BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽 〜
36
[亜麻色の髪の乙女(島谷ひとみ)]
鄭華瑛(女子13番)は手持ちの道具で日課である弓道の朝練を終えると食事を摂った。
見た目はよくないがそれほど悪くは無い味だった。レーションと一緒に支給されていた水と一緒に摂取するとお腹の中で膨らむそうだ。説明書を読んだ後、もう一口水を飲んだ。冷えてはいなかったが、今まで飲まず喰わずだったので素直においしかった。
水の入ったペットボトルを自分のリュックにしまうと、支給されたバッグを開いた。その中にはもう時計とレーションのパッケージが2個入っているだけだ。桃の刻印が入った趣味の悪い時計を見ると9:25を指していた。
必要なものをすべて移し変えたことを確認すると、子供の頃遊んだお人形と同じような色をした自分の髪をゴムでくくり、リュックを背負うと北に向かって歩き出した。
今いるJ−1の隣、J−2はすでに禁止エリアになっており移動をするために通る事は出来なかったからだ。
先ほど北東の方向で爆発音がした。夜中にも同じ様な爆発はあったが、それよりも大きく聞こえたのだ。爆発物が支給されている事に驚いたが、禁止エリアに囲まれてしまう事を恐れてもう少し北に移動しておこうと思ったのだ。
───こんな事になるのなら、おとなしく待っていればよかった。
華瑛は後悔した。
誰かに見つからない様に周囲を見回しながら先を急いだ。
警察署を右手に見ながらさらに北上すると西町住宅街に入った。真北に向かっているつもりだったが、少し東よりに進んでいたようだ。
「死角が増える分だけ身を隠しやすけれど、こちらからも発見が遅れそうだわ…」
そうつぶやいた途端、北の方角から誰かがやってくるのが見えた。
華瑛は手近な家の門の影に入って、その人物をやり過ごした。塀の中から見えたその人物は黒田亜季(女子5番)であった。今にも倒れそうなくらいフラフラとした足取りで、顔も青ざめていた。ケガでもしているのか左の肩を押さえていた。
何処に行くのか気になったので少し顔を出して見ていたが、数軒先で立ち止まり左右を見回すとそのまま右手の家に入っていった。
きっと身を隠すつもりなのだろうと華瑛は思った。亜季とはそこそこ仲がよかったが、こういう状況では自分のグループの人間さえ信用が出来なかった。
ゆっくりと道路に出ると、亜季とは反対の方向に向かって駆け出した。亜季のほうに注意を向けていた華瑛は最初の十字路で誰かにぶつかった。華瑛は一瞬でアドレナリンが流れ、自分が戦闘状態になるのを感じた。バッグに指していた支給武器である木刀を抜き放つと、気合と共にその相手を薙ぎ払った。
ガッという音と共に華瑛の木刀は見事に受け止められていた。
───まさか、結城か?
華瑛は思ったが、緊張した面持ちで小太刀の木刀を握っている相手は北村雅雄(男子8番)だった。
「鄭・・・か?」という雅雄の問いかけを無視し、
「北村、まさか…あんたが亜季を…」と怒りを押さえずに言った。
二人はお互いに満身の力をこめて、鍔ぜり合いを制そうとした。雅雄は力を緩めず自分の体を引きつけると、下からカチ上げるようにして華瑛の木刀を弾いた。その力を利用して雅雄は華瑛との距離を取った。
一足一刀。
つまり一歩踏み出して刀を振り下ろせば相手を倒せる間合いよりほんの少し、足指の長さほどの距離をおいてその場に立った。
「オレじゃあない! オレはふらふら歩いている黒田を見かけたんで追いかけてきただけだ。悪いが、用が無いのならどいてくれ」そう言って華瑛の横を通ろうとした。
だが華瑛は雅雄の行く手に立ふさがるように回り込んだ。
「鄭、どういうつもりだ。オレと…やろうっていうのんか?」
二人の間に緊張が走った。雅雄は一度深呼吸をすると
「だけど少し待ってくれ。オレはどうしても黒田に確認しないといかんことがあるんや」そう言いながらも華瑛から目を離さず、自らの持つ木刀を中段に構えた。
───亜季に何を聞くっていうの?
