BATTLE ROYALE
〜 黒衣の太陽 〜


84

[陽と陰(aiko)]

 プログラム担当官 朝宮みさきは二人に近づいた。
 いち早く反応したのは結城真吾ではなく沢渡雪菜だった。
 苦痛に耐えながら、真吾の盾になるようにみさきと対峙した。
 雪菜が口を開く前に真吾が声をかけた。
「何か用でもあるのか? いま、イイ所なんやけど」
 みさきはそこで立ち止まると
「本部を攻撃したのはお前達か?」と、訊いた。
 真吾は質問に答えず、自分の前に立っている雪菜をゆっくりとさがらせた。
「本部を攻撃したのがお前達ならば…残念だがここで処刑する」
 みさきは真吾を睨み付けながら言った。
「そんな事をしてもいいのか? 残りは俺と雪菜だけだぜ。いくら担当官とはいえ、それを処刑するっていうのはマズイんじゃあないのか」
 不敵な笑みを浮かべる真吾とは対照的にみさきは眉をひそめた。
「どこまでも頭の回るヤツだな…だが、優勝者は一人だけだ。これからどうする」
 心なしか、動揺しているような口調で訊かれたことを不審に思いながらも
「さてね、24時間あるからコイツと2人で充実した時を送るよ。最期にはこの国がブッ潰れることだけ願っていると思うけどね」と、真吾は答えた。
 それに対してみさきは
「そうか…それもいいだろう。だが、万が一優勝者が決まったら…私の力になってもらいたい」と言った。
「ちょっと、どういうつもりなの!」 
 眉を吊り上げて怒鳴る雪菜をなだめるようにしながら
「陣のおっさんも同じ事を俺に言っていたよ… 俺が了解したとして、あんたは何をしたいんだ?」真吾はみさきに訊いた。
 みさきは口を開きかけたが、真吾と雪菜の首輪を見て小さく舌打ちをすると、右手を胸の前で細かく動かし始めた。
 ───手話だわ…
 雪菜はみさきのすらりとした指の動きを見て思ったが、何を伝えようとしているのかは残念ながら判らなかった。
 真吾は内容を理解したようで、大きく目を見開いた。
「あんた、やっぱり…」
 そのつぶやきに銃声が重なった。
 真吾の体がびくんと跳ね、一瞬膝を崩した。
「真吾!」
 雪菜は真吾を抱きかかえるようにしながら射線の先を見た。
 銃口から白い煙を吐き出しているコルトガバメントを構えているのは、沼田十蔵であった。
「ようやく会えたな、クソガキ」
 沼田は嬉しそうに言いながら近づいた。
「何が銃弾をかわせるだ。漫画の主人公にでもなったつもりか? どっちにしてもお前はこれで最終回だ。覚悟を決めろ」
 腰を押えている真吾の顔面に狙いを定めた。
「沼田、銃をしまえ。命令違反だぞ」
 みさきの怒鳴り声に沼田は一旦立ち止まった。
「命令違反? オレはまだコイツを殺していないだろうが!」
 そう言うとみさきの足元に向かって威嚇するように二発撃った。
 銃弾がめり込んだ地面を一瞥し、そのまま鋭い眼光で沼田を睨み返したみさきは
「生徒に決着をつけさせろと言っただろう。我々は『プログラム』に介入してはならない」と言った。
「残った奴らを見てみろ、こいつが本部を襲撃したに決まっている。みさき、お前まだあの事にこだわっているのか? いいか、誰がなんと言おうと野崎とかいうガキは完全にオレに逆らって戦闘行為をしていたんだ。それを軍法会議にまでかけやがって…お前は生き残ったんだからいいだろう。ごちゃごちゃいうんなら、お前もまとめて殺すぞ」
 沼田は口から泡を飛ばしながらまくしたてた。
 それに応じるかのように みさきの左手で金属音がした。
 ヨーヨーに手をかけたと考える前に沼田は引鉄を引いていた。
 真吾達とは反対側へ飛んだみさきの胸に二発の弾丸が命中した。
 蔵神司令の直属兵士に配備されるボディーアーマーは通常の防弾着よりも遥かに性能がよかったが、二発を同時に、しかもほぼ同じ個所に命中させられては、すべての衝撃破を吸収するという訳にはいかなかった。
