BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝 刻の雫 〜
9
昼の強烈な日差しに炙られた地面は、夕方になってその熱を放出していた。
午後5時近くになっても一向に涼しくなる気配はなかった。
オレと冬哉は、最後に坂野千尋さんの家を訪ねた。
お祖母さんと思しき物腰の柔らかい女性が対応してくれて、いま教会に行っていると教えてくれた。
場所もそれほど遠くなく、その場で聞いた説明で充分理解できた。
その教会では学童保育もやっているようで、オレ達が着いた時も中はかなり賑やかだった。
門扉をくぐり、建物に入ろうとしたとき、中から出てきた人にぶつかった。
「す、すいません」
オレは謝りながらその人が落とした本を慌てて拾い、差し出した。
「気をつけろ!」
と、凄んだ人物は、1組の女ヤンキー竹内潤子だった。
竹内はオレの拾った旧約と新約の聖書をひったくるようにして取ると、メンチを切りながら門を出ていった。
「竹内と教会…想像できないな」
冬哉もつぶやいた。
「あれっ、あいつ全部拾わずに帰ったぜ。何か書いてある…『昼はカラス、夜は鳩』……何だこれ?」
オレが冬哉にその紙を見せると
「どうせ中に入るんだから、ここの人に渡してやれよ」
と、面倒くさそうに言った。
別に悪い事をしているわけではないが、オレ達は出来るだけ目立たないように中に入った。
坂野さんの姿を探すと、意外な事にパイプオルガンを弾いて子供たちと合唱をしていた。
日高あすかさんの例があったので、オレと冬哉は、邪魔にならないように入り口近くの椅子に腰掛け、しばらく様子をうかがっていた。
すると、大学生くらいの男性が近づいてきて
「なにか御用ですか?」
と尋ねてきた。
不審者と思われたのでは…と少し慌てたオレとは対照的に、冬哉は落ち着いた口調で
「彼女に用があって来たんだ」
と、坂野さんの方へアゴを突き出して見せた。
その男性は、なるほどといった感じで軽く頷くと
「ただ待っているだけだと退屈でしょう。良かったら君達も入りませんか?」
と、オレ達に提案をしてきた。
老人が苦手なオレだが、子供はもっと苦手なので、正直辞退しようと思った。
冬哉はオレ以上に子供が苦手(というより嫌い)だと思っていたが、意外にも
「何なら、何人か面倒見るよ」
という返事と共に快諾した。
───こんなに小さかったかなあ
集まった7、8人の小学生を見て思った。
ほんの4ヶ月前までは、オレ達もこのグループに属していたのに…。
オレが感慨にふけっている間に、冬哉はみんなを集めると
「それでは、只今から五代冬哉のマジックショーを始めます」
と言って、お辞儀をした。
黙って見ている子供達に、冬哉は自分から拍手をした。
冬哉に促がされるように子供たちがぱらぱらと拍手をした瞬間、冬哉の手の中に先ほどと同じようにステッキが飛び出した。
これを見た子供たちは、驚くと同時に冬哉のマジックに釘付けになった。
そのステッキをオレに預けて、今度は500円玉を取り出すと、あらゆる所でそれを消して見せた。
まるで魔法を見ているような表情の子供たちを見ていると、何だかオレの方まで幸せな気分になってきた。
最後にその500円玉が小さな女の子の手の中で倍ほどの大きさに変わったときには、観客の数も同じように増えていて、拍手が起こったほどであった。
「もっと見せて」
という子供達に
「時間が来たから、今日はもうおしまい。また今度な」
と言った冬哉の顔は、今までに見たことがないほど優しく見えた。
点呼が行われるため、集合がかかった子供たちは名残惜しそうにオレ達の下を離れていった。
「かっこよかったぜ」
そんな言葉が思わずオレの口からこぼれた。
口元に笑みを浮かべる冬哉に
「いつもオレ達に披露する妙な出し物をやるんじゃないかって心配したよ」
と、続けると
「オレ様のマジックは観る人を選ぶんだよ」
と、相変わらずの皮肉を吐いた。
「お待たせしました。私に何か御用かしら?」
坂野千尋さんがオレ達の前に立っていた。
§
事件の日に体育館のアリーナから坂野さんの踊りを見たが、こんなに小さいとは思わなかった。
生徒会長の日高さんも小さかったが、坂野さんも5cmと違わないだろう。
