BATTLE ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝2 〜


12

2001年3月25日(日)午前10時30分
 帝塚山歌劇団の稽古場には、公演前と同じような張りつめた雰囲気があった。
 春風碧こと蒼田聖子殺人事件の関係者が一堂に会しているためだ。
「え〜、本日はお忙しい中お集まりいただきまして、誠にありがとうございます」
 捜査本部責任者の丑四警部が口を開いた。
“気のよさそうなおっさん”という形容がぴったりの警部は、反応が薄いので気まずいのかゴホンと咳払いをして続けた。
「先日の事件につきまして、警察としての捜査状況を皆様に説明するべく本日お集まりいただいた訳です。後ほど質問等も受け付けます・・・」
 その時、オレの横にいた遠藤章次が立ち上がり
「捜査状況って言うけど、普段からこんな事やってのかよ? それに未成年まで呼ぶっていうのはどういう事だ!」
 と、怒号を上げた。
 学校で先生に向かってこんな口の利きかたをしたら『後で職員室に来い』と、言われそうだ。
 もちろん、素直に行ったら強面の体育教師や神経質なオールドミスの教師達の餌食となる。
 品行方正な学級委員としては、章次をなだめるのが役目だ。
「章次、落ち着けって・・・」
 オレは章次の手を引き、座らせようとした。
 興奮状態の章次は少々手強かったが、彼女である笹本香織の加勢が入るとイチコロだった。
「まず、事件の経緯からお話しします。3月22日午後18時48分 山中公園の遊歩道で春風碧こと蒼田聖子さん23歳が遺体で発見されました。死因は、背部から鋭利な刃物で刺された事による失血死。死亡推定時刻は16:00から18:00の間。第一発見者は、そちらの加賀屋早紀さんです」
 丑四警部は四角い顔を加賀屋先生の方へ向けた。
 みんなの視線が集まる中、加賀屋先生は気まずそうに下を向いた。
 加賀屋先生の付き沿いとして部屋にいるオレとしては、その視線をなんとしても阻止しなければならないと思い、出来るだけ凶悪な視線を個別に返してやった。
 丑四警部は、お構いなしに資料を読み上げる。
「凶器は刃渡り12cmのナイフで、これは被害者の自宅で発見されました。この事から被害者は自宅で殺害され、発見現場まで何らかの方法で運ばれたと思われます。ちなみに指紋は検出されませんでした」
「ナイフの製造メーカーから犯人を割り出せないんですか?」
 朝比奈桃音こと柏原綾が、手を挙げて言った。
 彼女も中学時代はオレのような優等生だったに違いない。
 丑四警部はゴリゴリと頭を掻きながら
「ナイフは大東亜共和国製・・・つまり量産されているモノでありました」
 と答えた。
 オレはおもわず「ザクとは違うのだよ、ザクとは・・・」とツッコもうとしたが、スベルどころか顰蹙を買う状況なのがわかったので、かろうじて自重した。
「皆さんからの証言から、被害者は18時前まで生存していた事が判ります。しかし、誰がどんな風に被害者を殺害し、どんな手段で死体を運んだのか・・・残念ながら判っていません。警察としましては、引き続き捜査を続けると共に、第2、第3の事件が起きないよう皆様へ自衛を促すために、今日この場を持たせていただいた訳です」
 この丑四警部の発言に、帝劇マネージャー米田匠が
「この事件は帝劇・・・いや、ジェンヌを狙った犯行だという事ですか?」
 と、強い口調で訊いた。
 老眼鏡を持ち上げながら資料に目を通そうとする警部の代わりに、隣にいた小泉巡査長が
「いや、そのように断定した訳ではありません。しかし、何分にも動機や犯人像が見えないもので、皆様には注意をしていただきたいと・・・」
 と、自信が無さそうに答えた。
 米田は机をドンと叩くと「話にならん!」と言って荒々しく座った。
「そうよ。それなら警察が私たちに護衛をつけるべきだわ。まあ、18時前まで聖子さんが生きていたって言っているのは一人だけなんだから、そっちに監視をつけるほうが効率的かもしれないけどね・・・」
 飛鳥橙羽こと松野絵美が、香織を名指しするかのような言い方をした。
