BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
8
夜の帳の奥で息を潜めていた雷雲が、思い出したように閃光と轟音を地上へとばら撒き始めた。
雨を伴わぬその現象を珍しく感じ、この忌わしい戦闘実験に対する天の憤慨ではないかと都合の良い仮想を立ててみる。
――落とすならあそこに落としてくれよ、神様。
瑣末な希望を胸に、井口政志(男子1番)は背後の丘に立つ大きな屋敷を見上げた。言わずもがな、出発地点の開催本部である。
政志は出発後ただちに視認した丈の長い草木の群れへと身を投じ、周囲の気配を窺った後、安堵の息を吐いた。
それからこの国における命の軽さを改めて実感した。
古くは家族旅行より戻る事のなかったご近所一家、近くは射殺された従弟。不条理な暴力は子供だろうと容赦なく振るわれる。
事件の背後には常に政府の影が見え隠れする。
自由と引き換えの安住が、暗黙の口約として伝わる大東亜では、政府に楯突く事は利口ではない。
彼らの手により落命しても不運と割り切る。そんな理不尽な方程式が、教育課程で子供達に刷り込まれるのだ。
善悪も知らない無垢な存在は、濁った水で培養されて政府の犬に成長する。
そんな子供達をたくさん見てきた。かつては自分もその一人だった。
混沌とした世界で、他に道がないと甘んじていた。
けれど今、死と隣接した現場で政志は政府への怒りを募らせていた。どうにか一泡噴かせたい、そんな思いがあった。
そうでなければ眼前の土壌で無残にも息絶えている古谷一臣(男子9番)が報われない。そして新たな犠牲者がクラスメイトから出てしまうのだ。
ディパックの中身を確認した後、政志は開催本部周辺から立ち去った。
支給品は携帯電話型のライターだった。頻繁に携帯から出会い系サイトへの接続を行う政志への皮肉だろうか。苦笑しつつ、それを懐へと押し込んだ。
後続を待つ考えもあったが、出発地点で留まる事は色々と面倒そうだったので止めた。この状況が招く事態、すなわち生徒の変貌も予測できていたので。何より一臣が生徒に殺されたのは疑いようのない事実だ。
丘を下った先は小さな屋敷に囲まれた広場だった。木製の立て札があり、そこには簡易地図が記されている。すぐ左手にはこじんまりとした神社があった。
ねっとりとした空気を嫌い、袖を摩る。潜むにはもってこいの場所で、広場のど真ん中に立っている現状は極めて危険そうである。
潜伏に適した場所を探す為に周囲へと首を回す。不意に人の気配を覚えた。
川より通じる東の道から見覚えのある女子生徒が近付いていた。
灰色に近いショートカットは、綾瀬澪奈(女子1番)とわかった。
愛想がなくとっつき辛い印象のある彼女だが、ビジュアルは結構なもので政志としては是非ご一緒したい生徒であった。
――まあ、この状況だし。仲間は多いほうがね。”あの子”とご一緒ならベストなんだけど。
ギャル男という言葉がしっくりとくる容姿で軽く見られがちな政志だが、胸の内では特定の女子に強く心を惹かれていた。それはそれとして、死地で遭遇した女子を見て見ぬ振りはできなかった。
ただ、女子受けのあまり良くない自分に澪奈が心を開くかが幾分不安だったが。
迷いもそこそこに、政志は澪奈の前へと立った。そこで彼女が握る自動拳銃ベレッタ M84の存在を見止め、背筋が寒くなった。
澪奈は特に驚愕した様子もなく、足を止めてじっと政志を眺めている。
これはちょっと早とちりをしたかもしれない。唾を呑み込んで澪奈の反応を待つ。
――持ち上がりかかっていたベレッタの銃口が地面へと向き、おや、と思った。
澪奈の感情の乏しい目が泳ぎ、抑揚のない声が発せられた。
「反抗は賢い考えじゃないわ。乗るか、命を断つか。どちらかが利口よ」
第一声にしては随分と切り込んだ台詞と言える。やる気のない政志を前に直ちに警戒を解き、続けざまのこの発言。
読心術、そんな言葉が過ぎる。まさか、そんな。
ただ彼女の洞察力が並外れている事だけは理解した。とりあえずは会話を合わせる。
「綾瀬はどうするんだ」
「私は、わからない」
呟く際の表情は写真のように微動だにしない。
読心は長けているのかもしれないが、自らは心を閉ざしている。食いつきの悪い性格の正体が気になった。どこか人生に疲れている印象を受けた。
