BATTLE ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝 刻の雫 〜


 赤馬仁成は、校務員室の壁に掛かっている時計を一瞥した。
 16:56
 タバコの火を灰皿に押し付けるようにして消すと、右膝をぽんと叩いて立ち上がった。
「さて、ボチボチ行くとするか」
 そう言って、扉の横に無造作に立て掛けていた大きなカゴを手に取り、外に出た。
 校務員室に鍵をかけると、カゴに付いた紐を肩に掛けて職員室へと向かった。
 コロの付いたカゴを紐で引いていると、みかんの収穫にでも行くように見える。
 ───あいつと顔を逢わさなければいいが…
 赤馬は少しためらった後、職員室のドアを開けた。
 キィーという蝶番のきしむ音を苦々しく思いながらカゴを引っ張り込むと、まずアイツがいないかを確認した。
 ───いない。
 幾分晴れやかな気分で、一年生の教師から順に机を回り、それぞれのゴミ箱からゴミをカゴに移していった。
 先日終った期末テストの点数を、資料に書き写すことに没頭している者。
 夏休みに備えてか、旅行のパンフレットを熱心に見ている者。
 居眠りをしているのか、舟を漕いでいる者。(理科の三谷先生だ)
 教師と言っても、公務員だ。
 時間外に何をしようと勝手だが、この状況を生徒に見せるのは如何なものかと思った。
 教師の威厳も何も無くなってしまうからだ。
「私たちの時代には…」という慣用句も、口をついて出てきそうになる。 
 半ば呆れながら、教頭の机に一番近い3年生担当の教師の机に向かった。
 赤馬が全てのゴミを移し終えたのと同時に、気だるそうな声が浴びせられた。
「おや、まだ終っていなかったのですか?」
 3年生の英語担当で、生活指導もしている仁科賢彦であった。
 不快な表情を隠そうともしない赤馬に対し
「あなたの美しくない姿を見たくなかったのに…。見回りも兼ねて、時計台で日が暮れていく美しい町並みを見てきたのですが…私の想像以上に、あなたの仕事が遅かったようですね」
 と、仁科は言った。 
 ───自分だって大した顔じゃあないだろう
 仁科のひょろ長い体と、その上に乗ったのっぺりとした顔を睨みつけた。
 時計台に行ったのは確かなようだ。
 仁科は気付いていないが、自慢の英帝製スーツの肩が僅かにこすれ、紺色の布地に埃が付いている。
 赤馬と仁科のやり取りを見た1、2年生の教師たちが、後難を避けようと机の上を整理し、帰宅しようとしだした。
 次々と浴びせられる侮辱の言葉に、赤馬が言い返そうとした時、職員室のドアが開いた。
「お疲れ様です」
 夕暮れ時の職員室が、一瞬で明るくなったような印象を受けた。
 音楽教師の加賀屋早紀であった。
 その場に相応しくない、爽やかな早紀の登場に、赤馬はすっかりタイミングを外されてしまった。
 和やかな雰囲気が満ちていく中、仁科はすかさず気取ったポーズを作ると早紀の後方へ近づいていった。
 ───そこでターンでもすれば、まるきりコントだな
 赤馬は、鼻の下が伸びた仁科の顔を見て思った。
 早紀は接近してくる仁科から逃れるようにして赤馬に近づくと
「赤馬さん、生徒が自分の演技を撮影して研究したいと言うのでビデオの準備をしようとしたんですが、三脚だけが視聴覚室にないんです。ご存知ないですか?」と尋ねてきた。
「確か、倉庫にあったと思います。私が取ってきますよ」
 この場から去ることで、怒りを納めようとした赤馬に追い討ちをかけるように
「雑用はそれにふさわしい人に任せましょう。それより今日のご予定は…」
 と言いながら、仁科が早紀に近づいてきた。
 早紀は仁科のほうへ顔を向けると
「明後日から付き添う強化練習の準備がありますので!」と、ぴしゃりと言ってのけた。
 唖然とする仁科を尻目に
「赤馬さん、私はジャージですし、汚れても構いませんのから、場所を教えてください」
 そう言ってのけると、早紀は赤馬の手を引くようにして職員室から出ていった。