 みさきは受身を取ることも出来ず、地面に叩きつけられるようにして倒れた。
 同時にみさきの左手から放たれたヨーヨーは、懐からホップしてくるようにして沼田の右手に当った。
 ガツンという衝撃がはね、ショックで一発を空中に向かって発射したあとガバメントと白い芋虫のようなものが地面に落ちた。
 銃と一緒に仲良く転がったそれは、沼田の右手親指であった。
 親指が欠損した掌を沼田が力なく見た瞬間、傷口から心臓の鼓動と同じリズムで血が噴出した。
「あっ、ぐぞぉおおおおおおお」
 右手をかばうように胸に押し付け、奇声をあげながら左手で銃を拾い上げた沼田は左右に銃口を振りまわした。
「みさきぃ、殺す…殺してやる!」
 沼田は、胸を押えながら木の陰に身を隠そうと這いずって行くみさきに銃を向けた。
 ゆっくりと狙いをつけ、引鉄を絞った沼田の背中にクナイが深々と突き刺さった。
 反射による僧帽筋の急激な収縮により沼田の腕は大きく動き、照準が甘くなった弾は全く見当違いの方向へと飛んで行った。
 これ以上不可能だという位に目と口を開いて沼田は振り返った。
 真吾が右の腰をおさえながら立っていた。
 少し距離を置いた場所には雪菜もおり、沼田をにらんでいる。
「おっさん、残りの弾は何発か覚えているか?」
 真吾はニヤリと笑って言った。
 沼田は銃を見た。
 まだスライドは後退していない。銃の中にはまだ弾が残っているという証だ。
 だが、残りの弾数は…
「二発以上残っていれば、俺と担当官のどっちも殺せる。だけどそれ以下なら…死ぬのはあんただ」
 真吾は先ほどと違い、殺気に満ちた顔で言った。
 反対側では、みさきが木にもたれかかるようにして立ち上がった。
 もう沼田にできることは一つだけだった。
「どいつもコイツも死にやがれぇ」
 叫びながら沼田は雪菜に銃を向けた。
「今だ、雪菜!」
 真吾は叫びながらダッシュした。
 雪菜は真吾に言われた通り、地面に伏せながら渡されていたクナイで足もとの紐を切った。
 沼田の膝下を弓のようにしなっていた枝が直撃した。
 それは横山純子が真吾に仕掛けた罠の一つだった。
「うおおおおおっ」
 脛を打たれた為大きくバランスを崩した沼田は、何とか近づいてくる真吾に銃を向けた。
 トリガーを引いたのと同時に沼田の視界から真吾の姿が消えた。
 ダッシュの勢いをそのまま跳躍に変えた真吾は、体をコマのように回転させ蹴りを放った。
 劉家殺体術 竜巻風神脚
 横山純子が真吾に対して使った技であった。
 銃声と衝撃音が重なった。
 弾き飛ばされるようにして地面に転がった沼田とは対照的に、真吾は華麗に地面に降り立った。
「真吾!」
 心配そうに呼び掛ける雪菜に向かって真吾は微笑み、左手でサムズアップをしてみせた。
 その腕にみるみるうちに大きなミミズ腫れが出来た。
 弾がかすめていった跡だと判った雪菜は、恐怖のため鳥肌が立った。
「真吾……」
 雪菜は真吾に駆け寄り抱きしめた。
 自分に出来る事はそれだけしかなかった。
 真吾はいつもと同じように、雪菜の頭をなでるようにしながらポンポンと軽く叩いた。
「結城真吾、沢渡雪菜…」声をかけてくるみさきに
「正当防衛だぜ、ついでに言うならあんたも守ったんだ。今さら文句を言わないでくれよ」
 真吾は冗談めかして言った。
「お前たちを責めたりはしない。ただ…奴は私のこの手で殺したかったんだ」
 みさきは何かを思い出すかのように空を見上げた。
 二人がみさきの方へ視線を向けた時、それまで動かなかった沼田が勢いよく立ち上がった。
 真吾は沼田の命までは奪わなかったのだ。
 沼田の左手にスイッチのようなものが握られているのを認めた雪菜は、とっさに真吾をかばうように立ちはだかった。
「これ以上何をするつもりだ、もうやめろ」
 みさきは威嚇をするように語気を強めて言った。
 ゆっくりとみさきの方に顔を向け、沼田は答えた。
「これは起爆装置だ。オレの指示で乙種装備の中に入れたC4火薬のな…」
