BATTLE
ROYALE
〜 黒衣の太陽・外伝2 〜
03
笹本香織は事態が飲み込めず、一瞬硬直した
ドアの向こうに倒れている聖子の傍らには血の付いたナイフが落ちているのだ。
すぐに我を取り戻し、中に入ろうとしたが、頑丈なドアロックに阻まれた。
「せ、聖子さん!? どうしたんですか? しっかりして下さい」
香織は思い切り手を伸ばし、碧の体を揺さぶろうとした。
ぎりぎりの所で碧の体まで届かず、香織の手は空を掻く。
はしたないが、思い切って頭をドアの隙間に突っ込むようにしたことで少しリーチが伸びた。
碧の肩に手がかかった。
ゆっくりと服の袖の部分を掴み、碧の手をこちらの方へ手繰り寄せた。
荒くなる呼吸を整えながら、香織は碧の手首を持ち、脈をとった。
ごく弱い動きを香織の指先は感じた。
───生きているの?
香織の胸で、安堵と恐怖が交錯した。
すぐに立ち上がると、隣の部屋のインターホンを連打した。
「絵美さん、大変なんです! 救急車を呼んでください。聖子さんが・・・」
しかし、隣室の飛鳥橙羽の部屋からは何の返答もなかった。
数回繰り返した時点で、恐怖が安堵を凌駕した。
そして香織はパニックに陥った。
「いや、嫌ぁ・・・・・・」
エレベーターまで掛け戻ると、↓ボタンを連打した。
ドアが開くと同時に体をねじ込み、地上へのボタンを押しつづけた。
───嫌だ、こんなの…助けて、遠藤君
香織は助けを求めるように彼氏の名前を思い浮かべた。
一階に着いたエレベーターから足をもつれさせながら降り、外へ掛けだそうとした。
自分と入れ替わるようにエレベーターに載りこもうとするアベックを見て、香織の目から涙が溢れ出した。
「どうしたの? あなた…香織ちゃん?」
声をかけて来たのは諏訪紫苑であった。
顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら紫苑の腕を掴み
「聖子さんが…聖子さんが……」
と、それ以外の言葉を知らないかのように言い続ける香織に只ならぬモノを感じた紫苑は
「聖子さんの部屋へ」
と、短く言った。
横でうなずいた男性は、ジェンヌ達のマネージャー米田 匠(よねだ たくみ)である。
米田は紫苑の代わりに香織を抱き上げると、エレベーターに載りこませた。
上昇して行く昇降機の中で、簡単に状況を確認した米田は
「とにかく、救急車だな。レスキューも呼ぶ必要があるかもしれない…」
と、状況を整理しようとつぶやいた。
12階に到着するや否や、香織と紫苑を置いて駆け出した。
後に続こうとした2人に
「犯人がまだ隠れているかもしれないから、そこにいるんだ」
と、言った。
2人はそれに従い、廊下の門で様子をのぞき込むようにした。
米田はゆっくりドアノブを捻ると一気にドアを引いた。
「あ、あれ?」
米田は、場違いな声をあげた。
「どうしたの?」
紫苑が米田に声を掛けた。
「いや、開かない・・・。鍵がかかっているんだ」
「そ、そんな・・・ドアロックは掛かっていたけど、鍵はかかっていませんでした」
香織は米田の言葉を否定するように言った。
米田は間髪入れず自分のカバンに手を突っ込むと、中からキーホルダーを取り出した。
直径5pほどの輪にいくつもの鍵をつけたそれは、キーホルダーというより刑務所の看守を連想させた。
その中の一つを摘み、鍵穴に差し込むと、ドアはあっさり開いた。
米田はこちらを向いて無言でうなずくと、意を決してドアを開けた。
きょろきょろを中を見回すような仕草をした後
「失礼します」
と言って中に入って行った。
香織と紫苑がゆっくりと近づいていくと
「聖子さーん、いませんか? 米田です」
という声が聞こえた。
自力で救急車を呼ぶために聖子が移動をしたと考えたのだ。
しかし、聖子の姿を見つけることは出来なった。
「ちょっと失礼」
米田はそう言って玄関を出ると、隣の部屋のインターホンを押した。
応答が無いのをみて、ポケットから携帯電話を取り出すとどこかへ電話を掛けた。
数秒の間の後
「あっ、おはようございます、米田です。今どちらですか? ご自宅で・・・私、いま絵美さんの部屋の前にいるんですよ。はい、スイマセン」
