BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽 〜
53
[ぼくたちの失敗(森田童子)]
鄭華瑛(女子13番)は左手を下にして横向きに地面に倒れていたが、自分の腹を触りながら仰向けになるように体位を変えた。
腹からはとろとろとぬるい液体が出ている。
血であった。
ゆっくりと手を目の前にもってくると数滴顔に滴り落ちた。
華瑛は何も考えられないし、何も感じなかった。ただ、「死」というものが事実として感じられた。
ゆっくりと華瑛が目を閉じた時、ガシャンという音がした。
「おい、華瑛しっかりしろ!」
その声にうながされて華瑛はゆっくりと目を開けた。
「よし、俺が誰か分かるか?」という質問に短く「ゆ、結城・・・」と答えた。
「正解。動くなよ、手当てするからな」そう言いながら結城真吾(男子22番)は華瑛のセーラー服をたくし上げた。華瑛の傷を見て真吾は眉をひそめた。
「美鶴か?」と真吾が訊いたが、華瑛は何も答えなかった。
すぐにバッグからガーゼとさらしを取り出すと腹部に当て止血にかかった。その間、華瑛はポツリポツリと独り言のように話し始めた。
「祖父は・・・自分がこの国の人間で無い事に、とても劣等感を抱いていた。自分を認めさせようとしてのし上がっていった。そして父が産まれると幼い頃から自分の武術を仕込んだそうだ。その祖父も父が高校に上がって祖父よりも体が大きくなると手のひらを返したように優しくなったそうだ。父はそんな情けない祖父の拳を捨て、南朝共和国のテコンドーを学んだ。それからの父は・・・祖父に憎悪しか抱いていなかった。私が産まれた時、祖父も喜んだそうだが7歳になった時に父が単身赴任をすると、今度は私にみっちりと武術を仕込んだ。父が戻ってきてそのことを知ると強奪するかのように私を連れ戻し、祖父の教えた事を忘れさせたいかのようにテコンドーを教えた。五年生の終わりごろからか・・・美鶴が習いにきた。その時だけだ楽しいと思ったのは・・・」
手当てを終えた真吾が華瑛の手を握ると
「俺もその頃老師に訓えを請うたんだ」と言った。だが華瑛はそれを聞くと、急に眉間にしわを寄せた。
「父もその頃からより厳しくなった。私と美鶴はずっとお前を倒せと言われてきたのだ。二人の確執に絶えられなくなった私は、中学入学と同時に弓道部に入ったんだ。私も父も祖父のくだらないプライドの犠牲になったのだ」最後は悲しそうな口調になりながら華瑛は言った。
その華瑛よりも真吾は悲しそうな口調で「それは違うぞ」と言った。
華瑛のいぶかしそうな表情を見ながら
「老師は、お前や父上の泰星師兄を愛しておられた」と、真吾は言った。
「確かに老師は辛い思いもされたようだ。だが差別よりも、この国の悪平等を恐れられたのだ。ご自身は華僑のトップになられたので政府も手出しは出来ないが、お前たち家族は違う。そして家族を消すのに最も良い手段が『プログラム』だ。老師は師兄が『プログラム』に選ばれても勝ち残れるようにすべての技術を伝えようとされていた。師兄が高校に入学した時から老師が優しくなったのは体格のせいじゃあない。『プログラム』の危機が去ったからだ」真吾は華瑛の額にかかった髪を優しくかきあげて言った。
「そして次はお前に伝えようとなさったのだ」と、続けた。
「えっ・・・・・・」華瑛は思わず真吾の顔を見た。
「師兄は反発されながらも、そのほとんどを身に付けられた。だがお前は基本動作が終った段階で師兄が老師から離されたそうだ」華瑛は真吾の言葉を呆然と聞いていた。顔色が悪いのは出血のためばかりではなかった。
「お前にすべてを伝えられなかった老師は別の方法を取らなければならなくなった。そこで目を付けられたのが俺だ」真吾は寂しそうに言った。
「老師は俺に秘伝の技までも伝授してくれた代わりに、万が一の時はお前を守るように厳命された。師の命令は絶対だっていう考えが理解できない俊介は『そんな約束なんて守る必要はない!』って言っていたけどな・・・。この春、コネを総動員して俺をお前と同じクラスにしたそうだ。雪菜を別のクラスにしてくれと言った俺の意見は通らなかったようだがな」真吾は苦笑いを浮かべて言った。
「私は・・・私や父は、ずっと祖父の事を誤解していたのか・・・」華瑛は目に涙を浮かべて言った。
「いや、父はその事を知っていたのかも知れない・・・でも私は・・・。私はおじい様に謝りたい・・・」そう言って閉じた目から涙がこぼれた。
「大丈夫。老師も許してくれるさ」そう言って真吾は指で華瑛の目からこぼれた涙をふいた。
「結城、私はお前が憎かった。いや、おじい様の訓えを受けて、父からも気にかけられているお前の事がうらやましかったのかもしれないな・・・」華瑛は真吾に言った。
「何を言ってるねん。お前は生まれた時からずっと愛されてきたんやぞ。それに女の子に憎まれるのも男の甲斐性の一つや」
真吾の答えに微笑を浮かべた華瑛が、突然ゴブッという咳と共に血を吐いた。
堰を切った堤防のように鼻や口からとめどなく出血していた。
「華瑛、しっかりしろ!」真吾は華瑛の手を握って言った。
「ゆ、結城、そ、そばに、い、い、いるのか・・・」華瑛の手は空中を探るように伸ばされた。真吾はその手を握りながら
「ここにいるぞ。しっかりしろ!」と、周りを警戒する事も忘れて叫んだ。
「す、すっす、すまなかった・・・な。あぁお、おじい様・・・も・・・お詫び・・・を・・・」華瑛は小刻みに痙攣をしながらも真吾の手をぐっと握りかえした。そして
「し、し、死ぃにたく・・・な・・・い。ぅい、家・・・か、か、帰り・・・たい・・・・・・」と、つぶやいた。
その言葉が合図だったかのように、真吾の手を万力の様に締め付けていた華瑛の手から力が抜けた。
真吾は悔しそうに唇を噛みながら静かに華瑛を横たえると、北北東の方向に向かって詫びるように深々と頭を下げた。
それは、華瑛が帰りたいと言った神戸の方向であった。
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