し、和田夏子(担当教官)の視線が泰天へとゆっくり向けられた。思わず瞼に力を込める。
「女子10番、桃園愛里さん」
言葉に応じて起立しかけた時、突然女子生徒の声が届いた。
「中原君」
落ち着き払ったその声を辿って横へと目を向けた。綾瀬澪奈(女子1番)が体を捻り、背後を見詰めていた。
幾分大人びた端整な顔。澪奈のそれは微動だにせず教室後方の愛里を捉えている。
当の愛里は腰を半分浮かせていた。聞き慣れた名前に反射的に反応したのだろう。無理もないと思った。
「今は愛里さんの出発よ」
澪奈の忠告で愛里は我に返ったようで、慌てて腰を戻して着席する。
夏子のお咎めはないのは幸いだった。泰天は愛里と入れ替わりに起立し、戸惑いがちに愛里の鞄を掴む。教科書のせいか、予想以上の重量を感じた。
そこでふと澪奈を眺め直す。どうも釈然としない部分があった。
前側の席の澪奈が何故愛里の起立を察知できたのだろう。振り向いた素振りはなかった気がした。考えてみたが頷ける回答は浮上しなかった。
泰天は荒っぽい歩調で教壇前を直角に曲がり、扉の前で一度立ち止まる。それから教室後方、泰天の顔をした愛里を見た。自分自身を見詰めるのは気持ちが悪かったが、ともかく。
――殺し合いなんて、しないよね?
愛里の目はそう語っているようだった。泰天は一度首を倒すと視線を外し、死地へと続く扉を抜けていった。
束の間のアイコンタクトは泰天にも更なる勇気を与えた。守るべき者の存在がとても力強く、いとおしく思えた。
板張りの通路を歩くと床が軋み声を上げた。泰天は慎重に一歩ずつ、風の示す出口へと向かう。
通路の反対側は黄色い鎖で封鎖されていた。その先に灯る明かりは管理室の類なのだろう。
首の異物感を嫌い、制服標準装備のネクタイを乱暴に外すと丸めて鞄へと放り込む。
シャツのボタンも外したいところだが、流石に愛里に申し訳なさそうで断念した。胸元全開での再会となれば、烈火の如き叱責を受ける事は明白だ。
まず視界に違和感を感じた。泰天と愛里の身長差は頭一つ分以上はある。建物が何とも巨大に映り、逆に床はごく近くに見える。
「小人の世界だな、こりゃ」
入れ替わり事件は今でも夢に思えてならない。改めて頬をつねるも、鈍い痛みが部位に走るだけだった。
「勘弁してくれよ……」
泰天は脱力感を堪えながら、建物の外へと駆け出していった。
飛び出した先は小さな丘の頂上だった。濃い色の土が道を成し、丘の中央を横断する感じで北の町並みへと延びている。眼下の町は随分と時代かかった佇まいに見える。
泰天は時を逆行したかのような景色に目を奪われた。長閑な光景は直前の惨劇をも一瞬思考の外へと追いやった。
――こんな場所があるのかよ……。
泰天は吐息しながら周囲を見回す。人の気配を感じたのはその直後だった。
「桃園」
男性の呼び声に反応して首を向けると、建物の脇から男子生徒が姿を現した。それを見て目を見開く。彼、古谷一臣(男子9番)の登場には正直驚きを隠せなかった。
泰天とは親しい一臣だが、お嬢様の愛里とは接点もなく、泰天達の交際には常々渋い顔をしていた。その彼が愛里を待ち、呼び止めた真意は何なのか。
その判明は、間を置かずして至った。一臣の遠慮のない罵倒が泰天へと突き刺さる。
「テメェはよ、お嬢の癖に泰天そそのかしてんじゃねぇぞ? 前からウザかったんだよ。この期に痛い目見せてやんよ」
弁解の余裕もない。一臣が黒いヌンチャクを手に泰天へと迫ってきた。普段よりも大柄に映る一臣の体はたちまち眼前へと到達した。
「テメェ古谷!」
怒声に気圧された一臣が僅かな間、驚愕の表情を見せる。しかし今の泰天は彼にとって桃園愛里でしかない。すぐに表情を激怒の色へと染め直し、泰天目掛けてヌンチャクを振り上げた。
――ヌンチャクは空を切り、地面を叩いた後に弾かれる。同時に背を丸めた泰天の上で一臣の体が景気良く前転し、そのまま首から落下した。鈍い音が闇に響く。
見事な一本背負い。幾多の修羅場で養った反射神経は、体を入れ替えてなお健在だった。
「くぉぉ」
頭を抱えて悶絶する一臣を見下ろしながら、異世界的感覚に襲われていた。忠臣・一臣の黒々とした真意は泰天に精神的ショックを与えた。
こういった剥き出しの生々しい感情が今後、絶えず泰天を襲うのだ。考えるだけで気分が悪くなる。案外、政府にとってのプログラムの利便性とはこういう部分にあるのかもしれないと思った。
ともかく、呆然とする時間はない。ディパックを担ぎ直してヌンチャクを手に取る。一臣とは――最早合流は不可能に近いだろう。そう判断した後、泰天は迅速にその場を離脱していった。
遠ざかる足音。映り込む深い闇の空。我に返った一臣は振り返って愛里の小さな後姿を捉え直した。憎悪の炎が瞬く間に甦る。
常に嫌悪感を覚えていた。愛里の前での泰天の姿は一臣が崇拝する泰天像からかけ離れており、初めて愛里の存在を知った時は見てはならぬ者を見たような感覚だった。
次第に理解した。幼馴染、恋人、そんな事は糞食らえだ。愛里は排除しなければならない。しかしそれをすれば結果は目に見えている。
それでも一臣の前の泰天は、自らの理想として描く彼であって欲しかった。
純粋な嫉妬もあっただろう。いずれにしてもプログラムは、積り積もった鬱積を晴らす絶好機となった。
「あのアマ……」
膝に力を込めて立ち上がろうと試みる。不意に首根っ子に鋭い力がかかり、痛みと共に肉の割れる感触と激しい熱が襲った。
続いて液体が首を流れて喉へと伝う感覚。喉へ当てかけた右手に大量の赤い雫が点々と付着する。一臣は背後の確認にも至らず、疑問と痛みでパニック状態へと陥った。
「う、うわぁぁぁ」
「総統陛下に詫びろ、育てた大地へ謝れ!」
それは突然の声だった。”もう一人の潜伏者”が負わせた致命傷は覚醒した一臣の意識を再び闇へと誘っていく。今度は目覚める事のない、永遠の闇へと。
ようやく背後を振り返ろうとしたが、首に刺さった凶器をより強く押し込まれてそれも叶わない。土壌に顔面をスタンプした時、既に一臣は息絶えていた。
「思い知ったか、不遜の輩め」
侮蔑から生じた翻意、返り討ち、そしてわけがわからぬままの死。低いトーンで発せられた侮蔑が、皮肉にも一臣の葬送歌となった。
退場者 古谷一臣(男子9番) 残り21人