「な、何をバカな事を…すぐその起爆装置を渡せ! 蔵神司令もこの会場にみえるんだぞ」
「ちょうどよかった、蔵神司令にも一泡吹かせてやる。オレを担当官から解任しやがって…」
 沼田が答えている間に真吾は右手を腰に回した。
 クナイを投げ、一瞬でも隙ができれば真吾にも勝機があるからだ。
 しかし、真吾の顔が悔しそうに歪んだ。
 クナイは先ほど雪菜に渡したものが最後だったのだ。
 真吾の動揺を察知した沼田は、スイッチを握っている左手を突き出した。
「おかしな真似はやめろ。オレが見える位置に両手を出しな…」
 真吾は沼田の言葉に従い、両手を前に出した。
 今度は沼田が顔をしかめる番であった。
 真吾の左手にはナイフが握られていたのだ。
 自分の方に切っ先を向けられながらも、沼田は真吾の腕を見て鼻で笑った。
「そのナイフはそのまま持っていてもいいぜ。そんなに腫れた手じゃあ投げる事はできないだろうからなあ」と言った。
 沼田の言葉に、真吾は口を歪めるようにして笑うと「そうかい」と言ってナイフを握り直した。
 慌ててボタンを押そうとした沼田の右目に燃えるような激痛が走り、起爆装置を落とした。
「スペズナズナイフだったかぁ……」
 沼田は叫びながら防衛軍兵士に標準装備されているコンバットナイフを引き抜くと、真吾達に向かって飛びかかった。
 不意をつかれた真吾は、雪菜をかばおうと前に出ようとしたが、間に合わない。
 負傷を覚悟でナイフを突き出してきた沼田の手を掴もうとしたが、それは真吾まで届く事はなかった。
「き、貴様…まさか……」
 見開いた沼田の目には、クナイを自分に突き立てている雪菜が映っていた。
「私、負けない。今度は私が守る、私が真吾を守ってみせる!」
 雪菜は自分に言い聞かせるように叫んだ。
「この、小娘がああああぁ」
 口からどす黒い血を吐き出しながら、沼田は再びナイフを振りかぶった。
 雪菜は恐怖のあまり体がすくんでしまった。
 体を入れ替えるようにして飛び出した真吾は、自分よりも速く銀色の塊が飛んでくるのを視認していた。
 みさきの左手から放たれたそれは、文字通り糸を引くように沼田の首に向かって飛んできた。
 ヨーヨーが後頭部の延髄付近にめり込むズグッという音がおまけに思えるほど、沼田の口から悲鳴に似た声がほとばしった。
「はぁっ…がっ、くひゅぅ」
 呼気にも似た音に変化したそれは、沼田という生命が最後に見せた己の主張のようにも思えた。
 数回自身の喉と空をかきむしり、後退りするように数歩下がった沼田は、その姿勢のまま地面に倒れ伏し動かなくなった。
 震える雪菜の体を抱きしめた真吾は、みさきへと視線を移した。
 胸を押さえ苦しそうに肩で息をしながら、みさきは沼田の死体を見つめていた。
 その右手が、無意識のうちに胸のペンダントへと伸び
「永かった。一平…敵は討ったよ……」
 そうつぶやいたみさきの目から一筋の涙が零れ落ちた。
 真吾はその姿を無理に見ようとはせず、雪菜を抱いた。
 沼田に撃たれた腰の消毒とテーピングを終えたとき、みさきが涙を拭いて立ち上がった。
 真吾は雪菜を促すと、ゆっくりとみさきの方へと歩いていった。
「大丈夫かい?」
 真吾の問いかけに答えるようにみさきは一度大きく息を吐き出すと
「大丈夫だ。無様なところを見せてしまったな」と、小さな声で言った。
 それを否定するように雪菜が首を横に振るのを見たみさきは、会釈をするように軽くうつむいたあと真吾の方を向き
「どうする? あまり時間は無いぞ」と、元通り力強い声で訊いた。
 どのように答えようか思案していた真吾の視線が一点を見つめたまま止まった。
 沼田の死体だった。
 しかし、先ほど倒れた際とは明らかに姿勢が変わっており、その手には起爆装置が握られていた。
「しまった!」
 真吾の叫びをかき消すように、プログラム会場に轟音と炎が満ちた。


