BATTLE ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝 刻の雫 〜


 2000年7月17日(月)午前10時25分
 オレ達の通う神戸市東第一中学の校区内は騒然としていた。
 学校が火事になっただけでも話題性としては充分なのに、その火事を出したと思われる教師が自殺をしたというのだから、嫌でも世間の目を集めた。
 事件から2日が経過しても、取材に訪れたマスコミが街に溢れかえっていた。
 学校の対応は素早かった。
 事件の翌日、5日後に控えていた夏休みを繰り上げるという事と、生徒にはそれまでの間、自宅待機を命じるという連絡が入った。
 保護者への説明会も、現場検証が済み次第行われるという事であった。
 ───マスコミへの対応も兼ねた通達だったんだろうけど、自宅待機はそれほど守られないだろうな
 オレこと御影英明(1年3組20番)は思った。
 委員長を務めるオレは、担任からクラス全員への連絡を任されていたのだ。
 学校の電話は、ほとんど繋がらないので、担任とのやり取りは専ら携帯電話で行うようにしていた。
 ───普段は感じなかったけど、こういう時には便利なモノだな…
 そう思いながらケータイを眺めていると、オレの心を読んだように着信音が鳴り響いた。
 といっても、オレが着メロにしているSOSの『TUNAMI』という曲が1フレーズ流れただけだ。
「またか…」
 オレは手荒くケータイを操作して電話をかけた。
 3回目のコールでようやく出た相手に
「ワン切りは止めろって言っただろう」
と、キレ気味に言った。
 電話の向こうの相手は、そんな事を気にもしていないように『電話代がもったいないからな』と、答えた。
 こんな事を平気で言うのは、もちろん五代冬哉しかいない。
 ───オレの電話代はどうなるねん
 オレはため息をつきながら冬哉の声を聞いていた。
『エライ事になったな』
「だから何だよ、夏休みが延びたなんて喜んでいるんじゃあないのか?」
 オレは委員長らしく(?)少し偉そうに冬哉に言った。
『それはお前だろう。仁科の野郎が殺されたっていうのに、喜んでいる場合じゃないぞ』
 冬哉に心を見透かされ、少し反省をしたが、別の事に気付きケータイを握り直した。
「ちょっと待てよ、冬哉。仁科が何だって?」
『仁科は自殺じゃあない。殺されたんだ』
 冬哉の冷静な言葉に、オレはごくりとツバを飲み込んだ。

