BATTLE
ROYALE
〜 仮面演舞 〜
第85話
そこは、会場の南東――I−9エリア。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
もう、あの脱出作戦の失敗から二時間近い時間が流れている。それにもかかわらず、早島光恵(女子11番)の呼吸は一向に整う気配がない。必死で息を整えようとしても治まらない。
脈拍が異常に早くなっている気がする。それに何だか、涙腺が緩んでいるような気がする。先程から、光恵の視界が滲んでいるのだ。 周囲の風景――雪化粧をされた木々がぼんやりとしか見えない。
――ああ、私……悲しいんだ。悲しんでるんだ。
そんな思考ができる自分に、光恵は少しばかりの安堵を得る。大切な仲間――灘崎陽一(男子14番)と政田龍彦(男子17番)。二人を失った。龍彦はまだあの時死んではいなかったが、光恵は何となく龍彦はもうこの世にいないのではないかと思っていた。
それが悲しい。児島真一郎(男子7番)と御津早紀(女子15番)が死んだ時も、悲しみこそ多少はあったが泣くほどではなかった。 そしてそんな自分があまりにも薄情に見えて自己嫌悪に陥りそうだった。
でも、今光恵は泣いている。陽一と龍彦の死に涙を流している。人の死に、涙が出てきたのは初めての経験だった。
以前、龍彦が言った言葉が思い出された。
――人って、変われると思うんだよ――。
あれは本当のことなのだと、光恵は思った。人の死に嫌悪感しか持てなかった自分が、こうして今人の死を涙が出るほどに悲しんでいる。自分がやっと普通の人間になれた気がした。そのきっかけを作ったのが龍彦たちだったというのは、皮肉に過ぎるけれど。
そしてもうひとつ、分かったこともある。
龍彦に言われて、あの場から光恵は逃げた。いや、龍彦によって逃がされた。でも……龍彦の傍にいたいとも思っていた。どうせなら、最後まで龍彦といたい。そう思った。
だが、龍彦はそうはさせなかった。光恵の考えを察していたとは到底思えないが、龍彦は光恵に逃げるように言った。自分の武器――ニューナンブを渡してまでだ。そのうえで言った。
――仲間が目の前で死ぬのは嫌なんだ。もう、な。
その言葉が逃げている間も脳裏から離れなかった。どこか悔しさを感じたのだ。『仲間』という龍彦の表現に、何故か。
今ならば、その気持ちの意味が分かるような気がする。きっと自分は、龍彦に好意を寄せ始めていたのではないか? あの言葉をかけてくれた龍彦を、少しずつ好きになり始めていたのではないか? そんな風に思う。
いくらなんでも、それはないだろうとも思った。もし仮にそうだったとして、それは今光恵たちが置かれている状況が生んだ単なる吊り橋効果(以前テレビでそんなことを聞いたことがある)なのかもしれない。しかし……この思いはきっと、本物だ。
自分は、政田龍彦を好きになっていた――。
そう考えると、余計に涙が溢れてくる。辛くて辛くて、心が折れそうになる。
そんなことを思いながら、光恵が下を向くとそこにはあの爆弾があった。龍彦、陽一――そして真一郎と早紀の犠牲の後に残ったものは、爆弾と光恵だけだった。
しかし、だからこそこの爆弾は大事なものだった。この爆弾には脱出に賭けた仲間たちの心が今も宿っている。そんなことを考える。 そう思うとこの爆弾は決して無駄にはできなかった。龍彦が中止しようといった脱出の作戦。それを光恵の手で成功させたい。あの本部をこの爆弾で炎に包んでやりたい。
その思いが、今の光恵を支えている。
しばらくして、徐々に呼吸が整い始めた。これでようやく、動きやすくなった。
光恵は地面に置いていた爆弾を拾いあげると、その歩を進め始めた。目標は当然、E−5エリア。作戦といえるものは何もない。龍彦ほど頭が良いわけではない光恵には、立派な作戦など思いつかなかった。けれど、龍彦たちの遺志を自らの手で叶えたかった。ただ、それだけ。
そうして、ようやくすぐ北のエリア――H−9エリアに入るところだった。光恵の視界の端に、何者かの姿が映った。その人物は、ただじっとこちらを向いている。その顔には、白地に赤のペイントが施された形になっている仮面。
光恵たちの目の前で死んでいった玉島祥子(女子8番)。彼女を撃った『仮面』に間違いなかった。
――まずい――。
すぐに光恵は懐に持っていたニューナンブを抜く。しかしその一連の動作よりも早く、『仮面』がその右手に持っていたマシンガン――赤磐利明(男子1番)のものだったVz61スコーピオンだ――を光恵に向かって構えていた。それが分かると同時に、光恵は駆け出していた。
直後に銃声が連続して響き、銃弾を撃ち込まれた雪が粉雪になって舞いあがる。しかし光恵はそんなことは気にも留めずに走った。背後からまた銃声がする。どうやら、相手は光恵を追っているようだ。
光恵は走りながらニューナンブを構え、振り向く。そしてその引き金を引いた。
一発、二発。
銃弾は『仮面』に当たることはなく、『仮面』は光恵を執拗に追い続けている。あまりにもまずすぎる展開といえる。
――死ねない……、政田君たちのためにも、脱出を、この爆弾を――。
そう思った光恵は、左の脇に抱えていた爆弾をちらりと見た。しかし、それがよくなかった。
その一瞬の間に、先程までよりも距離を縮めていた『仮面』が再びスコーピオンを撃った。
放たれた銃弾。そのひとつが光恵の右肩の辺りに食い込んだ。強い痛みと、焼けるような熱さが光恵を襲った。弾は肩甲骨の辺りに食い込んだらしく、骨の痛みも感じる。
――痛い……死にそうなくらい痛い……でも――皆はもっと、痛かったはずだから、このくらい!
