BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽 〜
71
[大きな古時計(平井堅)]
「いっちゃん、いっちゃーん!」
理恵子は一輝の名を呼んだ。
明るくなってきたとはいえ、ここは山の中なのだ。
理恵子の運動神経でこの斜面を降りていくのは、ビルの3階から飛び降りるのと同じくらい危険な事だった。
それを足元も見えないようなこの状況でやるというのは不可能だった。
一輝と自分の荷物を掴むと、急いで斜面を迂回するルートを探した。
道無き道を駆け下りながら、一輝を助けに行かなければとあせっていた。
「いっちゃん、お願い。私を一人にしないで…」
理恵子はそう言いながら涙が止まらなかった。
頭の中で一輝の事ばかりを考えていた。それは理恵子の素直な気持ちだった。
数十メートル走ったところで一輝の姿を探した。
下生えの草が鬱蒼と茂っているので、転倒している一輝を見つけるのは容易ではないと思った。
キョロキョロと周りを見回していると、左手の方でもう一段下りになっている所があり、その林の中で一輝と進が対峙していた。
「いっちゃん!」理恵子が呼びかけたが、銃声のためか聞こえていないようだ。
大回りになるが、もう一度先ほどと同じ道で迂回した方が間違いないようだ。
「待っててね」そう言って走り出そうとした理恵子の10メートルほど先に誰かが立っていた。
思わず立ち止まった理恵子を見て、その人物は近づいてきた。
サーカスのピエロを連想させる体型は木下国平(男子9番)だった。
「た、谷村か…」
国平は怯えるように言った。
やはり体に染み付いた恐怖は、簡単に拭い去る事は出来なかった。
銃声から遠ざかろうとしたが、ガンマニアの好奇心からつい足が向いてしまったのだ。
急に出会ったのが女子で、しかも温厚で体力も無い谷村理恵子だった事に安堵を覚えたところだった。
「こんな所で何をしているの? 今の銃声は…」
震える声で訊いたが、理恵子は聞こえていないようで
「どいて。私いま急いでるねん、邪魔しんといて!」
怒鳴るように言うと、国平を避けるようにして斜面の方へと向かおうとした。
国平は元々が気弱な性格なので申し訳ないという気持ちで道を空けようとした。
だが、その右手に握られたCzの感触と、再び響き始めた銃声が“プログラムに参加している国平”を呼び起こした。
「待てよ、オイ」
国平は精一杯の脅し口調で言った。
只ならぬ雰囲気に振り向いた理恵子は、国平が銃を握っている事にその時はじめて気が付いた。
「何を急いでいるのか知らないけど、もうそんな必要が無い世界に送ってやるよ」
国平はマンガで読んだセリフを、自分なりにアレンジして言った。
理恵子はその時初めて、クラスメイトが邪魔だと思った。
頭の中と直結されているかのように右手が銃を抜いていた。
シルバーメタルのワルサーPPKが薄暗い中で妖しく光った。
「邪魔を…しないで……」
目の座っている理恵子に国平は怯えた。
「うわあああああ」叫ぶと同時にトリガーを絞った。
二つの銃声が交錯し、国平はその場に倒れた。
「いっちゃん、待ってて。すぐに行くから…」
理恵子は血がにじみ出てきた腹を押さえながら斜面を下りはじめた。
斜面を転がり落ちた一輝は、木の陰に身を隠した。
進は先ほどから同じような木に身を隠し、間断なく撃ってきていた。
一輝のWZは2発を残すのみだった。予備の弾と弾装は斜面の上に置いてきているのだ。
他の武器と言えば柄の曲ったお好み焼きのコテだけであった。
「クソったれ、あんな奴にナメられるなんて情けないなぁ」一輝はくやしそうに言った。
何とか反撃を試みようとしたが、何も武器らしきものはなかった。
反対に進は金星を挙げようと、ありったけの弾を撃ちこんできていた。
「こうなったら、奴の弾切れを待つしかないな」
一輝はハラを決めた。
進が弾丸の装填をする間に距離を詰めようと、隠れていた木から飛び出した。