「なんだと、このババァ・・・」
 章次が殴りかからんばかりの勢いで立ち上がった、その時
「おい、やめとけ章次」
 と、聴き慣れた口調と気だるそうな声が稽古場に響いた。
「お前、もうちょっと後先の事を考えて冷静に行動しないと、将来痛い目に会うぞ」 
 五代冬哉が口元に笑みを浮べ、立っていた。
「何だ、お前は。誰の許可を得て入ったんだ」
 丑四警部が冬哉を睨みつけると、ハゲ小泉が
「あいつです。例の大学教授殺人事件や、夏の中学教師絞殺事件に首を突っ込んできた・・・」
 と、素早く耳打ちをした。
「許可は、県警察本部長にいただきましたよ。オレ様の学友と先生が容疑者に挙がって、しかも濡れ衣まで着せられそうだっていうんなら、黙っている訳にはいかないんでね」
 そう言いながら、冬哉はカードをパラパラとめくった。
「そ、そ、捜査の邪魔をするのなら出て行ってくれ」
 ハゲが精一杯 怖そうな声を出して言った。
「じゃあ、おめえが真っ先にここを出なきゃな」
 冬哉は、横目でハゲ小泉を見ながら言った。
 頭頂まで真っ赤になったハゲを押しのけるようにして丑四警部が冬哉の前に立った。
「本部長の言っていたアドバイザーというのは君かね?」
 警部の問いかけに冬哉は軽くうなずいた。
「決して邪魔はしません」
 と、付け加える必要も無いほど、警部は冬哉のことを信じきっていた。
 昨夜の密談の効果が出たのだ。
 つまり、この場を作ったのは我が親友、五代冬哉に他ならなかった。
 実は昨日、犯行現場から警察署に直行したオレ達は、西園刑事の計らいと出張先からの古田警部補の口利きで県警本部長に面会したのだ。
 最初は邪魔者扱いをされたものの、冬哉の話術で本部長の信用を勝ち取り、このような説明会を開いてもらうように頼んだ。
 更に、捜査本部の責任者である丑四警部には本部長自らアドバイザーを送る旨を通達してもらっていたのだ。
 警部は冬哉を正面に案内した。
 ここに到ってふてくされた顔をしているのは小泉巡査長だけだった。
 冬哉は全員を見渡し、口を開いた。
「今日、ここに集まっていただいたのは、先日の事件について犯人を捕まえるためだ」
 それぞれが顔を見合わせた。
「どういう事よ、防犯とか自衛についての説明会じゃないの?」
 諏訪紫苑こと三宅貴子が立ち上がった。
 他の面々もうなずいているのを見て、冬哉は
「あの出入りが難しいマンションで殺人が起きたんだぜ。防犯もへったくれもないだろう?」
 と、呆れたような口調で言った。
 誰も反論できないなか、加賀屋先生が冬哉に尋ねた。
「ねえ、五代君。じゃあ犯人は聖子だけを狙ったっていう事?」
「流石だな、先生。二回目で推理力が上がったのかい」
 茶化すように答え、さらに話を続けた。
「事件のあらましは警部が話してくれた通りだ。ただ、オレ様が引っかかったのは、被害者をあんな辺鄙な所まで運んだっていう事なんだ」
 オレと加賀屋先生以外のみんなは不思議そうな顔をしていた。
 冬哉の言っている事が今ひとつ理解できていないのだろう。
「殺人を犯した者が困るのは死体が発見される事だ。だから何とかして死体を隠そうとする。でも、今回の発見現場には隠そうとした痕跡なんて葉っぱを被せただけのお粗末なものだったし、危険を冒してまで死体を運ぶ理由が見当たらないんだ」
 そう言って、冬哉は全員を見回した。
 まるで、犯人の反応を探っているように見えた。
「いくら細身とはいっても、死体となると50kg近くなる。それを運ぶ行為だけでかなりのリスクになるはずなんだ。バラバラにしない限り、巨大な荷物になる訳だからな。それ以前に、クリーニングを配達に来た笹本香織に殺害前の被害者を目撃されているなら、犯人はとどめを刺してすぐ逃げようとするはずなんだ」
「アリバイを作るために、そんな面倒なことを?」
 オレは思わず訊いた。
 冬哉の目が「ナイス タイミング」と言っていた。
「オレ様も最初はそう思ったんだ。だけど、ある事に気がついて、それが間違いだと気付いた」
「ある事?」
 それまで黙って聞いていた章次が冬哉に訊いた。
 ───オレの役目だぞ、章次!