§


 

 爆発の震動は空気中を伝播し、真吾達の体を震わせた。
 青ざめる雪菜の肩を抱いた真吾は、沼田の持っている起爆装置を調べているみさきへ
「いまの爆発、二ヶ所だったよな」と訊いた。
 みさきはスイッチへ目を向けたまま
「これは…何分かのタイムラグで爆発をするように信号が出ているようだ。エリアを囲むように兵士を配置した事が裏目に出たな。このままだと蒸し焼きにされるぞ」
 みさきの言葉と同時に二度目の爆発が起こった。
「北西と南東の方向だった。時間差は約1分…兵士の数は?」
 真吾の問いに、みさきは
「一個中隊だから40人だ。半数に分けてそれぞれを反対方向に配置したから、二方向で爆発が起きている。逃げるなら真北か真南だ…」 と答えた。
「北だ」
 真吾はすかさず言った。
「本来、山に登るのはマズイんだけど、今は山の方向から風が吹いている。逃げるなら風上の方がいいだろう。貯水池を迂回すれば向こう岸に渡れるしな」
 そう続けると、雪菜をひょいと背負い「時間が無い、いくぜ」と言って歩き始めた。
 みさきは沼田の死体を一瞥すると真吾に続いた。
 10分ほどで真吾が陸奥を動けなくして連れ込んだ洞窟の前に到着した。
 しかし、その頃には爆発が何度も起き、森が炎に包まれ始めていた。
「真吾、もう降ろして。このままだとあなたが…」雪菜は真吾に訴えた。
 真吾は、自分の肩越しに雪菜の顔を見ると
「アホな事を言うな」
 と、語気を強めて言った。
 懐かしそうに二人のやり取りを見ていたみさきの胸元で、電子音が鳴った。
“防衛…蔵…だ。…さき、応答…”
 みさきは慌てて通信機を取り出し
「こちら朝宮です!」と応答した。
 雑音ではっきりと聴き取れなかったが、みさきの返事の仕方からして上官のようだった。
“みさ…無事だ…か。今か…ヘリを…わす。現在…地……”
 雪菜は、支給されていた地図をみさきへ渡した。
 それをざっと見たみさきは
「現在、D−5を北上中です。選手を2人連れています。オーヴァ」
 と、通信機に向かって怒鳴った。
“よし、C−4…水池の…北…待つ。合流…間…10分後…だ……”
「了解。C−4に向かいます。オーヴァ」
“オールオーヴァ”
 最後の言葉だけは鮮明に聞こえた。
「よし、行くぞ」
 という、みさきの声に応えたのは真吾でも雪菜でもなかった。
「そうはいきません」
 周りを探した真吾の7mほど右方向に陣京一郎はたたずんでいた。
 陣の顔は真吾に殴られて内出血を起こし、目蓋や頬が不気味に腫れあがっていた。