華瑛は疑問に思った。何故なら亜季と雅雄の間には、何の接点も無かったからだ。
亜季はボランティア活動に熱心で、その為かこの国よりも福祉の発達している諸外国への感心も強く、将来的には留学を考えていると聞いた事がある。
対して雅雄の方は伊達俊介に勝るとも劣らないような実直な男で、中学から始めた剣道で才能を発揮し、二刀を操れば県内でも一、二を争う実力の持ち主であった。その二人に何の共通点があるのか?
華瑛には全く分からなかった。
少し考えた後
「よし、なら私も一緒に行く。どうだ?」と、華瑛は雅雄に聞いた。雅雄は顔を曇らせたが
「いいぜ、時間が惜しいからな」と言って華瑛を促した。
華瑛は雅雄が常に自分の視界に入るようにしながら、亜季が入っていった民家へと案内した。
塀の陰から家の様子を探った。亜季はもう中に入ったようだ。
「まずいな…」華瑛がつぶやいた。
「なんで?」雅雄が不思議そうな顔をして華瑛に聞いた。
「部屋の中に入られると、私達も動きが制限されるだろう? もし、何かがあったらかなり不利な状況になる。それに亜季は身を隠す為にここに来たんだよ。そこにのこのこ入っていったらどうなるか…」と、華瑛は答えた。
雅雄はうつむき、少しの間考えたが顔を上げると
「いく!」と言って玄関に向かった。華瑛は早足で雅雄に駆け寄ると少し前に出て歩いた。雅雄がムッとするのが分かったが
「お前、策もないまま入るつもりだろう? そんな事をして大騒ぎになると私まで巻き込まれるからな」そう言うと答えを待たずに先行した。亜季がその家の窓を割った形跡は無かった。まさかとは思ったが玄関のドアノブに手をかけてゆっくりまわすと何の抵抗も無く回った。
政府の命令でプログラムの会場になった地域は、急に撤去命令が出る為、時々こういった鍵をかけていない家があるとは聞いていたが、亜季が偶然そのうちの一つを見つけるとは思ってもみなかった。
華瑛は音を立てない様に静かにドアを開けると雅雄を促し、家に侵入した。
玄関を入ると左右に部屋があり、つきあたりはダイニングキッチンの様だ。ダイニングキッチンの手前には二階への階段も見えた。左右の部屋は都合の良い事に、どちらもドアが開いている。
華瑛は木刀を握りなおすと靴を履いたまま家に入り、まず右の部屋をチェックした。
異常無し。
後ろを振り向いて、雅雄を見ると左の部屋に入ろうとしていた。
───コイツ、死にたいのかっ!?