 心の中で、オレは呟いた。
「オレ様や警察は部屋で殺害された被害者をどうやって発見現場まで運ぶかという事ばかり考えていた。その度に密室、運搬方法・・・様々な障害が出てくるんだ。だけど最初の前提をひっくり返すと、その全てが問題ではなくなる。最初の前提、つまり犯行現場と発見現場が別なのではなく、犯行現場=発見現場なんだ」 
「そんな・・・バカな・・・・・・」
 丑四警部が額に油汗を浮べて言った。
 確かに、冬哉の説が合っているとすれば、警察は今まで全く見当違いの捜査をしていた事になるのだから。
 オレはあることに気付き、思わず息を呑んだ。
「冬哉・・・もし、それが本当なら、犯人は・・・」
「そうだ、鉄壁のアリバイを持った犯人・・・そいつは、この中にいる」
 一瞬、部屋の温度か圧力が上がったような息苦しさを感じた。
 みんな、自分以外の連中を疑っている目をしていた。
「ちょっと待てよ。凶器は春風碧の家で見つかって、犯行現場もそこだって警察は断定したんだよな。いくら何でもそんな初歩的なことを警察が間違わないだろう。それより、香織が見た春風碧は何なんだ?」
 ───章次のヤツ、オレのセリフを・・・
 それを聞いた冬哉は軽くうなずくと、順を追って説明しようと言った。
「章次の言う通り、警察はある状況を元に犯行現場が春風碧の部屋だと断定した。その状況は・・・警部、何だったんだい?」
「被害者の出血量と、現場に残された血痕の量を元にしたんだが・・・」
 丑四警部は自信が無さそうに答えた。
「犯人は、それを予測していて周到な準備をしていた。それが、先の健康診断試料の盗難さ」
 帝劇マネージャーの米田が、あっと小さな声で言った。
「本当の狙いは春風碧の献血の分なんだけど、それだけを盗むとこの事件に結びつく恐れがある。それで、犯人はそれより前にあった健康診断の試料を盗んで心理的な抜け穴を作っていたのさ」
 オレも含め、冬哉の説明を聞いた者は納得したかのように頷いた。
「でも、それを何に使ったんだろう。部屋に撒いても、古い血液って判るんじゃないのか?」 
 章次の呟きを冬哉は聞き逃さなかった。
「春風碧を公園に呼び出した犯人は、持っていた刃物で被害者の背中を一刺し・・・したんだけど、その刃物は注射器みたいになっていて春風碧の血を抜けるようになっていたはずなんだ。それにより被害者は失血死した。その時、犯人はあらかじめ盗んで凍らせておいた献血の血液を地面に置き、その上に死体を置いた。凍らせておいたって言ってもこの時点で溶けていただろうから、古い血液は地面に被害者の体から出たものと一緒に染み込んでいった。これで、ある程度の出血量は誤魔化せる訳さ。更に犯人は死体に葉っぱを被せて、暫くの間人目につかない様にした。発見現場では、この時期に18時から19時に掛けて突風が吹く。16時頃に犯行が行われたとしても、これで3時間はアリバイが稼げるっていう寸法だ。全ての準備を終えた犯人は、被害者から抜いた血を持ち、次のステップの為に急いでマンションに戻った。合鍵を使って被害者の家に入ると、そこが犯行現場であるようにシーツやナイフに血をつけ偽装工作をした。そして犯人は、そこで彼女を待った・・・」
「待った?」
 オレの問いかけに、冬哉はうなずき笹本香織を指差した。
「そうだ、犯人はクリーニングを配達してくる笹本香織を待ったんだ。春風碧が18時前までは生きているという事を証言してもらうためにな。笹本がインターフォンを鳴らした時、犯人は血の付いたナイフを目立つ所に置き、春風碧の服を着て玄関口に倒れたんだ。チェーンロックだけをして完全にドアが開かないようにし、手が届くギリギリの所にな。これで笹本に脈を取らせ、かろうじて生きているという事を証言させる事に成功した。この状況なら春風碧ファンの笹本は救急車を呼ぼうとするはずだ。携帯電話を持っていない笹本は、その場を離れる・・・その間を利用して、犯人は部屋を脱出し、玄関に鍵を掛けたって訳さ」
 なるほど・・・と、オレはうなずいた。
 冬哉の推理の方が理に叶っていると感じたのだ。
「ちょっと待ってくれ・・・それじゃあ犯人は・・・」
 米田は、震えながら言った。
 冬哉はある人物を指差し、こう言った。
「春風碧を殺害した犯人・・・それは、あんただ」


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