150cmは絶対にない彼女が、体育館でその小ささを感じさせなかったのは、沢渡雪菜の言う『表現力』或いは『オーラ』というヤツのためなのだろう。
失礼な事に、オレは坂野さんをかなりじろじろ見ていたようだ。
冬哉に肘で突かれ、ようやく我に返った。
「事件の日のことを教えて頂きたいんですが」
今度もオレの番だったので坂野さんに質問をしたが、場所もあってか妙に丁寧な言葉使いになった。
しかし、それまで笑顔を浮かべていた坂野さんの顔が急に曇った。
「警察に全部話したわ。あなたたちも、私を疑っているのね…」
唇を振るわせる坂野さんに、冬哉が「いや、疑っていないよ」と、軽い口調で言った。
「あなたが容疑者の一人であることは間違いない。だけど、赤馬のじいさん達から聴いた話からして犯人は他にいる。現場に倒れていたあなたなら、何か知っているんじゃあないかと思って来たんだ」
いつになく真剣な表情の冬哉に少し驚きながら、オレも慌てて相槌を打った。
坂野さんは、うつむいたまま唇を噛んでいた。
オレが次の言葉をどう切り出そうかと考えていると、先ほどオレ達に声を掛けてくれた男性がこちらに来た。
「もし良かったら、こちらで話しませんか? 手伝ってくれた御礼にお茶をいれますよ」
気まずい雰囲気を変えたかったので、オレ達は当然賛成したが、坂野さんが辞退すれば強制をする事は出来ないと思った。
幸い坂野さんも頷き、オレ達は教会の食堂のような場所に案内された。
男性はこの教会の牧師さんで、オレ達の先輩に当る人だった。
学校を卒業し、赴任してきたばかりなので今も色々と勉強中らしい。
坂野さんとは幼友達という事も教えてくれた。
牧師さんの作ったハーブの香りがするアイスティが出され、オレ達は遠慮なく頂いた。
学校で小泉巡査部長と別れてから何も口にしていなかったのだ。
「これも良かったらどうぞ」
と、牧師さんの勧める自家製クッキーに思わず手を伸ばしたオレの手を
「英明、お前は何にもしていないんだから遠慮しろよ」
と言って、冬哉がピシャッと叩いた。
腹が減っていたからか、無性にカチンと来たオレは
「何にもしてないって…ちゃんとお前の手伝いをやっていたじゃないか!」
と、思わず言い返した。
「手伝い? お前、何かしたか?」
「お前の出したステッキ持って立ってた」
このやり取りを聞いていた牧師さんが吹き出した。
そして、坂野さんも。
タイミングよく冬哉が坂野さんに声をかけた。
「時計台で何があったか、話してもらえるかな」
ひときわ優しい声で言う冬哉に、こくりと頷いた坂野さんは深呼吸をしてから話し始めた。
「赤馬さんに泣いている所を見られて恥ずかしくなったから、校舎の中を歩きながら時計台に向かったの。時計台の所でケンカをしている人達がいたから、恐くなって隠れちゃったの。そこに仁科先生が来て、二人を職員室の方に連れて行ったわ。私も仁科先生に怒られたばかりだったから、早く三脚をしまって帰ろうと思ったの」
坂野さんはティグラスを両手で包み込むようにしながら持ち上げ、中身を一口飲んだ。
しなやかな動きでグラスをテーブルに置くと続きを話してくれた。
「中に入ったところで、ライトを持っていない事に気付いたの。あそこって電灯もないから日が暮れると何も見えないでしょう? どうしようか迷っていたら、消防車のサイレンが聞こえてきたの。『火事だ』って思って三脚をその場に置いて外に出ようとしたら、誰かに頭を殴られたわ。その人、私を時計台の中に突き飛ばして、倒れた私のお腹を蹴った…それで苦しくなって気を失ったの。起きた時は救急車の中だったわ」
坂野さんは少し青ざめながら話し終えた。
「坂野さんを殴ったヤツが犯人だ! 顔は見なかったですか?」
オレは手がかりらしきモノをようやく発見した気がして、身を乗り出すようにして訊いた。
「あそこの入り口の事を知っている? 下が地面に接していなくて30cmくらい上にあるでしょう。上もそんなに大きい訳じゃあないからちょうどハードルを飛び越すみたいな不自然な格好になるのよ。だから、誰なのか全然判らないの」
坂野さんは残念そうに言った。
「男か女かも判らないですか?」
オレはさらに問いかけたが、同じように首を横に振った。すると冬哉が
「突き飛ばされてから蹴られるまでに、どれ位の時間があったかは覚えているかい?」
と、坂野さんに質問をした。