華瑛はあわてて雅雄を追った。雅雄は何事も無いかのように普通に部屋に入ってきょろきょろと中を見まわすと、さっさと部屋を出てきた。華瑛は雅雄の肩を乱暴につかむと自分の方に引き寄せ、耳元で
「お前死にたいのか? さっきも言っただろう、亜季は…」と言ったが、雅雄は
「オレには時間が無いって言っただろう。彼女と話しが出来ればそれで良いんだ!」
と、言ってダイニングキッチンへと向かった。華瑛は怒りを覚えたが
───いいさ、こんな事をして死ぬのはコイツだ。
そう思う事にした。
雅雄がダイニングに入ろうとした時、左手の階段から亜季が飛び降りてきた。
「きいいいいぃぃぃぃーーーー」
亜季はその手に持った包丁を振り下ろした。雅雄はすばやく左手に持った木刀で亜季の攻撃を受け止めた。
雅雄の木刀が、華瑛が今持っているような普通の長さであったなら、切っ先が壁に当たって攻撃を受け止める事も出来ず、彼はこの時点で死んでいただろう。そして、雅雄が二刀流の使い手である事も幸いした。
普通は利き手である右手に武器を持つが、二刀流の場合は大刀を右手に、小太刀を左手に持つのだ。木刀の長さと剣道の慣わし、この二点が雅雄の命を救ったと言っても良かった。
雅雄は柄と切っ先に手をあてて亜季の攻撃を受けていたが、機を見て右手を離すと亜季の手から包丁を奪い取った。
しかし、亜季の興奮は収まらず、両手を押さえられながら尚も抵抗を続けた。
「黒田、落ちついてくれ! オレは聞きたい事があるだけだ。なっ、落ちついて話しを聞いてくれ」と雅雄は亜季に言った。
だが、彼女の細い身体の何処にこんな力があったのかと思うほど、亜季は暴れつづけた。華瑛は普段と全く違う亜季を見て背筋が寒くなった。
「人間は一つの感情に支配されるとこんな風になってしまうのか? たった一つの恐怖という感情に…」華瑛の口から思わずその言葉が出た。そして亜季に近づくと
「亜季、私だ。華瑛だ! 落ちついて、何もしない! 何もしないから」と言った。亜季は華瑛の顔を見るとぽろぽろと涙をこぼし、座りこんだ。そして自然とその力も緩み、落ちつきを取り戻したようだった。
「亜季、北村が何か聞きたいそうだ。答えてやってくれ」そう言って亜季の左肩を見た。
先ほど見た様にケガをしていた。華瑛は自分のバッグからタオルを取り出すと亜季の肩を縛ってやった。血は止まっているようだが、かなり長い範囲に渡っているケガをしていたからだ。亜季は黙って治療を受けながら糸の切れた操り人形のように座っていた。
よほどショックな事があったのだろうと華瑛は思った。その理由を亜季に聞きたかったが、質問をしたいのは雅雄の方が先だった。雅雄は華瑛が手当てを終えるや否や
「黒田、教えてくれ。遠藤は何処にいる? 章次じゃあなくて、絹子の方だ。お前達待ち合わせていたんだろう?」と聞いた。華瑛は、北村がなぜ亜季を追いかけていたのかようやく分かった。
「北村、お前は遠藤絹子(女子2番)の事が…」と華瑛は聞いた。雅雄は答えなかった。じっと亜季の返事を待っている様だった。
「あの時…五代君がヘビに噛まれて、千佳子さんが叫んで沢渡さんが毒を吸い出したの。そして誰かがコテージを撃ってきたの…。知佳ちゃんが銃に飛びついて、純ちゃんが銃を撃って…私は叫びながら床を転げまわった。お絹ちゃんが逃げたキッチンの方に。そして…」亜季はぽつりぽつりと話しながら、震えはじめた。
話しの筋はめちゃくちゃだが、何となく意味は分かった。みんなで集まった所で襲われたのだ。亜季がこの様になるのも、もっともだと華瑛は思った。
「それで…遠藤は、どうしたんだ?」亜季の言葉を待ちきれず、雅雄が問い掛けた。
亜季はうつろに雅雄の方を見ると不意に立ちあがり、
「お絹ちゃん? 知りたい?」と、つぶやく様に聞いた。
身を乗り出すようにして亜季の言葉を聞こうとした雅雄に、華瑛が不意に蹴りを放った。
全く無防備だった雅雄は右脇腹に蹴りをくらい、玄関の方に吹き飛ばされた。
