BATTLE ROYALE
〜 Body & Soul 〜



 闇に際立つ茶色のソバージュヘアが、絶えず揺れながら北へと疾走していた。
 吐く息は白く背後へと流れ、握った拳には汗が滲んでいる。
 やや大人びた、女性的なシルエットが川沿いの露店区域を流れていく。
 不意に転倒する感じで彼女の姿が浮き、続いて前のめりに膝から落ちた。
 袖口が土で汚れ、擦り剥いた膝には出血が見えたが、それでも島谷梨絵(女子5番)は走る事を止めなかった。
 再び足音が江戸村に響く。彼女の心は危機感と狼狽に支配されていた。

 白のブレザーが死に装束となるのか。最悪の結末を必死に振り払う。
 焦燥の原因である三枝なつみ(女子4番)は、今も出発を控えた皆の目に凄惨な姿をさらしているだろう。
 なつみは少し天然な部分があったが、穏やかで優しく、誰からも好かれる性格だった。梨絵としても非常に”都合の良い”友人だった。
 出発時、教壇前に差し掛かった際になつみの死に顔を見た。天使の面影は末期の恐怖に彩られ、影も形も失っていた。
 文字通り彼女であって彼女でないもの。死はここまで生前の輝きを汚すのか、なつみの姿に自分を投影させ、背筋を凍らせた。

 ――あたしは絶対、あんな風にならない! なつみ、何で死んだのよ!

 梨絵の胸中を満たす感情は、悲哀ではなく憤慨だった。
 幾分利己主義的な発想を持つ梨絵は、好感度では明らかになつみに劣る。彼女が存命ならば何の警戒もなく梨絵を待っていただろう。仮眠だって妙な時計を使う必要がなかった。 
 更になつみの武器が当たりならば口車に乗せて奪う事も容易だったはずだ。和田夏子(担当教官)の凶行、宮本真理(女子9番)の暴走が希望をご破算にした。やり場のない怒りが蓄積していく。

 梨絵の支給武器は一見、小型の巻尺に見えた。しかし中身はテープメジャーではなく極めて細い鋼線だった。
 説明書きによれば人の皮膚も切断できるらしい。漫画の暗殺者が使うようなこの武器は”アサシンワイヤー”と呼称されていた。
 細腕な上に信頼性に乏しい梨絵では、接近してこれを相手の首に巻く作業は至難の業に思える。外れ武器と判断せざるを得なかった。
 微かな希望は、梨絵がペナルティ生徒ではないという事だけだ。一人、たった一人最後に殺せばいい。ならば大事なのは残り二人の段階まで生き延びる事だ。
 決着に関してはその時考えればいい。梨絵が発見できなければ相手も焦るはずで、隙は必ずできると読んだ。

 やがて左手側の長屋が途切れ、その隙間から奥を通う堀が見えた。丁度赤色の豪華な橋が堀の反対側へと低い弧を描いている。
 吸い寄せられるようにそちらへと近付いた。安全な潜伏場所を求め、より入り組んだ場所へと。できるだけ広く、息苦しくなく、かつ快適な――
 そんな梨絵を待っていたのは巨大な体躯を誇る男子生徒だった。槇村彰(男子10番)、不良集団の一員だ。舌打ちするも時は既に遅し。
 彰は赤い橋の欄干に寄り掛かり、梨絵の接近を期待するように眺めている。その手はゲーム宜しく金縁装飾が施された長柄のハンマーが握られていた。
 あれで殴られては一たまりもない。逃げても背後から脳天を砕かれる。策は一つ、油断させて首を刈るのみ。判断後の行動は迅速だった。
「あ、槇村君……」
 極力動揺を隠し、少し気があるような感じに繕い、ゆっくりと橋を渡っていく。自分は彰に想いを寄せる少女だ。彼に会い、安堵から抱擁を求め――その首筋にワイヤーを馳走してあげるわ!
 何と、応じるように彰もまた歩を進めてきた。赤い橋の両端より導き合う二人の男女。ロマンティックな光景である。
 梨絵としては内心笑いが止まらない。ここまで上手くいくとは予想外で、演劇部に所属していた事に感謝すらした。最早勝ったも同然。
「良かった……あたし」
 両手を胸に添え、安堵の微笑みを顔に浮かべ、感涙が滲む双眸を伏せた。今のあたし、最高にいかしてる。思った刹那の事だった。

「島谷、逃げろ!」
 
 視界を封じた闇に響いた叫び声。その元を辿る間もなく頭部に空前絶後の衝撃が走り、梨絵の意識は途絶えた。その意識は、二度と復旧する事はなかった。



 佐々木利哉(男子4番)は見た。橋の上に立つ二人の生徒の姿を。そして棒立ち状態となった梨絵の頭部目掛けて一振りされた凶悪なビジュアルのハンマーと、それを操る彰の微笑を。
 初めて目撃した生徒の殺害光景は衝撃的だった。出発時に拝んだ古谷一臣(男子9番)の亡骸はその予告と言えたが、やはり直接人が亡骸へと変化する瞬間だけはどうにも胸に堪える。
 しかし戸惑う暇はない。充分に満ちた月を背に、彰が橋を駆け下りて迫ってきた。
 利哉の支給武器はガマの油で、真っ向から挑んだところで砕かれた骨の治療にもできはしない。己のくじ運の悪さをつくづく嘆くばかりだ。
 剣の腕に長けた利哉としては棒状の武器が欲しいが、探索中にこの現場にかち合っており、他に武器はない。
 この危険人物を見逃す事には抵抗があるが、ここは逃げが得策と判断した。橋で亡骸を放置される梨絵には気の毒だが、まだ利哉にも死ねない理由がある。

 ――島谷、すまない。

 心で黙祷を捧げ、足は直ちに踵を返した。丁度梨絵の進行ルートを逆に戻る感じで、全速力で彰からの離脱を試みる。
 ハンマーが重い上に二人分のディパックを掴んでいる彰との差はたちまち広がっていった。それでなくとも利哉は脚力には自信がある。
 梨絵は何を思い彰へ無防備な姿をさらしたのか、そして彰は何故殺し合いに乗ったのか、疑問は尽きないがこの場は逃げるより他なかった。
 橋の上に取り残された梨絵のソバージュヘアが、生暖かい風に吹かれて血塗れの顔へと絡みつく。その顔は醜く変形し、なつみ以上に凄惨な様となっていた。

 退場者 島谷梨絵(女子5番) 残り19人


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