坂野さんは頭の中でその時の状況を反芻したのか、しばらく間を置いて
「そんなに時間差は無かったと思う。起き上がる暇が無かったから…」と答えてくれた。
冬哉は、口元にいつもの笑みを浮かべながら
「サンキュー」と答え、立ち上がった。
「どこ行くんだよ」
尋ねるオレを無視し、牧師さんに「美味かった、ご馳走さんです」と言って冬哉は教会を出ていった。
門を出た所で
「じゃあな、英明」
と、そっけなく言う冬哉に軽い怒りを覚えたオレは
「何言ってんだ、今日のまとめをするんだろう。お前の家に行くぞ」
と宣言した。
露骨に嫌そうな顔をした冬哉を「嫌ならオレんちに来いよ」と誘って、無理やり引っ張っていった。
§
「冬哉君、お代わりは?」
オレのお母さんに訊かれた冬哉は、お茶を飲みながら手で『いらない』とやった。
無礼な振る舞いに思われるかもしれないが、いつものことだし、オレの母さんは冬哉のファンなので、そんな態度を取られても全然怒ったりしないのだ。
それに、冬哉は家に来る前に花屋に寄って小さな花束を買った。
茎ばかり長い花を器用にカットし、花嫁が持つブーケの様に可愛らしくしたものを、オレのお母さんに玄関先で渡したのだ。
こいつのマメさにはいつも驚かされる。
普段、ルーズな印象を受けるので、こういった事をすると非常に際立って見えるのだ。
食後のデザートに梨とスイカのどちらがいいか訊いてくるお母さんを台所に残して、冬哉をオレの部屋へと連れて行った。
「相変わらず、おふくろさんのメシは美味いな」
と言う冬哉に、オレは
「その細い体のどこにあれだけ入るんだよ」
と尋ねた。
普段は昼飯をパン一個で済ませたりする上、仲間の中で一番細身のクセに、今夜の夕食は俊介と同じくらいの量を食べたのだ。
冬哉はオレの本棚から雑誌を選びながら
「美味い物はいくらでも入るんだよ」
と、気の無い返事をしてきた。
オレはため息をつくと
「今日は中身の濃い一日だったな…さて、整理しようぜ」
と、冬哉に言った。
しかし、冬哉は全く無視をして雑誌をめくっている。
「オイ!」
オレが強く言うと、眉を寄せて睨みつけてきた。
「オレ様はもう充分なんだよ、今は頭を休める時間なんだ。やるんならお前だけでやれよ」
と言って、再び雑誌に目を落すので、オレは腹が立ってきた。
「そうかい、じゃあ勝手にやるわ。えーっと、まず怪しいのは容疑者6人。ほとんど全員に動機があって、アリバイは微妙。現場の時計台は、ほとんど密室状態になっていた。凶器は時計台用の工具で、犯人は見立てのために仁科の首にロープを巻いて時計台から吊るした…」
そう言いながら冬哉の顔をチラッと見た。
雑誌から目を離さないものの、冬哉はオレの言っている事を聞いているようだ。
オレはあと一押しと思って
「やっぱり力が強くないと無理だよな。仁科先生を運び上げるだけで大変なのに、さらに時計台の窓から吊り下げるんだからなぁ」
と、少し声のトーンを上げて言った。
ようやく冬哉がこちらを向いた。
耳に架かった長い髪をかきあげると、トランプを数枚オレの方へ向かって投げてきた。
「頭の中がぐちゃぐちゃになるから、妙な推理を聞かせるんじゃねえ」
「何だよ、妙な推理って。お前だって荒唐無稽な事を考えているんだろう?」
「バカ言うな。オレ様はお前と違って、エレガントな推理を展開しているんだ」
「な…何がエレガントだよ。よ、よーし、じゃあそのエレガントな推理ってヤツを聞かせてもらおうか」
オレが冬哉に食って掛ると、また口元にいつもの笑みを浮かべ
「坂野千尋は犯人じゃあない」
と言った。オレはどうしても納得が出来なかったので
「何でそれが言い切れるんだよ。密室に近いあの状態じゃあ怪しいのは坂野さんだろう? それにあの人だけだぞ、質問にすぐ答えられなかったのは…」
と、突っ込んだ。
冬哉はオレの額にデコピンをすると
「人間はそう簡単に記憶を甦らせたり出来ない。つまり坂野千尋だけが、まともな反応をしたんだ。残り5人のうち、一人だけ嘘をついている奴がいる。明日、もう一度確認に行くから…」と、不機嫌そうに言った。
「じゃあ、犯人の目星はついているのか?」
オレが思わず尋ようとした時
「さあ、デザートよ」と言ってお母さんが入ってきた。
お盆の上には、梨とスイカの他にアイスクリームまで乗っていた。