うめきながら立ち上がった雅雄は、この蹴りが彼の命を救ったのだと知った。身を乗り出した雅雄に、亜季が隠し持っていた包丁で不意打ちを掛けたのだった。彼の制服と蹴りを放った華瑛のスカートには真横に切れ込みが入っていた。もし華瑛の蹴りが無かったら、今ごろ雅雄はこの廊下に内臓を撒き散らして絶命していただろう。
「黒田、お前何のつもりだ!」雅雄は、襲われた事によって湧きあがってきた恐怖による震えを振り払おうと、ことさらムキになって叫んだ。亜季はそんな二人を交互に見ながら
「お絹ちゃんは私を助けてくれたの。山の中ではぐれる直前まで…そんなお絹ちゃんの居場所を・・・教えるものですか!」そう言って包丁を振り回した。
雅雄は恐怖心と共に沸き上がってくる闘争心を抑え込もうとした。このまま亜季を攻撃すれば、とり返しのつかない事になるからだ。
亜季の包丁による攻撃をかわしながらすり足で間合いを詰めると、包丁を持った右手に小手を打ち、動きが止まった所で胴を薙いだ。
「うっ」といううめき声をあげて亜季が崩れ落ちた。頭を地面にぶつけそうになる直前、雅雄は亜季の体を受け止めた。その亜季の首に、後ろから華瑛が手刀を叩きつけた。
電気が走ったようにビクンと体がうねった後、亜季はぐったりとして雅雄に寄りかかった。
「お前、なんでここまでするねん! 友達と違うんか?」と雅雄は華瑛に怒鳴った。
だが、華瑛はすました顔で
「お前こそ、お絹に会う前に犬死したいのか? もし亜季が気絶したフリをしていたのならお前は確実に刺されていたぞ」と言ってのけた。
雅雄はその言葉を聞いて、急に襲いかかってきた亜季よりも冷静な判断をする華瑛の方が恐ろしいと感じた。
華瑛は、ぐったりと横たわった亜季を抱え上げると先ほど雅雄が入った部屋へ入った。
その部屋は和室だったので一旦亜季をたたみの上に寝かせ、布団を敷いてから改めて亜季をそこに寝かせた。
雅雄は華瑛の行動を黙って見ていた。するとその視線を感じたのか
「亜季は、本当は人を傷つけるなんて事が出来る子じゃあない。よほど怖い目に遭ったんだろう…可哀想に」と、つぶやくように華瑛が言った。
「判っているよ。さっきは怒鳴って悪かったな」と雅雄は華瑛に詫びた。
華瑛は、亜季の額にかかった髪をなで上げながら
「気にするな。それより お絹は山の方にいるみたいだ。急いだ方がいい」と、雅雄に言った。
「あのな…もし、遠藤に会ったら伝えて欲しいんだ。オレ、あいつの事…」と雅雄が言いかけた。すると華瑛は顔を上げ、
「それはお前が自分の口から言え! いいか、お絹を探し出すんだ。私も…会わなければならないヤツがいる。そいつを探す」と言った。雅雄はいつも教室で聞くそれとは違う華瑛の口調に面食らったが、ひとつ頷くと自分の荷物から円筒形の入れ物を取り出し華瑛に渡した。
「これ、オレに支給された武器だ。お前の方が上手く使えるだろう、やるわ」
その言葉を聞きながら華瑛が筒を開けると、中から出てきたのは組み立て式の和弓だった。
専守防衛軍製のそれは弓の真ん中の部品を中心に3つに分かれており、それぞれをジョイントした後、弦をかけるようになっていた。空撃ちをしてみたがバランスも良く、弓の反りも申し分なかった。
「感謝する。それじゃあ代わりにこれをやる」
そう言って華瑛が雅雄に渡したのは先ほどから手に持っていた木刀であった。
「これも中に鉄が入っていて、それにネジが切ってある組み立て式だった。専守防衛軍もプログラムの武器には凝っているみたいだな。私やお前に当らないと意味はないけどな」苦笑しながら華瑛は言った。雅雄も2、3度素振りをしてその感触を確かめた。重さの割にバランスはよかった。
亜季の枕元に彼女の荷物と包丁を置き、2人は玄関を出た。
「じゃあ行く。私もがんばって探すから、お前もお絹にちゃんと告白するんだぞ!」微笑を浮かべながらそう言うと華瑛は東に向かって走り出した。
大胆に走り去る華瑛の背中を見送っていたが、雅雄は彼女と話したのは初めてだった事に気付いた。
「プログラムがきっかけで話しをするっていうのも皮肉なものだな・・・」
そうつぶやくと雅雄も絹子を探す為に北に向かって走り出した。
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