しかし、それでも光恵の動きは圧倒的に鈍っていた。右肩を撃たれたせいか、ニューナンブを撃とうにも右腕が上手く動かせない。そんな中『仮面』がスコーピオンをさらに撃ってくる。光恵は必死で走って銃弾の嵐から逃げた。
射程距離さえ離せれば、逃げ切れる。そう思った。
やがて目の前には、真一郎と早紀が死んだであろうあのガソリンスタンド――もっとも、もはやその影も形もなくなっていたが――が見えてきた。そこでようやく光恵は、自分がJ−6エリアまで逃げてきたことを理解した。
そしてその前を通り過ぎて(真一郎と早紀のことを思う余裕はさすがになかった)、一軒の民家が見えてきた時だった。
背後からまたしても響く連続した銃声。それと同時に放たれた銃弾のひとつが、光恵の左太腿を貫いた。強烈な痛みと溢れ出る血液。声をあげそうになるが堪えて、光恵は動いた。
もはや、ほとんど移動は出来ない。仕方なく光恵は目の前にある民家へと侵入する。しかし、『仮面』もすぐに追いついて光恵を発見するだろう。そうなったら……。
――もう、駄目かもしれない。
既に、光恵には気力が残っていなかった。脱出の作戦も、もう完全に終結。おしまい、だった。しかし、だ。このまま『仮面』に殺されてしまうのだけは嫌だった。それだけは、絶対に。
光恵は、民家の玄関先に爆弾を置くと、そのすぐ近くの客間に隠れた。そのドアを開けたまま、じっと耐える。そして、『仮面』が雪を踏む音がかすかに聞こえた。
「ごめん、政田君」
光恵はニューナンブの引き金を、動かすのも辛い右腕を使って必死で引いた。放たれた銃弾は、あの爆弾を正確に捉えた。銃弾は爆弾の起爆装置にピンポイントで命中し、その衝撃で爆弾は、派手に爆発を起こした。光恵の思いや龍彦たちの遺志が、弾け飛んだ。
爆風に曝された光恵の意識が薄れる。その中で、光恵は考えていた。
――政田君……皆……。ごめん――。
民家は爆発によって完全に破壊され、その原型を留めなかった。
「先生、男子17番の爆弾が使われたようです」
本部モニタールームで、モニター係の兵士がソファーにいる福浜幸成(岡山県岡山市立央谷東中学校3年C組プログラム担当教官)に報告する。それを聞いて、福浜が頷く。
「これで、我々にとっての脅威は全てなくなってしまった、ということですか。……作東君、浅口君」
福浜が作東京平二等陸尉と、浅口薫三等陸曹を呼ぶ。二人は福浜の声に反応して、福浜のもとへとやってくる。
「二人とも、J−6エリアの消火をお願いします」
「はっ」
作東と浅口は福浜に向かって敬礼をすると、すぐに武装をしてモニタールームを出ていった。福浜はその二人を見送ってから、またモニターに視線をやった。
モニターが示すJ−6エリアにはもう、女子11番の反応はなかった。そして、男子8番の反応だけが残っていた。
<AM3:21> 女子11番 早島光恵 ゲーム退場
<残り6人>