§

「あー、もう気色悪い。私はあんたのオンナと違うっちゅうねん!」
 早紀は、ストレートに怒りを表現した。
 苦笑を浮かべながら聞いている赤馬に気付き、「あっ…」と声を上げたが、いたずらっぽく笑うと
「赤馬さんもそう思うでしょう? 好き嫌いをはっきりするのは、教師としてどうかと思うんですよ。そんな事をするから、生徒にも嫌われるんですよね」と、同意を求めるように言った。
 赤馬は明確に返事をしなかったが、その代わりに
「加賀屋先生は…大人ですね」と、言った。
 はにかみながら笑う早紀は「誉められているんですよね? おだてても何も出ませんよ」と言って赤馬の肩をぽんと叩いた。
 赤馬は、実に気持ちの良い先生だなと思った。
 早紀は大学を出たばかりだが、先ほどのような柔軟な対応を随所で見せていた。
 生徒にも教員にも人気がある訳だと思った。
「さあ、ここですよ」
 赤馬は、早紀を促がした。
 不思議そうな顔をして、早紀はその建物を見上げた。
「ここって…時計台ですよ」
 そこは赤馬の言う通り、北館の東端にある時計台の入り口であった。
 威圧感のある大きな鉄の扉は、独特のレリーフが施されていたが、錆びついた個所が目立ち、時代を感じさせた。
「時計台の中は空間が多いので、倉庫にも使っているのですよ」
 赤馬は早紀に説明した。
「こんなに錆び付いていて、開くんですか?」
 早紀の疑問が最もなほど、扉には蝶番に至るまで赤茶けた錆びが浮いており、鍵穴さえも見当たらないほどであった。
「先生でしたら、問題なく入れると思います」 
 赤馬は、扉のレリーフを撫でた。
 すると、レリーフの一部が動き、取っ手が出現した。扉に、注意して見なければ判らないような仕掛けが施してあるのだ。
 ポカーンと口を開けている早紀に
「じゃあ、開けますね」と、言って赤馬はレリーフを右に押した。
 そこには、鉄の扉とは裏腹に、地面から30cmほどの所に「出入り口」が出現していた。
「面白いですね!」
 子供のように、目を輝かせながらレリーフを覗き込む早紀に
「何でも、米帝かぶれな建築家がこの時計台を設計したそうなのですが、完成直前に政府の方からクレームがついて、取り壊されたそうです。その人にとって最後の意地だったんでしょうね、この扉だけは何としてでも取り付けたそうです」 
 と、説明をした。
 興味深そうに聞いていた早紀は、続けて赤馬に質問をした。
「今はその方…何をなさっているのですか?」
「亡くなりました」
 赤馬の言葉を聞いて早紀の顔から笑みが消えた。
「その一件から政府に目を付けられ、酷い嫌がらせを受けたようです。お披露目式の真っ最中に、この時計台で首をつって亡くなったそうですよ」
 早紀がツバを飲み込む、ごくりという音が聞こえた。
 顔色を変えている早紀に気付き、赤馬は申し訳無さそうな顔をしながら、頭をかいた。
「スイマセン、変な話をしてしまって…私が取ってきますから、先生はこちらで待っていて下さい」
 赤馬は、60cm四方位の小さな入り口へ身を押しこむように中へ入っていった。
 一瞬の間があったが「大丈夫です。私も行きます」
 早紀は慌てて赤馬の後を追った。

§

 足の不自由な赤馬よりも、すんなりと入ることが出来ず
 ───真剣にダイエットをしなきゃ…
 早紀は考えながら一階部分を見回した。
 時計台の中は、気温が低いものの意外と広く、確かに倉庫に使えそうであった。
 赤馬の説明によると大きな物は一階に、小物は階段を登った二階部分にあるそうだ。
 コンクリートを打ちっぱなしにした味気ない階段を登っていくと、三方の壁にドアがある踊り場に突き当たった。
「こっちのドアです」
 赤馬は階段正面のドアを早紀に指し示した。
 急に無口になった早紀を気にしながら、赤馬は鍵を鍵穴に突っ込んだ。
 中が覗けるほど穴の大きい、一昔前の鍵であった。
「あの…赤馬さん……」 
 早紀が口を開いた。
「何でしょうか?」
 振り向きながら返事をした赤馬は、早紀の顔色が悪いのを見て取った。
 早紀は少しうつむき加減になりながら
「ここは倉庫ですよね。こっちは時計の機械が入っているとして、残りのこの部屋は何があるのですか?」と尋ねた。
「開けてみましょう」
 赤馬はそう言うと、すぐに鍵を取り出し、ドアを開けた。
 懐中電灯を点けて中を照らしてくれたが、よく判らなかった。
 少しだけ体をのり出した早紀に
「加賀屋先生、気をつけてください」
 声をかけた赤馬がその部屋の床を照らした時、早紀は足元にあったレンチを蹴ってしまった。
 レンチが部屋の床で上下にゆらゆらと揺れるのを見て、早紀は全てを理解した。 
「きゃあああああ…」
 そこには何も無かったのだ。
 そう、床さえも。
 赤馬は、その場にへたり込んだ早紀を抱きかかえるようにして
「スイマセン、こんなに驚かれるとは。気分が悪そうだったので…」
 弁解しながら、早紀を階段の方へ連れて行き、ドアを閉めた。
「この部屋は何ですか?」
 青白い顔をしながらも、早紀は尋ねた。
 赤馬は早紀の顔色があまりに良くないのを心配してか「降りながらお話しますよ。三脚を取ってきます」と言うと、唯一鍵の掛かっていなかった倉庫の部屋へ入り、三脚を手に出てきた。
 ちょっとした違和感を覚えたが、今はそれどころではない。
 足元のおぼつかない早紀に肩を貸しながら赤馬は階段を下りていった。
「あの部屋は、一種のエレベーターです。当時のままツルベが天井に残っています。時計の歯車や機材を運び上げるのに使ったようですが、その後も倉庫に物を入れる為に埋めてしまわなかったようですね」
 赤馬の説明を聞いた早紀は、職員室へと戻りながら
「私はあそこに行かないようにしますね」
 と、微妙な笑顔で答えた。


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