BATTLE ROYALE
〜 黒衣の太陽 〜


エピローグ 1

[最後の約束-See you again-(AMBIENCE)]

 壁やカーテンの色が白に統一された病室に、冷たい風が吹き込んできた。
「窓、閉めるわね」
 沢渡若葉は妹に声をかけた。
 ベッドの上で、沢渡雪菜は何の反応も見せなかった。
 雪菜が「プログラム」から生還して、もうすぐ2週間になるが、食事とトイレ以外で動く事はほとんど無かった。
 ぼんやりと壁の一点を見つめているだけの妹を見ていると、かわいそうでならなかった。
 半月前…勤務を終えて帰宅した若葉は、妹の雪菜が「プログラム」に選ばれたと母から知らされた。
 他の家族と同じように運命を呪い、絶望と恐怖に苛まれ、無事に戻る事だけを祈った。
 眠れない夜は、2日で終わりを告げた。
 雪菜は無事に帰ってきたのだ。
 帰ってきたといっても帰宅した訳ではなく、そのまま病院に収容されたという事だった。
 取る物もとりあえず、若葉と両親は指定された病院に向かった。
 そこにはぼろぼろのセーラー服を着たまま、放心状態で横たわる雪菜の姿があった。
「雪菜…」
 父の呼びかけに、雪菜はゆっくりと顔を動かした。
 家族の顔を見た雪菜は
「お父さん、お母さん、お姉ちゃん…」
 と言って泣きだした。
 沢渡家の全員が雪菜の無事を心から喜び、何も言わず涙した。
 だが、雪菜がしゃべったのは、あとにも先にもその時だけだった。
 それを境に、雪菜から言葉と共に一切の感情が消えたのだ。
 奇跡的に体の傷も少なかったため、体力が戻り次第退院という事になっていたが、精神科の診察も受けることになり、今に至っているのだ。
 当然「プログラム」が要因なのだが、何が起こったのかを雪菜に訊くなどできるはずが無かった。
 看護師をしている若葉は医師の説明を聞くまでも無く、雪菜のような心の病には時間が必要だという事を十分に理解していた。
 そして、その多くが完治に至るのが難しいという事も…。
「気持ちを大きく持ってください。ふとしたきっかけで治る事もあるのです。家族が諦めたら、そこで終ってしまいますよ…」
 若葉は医師の言葉を思い出し、唇を噛んだ。
 ───きっかけ…そんな漠然としたものが本当にあるの?
 若葉は、何が起こったのかを思い切って雪菜に尋ねようかとも思った。 
 だが、それは雪菜にとって拷問よりも激しい仕打ちになるに違いなかった。
 若葉は自分の気持ちを落ち着かせ、雪菜の方を見た。
 先ほど窓から吹き込んできた風のせいか、雪菜の目に髪の毛がかかっていた。
 子供の頃、そうしてあげたように、若葉は手で優しく雪菜の髪を梳いた。
 ───そうだ、帰ってから雪菜は鏡を見ていないわ
 若葉が自分の手鏡をバックから取り出そうとした時、ドアがノックされた。
 返事を待たず、ドアは開いた。
 スライドするドアの向こうには、顔中を包帯で覆われた専守防衛軍の兵士と、若葉と同じくらいの年齢と思われる髪の長い女性が立っていた。
 病室の中を素早く見た兵士は、すぐドアの陰に移動し、女性が通りやすいようにした。
 そして女性が入室したのを見届けると、廊下に出てドアを閉めた。
 女性の方はというと、その気使いを当たり前とでもいうように入室すると
「久しぶりだな、沢渡」と、雪菜に声をかけた。
「失礼ですが、どなたですか?」
 と、唯ならぬ雰囲気を持つ女性に対し、若葉は訊いた。
「あなたは、沢渡若葉さんですね。私はプログラム担当官の朝宮みさきという者です」
 若葉の方を振り向いたみさきは、短く自己紹介をした。
 その言葉に縛られたように、若葉は動けなくなった。