 しかし、顔色はというと遠藤章次(男子4番)に刺された傷のため失血症状に陥り、紙のように真っ白になっていた。
「陣…何があった」
 みさきが尋ねた。
 これほどまで負傷をした陣を見たことが無かったのだ。
 陣の視線にようやく気付いたみさきは、答えを聞かずとも納得した。
「あ、あなたは…私に殺されなければ…な、なりません」と真吾に言い、うつろな表情のままナイフを持ち上げた。
「バカな事は止めろ、今は脱出する方が先だ」
 命令口調で言うみさきを、陣は見ようともしなかった。
 陣の目には真吾しか映っていなかった。
「私はあなたにしか興味はありません」
 陣は静かに言った。
「雪菜を連れて、先に行っていてくれ」
 みさきの方へ自分を押しやろうとする真吾に、雪菜は必死で抵抗した。
「イヤよ、一緒に行こう。最後まで離れたくない!」
 泣きながら懇願する雪菜を真吾は抱きしめた。
 同じように真吾を抱きしめようとした雪菜の体が急に痺れ、動かなくなった。
 そこに倒れている陸奥と同じ麻穴を押されたのだ。
「真吾…イヤだ……」
 雪菜は尚も真吾を見て言った。
「…頼む」
 短く言うと雪菜の体をみさきに預けた。
 みさきは雪菜を背負うと、できるだけ早足で歩きその場を離れようとした。
「死ぬなよ…」
 歩き出す際に口から出た言葉はどちらに向けたものか、みさきにも判らなかった。
 みさきの姿が見えなくなる前に陣は動いていた。
 右手に長剣、左手には梵字のような形をしたアフリカの投げナイフを持っていた。
 真吾は、もつれそうになる足で巧みに陣の攻撃をかわしていった。
 先ほどよりも体力は落ちているが、消耗度でいえば陣の方が遥かに上だったからだ。
 見る見るうちに陣のスピードは落ち、早朝の公園で太極拳を行っている老人のそれと同じようになった。
 最後にはその動きも止まり、突っ立っているだけの状態になっていった。
「なぜ…逃げなかったのですか?」
 陣は真吾に訊いた。
「ダッシュすれば逃げられただろうけど、それを簡単にやらせるなんて裏がありそうだったからな」
 真吾の答えに陣は少し笑みを浮かべると
「その通りです。あなた方が駆けだしていれば、この周りに設置した火薬をすぐにでも発火させるつもりでしたから」と言った。
「でも…」
 陣の言葉が合図だったかのように、森の中を炎が走った。
 真吾たちは完全に炎に囲まれていた。
「もう…遅かったですね。あなたも…一緒に…」
 最期に満足そうな笑みを浮かべ、陣は地面に倒れた。
 黒い煙が空を覆っていった。