§

 オレは冬哉に電話で誘われ、学校へと向かった。
 午後に入って気温は一気に上昇し、夏の日差しがじりじりと肌を刺したが、全く気にならなかった。
 学校への坂を登ろうとした時、冬哉の姿が見えた。
 警官らしき人物と何事かもめている様で、オレは急いで駆け寄った。
「だから、オレ様はここに呼ばれて来たんだって。ちょっと確認をしてくれてもいいだろう」
 見張りの警官に文句を言う冬哉をあわてて引っ張ると
「何をやっているんだよ。すいません、妙な事を言いまして。すぐ帰りますから」
と、愛想を振り撒いた。
 警官から遠避けようと冬哉の肩口を引っ張ったが、それをあっさり振りほどき、また同じように警官に向かって文句を言い始めた。
「よせ、これ以上やるとマズイって」
 青くなって止めようとしていると、校舎の中から数人の警官が出てきた。
 冬哉はその中の一人に大きく手を振り「おーい、小泉さーん」と呼びかけた。
 制服の警官に指示を与えていた男は、あからさまに不快な顔つきになると、こちらに向かってやってきた。
「自宅待機だろう。何をしに来たんだよ、五代、御影」
 頭髪が寂しくなった額に汗を浮かべながら、小泉伸太郎巡査部長は冬哉とオレを交互に睨みつけた。
 彼の上司である古田金四郎警部補と共に、この春に起きた奇妙な事件で知り合ったのだ。
「君たちが絡むと、ろくな事がないからね。今回は古田さんが出張中だから、ボクが指揮をとるんだよ。邪魔にならないうちに、帰って帰って」 
 犬でも追い払うように手を振る小泉に、冬哉は
「殺人事件だろう。邪魔はしないって、オレ様があんたに手柄を立てさせてやるよ」
と、ウインクをして見せた。
「な、何で殺人だって判ったんだよ。一体誰が情報を漏らしたんだ」
 小泉は神経質にキョロキョロと眼球を動かした。
 もし彼の職業を知らない警官がいたら、イの一番に容疑者に挙げられそうだった。
 冬哉はそんな小泉を落ち着かせるように肩を掴むと
「大丈夫、誰もしゃべっていないよ。仁科の野郎がただ単に自殺したんなら、殺人担当のあんたが来る訳ないと思ってさ…古田警部補が出張するって聞いていたから力になろうと思ってね」
と、ささやくように耳打ちをしている。
 そんな冬哉に、小泉は一瞬相好を崩したが、すぐにとりつくろって唇を突き出すと
「邪魔だけはしないでよ、本当に。この事件はチャンスなんだよ…」
と、オレにまで念を押すように言った。
 ───相変わらず、冴えない人だなぁ  
 心の中で思いながらも、冬哉のように小泉を助けてやろうという気にはならなかった。
「君たちが校舎に入るのはマズイな…どこか良い場所はない?」
 小泉に言われ、オレは頭を巡らせたが、適当な場所は浮かばなかった。
 困った顔のまま冬哉を見ると
「クラブハウスは入れないのか? 奇術部のでよかったら空いてるぜ」
と、提案してくれた。
 小泉も了解をしてくれたので、西館横にあるクラブハウスへと向かった。
 プレハブのクラブハウスは西館の南端、少し奥まった場所に位置し、校庭を横切る事無く入ることが出来る建物であった。
 小泉のフォローをするというお題目を得た冬哉は、『立入禁止』と書かれたロープをくぐり、悠々と歩き出した。
 オレは恐縮しながら後に続いたが、視線は自然と火災のあった西館へと移った。
 すすで汚れた校舎は、昨日までの面影を残したまま全く別のモノに変わってしまったように思えた。
 消防が調査をしているようで、そちらにはまだ入ることが出来ないようだ。
 北館一階にある1年1組の教室を警察が使用しているようで、制服、私服を問わず厳めしい顔つきの警官たちが、せわしなく出入りをしているのが見える。
 何にしても異様な光景に違いなかった。
 クラブハウスに着いたオレ達一行は、冬哉に促がされ奇術部の部室に入った。
 オレもここに入るのは初めてだったので、少しドキドキしていた。
「勝手に座ってくれ。棚の物には触らない方がいい」  
 冬哉に言われるまま、小泉と手近な椅子に腰掛けた。
 オレ達の視線を受けた小泉は、少し脅すような口調で
「先に言っておくけど、この事は絶対に他言しないでね。もし捜査情報が洩れていた場合は、君たちのどちらかだという事にするからね」
と、言った。
 神妙にうなずくオレとは対照的に、冬哉は指で耳の穴をほじくっていた。
 小泉は冬哉を軽く睨みつけると、内ポケットから手帳を取り出し数ページめくった。
「まず、被害者の仁科賢彦教諭(38)だけど、君たちの言う通り殺されている」 
「絞殺ですか?」
というオレの問いに小泉は首を横に振った。
「違う。死因は後頭部打撲による脳挫傷だ。死亡推定時刻は6時15分から6時53分までの間…これは解剖によるものではなくて被害者を見た人たちの証言からだよ」
 小泉の説明にオレは息を飲んだ。
 被害者が顔見知りということもあってか、妙に生々しく感じるのだ。
「凶器と殺害場所の特定は?」
 冬哉が棚に置いてあったロープを弄びながら訊いた。
「凶器は既に発見されている。工具らしき鉄の棒だ。妙な形なんで調べてみたら、あの時計台の時刻を調節する道具らしい。殺害現場は特定できていないんだけど大量のルミノール反応があった時計前だと思われる」 
 手帳を確認しながら答える小泉に、冬哉は間髪いれず質問をした。
「容疑者は?」
「そう急かすなよ…えーっと、まずは同じ教員の加賀屋早紀、学校校務員の赤馬仁成、生徒で新海剛毅、日高あすか、坂本直央、そして入院した坂野千尋の計6人だ。あんなに警察や消防が集まっていたんだから、外部犯は考えにくいね」
 容疑者の名前を聞いて、オレは目が飛び出しそうなくらい驚いた。
 生徒から絶大な人気を誇る音楽担当の加賀屋先生に、感じのいい校務員の赤馬はともかく、まさか容疑者の中に生徒が入っているとは夢にも思わなかったからだ。
 そして…
「さ、坂野さんも…」
 喉に引っかかった物を吐き出すように、オレは言った。
 小泉は、その様子を横目で見ながら首肯した。 
「彼女が一番クロに近いのか」
 冬哉がつぶやくように訊いた。
 小泉の顔から一気に汗が拭きだした。
「な、なんで…そんな事が判るんだよ。お前…古田さんに何か、き、聞いているんじゃあないのか?」
 すねた子供のように訊いてきたが、冬哉は取り合おうともしなかった。
 窓の外を眺めている冬哉の頭には、昨日体育館で見た千尋の素晴らしい舞いが浮かんでいたのかもしれない。
 オレは、一瞬いつもと違う冬哉を見たように思った。
 それに気付いたのか、冬哉は背を向けると
「調書を見せてくれ」
と、力強い声で言った。