「わからない?」
訊き返したその時、背後で新たな物音を捉えた。澪奈の目が赤く色を帯び、同じくそちらを見詰めた。
新手は男子生徒だった。短く刈り込んだ黒髪が代名詞の後藤雅彦(男子3番)が、息を荒げて二人を睨んでいる。その手には白く小さな筒が握られていた。ペンライト
にも思えたが、それは光の類を発してはいない。
政志とグループは違うものの誰とも温厚に接する雅彦のあり得ぬ表情は、想定の範囲内ではあったがそれでも驚きがあった。
血走った目に、滴り落ちる涎。人はここまで変わるものなのか。
「残り十九人、残り十九人……」
呻きにも似た声が雅彦の涎塗れの口から零れていた。同時に彼がじりじりと距離を詰めてくる。これはつまり出発前に退場した二人に一臣と政志、そして澪奈の退場を加えた”残り十九人”なのか。
二十四引くの五は十九。良く出来ました。――否、冗談じゃない。
物騒極まりなく、かつ強烈な宣戦布告だった。雅彦もまた危機感に背中を押され、修羅と化したのだろうか。
何とかしなければいけない。距離があるうちにまずは言葉をかけなければ。
「おい、後藤――」
次の瞬間、戦慄が走る。今度は想定範囲外の出来事だった。
前触れなく銃声が説得を遮り、雅彦の体が力を失い崩れ落ちていった。
雅彦の白いブレザーの胸元がみるみる赤く侵食されていく。口からも血は溢れ、泡混じりのそれがネクタイを紅に染めた。
振り返った場所に、銃を両手で保持する澪奈の姿があった。
政志へ見せた態度が嘘のようだった。澪奈は何の躊躇いもなく雅彦の命を摘み取ったのだ。視線を戻すと彼女は煙の立ち昇るベレッタを下ろしながら淡々と政志を見詰めていた。
「あ、綾瀬? 何してんだよ」
流石にこれには政志も声を震わせた。容易く人を屠れるなど政府と何ら変わらない所業ではないか。ましてや中学生の女子生徒が軽く殺害をやってのけ、動揺一つ見せずに目撃者の態度を窺っているのだ。
「真っ赤な殺意が見えたの」
赤い殺意。澪奈らしからぬ小説的な表現に違和感を覚えた。
それで雅彦は呆気なく殺されたのか。政志にはそれがなかったので助けられたのか。
「それだけで殺したのかよ」
「それだけで充分なの。井口君にはわからないでしょう」
澪奈は変わらず、感情の見えない声で返してきた。
釈然としない思いに駆られた。同時に澪奈という存在に一抹の気味悪さを覚えた。
彼女がクラスで孤立するのも理解できる。心を見透かされる相手に、常識的に接する事のできる子供がいるだろうか?
亡骸を見下ろすこの目は本当に中学生の物なのか。何かとんでもない経験をしている、そう思わせるに充分な眼差しだった。
「わからない、な」
「だから、さようなら。再び会わない事を心より願うわ」
政志の返答に率直に答えると、澪奈はディパックを担ぎ直して踵を返した。
続いてスカートにベレッタを差し込むと、やはり政志を警戒する様子もなく小刻みの歩調で北へと通じる木製の橋を渡っていった。
政志は長い茶髪をかき上げ、ヤケクソ気味に思った。
――こっ酷く振られたもんだな、この俺が。
変わり果てた雅彦の亡骸、その手元に転がる白い筒を拾い上げた。根元がボタン宜しく凹むようになっており、押下すると逆側から針と液体が飛び出してきた。一体これは何なのだろうか。穏やかな物ではなさそうだが。
雅彦は生きたかったのだろう。仲間を殺す禁忌、それを乗り越えるべく、苦肉の策として狂気へと走ったのではないか。麻痺してしまえば楽になる、か。
それとも例のペナルティ生徒という奴に指名されたのか。足元にある雅彦のディパックを開いてみるも、ペットボトルの蓋はごく普通の白いものだった。
やはり予想は前者が正解のようだ。計り知れない他の理由かもしれないが。
全ては推測の域だ。もう動かぬ彼の無念を察しながら、静かに視線を外した。
最後に、遠ざかっていく澪奈の病的に白いうなじをしばし見詰めた。
もし澪奈が”あの子”と出会ったならば。再び背筋に寒気が走る。
一刻も早く”あの子”と合流し、保護する必要があった。
澪奈が一度振り返りかけ、その首をすぐに戻したのが見えた。その仕草に不思議と哀愁に近い物を感じて息を呑む。
冷たい鉄仮面の奥で彼女が熱い涙を流しているように思えた。
退場者 後藤雅彦(男子3番) 残り20人