BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝 刻の雫 〜
4
坂野千尋(2年4組)は、西館と呼ばれる校舎に入ると、急いで体育館へ続く階段へと向かった。
完全下校の時間は過ぎている。
先ほど校門を締めに来た校務員の赤馬仁成にも注意されたが、他の教師に見つかったら厄介な事になってしまう。
千尋が少しあせりながら階段を駆け上がろうとしたその時、最も会いたくない相手から声がかかった。
「おい、完全下校の時間は過ぎているぞ!」
そう言いながら、仁科賢彦(英語教師)が職員室から出てきた。
「すいません、体育館に忘れ物をしました。すぐに下校します」
千尋は誠実に言ったが、仁科は容赦なかった。
「忘れ物…君は注意力が足りないのかね? それとも、『加賀谷先生に気に入られているから、私だけは特別』とでも思っているのか? 待てよ、まさか学校の備品を盗もうと思って侵入したんじゃないのか!」
「ひ、ひどい…そんな事、考えた事もありません。今日撮ったビデオを持って帰ろうとしただけです。それに三脚が置きっぱなしだったので、それも片付けようと…」
千尋はあまりに酷い言葉に反論したが、火に油を注ぐ結果となった。
「私に抗議をするよりも、自分の非を認めるのが先じゃあないのか? それを口答えをするなど言語道断だ!」
仁科の怒声が無人の校舎に響き渡った。
そこへ体育館の点検を終えた加賀屋早紀(音楽教師)が現れた。
「何事ですか」
仁科へ歩み寄った早紀は、傍らにいる千尋に気付いた。
千尋の目には涙が浮かんでいた。
「坂野さん…仁科先生、どういう事か説明をして下さい」
早紀は仁科を睨みつけた。
「いや、忘れ物をしたというのでね。下校時間は過ぎていると言って指導をしていたんですよ」
仁科は引きつった笑いを浮かべながら答えた。
咄嗟にウソだと見破った早紀は
「坂野さん、忘れ物を取ってきなさい。私がここで待っているから、一緒に帰りましょう」
と千尋に声をかけた。
千尋はハンカチで涙を拭うと、軽く頭を下げた。
「先生、体育館の鍵を貸していただけますか」
という千尋に、早紀はポケットの中の鍵を渡した。
もう一度頭を下げた千尋は、仁科の方を向こうともせず階段を登って行った。
「私は校内を見回ってきます」
そう言い残して、仁科はそそくさとその場を去っていった
早紀は眉間に縦ジワを寄せて、仁科の背中を睨みつけていた。
§
坂本直央(2年1組)は、運動場に面した時計台の方へ向かっていた。
一旦立ち止まって深く呼吸をすると、植木の加減で運動場からは少し死角になっている場所で、タバコをくゆらせる人物に近づいた。
なんと声をかけようか迷っていると、その人物 新海剛毅(3年1組)の方から
「何か用か?」
訊いてきた。
ぶっきらぼうな口調にむっとしながら
「会長が…日高さんが校門で待っている。行ってやってくれ」
と直央は答えた。
剛毅は煙を吐き出しながら頭上の時計台を見上げた。
長針と短針の重なり加減で6時を回っているのを確認した剛毅は
「余計なお世話だ」
と、突き放すように言って、再びタバコを口にした。
直央は少し顔を引きつらせながら剛毅の前に立つと
「もう、彼女に関わらないでくれ」
と、怒鳴るように言ったが、剛毅は直央の方を見もしなかった。
その態度に怒った直央は、剛毅の肩を掴み、殴りかかった。
直央のパンチは顔面を捉えるかのように思えたが、苦も無くかわされ、逆にカウンターを喰らった。
膝をついた直央は、口からにじみ出た血を吐き出すと、雄叫びを上げながら再び剛毅に向かって行った。
「お前たち何をやっているんだ!」
校庭に怒鳴り声が響いた。
見回りをしていた仁科賢彦の姿を見て剛毅は舌打ちをし、直央はしまったというような表情になった。
「何年何組だ、名前は?」
仁科は、直央の顔を睨みつけながら訊いた。
「2−1、坂本直央」
ふてくされながら答えた直央の名前を手帳に書き留めると
「生徒会の坂本か…お前のような者が何故規則を破るんだ…下校時間は守るんだぞ。今日は帰ってよし」
と、念を押すように直央に言った。
その様子を見ていた剛毅は、いつの間にかタバコを捨て、ガムを噛んでいた。
「救いようが無いな、お前は…」
仁科は、剛毅の顔を見るなり毒づくと
「お前は今すぐ指導室に来い!」
と言って、剛毅の腕を掴み歩き出した。
剛毅は一瞬校門へ目を向けたあと
「放せよ、この野郎!」
と、仁科の拘束から逃れようと手を振り回した。
§
校庭から怒声が聞こえ、階段に座っていた早紀は外に飛び出していった。
夕日に照らされた校庭を仁科と一人の生徒が歩いてくる。
あの生徒は、新海剛毅だ。
早紀は、今の自分に出せる精一杯冷静な声で
「今度は何ですか?」
と、仁科に訊いた。
勝ち誇ったような顔を作った仁科は
「不良生徒が一般生徒とモメていましたので、指導室に連れて行こうとしていたところです」
と、言った。
「何が不良生徒だ。オレが不良生徒なら、お前は不良教師だよ」
薄笑いを浮かべながら言う剛毅に
「お前に私のことを言う資格などない! お前のような生徒は、あの『プログラム』に選ばれて然るべきだ。全く…この世から消えて欲しいよ」
「なんだと、ゴルァ」
剛毅は仁科の胸倉を掴んだ。
咄嗟にそれを振り払おうとする仁科と揉み合いになったが、早紀が慌てて止めに入った。
「二人とも、やめなさい!」
間に入った早紀の言葉と、校門の方から走って来た坂本直央の声が被った。
「先生! あ…あれ」
彼の指差す職員室の窓には、躍るような炎が映っていた。
§
加賀屋早紀は、生徒達に避難するように告げ職員室へ向かった。
校舎に入ると同時に、警報機のベルがけたたましく鳴り響いた。
あまりの音に少し怯みながらも廊下を走った。
消火器を持ち、職員室のドアを開けようとしている赤馬仁成が
「加賀屋先生、階段にもう一つ消火器があります。それを…」
「判りました」
という指示に、早紀はUターンをして消火器を取りに行った。
───坂野さんは…
一瞬、体育館へ向かった坂野千尋の事が頭に浮かんだが、消火活動を優先した。
重い消火器を運びながら
「仁科先生はどこよ。こんな時こそ活躍するのが男ってもんでしょう」
と、悪態を吐いた。
程なく消防車が到着し、西館に向かって放水を開始した。
大げさなほどの数の消防車が校庭に入り、消火をしてくれている。
ある意味、感動的な場面に思えた。
約30分が経過し消火作業が終わりを告げる頃、早紀の口から出た悪態に答えるように仁科が発見された。
時計台から首を吊り、さながら振り子のように揺られていた彼は、この火災で唯一の犠牲者となった。