§

 小泉伸太郎巡査部長が調書を取りに行っている間、手持ちぶさたにオレは冬哉に尋ねた。
「なあ、坂野先輩がクロに近いって、何で判ったんだ?」
 冬哉は、オレの方を見ようともせず、カードを片手でセットしていた。
 何かに集中している時に冬哉がやるクセであった。
 オレは冬哉の目の前で手を振ると
「おーい、聞いているか?」
と、冬哉に再び声をかけた。
「何だ、オレ様の崇高なシンキングタイムを邪魔するな」
 いつも通りの傲慢な口調だが、オレには聞き慣れたものであった。
「坂野さんがクロだっていう理由を、ワトソンにも教えてくれないかって言っているんだよ」
 その言葉に、冬哉は少し呆れたような表情を作った。
 ため息を一つついた冬哉は
「容疑者を年齢順や性別順、五十音順でも並べていない事からピンときた。小泉の性格からして、容疑者の中でも一番怪しい人物をもったいつけて最後に挙げると読んだんだ。それに…」
「それに?」
「入院したって言っていただろう? 事件当日の状況で入院するほどのケガをするって事は…」
「火事場にいたか、被害者と何らかの接触があったか…でも、それなら小泉さんが隠し立てする事なんてないだろう」
「だから、調書が見たいんだよ。実は古田さんに事件の大まかな概要は聞いているんだけど、正確な部分が判っていないんだからな。既に、さっきの凶器と殺害現場が引っかかっているし…」
 オレと冬哉が意見を交わしているところに小泉巡査部長が入ってきた。
 いつもよりもシリアスな印象を受けたが、随所で出るオドオドとした仕草の所為でどうしても二枚目には見えなかった。
「き、緊張したよ。誰かに呼び止められたら、何て言い訳しようか考えちゃった」
 彼の引きつった笑顔は、同じクラスの木下国平(男子8番)や福田拓史(男子15番)を連想させる。
 いじめられっこ特有の卑屈な笑みなのだ。 
 出来るだけ今の心境を悟られないように、笑顔を作ってから
「大丈夫ですよ。小泉さんが指揮を執っているんですから」
 と、言ってやると、小泉は不気味な笑顔を作った。
「古田さんも時々やっているから、大丈夫だよ。でも、怪しむ人はいるかもね」
 冬哉の言葉で、オレの気配りも台無しになった。
 顔を真っ赤にしている小泉の手から無造作に調書を取り上げると、冬哉はそれを読み始めた。
 オレは、その場を取り繕おうとして小泉に
「小泉さんが一番怪しいと踏んでいるのは誰ですか?」と訊いた。
 先ほどと同じように、目をキョロキョロ動かした小泉は、誰もいないのを確かめるように左右を見回し
「坂野千尋…」
 と、短く言った。
 オレは冬哉の方をちらりと見てから
「坂野先輩…ですか。でも、何で坂野先輩が怪しいんですか?」
と、改めて尋ねた。
 この質問に小泉が答える前に、冬哉が調書を開いて突き出した。
 冬哉のしなやかな指が示した所を読むと、オレにも納得できた。