進は驚きながらも素早く弾を込め直し、右に廻りながら撃ちつづけた。
「いいかげんにしろよ!」
一輝は細い楓の木に身を隠しながら、軽く引き鉄を引いた。
ダンッという音と共に進の右太腿から血が吹き出した。
「い、いたいいいいい」
進はその場にへたり込んだ。
一輝はこのチャンスを逃す手はなかった。座り込んでいる進を殴り倒そうとダッシュした途端、進が銃を向けた。
反射的に左に飛んだが、腰の辺りに激痛が走った。弾が当たったらしい。
同時にめきめきという音が聞こえた。
先ほどまで身を隠していた楓の木が倒れてきたのだ。
───クソッ、神の奴はへそ曲がりか? そんなにオレが憎いのか
そう思ったときには、もう木の下敷きになっていた。
細い木だったので、一輝は何とか脱出しようとしたのだが下敷きになったときの衝撃と腰の痛みのために力が入らなかった。
足から血を流しながら進が立ち上がった。よろけながらも確実に一輝の方に近づいてくる。
一輝は最期まで諦めまいと思った。だが、この状況ではどうしようもなかった。
進が一輝の顔を覗きこんだ。レンズが割れた眼鏡をかけているので、その表情は判らなかった。
すっと銃を持ち上げた進は、いきなり一発撃った。
着弾したのが一輝の耳元だったため、もの凄い耳鳴りがした。
「痛かったよ」と、進の口が動いたようだった。
そして更に一発。一輝の右肩をかすった。
「もう走れないかもしれない…」独り言のようにつぶやいた。
「やるんならさっさと殺せ!」一輝は歯をむき出して言った。
その顔をちらっと見た進は、銃口を一輝の顔に向けた。にやりと笑った進は一輝の右足を撃った。強烈な痛みに身を捩る一輝に
「同じ所だよ。痛いだろう?」と言った。
進が言い終わると同時に、斜面の上の方で銃声がした。
「上に誰かいるのか」進が言いながら無造作に一発撃った。
そして一輝の方に向き直ると
「そう言えば谷村さんと一緒だったね。彼女のことはオレに任せて、ゆっくり可愛がってやるから。それじゃあ最後の一発だよ、ゆっくり味おうて」と言って銃口を一輝の顔面に向けた。
一輝は悔しさのあまり体が震えていた。
進はその震えを恐怖のためと誤解したようで、勝ち誇ったような笑顔を浮かべると引き鉄を引いた。
バチンッという音がしただけで、弾は発射されなかった。
「不発か…ちょっと寿命が延びたね」
のんきに右手の銃を持ち上げた進は、銃のシリンダーをスイングアウトさせ、装填されている弾を全部抜いた。
銃身が熱いのか、ふーふーと何度も息を吹きかけた。
そしてポケットから新たに弾を取り出すと一つ一つ丁寧に込めていった。
6発全てを込め終わると、さっきとは逆の手順でシリンダーを元に戻した。
その間、一輝も何とか抜け出せそうなくらい体を引き出せたが、間に合わなかった。
「さあ、今度こそサヨナラ」
進が一輝に銃を向け、引き鉄を引いた。
ズガンッという今まで聞いたこともない轟音と共に、進の手にあった銃が爆発した。
一輝も顔面にいくつかの破片が食い込むのを感じた。
顔の右半分と右手のひじから先を失った進は仰向けに倒れ、二度と動かなかった。
進が清実から奪ったリボルバー ブルドッグは、俗にサタデーナイトスペシャルと呼ばれる粗悪製造銃だったのだ。
数発撃つ分には何ら問題ないのだが、進のように何発も撃つと銃の機構が変形し、暴発するのだ。
取扱説明書に書かれていた「撃ち過ぎに注意」というのはこのためのものだった。
この銃を支給された斉藤清実(女子6番)は当然この注意書きを読んでいたが、強奪した進はそんなものを見ていなかった。
唯一、南おのころ病院でこの銃をみた結城真吾だけがこの銃のカラクリに気付いていたのだが、一輝や進には知る由もなかった。
一輝は楓の木から完全に体を引き抜くと、座り込んで息を整えた。
そして無残に損傷している進の遺体を見て
「色魔にはぴったりの死に方だな…何が可愛がるだ、てめえのツラと相談しろって」