§



 竜巻のような風と共にヘリは降下してきた。
 雪菜は、その禍々しい機体の中に数人の陰を確認した。
 ヘリの横腹にあるスライドドアが乱暴に開くと、3人の兵士が飛び出してきた。
 一人はMP5Kクルツを構えて周囲を警戒し、残りの二人はそれぞれみさきと雪菜をヘリの方へ誘導した。
“みさき、急げ”
 通信機から男性の声が聞こえた。
 転がり込むようにして乗り込んだヘリの中には、父親ほどの年齢と思われる男性がいた。
 先ほど通信機から聞こえた声がこのサングラスをかけた男性のものだと判ったのは、雪菜が乗組員にヘッドフォンを付けられてからだった。
「大丈夫か?」
 サングラスの男 蔵神司令に問われたみさきは、直立姿勢になりながら
「はい、大丈夫です」
 と、答えた。
 軽くうなずいた蔵神に、先ほどクルツを持って警戒に当っていた兵士が
「司令、朝宮みさき、他一名を確保しました」
 と報告した。
「よし、直ちに離脱。沖合いの哨戒艇に、3分後、本部を中心とした3km四方に消火剤を発射するように伝えろ」
 澱みなく命令する蔵神に
「待ってください、もう一人いるのです」と、みさきが言った。
「みさき、お前誰に向かって言っているか判っているのか?」
 先ほど雪菜をヘリに乗せた兵士 小薗輝臣一飛曹が激高しながら言った。
 炎は北東の森中に広がり、黒煙を上げていた。
 この場所に留まるのは、危険極まりない行為なのだ。
 小薗を制するように軽く手を上げた蔵神が、静かに口を開いた。
「ここに居る全員を犠牲にするほどの価値を持った者なのか?」
 みさきは、蔵神を睨むようにしながら
「私を降ろしてでも乗せるべき者です」と答えた。
 しばらくの沈黙の後
「総員装備の点検、離陸準備。2分後に離陸する」と、命じた。
 小薗一飛曹を始めとした全員が驚いた表情を浮かべたが、すぐに命令を遂行すべく実行に移った。
“その必要は無いぜ”
 突然、真吾の声が響いた。
「真吾…」
「結城!」
 雪菜とみさきが、ほぼ同時に声を上げた。
 しかし、真吾の姿はどこにも見当たらなかった。
「慌てるな、二人とも。インカムに入電したんだよ」
 副操縦士の須磨舞子一空尉が自分の耳に装着されているインカムを人差し指で何度か叩いた。
 みさきは、自分の持っている通信機の通話スイッチを押して
「結城、朝宮だ。今どこにいる」と、訊いた。
“さっきの場所だよ”
 真吾は答えた。
「何をぐずぐずしているんだ。お前の足なら2、3分でここまで来られるだろう。急げ!」
 みさきは怒気を込めて言った。
 数瞬の沈黙のあと、絶望的な言葉が耳に届いた。
“炎に囲まれた…もう行ってくれ”
 あまりのショックに雪菜の思考は止まった。
 真吾の淡々とした口調を合図に
「全員搭乗」
 蔵神が命じ、全員がヘリに乗り込み始めた。
「私を降ろして下さい」
 雪菜がみさきに頼むのが聞こえたのか、
「ダメだ。お前を降ろしている時間は無い」
 小薗の言葉に併せてヘリが上昇して行った。
 海に向かって針路を取った事に気付いたみさきは
「蔵神司令、懸垂降下で奴を拾い上げる事を検討して下さい…」
 と、懇願した。
 蔵神が答えるより前に
「みさき、落ち着け。火災が発生している所では上昇気流が発生する。気流が乱れている場所でヘリが静止できない事ぐらいお前も知っているだろう。それに…まだプログラムは終了していない。諦めろ」
 と、小薗が苦渋の表情を浮かべて言った。
 みさきは拳を握り、ヘリの壁を殴った。
 麻穴の痺れが残る雪菜にはどうすることも出来ず、ただ真吾に渡されたクナイを握り締めるだけだった。
「消火弾の準備が完了し次第、発射しろ」
 蔵神が海上の哨戒艇に命じたのと入れ替わるように、真吾の声がインカムに届いた。
“雪菜…聞こえるか……”
 雪菜は産まれたての小鹿のように、ふらふらとした足取りでヘリの窓まで歩き、外を見た。
 眼下の森は黒煙と炎に包まれていた。
「真吾、真吾……」
 涙のために言葉が出ず、ただ名前を呼ぶ事しか出来なかった。
 伝えたい事は山のようにあったが、何をどう言えばいいのか判らなかった。
“雪菜…生きろ……”
 真吾の明るく、励ますような声がインカムに入った。
 雪菜が口を開こうとした時、みさきの首から下がっていた探知機がアラーム音を発した。
「いやぁ───」
 そのアラームの意味を理解した雪菜の慟哭が、ヘリの中に響いた。
 同時に、硬く目を閉じたみさきの目から涙がこぼれ落ちた。
 会場から離脱するヘリの機体には、黒煙に覆われて日食のようにその輪郭を現した太陽が映っていた。
 それはまるで「プログラム」で散っていった45人の生徒のために、太陽が黒衣をまとっているように見えた。

【残り 1人/ゲーム終了 優勝者:沢渡雪菜】

2002年10月27日
神戸東第一中学校3年4組プログラム実施本部サブモニタ


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