 調書内容
 被害者 :仁科賢彦
 死亡推定時刻:7月15日午後6時から8時の間
 死因:後頭部殴打による脳挫傷
 凶器:現場に残されたクランク様工具(血液反応あり、被害者のものと一致)
 その他所見:頸部に縄状痕あるも、生体反応見られず 
 現場状況:
  7月15日18時13分 市立神戸東第一中学校において火災発生
  同14分 管区消防署に入電
  同22分 警ら隊到着。現場保持開始
  同23分 消防車到着。消火活動開始
  同50分 火災鎮圧
  同51分 被害者を同校北館に隣接する時計台にて発見
  同53分 署員3名、消防署員4名が時計台に突入を試みるも、入口が狭小である為即時突入を果せず
  同56分 時計台扉を破砕し突入、時計台1階部で女子生徒を保護
  同57分 被害者を確保。心肺機能停止状態
  同58分 救急車にて被害者を搬送
      尚、保護した女子生徒は頭部と腹部に打撲症。別の救急車にて病院に搬送
 


 冬哉が指した部分は、この『女子生徒』という所だったのだ。
 この女子生徒というのは、間違いなく坂野千尋の事だ。
 この調書の状況からしても、一番怪しいのは時計台の一階にいた女子生徒、つまり坂野千尋である。
 調書を冬哉に返しながら、オレはある疑問を口にした。 
「何で仁科先生を自殺に見せかけたんでしょうね?」
 オレの問いかけに、小泉は少し嬉しそうな表情をした後
「それがこの事件の鍵を握っているんだ。撲殺なのに絞殺に見せかける必要があったのか? それとも殴っただけでは安心できなくて、首を絞めたのか…どっちにしても、自分が逃走する前に煙を吸っちゃて気絶したんだろうね。でも、被害者の血液が彼女の制服に付いていたし、まず間違いないよ」
 もっともらしく腕を組んで言い、悩んでいるようなポーズをとった。
 その後、小泉が冬哉から調書を取り上げようとしたので、オレは時間を稼ごうと
「小泉さんの目から見て、何かおかしな点とか無かったんですか?」
と訊いた。
 すると小泉は、急に焦りだした。
「そ、そうだね。えーっと、被害者には他に目立った外傷も無かったし、ロープも倉庫にあったものだったし、……そうそう、被害者がぶら下がっていたのが文字盤から5m位の所だったからすぐ自殺じゃあないって判ったよ。だって10mもある踏み台なんて無いしね。それにしても結び目が硬くってね、ほどくのが大変だったよ」
と、答える始末だった。
「密室になっていた訳じゃあないですよね」
 オレが顔を引きつらせながら尋ねると
「うん。扉は閉まっていたけど、鍵は掛かっていなかった。密室ならボクの腕の見せ所だったんだけどね。ネズミどころか、火事の燃えカスまで時計台の中に入っていたよ」
と、笑えない冗談まで言い出した。
 もうたくさんだと思いつつ、小泉の毒気にやられていたのか、オレは
「何かこういうのってドラマみたいですよね」
という愚にも付かない話題を振ってしまった。
 調子に乗った小泉は、偉そうに腕を組むと
「そうだね。でも、ボクはドラマの刑事さんがうらやましいよ」
と言ってこの話題に乗ってきた。
「えっ、何でですか?」
 少し大げさに訊くと、小泉は鼻の穴を膨らませながら
「ボク達は事件が解決するまで何日もかかるけど、ドラマは必ず1時間で解決するからね」
と答えた。
 軽いめまいを覚えたが、オレは何とか作り笑いをした。
 冬哉とは違う意味で疲れる人だ。
 不毛なやり取りをしている間に冬哉は調書に目を通したようで、ようやく顔を上げた。
「どうだ、何か判ったか?」
 オレが訊くと、冬哉は調書を机に置き、代わりにどこからか取り出したマジック用のコインを手の上で躍らせながら、一度だけうなずいた。
「何だ、何が判ったんだ?」 
 オレよりも小泉巡査部長が過敏に反応し、冬哉に質問をした。
「見立てだ」
「見立てって何だよ」
 小泉よりも早くオレが訊くと、冬哉は少し面倒くさそうに顔を挙げ
「犯人が何かに関連付けて仁科を吊るしたって事さ」
と、言ってのけた。
 冬哉は指を一本立てると
「あと一つ、判った事がある」
と言った。
 オレと小泉が息を呑むタイミングを待って、冬哉は口を開いた。
「恐らく、坂野千尋は犯人じゃあない」
 冬哉の手から、いつの間にかコインが消えていた事よりも衝撃的であった。


   次のページ   前のページ   表紙