米田が電話を掛けた相手は、隣室の飛鳥橙羽らしい。
不審に思う間もなく、橙羽の部屋のドアが開いた。
「何よ、ようやく寝付いた所だったっていうのに・・・・・・」
あくびをしながら橙羽が出てきた。
「クリーニング屋の香織ちゃんが、玄関で倒れている聖子さんを見たって言うんですが、オレ達が来てみるとどこにもいないんですよ。部屋の方も今探したんですが見当たらなくって・・・絵美さん何かご存知無いかなと思ったもんで」
米田は簡単に事情を話すと、未だぼんやりとしていた橙羽の表情が一変した。
「そんな事ある訳ないじゃない、夢でも見たんじゃないの? 今日はオフだけど、聖子さんの性格からして自主練習してるでしょうから・・・ケータイは?」
米田は、橙羽との電話を切った直後に碧のケータイに掛けたが、繋がらなかった旨を伝えた。
一瞬の沈黙の後、橙羽が香織の方を向き
「あなた、本当に聖子さんが倒れているのを見たの?」
と、厳しい口調で言った。
香織は予想外の問いに頭が真っ白になったが、すぐ気を取り直すと反論した。
「間違いありません。聖子さんが着ていた服はウチで先週お預かりしたモノだったし、そう・・・脈も診ました。あたし、看護師じゃあないからよく判らないけど、ほとんど感じられないくらい弱かったから、慌てて・・・」
「慌てて? あなた、慌ててどうしたの? ここから逃げようとでもしたの?」
橙羽の容赦ない言葉を浴びて、香織の目から再び涙が零れ落ちた。
「絵美さん、ちょっとヒドイですよ」
紫苑は庇うように香織の肩に手を置いた。
それが気に障ったらしく、橙羽は眉を吊り上げると
「貴子、あんた誰にモノを言っているか判っているの?」
と、低い声で言った。
例えトップであっても、下の組の者が意見をするなど帝劇ではありえない事なのだ。
「まあまあ、絵美さん落ち着いて・・・今は聖子さんの事が先決じゃないですか?」
と、米田が取り成した。
怒りの矛先は米田に向いた。
「あんたもよ。マネージャーのくせにジェンヌに手を出すなんて・・・聖子さんにも注意されたんでしょう? 未だ付き合っているって、どういうことよ!」
橙羽は口から唾を飛ばしながら言った。
「どうしたんですか? そんなに興奮して」
驚いたような声がエレベーターの方からした。
朝比奈桃音であった。
「絵美さん、約束の時間よりちょっと早いんですけど、来ちゃいました。・・・でも、お取り込み中みたいですね」
桃音はバツの悪そうな顔をしながら言った。
「いえ、大丈夫よ」
橙羽は苦笑いを浮べて言った。
そのまま米田の方を向くと
「ちょっと、あたしと綾は部屋で待っているわ。聖子さんが帰ってきたら連絡するから。クリーニング屋にイタズラをしただけかもしれないし、ちょっと一人になりたくて、気分転換に出かけたのかもしれないじゃない。今度の公演・・・聖子さんも少し入れ込みすぎだったし」
と、続けた。
米田は少し考え
「それじゃあ・・・警察への連絡はもう少し待ってみます。スイマセンが、聖子さんから連絡が入ったり帰宅された時は、私のケータイに連絡をください。深夜でも結構ですから・・・」
と、事務的に言った。
橙羽は、桃音の方を向き
「着替えたらすぐ始めるから、アップでもしていて」
と言って自分の部屋へと帰っていった。
怒りを抑えている様子の紫苑に、桃音は
「後は任せておいて。何かあったらすぐ電話するから」
と言った。そして、香織の方を向くと
「香織ちゃん、気にしないでね。絵美さんも、ちょっとイライラしているだけなんだ。あと、お土産と洗濯物は今度・・・」
と、申し訳なさそうに言った。
香織は勢いよく首を横に振り
「そんな、綾さんが謝る事無いですよ。私、気にしていませんから。でも、聖子さんの事が・・・」
と言った。
桃音は、香織の肩に手を置くと「大丈夫、後は大人に任せて」と言って、紫苑たちの方へ送り出した。
香織は胸騒ぎを感じながらも、マンションを後にした。
そして、それは現実のものとなる。
香織がマンションを後にしたきっかり1時間後、春風碧は遺体で発見されたのだ。