 この国で「プログラム担当官」という単語は「死神」という単語とほぼ同意語だからだ。
 数瞬の沈黙を破ったのは雪菜だった。
「帰って!」
 若葉は雪菜の口調に目を見開いた。
 妹が声を荒らげる所など、見たことが無かったからだ。
 しかし、担当官は気にしていないようで
「まず、これが政府発行の受給手帳だ。これに優勝者へ支給される生活保障金が振り込まれる。どの金融機関でも使えるからな。暗証番号は君の誕生日にしておいた」
 と、事務的に話した。
「そして、これが総統閣下直筆のサイン色紙だそうだ」
 幼稚園児が落書きをしたような色紙を雪菜に見せると、先ほどの受給手帳と併せてベッドの横に設置してあるサイドテーブルに置いた。
 テーブルの上に載っていたものを、雪菜は全て払い落とした。
 そしてみさきを睨みつけると
「あなた達は最低よ! 私は…絶対に許さない」
 若葉は、妹の取った行動に気を失いそうだった。
 政府の役人に口答えするなど自殺行為であったからだ。
 みさきは鼻で笑うと雪菜の襟を掴んだ。
 そして雪菜の耳元で
「いいか、政府の人間に対してそんな口を利くんじゃあない。殺されても文句は言えんぞ」
 と、ささやいた。
 雪菜はみさきを突き飛ばそうとしたが、どれだけ暴れてもみさきはびくともしなかった。
 みさきは小さく舌打ちをすると「お姉さん、少しの間二人きりにしてもらえますか」と、若葉に言った。
 目に涙を浮かべながらも首を横に振る若葉に閉口しながら
「陸奥、入れ」
 と、ドアの向こうにいる兵士に言った。
 包帯男がドアを開けて入ったところで
「私が声をかけるまで、その女性を部屋に入れるな」と、命じた。
 包帯男は姿勢を正して了解の意を示すと、若葉を強引に外に連れ出した。
 陸奥がドアを閉めるのを待って、尚も暴れ続ける雪菜をベッドに押さえつけると
「落ち着け、沢渡。結城が最後に言った言葉を思い出せ!」
 と、諭すようにいった。
 大きく目を見開いた雪菜は、それまでの激しい抵抗を止め、体の力を抜いた。
 雪菜がおとなしくなった事を確認したみさきは
「結城は…こんな時のために、お前に“生きろ”と言ったんじゃあないのか?」
 と、言った。続けて
「お前が自暴自棄になってコトを起こせば、周りの人を傷つける事だってあるんだぞ」
 真吾のように優しい口調で言うみさきの顔を、雪菜は見た。
 みさきは澄んだ目をしていた。
「くだらない事で命を落とすなという意味だと思わないか? …そして、優勝者の事を誰よりも知っている私に、お前の事を頼むと言ったのではないか…」
 そう言ったあと、みさきは雪菜から離れた。
「しばらくの間、私は担当官としてお前と面会する義務がある…体が元に戻るまでは大人しくしていろ。そうすれば、あの後の事も追々話してやる」
 先ほどの事務的な口調とは全く違い、正に生徒に話をする教師といった感じであった。
「あの後の事?」
 雪菜は普通に尋ねた。
 みさきは軽くうなずくと、いつもの表情に戻り
「週末、転校手続きのためにまた来る…」と、言って背を向けた。
 ドアを開ける直前に
「早く治せ。留年したら、また一年間怯える事になるぞ」
 と、雪菜に言って出ていった。
 みさきと入れ替わるように、若葉が病室に戻ってきた。
 包帯男が軽く会釈をしてドアを閉めた。
「雪菜…大丈夫?」
 若葉は泣きそうな声で尋ねた。
「あの人は…助かったんだ……」
 雪菜はつぶやいた。
 そして、心配そうに自分を見ている姉に
「お姉ちゃん…」
 と、声を掛けた。
 若葉は大粒の涙を流しながら、雪菜を抱きしめた。


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