一輝は皮肉を言った。
ふぅと一息つくと、自分の転がり落ちてきた斜面を見上げ、
「ソッコーで帰らないと…理恵子も降りてきていたみたいだな…」
そう言って登りやすそうな場所を探した。
ちょうどその時、右手の方で斜面を滑り降りてくる音がした。
「理恵子…待ってりゃいいのに……」
その場に生い茂るススキをかき分け、理恵子を探した。
すると一輝が探すまでもなく、向こうから駆け寄ってきた。
様子が変だと思う間もなく一輝の胸に飛び込んできた。その手に包丁を握ったまま…。
「うっ、ぐわぁああ」
胸に包丁を突き立てられた一輝はセーラー服の両袖をつかみ、自分から引き剥がそうとした。
一輝の腕の中で不気味な笑顔を浮かべているのは理恵子ではなく、黒田亜季だった。
「藤田君、みーっけ。でも抜いちゃダメよ、また汚れちゃう。せっかく湖で体を洗ってきたところなんだから」
そう言うと亜季は素早く別の包丁を一輝に突き立てた。
一輝は急激に自分の力が抜けていくのを感じた。
───オレは死ぬのか? いや、それよりこいつを理恵子と会わせないようにしないと…
意味不明の言葉をまくし立てながら何度も一輝を刺していた亜季が、さらに銃を抜くのを目にした。
一輝は最後の力を振り絞ってWZを持ち上げると、亜季に向かってトリガーを引いた。
測ったように目と目の間を撃ち抜かれ、後頭部から噴水のように血と脳漿を噴き出している亜季は、不気味な笑顔のまま大の字で倒れると二度と動かなくなった。
それを見届けた一輝もがっくりと膝をついた。
「ダメだ…まだ死ねない……オレは、オヤジとは違う。惚れた女を…理恵子を…守るんだ…」
一輝は渾身の力で立ちあがった。
ぼんやりとかすみ始めた視界の中で、向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。
「り、理恵子…」一輝はゆっくりと歩を進めた。
足が思うように動かず、イライラするほどもどかしかった。
───これ、ひょっとして死ぬ前に見る幻じゃあないだろうな…
何とか理恵子のもとにたどり着いた一輝は、彼女の胸に倒れこんだ。
一輝の頬が自分のものとは違う血液で濡れていた。
「いっちゃん、私も撃たれちゃった…」
そう言うと、理恵子は一輝を抱えるようにしながらその場に座った。
一輝はうつぶせのまま理恵子に膝枕をしてもらっている状態になった。
「り、理恵子…オレのハーモニカ持っているか?」一輝が尋ねた。
理恵子は青ざめた顔で「うん、持っているよ」と短く答えた。
「じゃあさ、あれ…吹いてくれよ。ガキの頃お袋に習って練習していただろう。何っていったっけ?」
一輝の言葉に
「うん、『大きな古時計』だね」というと、理恵子は肌身離さず持っていたダブルリード・オクターブチューン・ハーモニカ、リーベリンゲ24をポケットから取り出して吹き始めた。
一輝は音色を聞いているうちに母親の事を思い出していた。
『一輝、あなたは好きな人を守ってあげるのよ。そしてこの歌みたいに、大好きな人と一緒に生きて。そして悔いのない人生を送りなさい、いいわね』
小学生だった一輝は照れてしまって返事もしなかった。
───母さん、オレ…また守ってやれなかったよ。ゴメンな…
一輝の顔を照らす朝日の中に母親の顔が見えた。
───母さん、もう一言だけ言わせてくれ
一輝の言葉に母親が頷いたように思えた。一輝は片方の口だけ吊り上げるようにして笑うと
「理恵子…それ、お前にもらって欲しいんだ…」と言った。
その言葉の意味するコトに、理恵子はぽろぽろと涙を流し、頷いた。
一輝はいつものように笑って見せると、眠るように目をつむり二度と動かなくなった。
理恵子は泣きながらハーモニカを吹きつづけた。
“───今はもう動かない、その時計…”
最後まで吹き終えた理恵子は
「いっちゃん…いつまでも…一緒だよ……」
そう言って一輝を抱きしめると、朝日を見ながら旅立っていった。
【残り 11人】